第58話 魔界破壊
エルカとタオは思い出し、そして理解した。あの時イアーナが言っていた魔族というのが、正に今ここにいるネイクスの事だったのだと。
「落ちたものね……どこで何をしているのかと思えば、まさかこんなガキのペットに成り下がっていたなんてね」
エルカの見下したような発言にも、イアーナは気に止める素振りすら見せない。それどころか、勝ち誇ったような態度を示した。
「分かってないわねエルカ。私は選ばれたのよ。偉大なるネイクス様に直々にね」
「はあ?」
「それについてはボクが説明するね」
ネイクスがキャンディーをボリボリと噛み砕き、残った棒を手の上で回して弄び始めた。
「ボクはね、人間のペットが欲しいと思ったんだ。それで、一年近く前だったかな……人間界に遊びに行ったのさ。どうせなら強いペットが欲しい、そう思って人間全ての力を計測した。その時、見事ボクのアンテナに引っ掛かったのは三人。最も強い力を感じたのは、そこにいるお爺さんだった」
ネイクスがヤドックを指差した。
「でもお爺さんをペットにしても面白くなさそうだったから止めた。二人目はエルカ、君だよ。別に君でも良かったんだけど、せっかくだからもう一人と見比べてからにしようと思った。そこで見つけたのがイアーナだよ」
「そしてネイクス様は、私をお選びになった。エルカ、あなたではなくこの私をね」
ネイクスはイアーナを選定したその日に、手下達を率いてガラパを襲撃した。結果として、軍事力の低いガラパは、ネイクスが自ら手を下すまでもなく呆気なく陥落した。
その時のイアーナは自室に一人で、実に落ち着いた様子だった。窓の外では地獄絵図が広がっているというのに……。何故なら、いざとなれば自分の身を守るぐらいの力はあるからだ。それに上手くいけば、夢にまで見た魔界に行けるかもしれない。そう思うと心が踊った。
外から聞こえる悲鳴をクラシックのように聞き流しながら、イアーナはコーヒーを啜り、魔物側の誰かが部屋の扉を開けるのを待ち続ける。そしてイアーナの前に姿を現したのがネイクスだった。ネイクスはイアーナを見るなり、天使のような無邪気な笑顔を向けた。何故こんな所に子供が……イアーナも最初はそう思った。
『ボクはネイクス。ねえ、ボクのペットになってよ』
ネイクス……魔界の古い言葉で災厄。イアーナはハッとなった。全身が鳥肌で埋め尽くされた。コーヒーカップを落とし、そして本能的に跪き頭を垂れた。古文書の中だけの存在だったものが、今自分の目の前にいる。しかも、自分を従えようとしてくれている。偽者なんかではない。証拠など無くても、イアーナは直感でそう確信した。
その後、僅かに生き残ったガラパの者達はこう伝えた。魔王ベルーゼの軍勢が、イアーナ姫を攫っていったと。まさかベルーゼよりも遙かに危険で強大な存在がいたなど、人々は知る由もなかったのだから。
「良かったわねぇ、エルカ。私がネイクス様に選ばれなかったら、フロッグはネイクス様に滅ぼされていたわよ。感謝してほしいぐらいだわ」
今度はイアーナが見下し返す。
「……ええ、本当に良かったわ。ベルーゼに攫われて、Bエリアの一員として戦いに明け暮れていたからこそ、今の私があるのよ。それにネイクスがあんたを選んだからって、私があんたに劣っているとも思えないしね」
「試してみれば分かる事よ……」
イアーナが再び歩き出し、エルカと同じ目線の高さまで下りてきた。お互いに並みの人間ではない事は何年も前から気付いていながら、こうして戦う機会など当然あり得なかった。しかし、共通点があまりにも多すぎるこの二人が、意識し合わないはずがない。恨みと言えるようなものはないが、雌雄を決する機会はお互いに待ち望んでいたのだ。
「あっ、言い忘れてた。みんな、二人の戦いの邪魔はしないでね。もし邪魔しようとしたら、その時はボクが相手になるから」
ネイクスは機関車に腰掛け、頬杖をつきながらベルーゼ達に目配せした。それだけで、ベルーゼとタオとカゲトは足がすくんで動けなくなる。ヤドックも、下手に動いてタオが危険に曝されるのは避けたいので、今は大人しく静観を決めた。だがもちろんエルカに命の危険が迫れば、いつでも飛び出す準備は出来ている。
「うらあ!」
エルカが突き出した拳を、イアーナは軽く受け止めた。イアーナの体が沈み、足下を狙った回し蹴りを繰り出す。エルカがジャンプして避けた瞬間、もう片方の足がエルカの顎を打ち上げた。エルカはその足を掴み、壁に向かってイアーナを思い切りぶん投げた。イアーナは壁に足を向けて、そのまま壁を蹴ってエルカに突進。エルカも前に出てそれを迎え撃つ。
