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第57話 イアーナという女

 八年前……某所にて各国の首脳が一堂に集まり会合が開かれた。大きな丸テーブルを囲んで食事をしながらの話し合い。それは政治や社会情勢などの堅苦しい話から、趣味やプライベートなどの砕けた話まで、終始和やかなムードの中で行われていた。

 特にメッカの王は、母国に残してきた生まれたばかりの娘・タルトが可愛くてしょうがないようで、ことある毎にその話題をにやけた顔で振りまいていた。

 その会合には各国の王だけでなく、フロッグのエルカとヤドック、ジャクシーのタオ、そしてガラパのイアーナも同席していた。


(はあ……相変わらずクソつまんないわね。さっさと帰って筋トレしたいわ)


 当時十歳のエルカは、完璧な食事作法で料理を口に運びながら、その様子からは全く想像できないような事を考えていた。

 ふと、テーブルを挟んだ向かい側に座っているイアーナと目が合った。いかにもお姫様といったブロンドウェーブロングの髪と、つり上がった細い目が特徴の、エルカにも負けないぐらいの美しい姫だ。イアーナはニコリと笑い、エルカもそれに愛想笑いを返す。エルカとイアーナが顔を合わせたのは、この時が初めてだった。

 その日の会合は一時お開きとなり、自由な時間になると、自然と近い立場の者同士が集まり始める。王は王同士、大臣は大臣同士、そして姫は姫同士。

 エルカが建物外の噴水広場で一人佇んでいると、何かが走ってくる音が聞こえた。エルカが振り向くと、それはタオだった。


「エルカ、久し振り! 元気だった?」


「ええ。タオ姫もお変わりないようで、何よりですわ」


 親の溺愛故に厳しい教育を受けていないタオは、年相応の話し方しか出来なかった。現在でもそれは変わらない。そのせいか、タオは姫のお手本のように振る舞うエルカに、密かに憧れを抱いていた。

 タオはこの頃はどこか庶民的で、しかも人見知りだったため、他の王族とは壁を感じてしまっていた。しかし分け隔て無く接してくれるエルカに対しては、タオの方からも遠慮なく声をかけられる。年齢も一緒であるし、タオにとっては唯一友人と呼べる存在だった。もっとも、エルカの内に秘めた本性など、この時点では知る由も無い。


「ごきげんよう」


 二人がその声に振り向く。声の主はイアーナだった。タオに少しばかりの緊張が走るが、イアーナが笑顔を見せるとそれもすぐにほぐれた。


「ご挨拶が遅れました。ガラパの王女、イアーナと申します。以後お見知りおきを」


「フロッグのエルカです。こちらこそ、よろしくお願い致しますわ」


「えと、ジャクシーのタオだよ。よろしくね、イアーナ!」


 三人は噴水の外枠に腰掛け、暫しの間談笑した。エルカにとっては実にくだらないやり取りだ。しかし、他国の王族との交流も仕事の一つだ。エルカは心の中で胡桃を握り潰しながら、適当に相づちを打ちつつ時が過ぎていくのを待ち続けた。


「ところで……一つ変な質問をしてもよろしいかしら?」


 イアーナが突然別の話題を振った。


「変な質問? 何かしら?」


「……お二人は、魔界に興味はありますか?」


 一瞬、エルカの表情が固まった。タオはキョトンとしていて、質問の意味があまりよく理解できていないようだ。


「マカイって……あの魔界だよね? 興味っていうか、怖いな~とは思うけど」


「……そうですわね。考えただけで身震いしてしまいます。そんな場所は、恐怖の対象でしかありません。興味を持つなど、あり得ない事ですわ」


 今すぐにでも魔界に行きたい。この身が朽ち果てるまで、魔物共と思う存分に戦いたい。絵本に出てきた、魔物達を統べる大魔王と拳を交えたい。そんな本音は、言えるはずがなかった。イアーナは二人のそんな返答に、妖しげな笑みを浮かべただけだった。


「実を言うと、私は魔界にとても興味があるんです。行ってみたいとすら思ってるんですよ」


「えっ……ほ、本気?」


 タオが驚きの声を上げる中、エルカは無関心を装う。


(……ふーん。私以外にもこんな奴がいたのね。意外だわ)


 だが所詮は興味本位。城からの景色に見飽きたから、少し刺激的な物が見たいだけ。遊園地でお化け屋敷に入りたがるのと似たようなものだろうと、エルカは思った。

 しかし、それは違った。魔界の魅力について語り始めたイアーナの目は、好奇心旺盛な子供の目とは明らかに違っていた。その奥底には、一種の狂気すら感じる。

 それでもエルカは自分の気持ちはひた隠しにした。イアーナと魔界談義で盛り上がるつもりは全くない。同類である事を悟られるわけにはいかない。武闘家としても姫としても、常に完璧であれ。それがエルカのプライドが自分に定めたルールだ。

 逆に意外にもタオは興味津々でイアーナの話を聞いていた。最初こそ戸惑いはあったものの、普段の生活が生活なだけに、魔界の話は新鮮だった。それに、エルカ以外にも友人ができたみたいで、嬉しかったというのもある。


