第49話 因果応報
「えっ?」
タオは、エルカのその言葉の意味が一瞬理解できなかった。しかしすぐに思い出す。かつてエルカは言った。ベルーゼは、穴の空いた空っぽの器だと。その穴が、今塞がれたのだ。そしてその器に、今この瞬間にも水がどんどん注ぎ込まれていく。
「魔王」…………とっくに頭の中から消えていたその単語が、エルカの中でベルーゼと重なった。自称に過ぎなかったその肩書き。だが今のベルーゼからは、魔王を名乗るに相応しい力を、エルカはひしひしと感じている。
きっかけはスコーピオへの怒り……そして、タオを護りたいという思い。
「ば、馬鹿な……てめえは一体…………ぶおっ!?」
ベルーゼのつま先がスコーピオの顎を蹴り上げた。ベルーゼが手を広げてスコーピオに翳すと、見えない衝撃波が走り、スコーピオの体を観客席下の壁まで吹き飛ばした。背中を強打して血反吐を吐くスコーピオ。膝を突き、今起こった事を頭の中で整理する。しかし、理解できない。いくら考えても、こんな事があるはずがないのだ。
「スコーピオ……これ以上、貴様からは何も奪わせんぞ」
「んだと…………うっ!?」
スコーピオは言葉を詰まらせた。ベルーゼの体から、どす黒いオーラがロウソクのように静かに揺らめいていたからだ。これほどの距離があるのに、眼前に銃口を突きつけられているかのような恐怖と威圧感。それを振り払うように、スコーピオは天井付近まで高くジャンプし、大きく振りかぶった。
「ボケが! とっとと死ねやああーーーっっ!!」
直径十メートル級の特大の魔法弾を、真下に立つベルーゼ目掛けて撃ち放った。ベルーゼは避けようともせず、手を魔法弾に向けて翳し、再び衝撃波を放った。すると、魔法弾の軌道は百八十度切り替わり、術者のスコーピオに向かって真っ直ぐ返っていく。
「な、何だと!? うおあああ!!!」
大爆発が起こり、そのまばゆい閃光に場内の者達は思わず目を覆った。爆風によって天井は完全に吹き飛び、スコーピオの体が天高く舞い上がる。何とか体勢を立て直そうとするが、スコーピオは目の前にあるものを見てギョッとした。いつの間にこの高さまで飛んできていたのか、ベルーゼが両手を組み合わせて頭上に振りかぶっていたのだ。
「ぐぎゃあ!」
防御する間もなくそれが振り下ろされ、スコーピオはリングに向かって叩き落とされた。スコーピオの墜落によって、リングには大きなクレーターが作られる。スコーピオは痛みに歯を食いしばり、何とか身を起こす。しかし、目の前には再びベルーゼ…………スコーピオを氷のような眼で見下ろしていた。
スコーピオの全身から冷や汗が噴き出る。二度に渡って見せ付けられた、接近に全く気付かないほどの超スピード。ベルーゼは元々素速かったが、更にその次元を超越していた。
「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な!! こんな……馬鹿なぁ!!」
スコーピオが両の拳を何度もリングに叩きつけた。もちろん驚いているのはスコーピオだけではない。エルカも、タオも、カゲトも、レオンも、場内にいる全ての者達が、自分の目を疑った。あのベルーゼが、Sエリアの副将スコーピオを圧倒しているのだから……。
「終わりだ……スコーピオ。あと五秒やる。その間に貴様が今までしてきた事を、精々悔やむがいい」
ベルーゼはスコーピオの頭に手を向け、ゆっくりと魔力を溜め始めた。じわじわと死の恐怖を味わわせるために。しかし、そのせいで気付かなかった。スコーピオの不穏な動きに……。
「むっ!?」
「シャアァァ!」
スコーピオの尻尾が、眠りから叩き起こされた蛇のように突如ベルーゼに襲い掛かり、その右胸を突き刺した。ベルーゼがすぐに振り払おうとするが、既に尻尾は抜かれて、スコーピオは後ろに跳んで距離を取っていた。そしてスコーピオは勝ち誇りながら高笑いをする。