「ふふ……」
「!?」
イアーナが空中で急加速した。予想外の動きにエルカの反応が遅れ、イアーナの体当たりをまともに食らう。人間が飛べるはずがない。よって、空中での加速もあり得ないはずだ。しかし、その謎はすぐに解ける事になる。
「ハアッ!」
イアーナが振り上げた拳。エルカは素早く反応して直撃を避けたが、掠った瞬間体中に痺れが生じた。今のは誰の目にも確認出来た。イアーナの拳に、電気が纏われていたのを。
「魔法拳……!」
ヤドックが驚き、目を見開いた。ベルーゼ達がヤドックに視線を移す。
「魔法拳……って何ですか? ヤドックさん」
「その名の通り、体術と魔法の複合技です。やっている事は単純そうに見えますが、あれを使えるのは人間はもちろん、魔族でもほんの一握りと言われています。さっきの急加速も、レオンのように足から炎を噴射したのが一瞬見えました」
「えっ……そ、そんなに難しいんですか?」
「ええ、相当な高等技術です。掠るだけでも効果がありますが、直接叩き込めば魔法の効果は体術の威力との相乗効果で何倍にも膨れあがるのです。魔法に耐性を持つ者でも、魔法拳ならばダメージが完璧に通ります。魔法と魔法拳は似て非なる物で、根本的に性質が違います」
タオが息を飲む。あれぐらいなら自分でもやろうと思えば……と思ったが、その考えを改める必要があるとすぐに思い直した。
「確かに……体術も魔法も使える俺にも、あれは出来ん。魔法とは基本的に放つ物であって、ああやって体に纏わせて直接ぶつける物ではない」
「つーかよ……エルカ並みの体術を持っていながら、そんな高等技術まで使えるってのがそもそも異常だぜ。天は二物を与えないんじゃなかったのかよ」
ベルーゼとカゲトがヤドックの説明に言葉を繋げる。イアーナには、エルカにとってのヤドックのような優れた師もいなければ、魔界の強者達との実戦も積み重ねてはこなかった。それでいて、その実戦不足を一切感じさせない動きをしている。エルカ以上の天才……それ以上の説明のしようがなかった。
「ほら、どうしたのよエルカ。あなたの力はそんなものじゃないでしょう!」
「ちっ!」
イアーナが床を思い切り踏み付けると、魔力が地を走りエルカに向かっていった。エルカが横に跳んで躱したところをイアーナに捕まり、炎を纏った拳の連擊を受けてしまう。
「ほらほらほらぁ! いい加減に本気を出してみ…………!?」
「……あんま調子に乗ってんじゃないわよ」
エルカがイアーナの拳を掴んでいた。その炎によってエルカの手がどんどん焼けていくが、エルカはまるで気に止めていない。イアーナがもう片方の拳を繰り出すが、それも同じように受け止めた。
エルカが振り上げた足のつま先がイアーナの顎を蹴り上げ、一歩踏み込んで肘打ちを胸部に突き入れる。吹っ飛ばされて壁に叩きつけられたイアーナが、口端から滴る血を舐め取り、ニヤリと笑った。
「はーい、そこまで~」
ネイクスが立ち上がり、手を叩きながら前に歩き出した。イアーナはそれを受けて、すぐに殺気と魔力を引っ込め、その場で跪いた。いきなり戦いを中断させられたエルカが、眉間に皺を寄せてネイクスを睨みつける。
「どういうつもりよ」
「だって、やっぱり戦う気が起きないんだもん。トーナメントの疲れが残ってるのか知らないけど、力が出し切れてないじゃん」
「……」
それはエルカ自身が最も分かっている。このまま戦っても、ネイクスはもちろんイアーナにも勝てるかどうか分からない。やはりここは大人しく退くしかない。
「決着はお預けね、エルカ。次は全力で戦いましょうね…………お互いに」
イアーナも当然本気ではなかった。ブチギレそうになる理性を、エルカは必死で抑える。弄ばれたこの屈辱……近いうちに必ず晴らすと、心に決めた。
「姫様、参りましょう。まずは体を休めるのです。レオンもここにはいないようですし、もう用はないはず」
「……分かってるわよ」
その時、イアーナがネイクスに小声で何かを耳打ちした。ネイクスはそれを受けて目を輝かせ、エルカに向き直った。
「エルカ、今度お手紙出すね!」
「は? 手紙?」
「内容はまだ秘密だよ。楽しみに待っててね」
ネイクスはそう言って、悪戯っぽい笑顔を見せた。その内に潜む底知れぬ悪意に、誰もが嫌な予感を拭わずにはいられなかった。
