第55話 災厄
「ベルーゼの言う通り、Nエリアはどこからも一目置かれる事も無い、地味~なエリアだった。俺にとっちゃ退屈な所さ。いつか出てってやろうと思ってたんだが、若気の至りってやつでな……何を思ったのか、一人の女に惚れちまった。しかもその後、子供まで授かってな。幼い娘の顔を見ると、あまり無茶な事は出来なくなっちまってよ。結局そのままNエリアで一人、剣術を磨いていた。里を出る事は諦めても、ホーネッツっていう目標は変わってなかったからな」
まずカゲトが妻子持ちだったという事実に驚いた者も少なくなかったが、その件で話の腰を折る事はしなかった。
「当時のNエリアのボスはニーダという、これまた特筆するような点はねえ男だ。その頃から既に俺はニーダよりも強かったが、取って代わってやろうとは別に思ってなかった。エリアボスの座には興味なかったからな。だから俺はその頃、ニーダのボディーガードをしていたんだ。そしてある日、ニーダにも一人の子供が出来た……」
家族の話をして少し明るくなったカゲトの口調が、また僅かに暗くなった。
「誰もが一目見て直感的に思った。このガキはやばい。絶対にやばい。生かしておけば、必ず大きな災いをNエリアに……いや、魔界全土にもたらすってな」
「ど、どうしてそんな? 赤ちゃんですよね?」
「ああ、そうだ。パッと見は普通のどこにでもいる魔族の赤子さ。だが、理屈じゃあねえんだ。笑い声を聞くだけで全身に鳥肌が立った。そして目が合っただけで、自分の首が飛ばされた錯覚に襲われるんだ……」
「そんなガキがいるなんて、俄には信じがたいわね。それで、どうしたわけ?」
「……ニーダとその妻や忠臣達が、何度か殺害を試みた。だが駄目だった。槍でぶっ刺しても刃が通らず、魔法で火を放っても、それが消えるまで燃え続けても奴は死ななかった。火傷一つすらせずにな。奴もまだ生まれたての赤子だから、こっちに何か危害を加えようとはしなかったが、ただ何をされてもずーっとケタケタと笑っていた。それがますます不気味だったぜ……」
ベルーゼはゴキブレアの事を思い出したが、ゴキブレアの不死身の肉体とは質が全く違う。死なないのではなく、全くダメージを受けないのだから。
「残された手は一つ。殺せないのなら、せめてどこか遠くへ捨てる……これしかなかった。風の強い日に海にボートを浮かべ、奴を乗せてそのまま流した。海の向こうに何があるのかは誰も知らないが、潮の流れの関係上、これでもう二度と戻ってくる事はない…………はずだった」
「……でも戻ってきた、と」
エルカが言葉を繋いだ。カゲトがコクリと頷く。
「ああ、それから五年後にな。奴は突然俺達の前に姿を現した。五年という年月によって少し成長していたが、すぐに分かった。あの時のガキだってな。しかもどこから引っ張ってきたのか、六人の手下を引き連れてだ。そこで奴は初めて、親にも付けて貰えなかった自分の名前を名乗った。ネイクス、とな」
「ネイクス……古い魔界の言葉で、『災厄』という意味だな。それを自ら名乗るとは……」
ベルーゼが思い出したように言った。
「そしてこう言った…………『お父さんとお母さん、見~つけた』ってな。隠れんぼの鬼みたいに笑いながら指差した瞬間、ニーダとその妻、つまり奴の両親は爆死した。周りのニーダの手下達は恐怖で悲鳴を上げながら逃げ出したが、ネイクスは同じように指を差し、順番に爆殺していった。俺はすぐに理解した。これは、逃げた者から殺していくゲームだと。俺はその時、家族と一緒にいた。だからすぐに言おうとしたんだ。絶対に逃げるな、と。だが…………遅かった」
カゲトが目を伏せる。察したタオが自分の口に手を当てた。
