第66話 おひめさま
街に残っていた魔物達は、ヤドックによってほぼ殲滅させられた。しかし流石のヤドックも、魔物の大群から民衆を全て守りきる事は不可能。結果的に大勢の死者を出してしまった。しかし、無念がっている暇はない。ヤドックは心の中で犠牲者達に祈りを捧げ、城の方に目を向ける。
「さて……。城にはさっき姫様が行ったのが見えたから、恐らくは大丈夫じゃろうが……万が一という事もある。儂も早く加勢に行かねば」
ヤドックが城に向けて足を一歩踏み出したその時、突如背後から何かがヤドックを取り囲み、周りが真っ暗闇に覆われた。
「むっ!? 何事じゃこれは……?」
何も見えない。何も聞こえない。ここは室外だ。太陽が空にある限り、こんな事はあり得ない。ヤドックはそのまま走り出すが、何かにぶつかる事もない。ヤドックの足音だけが、その暗黒空間に空しく響き渡る。
「……ククク。いくら走っても無駄ですよ」
「!?」
ヤドックは背後からの声に振り向いた。眼鏡をかけた色白の若い男がそこにいた。光もないのに、その男の姿だけはハッキリと見えている。
「何者じゃ、貴様……」
「六龍が一人、パイソンと申します。あなたを殺す事が、私に与えられた役目です」
「六龍じゃと? ネイクスの軍の幹部か」
「その通り。あなたがヤドックですね? あなたの事は特に注意するようにと、ネイクス様は仰いました。なるほど、確かに老体に似合わぬ凄まじい強さです。我々六龍の中に、あなたとまともに戦って勝てる者は、恐らくいないでしょう。ですが……こうしてこちらの土俵に上げてしまえば、話は別です」
「……貴様とお喋りしている暇はない」
ヤドックが駆けだし、パイソンに拳を突き出した。しかし、全くその手応えは感じられずに空を切った。パイソンは霧のように消え、ヤドックの背後に再び現れた。
「残念、無駄です。この空間に引きずり込まれた以上、あなたは私に傷一つつける事は出来ませんよ」
「何じゃと?」
「ここは私が作り出した別次元の異空間。今この瞬間、私とあなたは人間界にも魔界にもどこにも存在していないのです。当然、あのエルカという娘に加勢に行く事も出来ませんね」
「……それが狙いか。じゃが、儂が加勢しなければ姫様を倒せると思っておるのか?」
「思ってますよ。今あっちに向かっている六龍は二人。その内一人は、六龍の中で最強の使い手ですから。その一人がエルカを殺し、私があなたを殺す。それでゲームオーバーです」
ヤドックは異変に気付いた。さっきから妙に息苦しい。そして体のあちこちに僅かな痛みが走り始めている。
「あなたは強い。だから真っ向勝負は避け、こうやってじわじわと確実に殺します。この空間は私以外の者にとっては、いわば毒ガス室のようなもの。あなたはこのまま何も出来ずに、ゆっくりと死に向かっていくのですよ」
「……」
*
エルカは、呆気に取られている両親や民達には目も暮れず、魔物達が空けた壁の穴から城下町を見下ろした。その光景をエルカは不思議に思う。
既に外の戦いは終わっているように見えるが、その割にヤドックがいつまで経ってもやって来ない。ヤドックがあの程度の魔物の集団にやられる事など百パーセントあり得ない。ならばどこで何をしているのか、それがエルカには分からない。
「……おひめさま」
その声にエルカが振り向く。誰もいない…………いや、視線を下に落とすと、頭に赤いリボンを付けた幼い少女がエルカを見上げていた。他の人々は遠巻きに恐る恐るその様子を窺っている。
「何?」
「えと……助けてくれて、ありがとうございました。おひめさまって、ほんとはすごく強いんだね」
「まあね。あんた、私が怖くないの?」
「ちょっとだけ怖かったけど……でも、みんなのために、悪いやつをやっつけてくれたんだよね?」
自分がムカついたから……というのが一番の理由ではあるが、わざわざ否定する事でもない。それもまた一つの理由だからだ。
「そうよ。それより、怪我はない?」
「うん、だいじょうぶ」
「ならいいわ」
少女の頭に軽く手を置いてからエルカは歩き出す。顔もドレスも血塗れだから、とりあえず体を拭いて着替えるため、この城の自室に足を向ける。
「エ、エルカ……」
今度はノットが声をかけて呼び止めた。その横で、アルマも心配そうな目をエルカに向ける。
「ねえ、エルカ……いつからそうなってしまったの?」
「さっき聞いてたでしょ? 最初からよ、お母様。姫なんてくそくらえだった。退屈な王族なんかより、こうやって戦いの日々を送りたかった。ベルーゼも本当はあの時に返り討ちにできたけど、魔界に行きたかったからわざと攫われたのよ」
二人はショックを隠しきれない。民達も、何とも言い難い表情を浮かべている。
「それなのにずっと、ああやって姫として自分を偽り演じ続けてきたというのか?」
エルカがノットに視線を移す。