*
「こ、ここもやられている……」
Hエリア……サウザンドトーナメントでBエリアと激闘を繰り広げたエリアの一つだ。そこに偵察に来ていたベルーゼの手下の魔物の目に映るのは、見るも無惨な光景。ゲンジも、ヒムエも、エリアボスのホルターも、全員死んでいた。城もただの瓦礫の山と化している。
ネイクスはエルカ達が攻め入ったあの日以来、本格的に魔界の侵略……いや、破壊を開始した。ネイクスが楽しむため、そして神を悔しがらせるため、ただその二つの目的のためだけに、既に数多くのエリアがこうしてネイクスの手下による無慈悲な攻撃を受けている。
「は、早くベルーゼ様や姫に報告しなくては」
その魔物は逃げるように飛び立った。確認が取れているだけで、これで八つのエリアがNエリアに潰された事になる。魔界全土がネイクスの手に落ちるのも、時間の問題だろう。
この知らせを受ける度にエルカは激昂した。エルカにとって、この大陸の全てのエリア、全ての魔族や魔物は自分の所有物であり、大切な玩具だ。中には、これから頭角を現すダイヤの原石のような者もいたかもしれない。それを勝手に破壊されているのだから、怒らないはずがないのだ。
そして、このVエリアでもたった今、ネイクスの手下によって全滅の危機に瀕していた。ヴィトル以外は既に殺され、ヴィトルも殺されかけている。
「ハア……ハア……き、貴様は一体何者だ。何故我がエリアに攻め込んできた!?」
「私の名はアナンダ。ネイクス様の命により、お前達を排除しに来た。もっとも、間もなく死ぬお前にこんな事を言っても無意味だが」
アナンダと名乗った、全身を白いローブで纏った褐色の女が口角を吊り上げた。
「ほざけ! 貴様なんぞに、この俺様が負けるかぁーーっ!」
ヴィトルは雄叫びを上げて、アナンダに拳を突き出した。アナンダはそれを軽々と避け、手に持った鞭を高速で振るう。すると一瞬でヴィトルの体にいくつもの傷が出来上がり、ヴィトルが痛みで悶えた。
「ぐおおっ!」
「ふん、醜いな。さっさと私の視界から消え失せろ」
一本の鞭が、まるで無数の蛇のようにヴィトルを襲う。原形を留めないレベルでその肉体はズタズタに裂かれ、ヴィトルは絶命した。アナンダが鞭に付着した血を振り払っていると、頭上から拍手のような音が聞こえた。アナンダが見上げると、そこには主の姿があった。
「凄い凄い、相変わらず鞭の使い方が上手いね~」
「ネイクス様、いらっしゃったのですね」
「うん。アナンダにやられた相手の死体は、グロテスクで見応えがあるからね」
ネイクスはそう言って地に足を付け、変わり果てたヴィトルの死体をまじまじと観察し始める。
「エルカとかいう人間には、もう例の手紙は出されたのですか?」
「うん。もうそろそろ着く頃だと思うよ。ゴフラとパイソンも戻ってきたし、ほぼ準備万端だよ。マシムはいつも通り好きにやらせてるし、後はボアが帰ってくればマシム以外の『六龍』は全員集合だね。そしたらいつでも……」
「……ネイクス様、その件なんですが」
アナンダが言い辛そうな口調で口を挟む。
「どうしたの?」
「ボアは死にました。どうやら侵略先で返り討ちに遭ったようです」
それを聞いたネイクスは、目を点にして口をあんぐりと開けた。アナンダの言っている事が一瞬理解できず、頭の中で整理してからようやく声を上げた。
「え~? もしかして、あそこに攻め込んじゃったの?」
「ええ、恐らく……。私は止めたのですが」
「もう……あそこだけは六龍の皆じゃあ荷が重いから、止めとけって言ったのに」
ネイクスは呆れたように溜め息をついた。
「まあいいや。まだ時間あるし、ボクが遊びにいってくるよ」
「ネイクス様ご自身で行かれるのですか」
「最近運動不足だからね。それに、一応サウザンドトーナメント準優勝エリアだし、結構楽しませてくれそうじゃない?」
「なるほど、確かに。では我々は先に現地に向かいます。必要の無い言葉だとは思いますが、どうぞお気を付けて」
アナンダは深々と頭を下げ、身を翻して飛び立っていった。一人残ったネイクスはその場でしゃがみ込み、ヴィトルの死体を指でつついたり弄くり回したりして、それに飽きたら爆破させた。
「さて、と。子分がやられちゃったら親分が登場してあげないとね。Sエリア……楽しみだなぁ」
ネイクスは、プレゼントを待つ子供のように無邪気に微笑み、ふわりと浮かんでからSエリアに向けて飛び立った。




