第62話 ホネ
レオンが涙を拭って立ち上がり、自分のせいで負傷したカゲトに向き直った。
「カゲト………君にもすまない事をした。大丈夫か?」
「ああ、まあ何とかな。とりあえず、お前さんが正気に戻って良かったぜ」
カゲトが痛みを我慢しながら、無理やり作った笑顔を見せる。
「本当にすまない。突然Lエリアに道化師のような男が襲ってきて、戦ったが僕の力では敵わず……戦いの途中から記憶がすっぽりと抜けてしまっているんだ」
「そいつはネイクスって奴の手下だ。それも恐らく側近レベルのな。お前さん一人じゃ勝てねえのも無理はねえ」
「ネイクス? あの道化師も言っていたが、何者なんだそいつは?」
カゲトは自分の過去の事や、今魔界各地で起こっている事、そしてエルカとタオの故郷が危険に曝されている事をかいつまんで説明した。
「そんな事になっていたのか……。そいつが、Lエリアの皆を……!」
レオンは皆殺しにされたロボット達の事を思い、怒りに拳を振るわせた。絶対に許す事などできない。ネイクスの手下、マシム……その男は今どこにいるのか。レオンはハッとなって、タルトの両肩に手を置いた。
「タルト、そのマシムという男の居場所を占ってくれ!」
「えっ……」
タルトは少し困ったような顔を見せた。タルトの今の気持ちを、カゲトが代弁する。
「レオン……気持ちは分かるが、少し頭を冷やせ。今そいつの所へ行ったって、同じように返り討ちに遭うだけだ。またタルトちゃんを悲しませる気か? 少し待てばエルカ達が帰ってくるんだ。それまで待たねえか」
「分かっている。僕だってそこまで愚かじゃあない。居場所だけでも、先に知っておきたいだけだ」
「……分かりました。怒りに任せて無茶をしないと、約束してくれるのなら占います」
「ああ、大丈夫だ」
タルトはレオンの目をじっと見てから、やがて観念したかのように水晶玉をテーブルに置いて手を翳した。タルトにだけ見える、水晶玉の中の変化。レオン達三人は、その様子を固唾を飲んで見守る。数秒後、タルトが目を見開いて弾かれたように顔を上げた。
「…………! レオンさん後ろ!!」
「!?」
その言葉に、咄嗟にレオンはその場に伏せる。その直後に、何も無い空間にいきなり剣が現れ、レオンの頭上をすり抜けて壁に突き刺さった。
「な、何だ!?」
レオンとカゲトがキョロキョロと周囲を見渡す。何も見えないが、神経を研ぎ澄ませると、確かに何者かの気配を感じる。
「おやおや~。外れちゃったじゃな~い。勘のいいお嬢ちゃんだね~」
気色の悪い声がどこかから聞こえる。レオンは四時の方向にサブマシンガンを向け、トリガーを引き絞った。その銃弾は、空中で見えない壁に遮られたかのように何かにぶつかり、その場にカラカラと落ちて散らばった。
その空間が歪み、徐々に色味を増して形を作っていく。現れたのは道化師……Lエリアを襲い、レオンを攫って洗脳した張本人、マシムだった。
「貴様……!」
「やれやれ、完全に洗脳が解けちゃってるみたいだね。これが愛の力ってやつかい? 泣かせるねえ~」
マシムが小馬鹿にしたような口調で言った。奥歯をギリギリと噛み締めるレオンの後ろで、カゲトが脇腹を押さえながら立ち上がる。実際にこうして対峙して、改めて認識する。やはりレオン一人で太刀打ちできる相手ではないと。ならば、自分がもう一踏ん張りする必要があると思うが、いかんせんダメージが大きい。
(やべえなこの状況……。エルカ達がそんなに早く戻るわけねえし、外にいる手下達が駆けつけたところで好転するはずもねえ。せめてもう一人強力な仲間がいれば……)
無い物ねだりをしていても仕方がない。カゲトは今一度肉体に活を入れ、刀を握りしめて構えを取った。レオンも再び銃口を己の殺意と共にマシムに向ける。
「あれれ? もしかして僕ちゃんとやる気? 懲りないねえ~。二人がかりなら勝てるとでも思っちゃってるのかな?」
「黙れ! この外道が!」
飛び交う怒りの弾丸。今度もまたマシムの張ったシールド魔法に弾かれる。その隙にカゲトが後ろに回り込み斬りかかる。しかしマシムは、それを見もせずに後ろ手に刀を掴んで止めた。
「なっ!?」
「遅い遅い! 遅いねええ~!」
マシムが電流を流し込み、刀を通してカゲトの全身を駆け巡る。痛みと痺れで刀から手を離したカゲトを、マシムの後ろ回し蹴りが襲う。吹っ飛ばされたカゲトはテーブルや椅子をなぎ倒し、壁にぶつかって止まった。
「いってぇ……うおっ!?」
既にカゲトの眼前に、マシムが投げ返した刀の刃先が迫っていた。カゲトが間一髪で首を傾けると、刀が顔の真横の壁に突き刺さった。