「それがあんたらの願いであり、フロッグの姫としての正しいあり方だったんでしょ? 仕方なくそうしてきてやったのよ。まあ、これでもうお終いだけどね。見損ないたかったら、ご自由にどうぞ」
エルカが自嘲気味に笑って歩き出し、二人の間をすり抜けた。
これでスッキリした……肩の荷が降りた……そう思う事にした。だが、心の奥底にある本心は違う。エルカ自身は絶対に認めないだろうが、そこには両親や民達を欺き、最後には期待を裏切った事への自責の念があった。つまらない意地を張らずに、素直に顔を隠してくれば良かったのではないかと自分に問う。
勝手に期待したのはこいつらだ。私の知った事ではない。開き直って声を大にしてそう言ってやりたい。しかしそれがどうしても出来ないもどかしさに、苛立ちは増すばかりだ。
「……おひめさまは、おひめさまだよ」
その声に、エルカは再び足を止める。さっきの赤いリボンの少女だ。少女は汚れなき純真な笑顔をエルカに向けていた。
「おひめさま、あたしも大人になったら、おひめさまみたいになりたいな。だから、今度いろいろおしえてね!」
それはお世辞でも何でもない。たった今さらけ出した、本当のエルカへの少女の思いが、間違いなくそこにあった。暫しの沈黙を挟み、周りの大人達も続けて声を上げた。
「そ……そうですとも!」
「姫様は姫様です」
「姫様は俺達を守ってくれました」
「見損なうなんてとんでもございません!」
「エルカ様は、今も変わらず皆の憧れです!」
エルカに向ける民達の目や言葉は、今までと何ら変わりはない。エルカはその心の僅かな動揺を隠すべく、不自然なまでに無表情を貫く。エルカの心を打つ民達の一言一言を、敢えて鼓膜でシャットアウトしようとする。聞きたくない。自分の中の何かが変わってしまいそうだから。
「エルカ……私達は、お前に謝らなければならぬようだな」
「そうね……。エルカ、あなたの苦しみをちっとも分かってあげられなくて、ごめんなさいね。まったく、母親失格だわ」
アルマの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。エルカはその目を何となく直視する事が出来ず、無意識に目を逸らした。
「……ばっかみたい」
それは、自分に向けた言葉でもあった。完璧な姫……それを勝手にイメージして勝手に演じてきたのは他でもない、自分自身だったのだ。しかし、本当に心の整理がつくのは、もう少し先の話になりそうだ。
「……うふふふふ。良かったわねぇ、エルカ。皆にあなたの本性を受け入れてもらえて」
聞き慣れない声がダンスホールに響き、皆がキョロキョロと辺りを見回した。その声の主は、いつの間にか入り口近くの柱に、腕を組みながら背を預けて立っていた。エルカ、ノット、アルマはもちろん、その顔を知る者は多い。
「イアーナ姫! どうして貴女がこんな所に!?」
そう、ガラパの姫……そして今はネイクスの手下であるイアーナの姿がそこにあった。ノットが驚きの声を上げて足を踏み出すが、それをエルカが片腕を上げて制止する。
「近付かないで。奴は敵よ」
「な、何だって?」
その言葉にざわつく人々を無視して、エルカは一人でイアーナに話しかける。
「あんたも来ていたとはね。いつからそこにいたのよ」
「ちょうどゴフラがあなたに斬りかかったところからよ。怒ると視野が狭くなるのは、あなたの弱点の一つのようね。うふふふ……」
「ちっ……いちいち癇に障るクソアマだわ」
「ゴフラは勝てないまでも、もう少し粘ると思ったんだけど。どうやら少しあなたを見くびっていたようね」
エルカの言った事が本当だという事は、イアーナの今の台詞だけで皆が理解できた。エルカの本性は戦闘狂で、イアーナの正体は魔物達の仲間…………信じられない出来事が立て続けに起きて、他の者達は混乱せずに話について行くのがやっとだ。
「ちなみに、この国にはもう一人六龍が来ているわ。彼はヤドック大臣を相手しているの。二人仲良く異次元に行ってしまっているから、しばらく戻ってこないわよ。だから、誰にも邪魔される事はないわ……」
イアーナが意味深に笑う。その笑みを見ただけで、エルカ以外の者達は全身に沸き立つ鳥肌を抑える事が出来ない。
「あんたもその六龍の一人ってわけ?」
「そう。ネイクス様に選ばれし六人だけが名乗る事を許される、名誉ある称号よ」
「……矛盾してるわね。カゲトが言ってたけど、ネイクスは五年前に六人の手下を連れてNエリアに現れた。あんたがネイクスと出会ったのは一年前でしょ」
「何も矛盾してないわ。六龍の一人を私が殺して、私が新たな六龍の一員になったのだから」
イアーナはあの日の事を忘れない。どこか宙ぶらりんになっていた自分の存在意義というものが、確固たるものへと変わったあの日の事を、決して忘れはしない。




