第64話 今生の別れ
アナンダが、ベルーゼの出方を窺うように鞭をゆらゆらと動かす。焦らしつつ、ベルーゼが痺れを切らして動くのを待っている。下手に動けばカウンターを食らうのは必至。ベルーゼもそれは当然分かっている。
だが、ベルーゼは敢えて自ら火中に飛び込んだ。アナンダの思う壺だ……本来ならば。しかしベルーゼは、アナンダの想定していたよりも遙かに速かった。アナンダが慌てて鞭を振りかざすが、既にベルーゼはアナンダの懐に潜り込んでいた。
「何っ!」
「うおおお!」
超スピードを乗せたベルーゼの拳打がアナンダの腹部に炸裂し、アナンダの体は吹っ飛んだ。城内の壁を全て突き破り、窓ガラスを割って城外に飛び出す。
「ちっ!」
アナンダが空中で踏みとどまり、城に向き直るが、ベルーゼの姿は見えない。何かが日光を阻み、アナンダに影を落とす。アナンダが上を見上げた時には、既にベルーゼの靴の裏が眼前に迫っていた。
「ぶは!」
真上から蹴り落とされたアナンダは、商店街のど真ん中に墜落した。墜落の衝撃で、周囲の店に陳列されていた野菜や果物が、砂埃と共に舞い上がる。アナンダが顔を押さえながら身を起こし、上空のベルーゼを睨みつけた。
「やるな……。ネイクス様やイアーナは、注意すべきはエルカ、ヤドック、スパーダの三人だけだと仰っていたが……こんな奴もいたのか。だが、もう私に油断はないぞ」
ベルーゼがアナンダの目の前に着地し、二人は再び睨み合う。今度はアナンダが先に仕掛けた。鞭が踊るようにベルーゼに襲いかかり、ベルーゼはそれをサイドステップで躱す。ベルーゼはそのまま一気に間合いを詰め、拳を振り上げる。しかし突き出された拳は空を切った。アナンダはまたしても鞭の中に一瞬で隠れたのだ。
ベルーゼはすぐにタネに気付いたが、対処する間もなく鞭による連擊をまともに浴びてしまう。そして傷口から噴き出す鮮血が周囲を青く染める。
「それが……どうしたぁ!」
ベルーゼは気迫で痛みを掻き消し、暴れ回る鞭を両手で掴んだ。そのまま引き千切ろうとしたところで、グリップエンドからアナンダが勢いよく飛び出し、城のてっぺん程の高さまで上昇して止まった。
「……吹き飛べ!」
アナンダが地上に向けて左腕を払うと、魔力によって生み出された巨大な竜巻が出現した。鞭を振り回すだけがアナンダの能ではない。ジュリイをも上回る魔力を持ち合わせていたのだ。
竜巻はゆっくりだが、確実にベルーゼに接近していく。そして周囲の建物や人々の死体、魔物の死体も巻き込んで内部でバラバラに引き裂いていく。
「ふん。大した魔力だが、そんなスローな魔法を俺が避けられないとでも…………うっ!?」
竜巻の側面に、大きな穴がポッカリと開いた。直後、目の前にいるベルーゼを、凄まじい勢いで吸い込み始める。必死に抵抗するが、吸引力が強すぎて全くコントロールが効かない。
「馬鹿め。私の魔力で作った竜巻だぞ? ただぶつかって巻き上げるだけだと思ったのか?」
「くっ! うおおおおお!」
ベルーゼは完全に竜巻に取り込まれた。咄嗟に体を丸めて防御の姿勢を取るが、全身が引き裂かれるような痛みと感覚が走る。並みの者なら既に八つ裂きにされて絶命しているだろう。しかし、流石のベルーゼも長くは持たない。
ベルーゼは防御は無意味だと判断し、防御を解いて真上に向かって急上昇を始めた。その間も、鋭さを持った風は容赦なくベルーゼを取り巻く。
「無駄だ。脱出前に、貴様は確実に力尽きる!」