「くそっ!」
銃は通用しないと判断したレオンは、五角形の金属片を取り出し展開させた。出てきたのは、チャバ戦で使用した火炎放射器だ。射抜くように細く速く放出された炎が、マシム目掛けて一直線に向かっていく。
「無っ駄だよ~~ん!」
マシムの前に、炎を阻むように小さなブラックホールが出現した。その炎は火の粉をマシムに降りかける事すら出来ず、全てブラックホールの中へと吸い込まれていく。
そして今度は、マシムの頭上にホワイトホールが現れた。これから起こる事をレオンはすぐに察して火を止めるがもう遅い。ブラックホールから吸い込んだ炎が、ホワイトホールからレオンに向かって飛び出した。
「くっ!」
咄嗟に指輪からシールドを展開させるが、炎はある程度防げても熱までは防ぎきれない。レオンは全身に火傷を負いながら、炎の勢いに流されて壁に背を打ち付ける。
マシムはどこから取りだしたのか、無数のナイフをジャグリングのように手の上で操り、レオンに向けて全てを同時に投げ放った。レオンは反射的に頭と心臓を守るように体を丸めて防御の構えを取る。
「うあああ!!」
急所は避けたが、腕や足に何本ものナイフが突き刺さり、レオンが苦痛に喘いだ。
「ちっくしょう!」
カゲトが壁から刀を引き抜き走りだす。がむしゃらにマシムに斬りかかるが、やはりそのスピードは万全の状態とは程遠い。マシムに全ての攻撃を弄ぶように躱され、魔法弾による手痛い反撃を受ける。
「ぐああ!」
カゲトの体は厨房に突っ込み、調理器具や食器が床に散乱する。カゲトに駆け寄ろうとするタルトを、スケ夫が抑える。マシムは、弱者をいたぶるのが楽しくて仕方がないというように、顔に手を当てて狂った笑い声を上げた。
「うひひヒャハハハほほほへへ! チミ達弱っちいねえ~! そんなんでもサウザンドトーナメントに優勝出来るなんて、この大陸はレベルが低いんだねえ~!」
「く……そぉ……!」
レオンは、ロボット達の仇を前にしても何も出来ない、己の無力さを呪った。一矢報いる事すら出来ない。それに、このままレオン達がやられれば、間違いなくタルトも殺されるだろう。
(あの野郎……ふざけちゃいるが、実力は本物だ。悔しいが、勝算はもう無いぜ。こうなったら、タルトちゃんだけでも…………ん?)
カゲトが頭上から視線を感じ顔を上げると、スケ夫が脇に立ってカゲトを見下ろしていた。スケ夫はその場に腰を下ろし、カゲトの刀と鞘を拾い上げる。
「……カゲト殿、ちょっとお借りするでやんすよ」
「は?」
スケ夫が立ち上がり、刀を鞘に収めて歩き出した。その足は、マシムに真っ直ぐに向かっている。狐につままれたような顔をしていたカゲトが我に返った。
「お、おい……お前何やってんだ! 下がれ! 殺されるぞ!」
スケ夫は振り返らない。足も止めない。
「カゲト殿もレオン殿も、もう戦えないでやんす。だから、あとはあっしが引き受けるでやんす」
「馬鹿野郎! お前に何が出来るってんだ!? いいからお前はタルトちゃん連れてさっさと逃げろ!」
「カゲトの言う通りだ……た、頼む。僕達の事は構わずに、タルトを連れて逃げてくれ……!」
レオンの言う事にも、スケ夫は聞く耳を持たない。マシムはあまりの滑稽さに、思わず吹き出した。
「ぷっ……くくく……ウヒャヒャヒャヒャ! 何だい、この笑わせてくれるスケルトンは? 骨だけの下級魔物が、僕ちゃんに挑むってーの?」
スケ夫はマシムを無視し、左手で鞘を持ち、右手で柄を掴み、右脚を前に出して腰を落とした。居合抜きの構え……ではあるのだが、その型は誰がどう見てもド素人そのものだった。
鞘を持つ手が下過ぎる。そして両脇が開きすぎ。おまけにガニ股だ。見よう見まねでも、普通はもう少しまともな構えが取れるだろう。その不格好な構えは、カゲト達の絶望を更に強まらせるには充分過ぎる。逆に、マシムは更に笑いのツボに入ったようだ。
「ウッヒャヒャヒャーー! おもろ~~! 道化師の僕ちゃんが逆にここまで笑わせられる事になるなんて思わなかったよ。こりゃ~参った!」
終わった…………勝算がないどころか、全滅もこれで確定した。カゲトもレオンも完全敗北を悟り顔を伏せる。
……だが、見えなかったのはそのせいではなかった。それはあまりにも速すぎたのだ。たとえ二人が目を凝らしていても、その瞬間を視認する事は出来なかっただろう。
「……えっ」
「は……?」
カゲトとレオンが同時に間の抜けた声を出した。水風船を割ったかのように飛び散る青い鮮血。数え切れない程の数にバラバラに斬り刻まれたマシムの肉体。いつの間にか刀を抜き、マシムの背後に背を向けて立っていたスケ夫。この状況が指し示す答えはただ一つ。
