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第63話 ジャクシーの決戦

 ジャクシーに向けて、ベルーゼとタオは全速力で飛行を続けていた。眼下には魔界とは対照的な、穏やかな草原地帯が広がっている。そこでは赤、白、黄色の色とりどりの花々が風に揺れ、野生の小動物がじゃれ合っていた。この先で、これから激しい戦いが始まるとは信じられない程の、のどかな光景だ。

 もう間もなくジャクシーが見えてくる頃だ。午後二時まではまだ少し余裕があるが、そんな予告は当てにならない。タオは祈るような気持ちで汗で滲んだ拳を握りしめる。久しぶりに吸う人間界の空気を味わう余裕など無い。

 一方ベルーゼはやはり複雑な心境だった。だが、この際細かい事を気にしている場合ではない。これから救いに行くのは、ジャクシーではなくタオの故郷。そう割り切る事にした。


「タオ、今のうちにこれを渡しておく」


 そう言ってベルーゼがタオに手渡したのは、長い布切れだ。


「それを顔に巻いて覆面でも作れ。今のお前の姿をお前の両親が見たら、卒倒するかもしれん」


「あっ……そうですね。ありがとうございます」


 理由はどうあれ、魔族化してしまった自分の姿を、両親に見せるわけにはいかない。タオは顔にそれをぐるぐると巻きつけ、目だけ出してきつく結んだ。声さえ出さなければ、たとえ両親でも愛娘だと気付く事はないだろう。


「……私もベルーゼ様に渡しておきたい物があります」


 タオが差し出したのは、一枚の手紙だ。


「そういえばここに来るまでに何か書いてたな。見てもいいのか?」


 タオがコクリと頷き、ベルーゼが手紙を開いて読み始める。ベルーゼはすぐに察し、手紙を再び折り畳み、何も言わずに懐にしまい込んだ。タオも言葉を発する事はなかった。

 そんな事をしている間に、ジャクシーが見えてきた。まだ何も変化がないところを見ると、どうやら間に合ったようだ。懐かしい光景に、思わずタオの涙腺が緩む。魔界の生活に馴染んで以来、帰りたいと思った事など一度もなかった。だがそれでも、言葉では説明できない感情がタオの中で渦巻いている。

 そんなタオをベルーゼは横目で見ながら、一旦その場に止まって最初の出方を考える。


(さて、どうするか。どんな奇襲や罠を仕掛けてくるか分からん以上、こっちも下手に動けん。まずはあの民衆共を避難させるか? そうすればタオも全力で戦えるだろう。俺が降り立って軽く暴れれば、パニックになって蜘蛛の子を散らすように奴らは逃げるはずだ。いやしかし、それはそれで危険か……?)


 突如、街中で爆発が起こった。それも一度だけではない。二度、三度と連続してそれは起こった。いや、爆発というよりは噴火だ。地中から何かが次々と飛び出してくる。それが魔物の群れだという事は、上空からでもすぐに確認できた。


「なっ……まさか地中からいきなり襲ってくるとは。……タオ!?」


 タオは既にジャクシーに向かって飛び出していた。ベルーゼも慌てて後に続く。相手が小細工なしに襲ってきた以上、こちらもあれこれ考えている暇はない。


「ベルーゼ様! 私は北側に向かいます! ベルーゼ様は南側をお願いします!」


「わ、分かった!」


 少しでも被害を減らすために、タオとベルーゼは二手に別れる。しかし既にジャクシーは大混乱に陥っていた。魔物達は目についた人間を片っ端から殺していく。女だろうが子供だろうが、一片の容赦なく……。


「お、おい見ろ! あ、あ、あれは……!」


「ま……魔王だ! 魔王ベルーゼだーーー!!」


 空から猛スピードで向かってくるベルーゼを見た民衆達が、恐怖の悲鳴を上げる。しかしベルーゼが次に取った行動を見て、その恐怖は困惑に変わる。

 地上に降り立つなり、ベルーゼはその拳と魔法で魔物達を粉砕していったからだ。当然この魔物達はベルーゼの手下だと思っていた民衆達は、ベルーゼの意図が全く理解出来ない。粗方周囲の魔物を片付けたベルーゼが、民衆達に向き直って睨みを利かせた。