そう確信しているアナンダは高みの見物を決め込むが、すぐにその余裕は焦燥へと変わる。顔、胴、腕、脚、全身に無数に増える傷もものともせず、決してスピードを緩めず、それどころか加速しながら上へ上へとベルーゼは突き進む。そして竜巻から飛び出したベルーゼが、再びアナンダと同じ高さで対峙する。
「しぶとい奴め……! ならば、やはり直接八つ裂きにしてやるぞ!」
アナンダが鞭をしならせ、目にも止まらぬスピードで攻撃を仕掛ける。しかし、既にベルーゼはアナンダの視界から消えていた。背後に回られたと察知したアナンダがすぐに振り返るが、またしても消えている。やはり前……いない。上……右……左……アナンダは完全に翻弄されている。ベルーゼの残像相手に鞭を振り続ける事しか出来ない。
「この……ちょこまかと鬱陶しい奴め!」
アナンダは、ベルーゼがどこから攻めてきてもいいように全方位に鞭の壁を張り巡らせた。そう、ベルーゼのあまりの速さに冷静さを失ったのだ。
「……はっ!?」
背後から迫る魔法弾。接近出来ないなら遠距離から撃てばいい。こんな単純な考えすらも、アナンダの頭からは抜けてしまっていた。防御も出来ずに直撃したアナンダは為す術なく吹っ飛ばされ、時計塔の盤に叩きつけられ張り付けになって止まった。そして、顔を上げた時にはもう目の前にベルーゼがいる。アナンダは思わずゾッとした。
(こ、この男、速すぎる……! 私の鞭は既に見切られつつあるが、こいつのスピードは未だに底が知れない……。このままではやられる!)
「年貢の納め時だな。これで終わりにしてやる」
「……確かに貴様は強い。しかし勝敗は別だ」
「何?」
アナンダの手から発せられる突風にベルーゼが吹き飛ばされる。その隙にアナンダがその場から飛び立ち、城の方へ向かっていく。
「ちっ! しまった!」
ベルーゼが後を追うが、既にアナンダは割れた窓ガラスから城内に進入していた。ベルーゼがそこに入った時には、予想通りの状況が出来上がってしまっていた。
「ベルーゼ……様……」
「タオ!」
タオの首に巻き付く鞭。それを手に勝ち誇った笑みを浮かべるアナンダ。深いダメージで動けないタオを平然と人質にするアナンダに、ベルーゼは凄まじい怒りを覚えた。
「形勢逆転だな。そこからは一歩も動くなよ。動けばその瞬間に、この娘の首が飛ぶ事になるぞ」
「貴様にはプライドという物はないのか……!」
「価値観の違いさ。正々堂々一対一というのが貴様の美徳なのかもしれんが、私は……いや、私達は勝利こそ全てだ。勝つためなら何だってやる。たとえ卑怯だなんだと罵られようが、チクリとも効かんな」
アナンダが空いた方の手を翳し、ベルーゼに魔法弾を撃ち込んだ。
「ぐあ!」
「動くなよ。そのまま案山子のように突っ立ってろ」
更に続けて撃ち込む。連続的な爆発がベルーゼを激しく攻め立てる。タオはベルーゼの名を叫ぼうにも、首を締め付ける鞭がそれを許さない。何十……いや、何百発食らっただろうか。遂にベルーゼはその場に俯せに倒れ込んだ。
「う……ぐ……」
「ふっ、よく持った方だと褒めてやりたいところだ」
ベルーゼが顔を起こし、息を切らしながらアナンダを睨んだ。
「一言……忠告しておいてやる。貴様は今、最もしてはいけない事をしているのだとな……」
「……」
「貴様は殺すぞ……必ずだ」
「この状況でそんな強がりが言えるとは、ますます感服したぞ。しかし、いい加減目障りだな。これで終わりだ」
「タオ! やれ!」
「!?」
ベルーゼの合図と共に、アナンダの足元から火柱が噴き上がった。突然の出来事に、アナンダは思わず鞭を持つ手を離してしまう。締め付けが緩くなったのを見計らってベルーゼが駆け出し、タオを抱えて火柱から離れて倒れ込んだ。