「目の前で女房と娘が惨殺されて、俺はどうしたと思う? ……何も出来なかった。恐怖以外の感情は一切湧いてこなかったんだ。ようやく復讐心ってやつが湧いてきたのは、負け犬みてえに隙を見てNエリアから脱走して暫く経ってからだった。あれから更に五年……今まで噂の一つも聞かなかったのに、今になって動き始めるとはな……」
カゲトですら、恐怖で完全に支配されるほどの子供。話を聞くだけで、その異常性が全員に伝わった。それと同時にエルカは思った。そのネイクスというガキなら、虚無感でポッカリと空いた心の穴を、埋めてくれるかもしれないと。エルカがニヤリと笑い、腕をまくった。
「よし、そんじゃあNエリアに殴り込みに行くわよ。レオンもそこにいるかもしれないしね。この魔界に災厄をもたらそうなんて悪党は、私の正義の鉄拳で成敗してやらないと」
「姫様!」
悪党だの正義云々のくだりは、もちろんただの建前だ。相手が善人だろうと悪人だろうとどうでもいい。強い奴なら戦いたいだけだ。そんな見え見えの口実に、声を荒げて口を挟もうとするヤドックの前に、タオとタルトが立ち塞がった。
「ヤドックさん、お願いします。もしレオンさんがNエリアにいるなら、助け出すにはエルカの力が絶対に必要なんです。もう少しだけ、エルカが魔界にいる事を許してあげて下さい」
「……私からもお願いします。自分の身を危険に曝してでも私を助けてくれたレオンさんを、このまま放ってはおけません。そのためには、エルカ姫にどうしても手伝ってほしいんです」
「う……むぅ」
この二人にせがまれては、ヤドックも頭ごなしに駄目とは言い辛い。それにヤドックにも、かつて共に戦った仲間達との思い出がある。もし自分の仲間が同じ状況にあったら、やはり全てを投げ打ってでも助けに行っていたに違いない。
「……ふう。分かりました。ならば、私も微力ながら老体に鞭打って、お手伝いさせて頂きます」
微力という言葉に、誰もが心の中でツッコミを入れた。これほど頼もしい味方が他にいるはずがないからだ。来なくていいのにとエルカが小声で呟いたのを、ヤドックが聞き漏らす事もなかった。
「おい、カゲト……」
ベルーゼがエルカに聞こえないように、カゲトの耳元で囁いた。
「何だ?」
「実際のところ、お前から見てどうなんだ? エルカなら、そのネイクスに勝てるのか?」
カゲトは顎に指を当てて、ネイクスの強さを思い返した。そしてスパーダと戦った時のエルカと比べ合う。
「……多分な。五年前のネイクスと今のエルカを比べてだが」
「五歳から十歳になれば、成長していると考えるのが当然だ。魔族でも人間でも、その五年という時間の経過は大きい」
「まあな。でもエルカがやる気になってる以上、どっちにしろやるしかねえぜ。レオンも放っておけねえしな」
エルカ、ベルーゼ、タオ、カゲト、ヤドックの五人は、タルトをベルーゼ城に送り届けてから、Nエリアへ向けて飛び立った。
カゲトはベルーゼの背の上で終始緊張を隠しきれない表情を浮かべていた。大丈夫……今のエルカは無敵だ。ネイクスがあれからどんな成長を遂げていようが、負けるはずがない。カゲトは無理矢理そう思う事にした。
*
Nエリア……そこは、カゲトが五年前に出ていった時のままの景色が広がっていた。しかし当時とは明らかに違う空気を、カゲトは既に感じ取っていた。
一行は地上には降りずに、かつてニーダ城と呼ばれていた場所を真っ直ぐ目指した。ネイクスがいるとしたら、恐らくそこだ。
辺りは不気味なほどの静寂が広がっていた。飛行による風を切る音だけが、彼らの鼓膜を静かに揺らす。
「見えてきたぜ。あれだ」
カゲトが指差した方角に、小さな城が見える。それと同時に、ようやく現れた。城の中からNエリアの魔物の大群が、招かれざる客を歓迎するために。Aエリアに匹敵する物凄い数だ。その種族も多種多様に渡る。