「ギャハハハハハハ! これでてめえは終わりだぁ! 魔力を吸い取る暇はなかったが、毒は完璧に注入してやったぜ!」
ベルーゼが刺された胸に手を当てた。傷は浅いが、スコーピオの極上の毒がすぐに血液と共に循環を始める。
「その毒が全身に回った時、てめえは死ぬ。今から抜こうとしてももう遅いぜ。出血多量で死ぬぐらいに血を吐き出せば、毒は抜けてくれるかもなあ! ヒャーッハッハッハ!!」
「…………」
ベルーゼが歩き出した。毒などは意にも介さず、ゆっくりとスコーピオに向けて歩を踏み出していく。既に勝利を確信したスコーピオは、それを見てあからさまに不愉快そうな顔を浮かべる。
「ちっ、やせ我慢しやがって……さっさとぶっ倒れちまえよ! いい加減うぜえんだよゴミ虫が!」
しかし、ベルーゼは倒れない。それどころか、弱っていく気配もない。スコーピオも、徐々に異変に気付き始める。自身の毒には絶対の自信を持っていた。今のベルーゼが想定外の力を発揮している事は素直に認めるが、それでも自分の毒を注入されて何も起こらないなどあり得ないと。
「何故だ。何故動ける!? 俺は確かにてめえに毒を……」
「スコーピオ……自分がさっき言った事を忘れたのか?」
「な、何の事だ」
「我が妹フライヤの仇討ちを夢見て幾星霜……それは正しい。ならば当然、貴様だけは何としても殺すために、三百年かけて対策を打ってきたと考えるのが、自然じゃあないのか?」
「ま……まさか」
「俺はあの日からずっと、ありとあらゆる毒を摂り続けた。徐々に量を増やし、毒に対して完璧な抗体を体内で作り続けたのだ。どんな強力な毒でも、俺を殺す事は出来ん……絶対にな」
エルカとタオはハッとなった。以前タオがズシムの毒によって死の淵を彷徨った時、ベルーゼの血で魔族化する事で、一命を取り留めた事がある。その時はタオが強靱な肉体を手に入れたおかげで毒に打ち勝ったのだと誰もが思った。しかし、それだけでは無かったのだ。毒に対して絶対的な抗体を持っているベルーゼの血を摂り入れたからこそ、ズシムの毒をかき消せたのだ。
「ち、ちくしょう……だが、これで勝ったと思うんじゃねえぞ! うおおおおおーーー!!」
スコーピオが、残りの魔力を全て解き放った。すると、スコーピオの周囲に無数の何かが現れ始める。それは、羽の生えた小さな赤い蟲の大群だった。その一匹一匹が、バチバチと激しい火花を散らしている。一目見て、ベルーゼは理解した。それは、かつての……。
「そう! 覚えていたようだな。あの時フライヤが俺に放った魔法だ! 俺は魔力を吸収した相手の魔法は、全てこの通り使えるのよ! しかも何段階もグレードアップさせてなあ!!」
その蟲達は物凄い勢いで爆殖していく。スコーピオが言うように、フライヤが使った魔法と種類は同じだが、その質は明らかに大違いだ。
「認めてやる……てめえは強えよ。正直言って驚かされたぜ。だが、結局最後に笑うのはこの俺だ! てめえは、てめえの妹の魔法で死ぬんだよぉ! ヒャーッハッハッハッハハハハハハ!!」
スコーピオが狂ったように高笑いをする。その間にも、蟲は更に増え続ける。かつてない魔力の波動がベルーゼの全身を包み込む。その時、ベルーゼが一瞬目を見開いた。蟲の大群を見て驚いているのではない。スコーピオの背後に見えたものに驚いたのだ。しかしすぐに平常心を取り戻し、ゆっくりと口を開いた。
「……やれ」
「くく、諦めたようだな。まあ、安心しな。本当はじわじわといたぶってやりたかったが、そんな余裕はねえ。一瞬で楽にしてやるぜぁ!」
スコーピオがベルーゼを勢いよく指差すと、蟲の大群が一斉にベルーゼに襲い掛かった。仲間達がベルーゼの名を叫ぶ。しかし、ベルーゼは微動だにしない。全ての蟲がベルーゼに着弾し、大爆発。そしてベルーゼの体は木っ端微塵に…………それがスコーピオの思い描いていた光景だった。