「くっ……! こんなもので私がやられるか!」
アナンダが体内から魔力を放出し、火柱を吹き飛ばした。タオの魔法では、アナンダを仕留めきるには到底至らない。
「ふう……まさか拘束されながら魔法を溜めていたとはな。少々驚いたが、今更もう遅い。その男にもはや私を倒す力は残されていまい」
ベルーゼとタオは、お互いを支え合いながら立ち上がった。二人とももうボロボロだ。しかし、二人の表情に絶望はない。あるのは、アナンダに対する怒髪天を衝くような怒りだけだ。
「確かに貴様の言う通り、俺にはもうお前を殺せる程の力は残っていない。もちろんタオもそうだ。だが……」
ベルーゼが左手を、タオが右手を前に突き出し、その二つの手を重ね合わせてアナンダに向けた。二人の魔力が融合し、倍加された強大な暗黒エネルギーの塊が形成される。
「二人同時ならどうかな?」
「……同じ事だ。そんな物、当たらなければどうという事はない。貴様一人ならともかく、その娘と同時に私に魔法をぶつけるなんて、そう易々と出来ると思うのか?」
「出来るさ」
ベルーゼの即答に、アナンダの心に僅かな動揺が走る。
(落ち着け……ただのハッタリだ。私のダメージも大きいが、それでもあんな所から撃たれて私が避けられないはずがない。かといってあの場から動けば、せっかく融合したエネルギーが離散される)
詰み……アナンダはそう結論づけた。後はどうやって止めを刺すかの問題だ。
「私はあなたを許さない。私の故郷を滅茶苦茶にした、あなたを絶対に許さない……!」
「だから何だ? どうせ貴様には何も出来まい」
見下した口調で蔑むアナンダに対し、ベルーゼが口を挟む。
「何度も言わせるな。出来るんだよ。今の俺達には、それだけの力がある」
「もういい、戯れ言は聞き飽きた! さっさと死んでしまえ!」
痺れを切らしたアナンダが先制を仕掛けた。暴風を発生させ、城内だろうとお構いなしに先程と同規模の竜巻を作り出す。
「今だタオ! 撃てぇ!」
ベルーゼの掛け声に、アナンダは全神経を二人に集中させる。
(来い! それを避けてから、竜巻で貴様らを城ごと粉々にして…………はっ!?)
その衝撃は前からではなく、足下からだった。またしてもアナンダを包み込む火柱。二発目が残されていたなど、アナンダにとって完全に想像の外だった。
「ハアアァァーーーッッ!!」
虚を突かれて隙だらけになったアナンダに、ベルーゼとタオは二人同時に極太の闇の波動を放出した。火柱に囚われているアナンダをその炎ごと巻き込んで押し流していく。城外まで飛び出しても尚、その闇はアナンダを解放する事はない。
「ギィヤアアアア!!」
アナンダの肉体が、闇の中で溶解していく。腕がもげ、脚が削ぎ落とされ、眼球が飛び出し、漏れ出した内臓が散り散りになっていく。完全に闇と同化した後、その闇の波動と共にアナンダは細胞一つ残さずに消え去った。
それを見届けた後に、タオはどっと力が抜けて膝を突いた。ベルーゼは敢えて手を貸す事はせずに、ただ一言だけ声をかける。
「よくやったぞ」
「ベルーゼ様……ありがとうございました。本当に、ありがとうございました」
「俺は少しだけ手を貸しただけだ。お前がこの国を救ったんだ。だから胸を張れ」
「はい……」
タオは、目からこぼれ落ちそうになる涙を堪えた。ここで泣いたら、また弱虫の自分に逆戻りになってしまうと思ったからだ。もっと強くなりたい。自分のために、そして自分の大切な物を護るために。それがタオの願いだった。
*