「カゲトさん。あの人達は、カゲトさんの知り合いなんですか?」
「知っている顔も多いな。だが、遠慮は無用だ。奴らは既に、身も心もネイクスに捧げちまってる。当然、俺の事も完全に忘れちまってるだろうぜ。躊躇ってたらこっちがやられる」
「私は遠慮するつもりは最初からないけどね。じゃ、お先」
「あっ! エルカ!」
エルカがタオの背から飛び降り、一番乗りで戦場に降りたった。土石流のように迫る大群を前に、エルカは薄ら笑いを浮かべる。
「雑魚相手に大暴れするのも久し振りね。鈍った体をほぐすにはちょうどいいわ。まずは……挨拶代わりよ!」
エルカは、脇に転がっていた重さ百トンはありそうな巨大な岩を持ち上げ、大群のど真ん中目掛けて思い切り投げつけた。豪速で突き進むその岩は、魔物達を次々と薙ぎ倒し、バウンドする度にぐちゃりぐちゃりと音を立てて潰していく。難を逃れた魔物達は、仲間の無惨な死体には目も暮れず、殺人マシーンの如く前進を続ける。
「なるほどね。こいつらもAエリアの連中みたいに、主のためなら死も恐れないってわけか。上等だわ」
エルカが走り出し、今度は自らの肉体によって敵を粉砕していく。サウザンドトーナメントを制したエルカにとって、もはや雑魚が何匹で来ようが何の問題にもならなかった。
遅れてベルーゼ達も地上に降り立ち、それぞれ別れて殲滅に当たった。スコーピオ戦での覚醒により、見違えるように強くなった今のベルーゼには、雑魚はもちろんの事、そんじょそこらのエリアボスですら歯が立たないだろう。魔王の貫禄を見せ付けるかのように、圧倒的なスピードと絶大な魔力によって敵を蹴散らしていく。
タオも精神面の弱点は既に克服している。仲間の命がかかっている事もあって、情けも一切かけない。上空に打ち上げた円盤状の魔法弾から、レーザーが雨のように降り注ぎ、魔物達を真上から貫く。
カゲトの間合いに入った魔物は次々と鮮血を飛び散らせて、体のあらゆる部位を宙に舞わせる。その刀はどんなに斬っても斬れ味が落ちるどころか、その妖力によって更に増していく。カゲトと妖刀・肉斬骨断……そのコンビは、集団相手でもその力に陰りを見せる事は無い。
(やっぱ俺の顔は分からねえか。狂信というより、完全に洗脳だなこりゃ。ネイクスの野郎……)
そしてヤドック。穏やかに流れる川のような静かな動き……にも関わらず、エルカ以上の速さで敵を倒していく。動きに一切の無駄がない。エルカも極力無駄な力を抑える術は会得してはいるが、それでもヤドックと比べると粗が出る。
十の力で倒せる敵に対して二十の攻撃を放つエルカと違い、ヤドックはきっちりと十の力で倒す。だからヤドックの周りには、不自然なまでに綺麗な死体の山が積まれていくのだ。
「よし、終わったな」
ベルーゼが周りを見渡して言った。あれだけいた魔物の大群は、あっと言う間に全滅。そして五人は全くの無傷。サウザンドトーナメント優勝エリアとしての格の違いを、存分に見せ付ける結果となった。
五人は城に目を向けた。もうこれ以上は何も出てくる気配がない。今はネイクスはいないのか……。しかし僅かに感じる。今までエルカ達が戦ってきた者達とは明らかに何かが違う、とてつもなく不気味な魔力を。
「……カゲトさん、大丈夫ですか?」
冷や汗が止まらないカゲトに気付いたタオが声をかけた。いつものカゲトなら、おどけた態度で笑い返していただろう。だが今回は、タオに目も合わせずに小さく頷いただけだった。
「ビビってんならここに残りな。別に元々私一人でも充分だし」
「……いや、行くよ。すまねえ」
エルカに発破をかけられ、カゲトは覚悟を決めた。そして妻と娘の事を思い出し、復讐心を奮い起こす。普段は決して見ないカゲトのそんな様子を見て、ベルーゼとタオは胸騒ぎを抑える事が出来なかった。