「あら? やはりエルカ姫は興味ないようですね」


 さっきからエルカが黙って俯いている事に気付いたイアーナが、気遣うように声をかけた。


「ええ、ごめんなさい。別にお話がつまらないわけではないんですの。ただ、やはり怖くて。イアーナ姫は、どうしてそこまで魔界にお詳しいのかしら」


「城の図書館に文献がいろいろあるのです。絵本もありますが、あれはほとんどが作り話ばかりですから読んでいません。私が特に興味を持ったのは、一冊の古文書です。その古文書は、他の文献とは決定的に違う点がありました。何だと思います?」


「えーと……何だろう。分かんないなぁ」


「材質です。その古文書の材質は、人間界には決して存在しない物でした」


「……魔界にあった物、という事でしょうか?」


 エルカは、好奇心でギラついた目をイアーナに見られないように、敢えて目を合わせずに空を見上げながら言った。


「私はそう思います。そうなると、それに書かれている事も、他の文献とは真実味が全く変わってきます。掠れて読めない部分も多かったのですが、中にとても面白い一文がありました」




『魔界暦・四六五七三年、災厄・ネ   。神をも震撼させた魔族。その恐るべき才を開花させる前に、神の手によって芽を刈り取られる』




 エルカの鼓動が早くなった。軽く深呼吸して、平常心を保つ。タオはやはりよく分からなそうにしていた。


「その魔族の名前は掠れていて解読出来ませんでした。魔界暦・四六五七三年というのは、今からおよそ千年前ですね。神という存在は、私達人間にとっても絶対的な存在です。そんな神を恐れさせたなんて、想像もつきません。一体どんな魔族だったのか。考えれば考える程ワクワクしませんか?」


「さ、流石にそこまでいくと、唯々怖いだけかなぁ……あはは。まあでも、千年も前に死んじゃってるんだよね」


 タオから苦笑いがこぼれる。タオにとっては、些かディープ過ぎる内容だったようだ。エルカは、何も言わずに空を見続けていた。


「おーい、タオ~!」


 ふと見ると、遠くからジャクシー王がその贅肉だらけの体を揺らしながら走ってきていた。


「こんな所にいたのか。心配したぞ」


「……友達とお話してただけだよ。敷地内から出たわけじゃないんだから、そんなに心配しなくていいじゃない」


「いや、いつ何が起こるか分からんからな。良からぬ事を企んでいる者も、どこかに潜んでいるかもしれん。さあ、そろそろ日も落ちる頃だ。部屋に戻ろう。ではエルカ姫、イアーナ姫、これにて失礼するよ」


 エルカとイアーナが一礼すると、ジャクシー王は半ば強引にタオを引っ張って行ってしまった。タオは名残惜しそうに何度も振り返りながら、やがてエルカ達の視界から消えていった。


「さて、私もそろそろお暇させていただきますわね」


 エルカが腰を上げ、イアーナに一礼してから背を向けて歩き出した。


「……自分に噓をつくのは感心しませんよ」


 エルカが足を止めて振り返った。無表情のエルカに対し、イアーナは心を見透かしているかのように微笑んでいた。


「何をおっしゃっているのかしら?」


「貴女からは、私と似た何かを感じました。そうでなければ、こんな話題を振ったりしません」


「……残念ながら、思い過ごしですわ。では、失礼」


 再び歩き出そうとするエルカの肩を、イアーナが掴んだ。


「……放し…………っ!?」


 その手を引き剝がそうとするが、ビクともしない。この頃から既に尋常では無いパワーを誇っていたエルカが、本気で剥がそうとしているにも関わらずだ。イアーナは相変わらず意味深な笑みを崩さないでいた。


「細身なのに、物凄い鍛えているんですね……うふふ」


(こいつ……!)


 思わず拳が出かかったところで、視界にヤドックが入る。それに気付いたイアーナも、その手をパッとどけた。


「姫様、こちらにいらしたのですね。そろそろ夕食の時間です」


「……ええ。分かったわ」


 ヤドックがイアーナに視線を移した。


「イアーナ姫、貴女様の事もガラパ王が探しておりました。お戻りになられた方がよろしいかと」


「そうですか。エルカ姫、今日はとても楽しい時間を過ごせました。明日の会食も楽しみにしておりますね」


「……」


 何事も無かったかのようにイアーナは去っていった。エルカは、未だにじんわりと痛みが残る肩に手を当てながら、イアーナの背中を見送り続けた。


「姫様、何か気になる事でも?」


「別に何でもないわよ。んな事よりもヤドック、フロッグに帰ったらすぐに組み手の相手をしな」


「むっ……別に構いませぬが。先週やったばかりでは?」


「関係ないわよ!」


 エルカはあからさまに不機嫌そうに、足を踏み鳴らしてその場を後にする。ヤドックは何かあったのかと心配すると同時に、他の者に今のエルカを見られないかと気が気でなかった。

 エルカの胸中に渦巻くのは、危機感だ。もっと強くならなければ……そんな気がしてならないのだ。

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