城から外へ出て改めて見ると、ジャクシーの街は酷い有様になっていた。建物は半壊し、そこかしこに人々や魔物の死体が転がっている。だがそれでも、タオとベルーゼの努力の甲斐あって、それ以上の生存者を残す事が出来た。二人の役目はここまでだ。
「さあ、行こう。本当にいいんだな?」
「はい。帰りましょう、魔界へ」
二人が飛び立とうとした時、後ろから走ってくる足音が聞こえ、二人は振り向いた。しかしタオは慌てて顔を背ける。
「ま、待ってくれ!」
ジャクシー王が、走りながら慌てて二人を呼び止めた。王妃も息を切らせながらその後に続く。
「ベルーゼ……そ、其方が何故この国を救ったのかは分からんが、今はそんな事はどうでもいい。私達にとっては、それよりも重要な事がある!」
「タオを……私達の娘を返して下さい。お願いします……!」
「……」
地に手をつき頭を下げる王と王妃を、ベルーゼは無表情に見下ろす。タオも何も言わずに目を背けたままだ。ベルーゼが懐に手を入れ、そこから取りだした物を二人に差し出した。
「タオからの手紙だ」
「えっ!?」
王が引ったくるようにそれを受け取り、震える手でそれを開いた。王妃も横から食い入るようにそれを読み始める。
『お父様、お母様へ。お元気ですか? 私は変わらず元気です。ただ、もう人間界に戻る事はないでしょう。でもそれは魔王ベルーゼのせいではありません。魔界でこの生涯を完遂する、そう自分の意志で決めました。こっちでたくさんの友達が出来て、今はとても充実した楽しい日々を送っています。だから、何も心配する事はありません。魔王ベルーゼも、もう人間界に危害を及ぼす事はないでしょう。これから寒い季節になりますので、お体を大事にして下さいね。私を生んでくれて、今まで育ててくれてありがとうございました。さようなら。私の事は、どうか忘れて下さい。 タオより』
紛れもなく、見慣れた娘の字だ。二人は未だに信じられず、その場にへたり込んでしまった。
「タオ……そんな、どうして……?」
「俺から言う事は何も無い。その手紙の内容が、タオからのメッセージの全てだ」
ベルーゼはそれだけ告げると、地を蹴って飛び立っていった。タオも僅かに間を置いて、心中にほんの少し芽生えた僅かな未練を裁ち切り、両親に目をやる事なくベルーゼの後に続いていった。
ベルーゼに追い付き、タオは覆面を外した。その目に、涙は浮かんではいなかった。
「……泣いてもいいんだぞ」
「泣きません。もう何も思い残す事はないんですから」
「そうか……」
タオはまた一つ強くなった。両親との今生の別れにも気丈に振る舞うタオを見て、ベルーゼは改めてそう実感した。
「そういえば、エルカ達は大丈夫でしょうか? 私達も手伝いに行った方が……」
「大丈夫だろう。エルカとヤドックだぞ? あの地上最強コンビが負けるはずがない。それに……下手に手を貸せば、俺達の身が危ない」
「えっ? それってどういう……あっ」
タオはその言葉の意味を理解した。恐らく、今のエルカの怒りは計り知れない。落ち着いた様子を見せてはいたが、今まで積み重ねてきたものが、奴等のせいで全てぶち壊しになるのだ。魔界各エリアが全滅させられている事も含めると、あのエルカが冷静でいられるはずがない。タオは思わず身震いし、それ以上この話題を続ける事を止めた。
「それより城の方が心配だ。カゲト一人では、さっきのアナンダレベルの奴に攻め込まれれば厳しい」
「そうですね……。タルトもいるし、心配ですね。急ぎましょう」
二人はフロッグではなく、魔界の入口に向けて加速していった。




