第50話 最終試合
Bエリアの手下達も、観客席に戻ってきていた。仮にさっきのような事態が起きても、エルカはベルーゼと違って何も気にせずにスパーダと戦うだろう。だから自分達がここにいても、足を引っ張る事はないと思っての事だ。このトーナメントでエルカと戦ったホルターやヴィトルも、選手控え室から神妙な顔でその戦いの始まりを見下ろしていた。
この試合で決まる……魔界の支配者となる者が。そして、誰が魔界最強なのかが。エルカとスパーダ、両者がリング中央で対峙した。
「遂にこの時が来たわね。あんたに惨敗してから、ずっとあんたをぶっ倒す事だけを考えていた。今こそ、雪辱を果たさせてもらうわ」
「……自分で誘っておいてなんだが、まさか本当に戦うことになるとはな。正直驚かされた。お前の仲間達の健闘は、実に見事だったとしか言いようがない」
相変わらず、抑揚の無い無感情な口調だ。本心でそう思っているのか、ただの皮肉なのか、エルカにも分からない。
「一つ聞く。お前は、魔界の支配者となって何をするつもりだ?」
「それはまだ言えないわね。ただこれだけは言える。優勝チームに与えられる他の参加者に対する支配権ってやつは、私も存分に使わせてもらうつもりよ。私が何を命令するつもりかは、優勝してからのお楽しみ」
「……そうか」
スパーダが臨戦態勢に入った。エルカもそれに合わせるように構えを取る。
「意味の無い質問をした。お前が勝つ事など、あり得ん事だからな」
「あっそう。なら私もあんたにはその質問はしないわ。無意味だから」
場内の空気全体がピンと張り詰めた。蚊の飛ぶ音すら聞こえそうな無音空間。その嵐の前の海を思わせる静寂を、ジャッジが破った。
「では、いよいよ始めたいと思います。サウザンドトーナメント決勝、大将戦…………開始ッ」
エルカが地を蹴り、その地点の砂埃が高く舞い上がった。弾丸のようなスピードでスパーダを強襲し、挨拶代わりの拳打を繰り出す。スパーダはそれを涼しい顔で受け止め、そのとてつもない衝撃が闘技場全体に響き渡り、壁に亀裂が生じた。続けてエルカが攻め立てる。スパーダはまるで、攻撃の軌道を全て事前に読んでいるかのように、エルカの拳の侵入を一切許さなかった。
「うおおおおぉぉ!! っらあ!!」
頭部を狙ったハイキック。これも容易くガードされるが、その衝撃までは殺せず、スパーダは足をリングに擦りながら飛ばされていった。スパーダの腕にビリビリと痺れが残る。以前戦った時とは遙かに違うエルカのパワーを、スパーダはこの時点で感じ取った。
「……面白い」
今度はスパーダが地を蹴った。エルカはスパーダの両手両脚を凝視し、ほんの僅かな挙動の変化も見逃さないようにした。
(…………左手!)
それに合わせるようにエルカが右手でそれを受け止めようとした。しかし、間に合わない。スパーダの左の拳は、エルカの右頬を完璧に捕らえていた。エルカは吹っ飛びながら体勢を整え、口の端から滴る血を指で拭う。
(分かっちゃいたけど、やはり攻撃が滅茶苦茶速いわね……。見てから動いたんじゃあ手遅れだわ)
以前戦った時の事を思い出す。エルカの攻撃が当たる寸前からでも、スパーダの攻撃の方が先に当たっていた事を。あれからエルカは遙かに強くなったが、それでもその速さには対応しきれない。
「仕方ないわね。今はただ攻めるしかないわ」
再びエルカの突進。小細工なしに、真正面からスパーダに仕掛ける。しかしスパーダにはそれを全てガードされ、時折反撃を食らってしまう。それでもエルカは怯まない。ヴィトル戦の時のようなノーガード戦法で行く。スパーダには、エルカの意図が読めない。
(ヤケクソになるにはまだ早いはずだ。この女、何を狙っている?)