しかし、実際には全く違う事が起きていた。蟲の大群は、ベルーゼに着弾する直前でピタリと止まり、その場で羽をばたつかせているだけだった。スコーピオが驚き、身を乗り出した。
「な……何だ!? おい、コラ蟲共! 何止まってやがる!? さっさとそいつを殺せぇ!!」
もう一度ベルーゼを指差すが、やはり蟲達は動かない。ベルーゼの視線の先……スコーピオは気付いていない。いや、スコーピオだけではない。場内にいる誰もがそれを見えてはいなかった。
しかし、ベルーゼにだけは見えている。スコーピオの背後には、確かにあの頃のままの、フライヤの姿があった。ベルーゼとじっと視線を交わした後に微笑み、唇を動かした。声は聞こえない。しかし何と言ったのか、ベルーゼにはハッキリと分かった。
「くそ、いい加減にし…………はっ!?」
突如、蟲達が体を反転させ、全員がスコーピオの方へ向き直った。体だけでなく、その敵意も……。
「な、ななな何だと!? ベルーゼ!! て、てめえ一体何をしやがった!?」
「……俺は何もしていない。ただ、貴様にその魔法を使う資格が無かったというだけだ」
スコーピオの顔が恐怖に歪む。蟲達がスコーピオに向かって一斉に飛びかかった。スコーピオが背を向け、無様に走り出した。
「く、来るな! 来るんじゃねえ! ひ、ひいいいいいあああーーーーっっ!!!!」
……スコーピオの体は、跡形もなく吹き飛んだ。しかしその破壊力に反して、爆発の規模そのものは思いの外小さかった。まるで、近くにいたベルーゼが巻き添えを食わないようにと、何者かの意志が働いたかのように。
(フライヤ……今度こそ、さよならだ)
ベルーゼが心の中で最期の別れを告げ、消えゆく最愛の妹の幻影に背を向けた。
「勝者、Bエリア・ベルーゼ」
ジャッジのその言葉は、闘技場外まで避難していたベルーゼの手下達にもはっきりと聞こえた。主の今大会初勝利に、手下達は大いに沸き立つ。ある者は涙を流し、ある者は抱き合い、ベルーゼの名を呼び続けた。それは、リングの上のベルーゼの耳にもしっかりと届いていた。
「……まったく、馬鹿共が。世話を焼かせやがって」
満更でもなさそうに、ベルーゼがリングから降りた。ずっと張り詰めていた気が一気に抜けたせいか、ベルーゼがその場で倒れそうになる。それをギリギリのところでタオが支えた。若干涙ぐんでいるタオの目を、ベルーゼはなんとなく直視する事が出来なかった。
ベルーゼの復讐は終わった。だが、サウザンドトーナメントはまだ終わってはいない。最後のカード、エルカ対スパーダの戦いが残っているのだ。全てが決まるその戦いの舞台に向けて、エルカが足を踏み出した。そして、すれ違い様にベルーゼに声をかける。
「ベルーゼ。この大会が終わったら、私と勝負しなさい」
「……ふっ、馬鹿言え。俺がお前と対等に戦えるわけないだろうが」
「そう思うなら更に強くなりな。とにかくこれは命令よ。覚悟しておきなさい」
エルカのベルーゼを見る目は、今までは地面に這いつくばる虫けらを見るそれと同じだった。しかし今は確かに、狩り甲斐のある獲物を見る目に変わっていた。その事を、ベルーゼは知る由も無い。
「エルカ……タルトちゃんは必ず幸せにする。だから、遠慮無く勝ってきてくれ」
「終わったら祝勝会やろうぜ。お前さんでも飲める酒を用意してやるからよ」
「エルカ、頑張ってね!」
仲間達の声援にエルカは振り返る事なく、軽く手を上げて応えた。スパーダが強いのは知っている。だが、エルカが負けるはずがない。盲信ではない……彼らはそう確信していた。
エルカは壇上に上がり、スパーダを真っ直ぐ指差した。それに応えるように、スパーダも無言のまま部下達三人に背中を見送られながら、リングに向かって歩き出した。