「何を見ている……鬱陶しいぞ人間共! 死にたくなかったらとっとと消え失せろ!」


「ひ、ひいーーーー!!」


 民衆達はその迫力に、脱兎の如く逃げ去っていった。

 改心したわけではない。ましてや正義感に目覚めたわけでもない。ただ、タオの悲しむ顔は見たくない。それがベルーゼの唯一の動機だ。

 騒ぎを聞きつけ、新手の魔物がベルーゼの元へ集結する。いずれも唸り声を上げ、ベルーゼに対して殺意を剥き出しにしている。しかし、あくまでベルーゼは冷静だった。


「ふん。威嚇している暇があったら、さっさとかかってこい。命が惜しくなければな」


 ベルーゼが指で挑発する仕草を見せる。それを受けた魔物達が、一斉にベルーゼに襲いかかった。



 *



 街の北側では、幼い少年を一匹の魔獣が追いかけ回していた。その小さな体では、狼のような大型の魔獣から逃げ切れるはずもない。みるみるうちに、その距離は縮まっていく。


「グルルルアァァーー!!」


「だ、誰か助けてぇ! あっ!」


 少年がつまずいて転倒した。すかさず魔獣が牙を剥いて少年に飛びかかる。


「うわあーーー!」


 少年が悲鳴を上げながら、頭を押さえて縮こまる。その直後に爆発音が響き、すると魔獣の牙は少年に食い込む事はなかった。恐る恐る目を開けた少年の目に飛び込んできたのは、黒焦げになった魔獣と、覆面を被った魔族……タオ。そのタオを見て、少年が再び悲鳴を上げそうになる。


「……早く逃げて」


「えっ……?」


 タオがそれだけを小声で告げると、別の魔物へと向かっていく。少年はそれがどこかで聞き覚えのある声に思えたが、小声でよく判らなかった。

 タオはまるでエルカのように、鬼気迫る勢いで次々と魔物達を倒していく。ある魔物は炎で焼き尽くし、ある魔物はカマイタチで切り裂き、ある魔物は魔法弾で爆殺した。そこには一切の情はなかった。

 この国には思い出がある。いい物も悪い物も含めて。そして、大切な物もある。それらを無慈悲に破壊する事は、タオは絶対に許せない。


「!」


 タオは感じた。城の方で、突如強力な魔力の持ち主が出現したのを。北側はある程度鎮圧出来た。あとはベルーゼを信じ、タオは城へ向かうべく、再び地を蹴って宙に飛び出した。


(お父様……お母様……)


 煩わしかった。過保護を通り越した寵愛という名の鎖の束縛が、嫌で仕方が無かった。魔界で生き甲斐を見出してから、帰りたいという思いは完全に消え去った。しかしそれでも、両親を憎んだ事など一度もない。無事でいてほしい……タオの今の思いはそれ一つだ。


「あっ……!」


 タオの視界に入ってきたのは、城の兵士達の惨殺死体。全身が何かに切り裂かれているように見えるが、刃物を使ったにしては切り口が広い。事は一刻を争う。タオはミサイルのような勢いで城の敷地内に着地し駆けだした。

 既に何者かに破壊された城門を走り抜けると、そこにも兵士や召使い達の変わり果てた体が転がっていた。タオはそれらから目を背け、唇を噛み締めながら階段を駆け上がる。

 二階……いない。三階……いない。いくら探しても両親の姿が見つからない。既に避難したのか、それとも……。一瞬脳裏に浮かんだ恐ろしい光景を、タオは首を振って掻き消した。

 その時、微かに悲鳴が聞こえた。四階からだ。タオは今まで以上の速さで階段を駆け上がる。遂に見つけた……ジャクシーの王と王妃、タオの両親を。そして、先ほど感じた恐ろしい魔力の持ち主を。それは白いローブを纏った、褐色肌の女だった。

 両親の前に立ちはだかる三人の護衛兵が、槍を構えて女に向かって突撃する。


「死ね、化け物! うおおーー!」


「……ふん」


 女が右手に持った鞭を一振りすると、三人の護衛兵は大量の血を噴き出し倒れた。ここに来るまでに見た死体と同じように、ズタズタに斬り裂かれている。間違いなく、この女の仕業だ。恐怖に顔を歪めるタオの両親に、女は不敵な笑みを浮かべながら鞭を構えて歩み寄る。


「おと…………っ!」


 タオは慌てて口をつぐんだ。声を出すわけにはいかない。顔を隠していても、声を聞かれればバレてしまう。だが今ので、タオの存在には女も両親も気付いた。


「んっ? 何だお前は? 私の部下ではないようだが」


「……」


 タオは答えない。二人に手を出すなと、無言の圧力をかける。


「ああそうか。お前がイアーナの言っていた、エルカとかいう人間の仲間だな? なるほどな……ネイクス様の手紙を見て、この国を助けに来たというわけか。確か名前は……」


 言わせまいと、タオが一足跳びで殴りかかった。その拳を女はヒラリと躱し、タオの後ろ側に着地する。両親に今の自分を知られたくないというタオの事情を知っているのか、女は愉快そうに笑った。