────スケ夫がマシムを殺った。
恐らくマシムは、自分が殺されたと認識する間もなかっただろう。あまりの予想外の出来事に、カゲトとレオンは開いた口を塞ぐ事も忘れている。スケ夫が全員に背を向けたまま、再びゆっくりと刀を鞘に収める。そして刀に視線を落とし呟いた。
「……ふう。久しぶりでどうなるかと思ったでやんすが、上手くいって良かったでやんす。やはり何百年経っても、自分の刀は手に馴染むでやんすね」
その言葉に、カゲトの全身は鳥肌で覆い尽くされた。
「お前……いや、あんたは……ま、ま、まさか……!」
スケ夫は振り返り、カゲトに笑いかけた。
「……ホーネッツ。それが生前のあっしの名でやんす」
カゲトは、それ以上言葉を発する事が出来なかった。幼少時代からずっと憧れていた伝説の剣豪が、たった今自分の目の前で刀を振るって見せたのだから無理もない。
レオンも同じだ。千年前のサウザンドトーナメントを制したホーネッツが、まさかこんな身近にいたなんて夢にも思っていなかった。エルカも、ベルーゼも、タオも、誰もがスケ夫はただのコックとしか思っていなかった。唯一人を除いては……。
「スケ夫さん……やはりあなたは、ただ者じゃなかったんですね」
厨房のカウンターに隠れていたタルトが立ち上がって言った。カゲトもレオンも意外そうな視線を向ける。
「ははは……やっぱりタルトにはあの時にバレていたんでやんすね」
「はい。サウザンドトーナメントの助っ人を探すために水晶玉で占った時に、最初に映し出されたのはレオンさんではなく、あなたでした。でも私が目を向けると、スケ夫さんは顔を逸らしました。多分何か事情があるんだろうと思って黙ってましたけど」
一体どんな事情が……カゲトが口を挟もうとしたが、すぐに気付いた。スケ夫の体のあちこちに、ヒビが入っている事に。
「今のあっしはベルーゼ城のコック、スケ夫でやんす。得物を刀から包丁に持ち替えて、何百年もの時を経たでやんす。とてもじゃないけど、今のあっしには長丁場になるトーナメントを戦い抜ける程の力はないでやんすよ。今みたいに、相手が油断しているところに奇襲を仕掛ければ別でやんすが」
「し、しかし……何であんた程の男が、ブブルの下で働いてたんだ?」
「とっくに肉体は朽ち果て、魂だけの存在となって魔界を漂っていたところを蘇らせてくれたのは、その時にたまたま通りかかったブブル様でやんす。もちろんブブル様は、あっしの素性など知らなかったでやんすがね。元々戦いよりも料理の方が好きだったから、誰かの下でコックとして働く余生も悪くないと思った……それだけでやんす」
スケ夫がカゲトに歩み寄り、刀を差し出した。
「お返しするでやんす。この刀の今の持ち主はカゲト殿でやんすから。その代わり、稽古を付けてくれとか言うのは勘弁してほしいでやんす。とっくの昔に引退した身でやんすからね」
「そ……そうか。そりゃ残念だ。でもよ、だったらせめて……あ、握手だけでもしてくれねえか?」
「まあ、それぐらいなら……」
スケ夫の差し出した手を、カゲトは照れ臭そうに固く握り締めた。体温など感じない、冷たい骨だけの感触。しかしその時のカゲトの目は、まるで憧れのヒーローと握手する少年のようにキラキラと輝いていた。細く小さなその手は、何よりも大きく逞しい手に思えた。
「それと、隠していた理由はもう一つあるでやんす」
「というと?」
「……姫にバレたら、絶対に決闘を申し込まれるからでやんす」
……数秒の沈黙の後に、笑いが起こった。それだけで三人は納得できた。確かにエルカにバレたら大変な事になるのは目に見えている。
「ベルーゼ様にもこのまま内緒にしてほしいでやんす。変に気を使わせたくもないでやんすから」
「ははは。分かった、俺達の胸の内にしまっておくぜ」
「スケ夫、とにかくあなたには感謝する。おかげでこうして誰も死なずに済んだ」
「……まあ、あっしは死んでるでやんすけどね」
再び笑いが起こる。それを聞いて、カゲトはふと疑問に思った事がある。
「そういやよ、あんたは一体どんな最期を遂げたんだ? やっぱり老衰か?」
カゲトの問いにスケ夫はすぐには答えず、恥ずかしそうに目を逸らした。
「いや……食中毒でやんす」
「…………へ?」
今度は誰も笑わなかった。食中毒で死んだ者が、今はコックとして働いている……本人のみぞ知る、複雑な心境の変化があったのかもしれない。魔界最強の剣豪の、呆気なさ過ぎる最期。だがもちろん、カゲトのホーネッツへのリスペクトが揺らぐ事はなかった。