しかしすぐに考えるのを止めた。どうせこのまま続ければ、先に力尽きるのはエルカの方だからだ。スパーダは攻撃を受け止め、エルカは攻撃を食らう。ただこれの繰り返しだ。だが、スパーダは少しずつ違和感を覚え始める。徐々にリズムが狂わされている事に気付く。そして遂にスパーダの拳が、エルカの顔面から照準が外れて頬を掠った。
「むっ」
「でやああ!」
スパーダの脇腹に、エルカのカウンターのミドルキックが入った。斜め四十五度に吹っ飛んでいくスパーダの体は、そのままCエリアの控え室の窓ガラスを突き破り、部屋の壁に激突して止まった。
「ひ、ひいい!」
一回戦でエルカに半殺しにされたチョーとその手下四人が、全身に巻かれた包帯を引きずりながら、情けない声を上げて後ずさる。スパーダは、そんな彼らには一切目も暮れずゆっくりと歩き出し、割れた窓からリング上で不敵に笑うエルカを見下ろす。
スパーダは窓枠に足をかけて飛び降り、再びエルカと相対した。そして、痛みが残る脇腹に手を当てて口を開いた。
「先読み出来るようになったというのか? あの僅かな時間の中で」
「代償はそれなりに大きかったけどね。こっちは全身傷だらけで、そっちは脇腹だけじゃあ割に合わないわ。まあ、その借金はこれから返していくけどね」
見てから動いたのでは間に合わないのなら、先読みするしかない。エルカは防御を捨てる事で、スパーダの攻撃や防御の癖やパターンを見極める事に、全神経を集中させた。その結果がこれというわけだ。だが、これだけで優位に立ったわけではない。そんな事はエルカも百も承知だ。
「行くぞ。第二ラウンドだ」
「望むところよ。来な」
スパーダの指先から、一本の糸が高速で飛び出した。前回の戦いでエルカを完封した糸だ。エルカは咄嗟に右腕を前に出し、体を拘束される事を防ぐ。そして、ワイヤーよりも遙かに強度のある糸がエルカの腕にぐるぐると巻き付き、エルカとスパーダの間でピンと張り詰めた。エルカはいつ引き寄せられてもいいように身構える。
「甘いな。俺の糸は防御すら許されない。避けなければいけないんだよ」
「!」
スパーダがエルカに手を向け、魔法弾を連射した。空いた左手でそれを弾くが、到底処理が追いつかない。糸で自由に動けないせいで、回避する事も出来ない。爆発によって生じた煙が、モクモクとリングを包み込んでいく。
「ちいっ!」
エルカはそのまま走り出し、魔法弾を食らいながらも攻撃に転じた。煙で前が全く見えないが、糸を辿ってスパーダを目指す。しかし拳を振り上げた途端、糸の張りが急に緩くなった。切断された事は明白だ。案の定拳は空振りしてしまった。魔法弾の嵐は止んだが、相変わらず周囲は見えない。スパーダの気配を探る。
(……上だ!)
真上に気配を感じ、膝を曲げてバネのように跳んだ。煙の中から飛び出したエルカは、その視界にスパーダの姿をとらえる。しかし、それと同時に気付いた。まんまと罠にかかってしまった事に。
「くっ、しまった!」
スパーダの眼下、空中に蜘蛛の巣のように張り巡らされた糸。さっきの硬質な物とは違い、今度は粘着性と弾力性がある。触れただけで瞬間接着剤のようにくっつき、藻掻けば藻掻くほど纏わりついてくる。エルカは完全に空中で身動きが取れなくなってしまっていた。スパーダがゆっくりと降下し、エルカの目の前で止まった。
「まだまだ経験が浅いな。危険も考えず、イノシシのように突っ込んでくるとはな」
「うるさ……!」
その言葉は、エルカの腹部に叩き込まれたスパーダの拳によって途切れた。スパーダは更に、防御も回避も出来ないエルカを、一片の容赦もなく殴り続けた。思わず目を覆いたくなる凄惨な光景だ。仲間達がエルカの名を呼び続けるが、そんなものは何も意味を成さない。
(……何だ?)
スパーダは一瞬何かを感じた。それは危機感だという事はすぐに気付いたが、何故この状況でそれを感じたのかは分からない。どう見ても自分が圧倒的優位なはずなのにと。しかし、それは確実にどんどん膨らんでいく。
スパーダは、導火線に火が付いた爆弾を目の前にしているような錯覚に陥っていた。後ろに下がり、掌を向けて大型の魔法弾を撃ち込んだ。エルカに迫る死神の手……しかしエルカは、糸の纏わりついた右脚を思い切り振り上げ、眼前の魔法弾を真上に蹴り飛ばした。
「!?」
全く予想していなかった魔法弾の軌道を、スパーダは思わず目で追った。自身が放ったそれは、穴の空いた天井を抜けて天を覆う雷雲へと吸い込まれていった。
「ちっ、いい勘してるわね……」
「……貴様」
エルカの体から、髪の色と同じ黄緑色のオーラが滲み出してきた。モヤモヤとした水蒸気のようなそれは、すぐに燃え盛る炎のように変わった。纏わりつく糸がそれによってドロドロと溶け出し、エルカの束縛を解いてその身をリングへと下ろす。スパーダは、心中に宿る僅かな動揺は表に出さずに、エルカの目の前に着地した。
「何だ、それは」
「分かりやすく言えば、あんたを倒すために付け焼き刃で会得した切り札よ。さあ、第三ラウンドと行きましょうか?」
そのただならぬ異変に、BエリアのメンバーもSエリアのメンバーも驚きを隠せない。唯一人冷静に見ているのは、エルカにそれを教えた張本人ヤドックだった。しかし、その手にはジワリと汗が滲んでいた。
(姫様……もはや戦いに興じている余裕はありませんぞ。昨夜私が言った事を、決してお忘れ無きよう……)