「くく、分かりやすい奴だな。まあ私にとってはどうでもいい事だがな。では、始めようか。我が主ネイクス様の命により、この六龍が一人、アナンダがお前を抹殺する!」


 その言葉を合図に動き出したかのように、アナンダの鞭がタオに襲い掛かる。タオがその場から跳んで退避すると、それまでタオが立っていた地点の床が深々と抉れた。アナンダの手の動きとは無関係に、半自動で動くその鞭が、タオの足首に素早く巻きつく。


「!」


「ふっ、逃がさんぞ」


 そのまま強く鞭を引っ張ると、タオの体はアンバランスな姿勢のままアナンダの方に引き寄せられた。タオは何とか体勢を整えて向き直り、アナンダの間合いに入る前に魔法弾を連続で撃ち込む。

 しかし当たる直前に、鞭を残したままアナンダが消えた。使い手を失っても尚、その鞭は独りでにタオを持ち上げ、壁に向けて投げつける。タオの体は壁を突き破り、壁の向こうの図書室に置かれていた机や本棚などをなぎ倒していく。その勢いは、大量の本の中に埋もれる事でようやく止まった。


(くっ……!)


 覆い被さっている本や、倒れた本棚をどけながらタオが這い出てくる。その直後に視界に飛び込んできた物を見て、タオはギョッとした。鞭が蛇のように床を這いながら、高速でタオに迫ってきている。


(火事になるかも……ううん、そんな事を気にしている場合じゃない!)


 タオが広範囲に広がる炎の魔法を放った。アナンダがどこへ消えたのかは、皆目見当がつかないが、まずはこの鞭を破壊しなければならない。周りの本にも一斉に火が付き、燃え広がる。鞭はそれを避けるようにジャンプし、タオの腕に巻き付く。しかし、これはタオも計算していた。


(捕まえた! このままレーザーで切断……)


 それは出来なかった。鞭のグリップエンドから、アナンダがいきなり姿を現したのだ。消えたのではなく、鞭の内部に隠れていたという事だ。

 完全に不意を突かれたタオは、何も対処できずに顔を蹴られて倒れ込んだ。その隙を狙い、鞭を再び手にしたアナンダがそれを振るう。刃物のような切れ味を持つ鞭の連続攻撃を浴びせられ、タオの全身が切り刻まれる。


「~~~ッ!!」


 タオは必死で悲鳴を噛み殺しながら、激痛に悶え苦しむ。強い…………タオはこの短い時間の中で、心底実感した。ジュリイの時以上の格の違いを思い知らされる。勝てない……自分一人の力では、絶対に。アナンダがタオの首に左手をかけ、徐々に力を込めていく。このまま絞め殺す気だ。

 ふと、穴の空いた壁の向こう側に、こちらを心配そうに窺う両親の姿が目に入った。タオは窒息で苦しみながらも、両親に向かって手で払う仕草を見せた。今のうちに逃げろという合図だ。両親は顔を見合わせてから頷き、階段に向かって走りだした。


「う、うわああーー!」


「きゃああ!」


(えっ!? まさか……!)


 直後に耳に入った、両親の悲鳴。魔物と鉢合わせしてしまったのか。すぐに助けに向かいたいが、アナンダがそれを阻む。そして無情にもタオの意識がどんどん遠のいていく。


(う……く……もう駄目…………お父様……お母様……ごめんなさい)


 タオが全てを諦め、目を閉じた。その時、衝撃と打撃音と共に、首の締め付けが緩くなった。肺が大量の酸素を要求し、タオがたまらず咳き込む。


「うっ、ゲホッ! ゲホッ! はあ、はあ……ベ、ベルーゼ様……!」


「タオ、無事か?」


 タオの心をこの上ない安心感が包み込む。先ほど両親が悲鳴を上げたのは、魔物ではなくベルーゼと鉢合わせたからだ。そして今の音は、ベルーゼがアナンダを殴り飛ばした音。部屋の隅で倒れていたアナンダが身を起こし、血の混じった唾を吐き捨てた。


「……もう一人来ていたのか。何人で来ようが同じ事だがな」


「なら試してみるがいい。魔王の恐ろしさというものを、貴様の骨の髄まで存分に味わわせてやる」


 かつてのベルーゼでは、アナンダほどの強敵相手には絶対に出てこなかった台詞だろう。だが、今は違う。タオを……そしてタオのためにこの国を救う、確固たる自信が今のベルーゼには満ちあふれていた。

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