第48話 積年の恨み
ジュリイがラチュラの肩を借りながらリングを降りた。ジュリイはスパーダの鋭い視線から逃げるように目を伏せ、震えながら深々と頭を下げた。
「も……申し訳ございません。私の甘さ故に、勝てるはずの試合を落としてしまいました」
「……いつも言っているはずだ。追い詰められた鼠は、何をするか分からんとな」
スパーダの無感情な声が、ジュリイの心に突き刺さる。
「もう一度よく思い出せ……あの頃の俺達を。そして二度と忘れるな」
「は、はい……」
ダカシアとラチュラも他人事ではない。改めてスパーダの言った事を、肝に銘じた。その横でスコーピオが鼻を鳴らし、リングに足を向けた。スコーピオは、普段は小生意気なジュリイに嫌味の一つでも言ってやりたかったが、先程スパーダに釘を刺されたばかりだ。そのまま何も言わずにリングに上がった。
副将はやはりスコーピオ……ならば、Bエリアの副将も決まっている。ベルーゼが、普段は決して見せないような漆黒の感情を滲み出させ、怨敵に誘われるように足を踏み出した。その背中を目で追いながら、カゲトが口を開いた。
「なあ、エルカ。どうするんだ?」
「どうするって、何が?」
「いや、何がって……分かってるだろ?」
言いづらそうに口をつぐむカゲトの言葉をレオンが引き取る。
「どうひっくり返っても、ベルーゼではスコーピオに勝てない。ベルーゼが負けて三敗。それで僕達五人はお終いだ」
「そんな事ない! ベルーゼ様ならきっと……!」
タオが必死で反論する。カゲトがタオを諭すように肩にそっと手を置いた。
「負けた俺があまり偉そうな事を言えたもんじゃねえが、客観的に戦力を分析した上での現実だ。タオちゃんだって分かってるはずだ。あいつらに、一体どれほどの力の差があるのかを」
「そ、それは……」
タオが言い返せずに黙りこくる。そう……現に、元々あったベルーゼとスコーピオの力の差は、あれから更に開いていた。尻尾から相手の魔力を吸収する能力。それは、普通に修行するよりも遙かに効率良くパワーアップが図れる。
あの時のスコーピオは精々Sエリアの五番手か六番手ぐらいだった。しかし今では、スパーダに次ぐ地位まで確立していた。Bエリアのメンバー最弱のベルーゼが、スコーピオに勝てる道理などない。
「確かにあんたの言う通りよ、カゲト。でもベルーゼは、あのスコーピオにだけは絶対に負けられない理由がある」
「……その理由は俺だって知ってる。だが、負けられねえって気持ちだけで勝てるほど、戦いってのは甘くねえぞ」
「ええ。それもあんたが正しいわ。私もどうシミュレーションしても、ベルーゼが勝つビジョンが全く見えない。でもね……予感がするのよ。何かが起こりそうな予感がね」
「予感……?」
「ふふ……らしくない事を言っちゃったわね。説得力の欠片もないわ。カゲト、レオン、あんた達は今のうちに逃げたら? ベルーゼが負ける前に消えれば、少なくとも今ここで死ぬ事は免れるわよ」
確かに、二人の出番はもう無い。Sエリアの優勝が決まる前に逃げれば、スパーダから死の命令を下される事は無いだろう。カゲトとレオンはお互いの顔を見合わせ、フッと笑った。
「僕はやめとくよ。ここで逃げたら、タルトちゃんを愛する資格などない。それにさっき、仲間を信じると決めたばかりだからね」
「俺だってこの刀を握る資格はねえ。つーか、そりゃ流石にカッコ悪すぎだろうがよ」
エルカとタオも釣られて笑った。そう、信じるしかない……奇跡が起こるのを。ベルーゼの勝利を。そのベルーゼが、リング中央で怨敵スコーピオと対峙した。隠しようのない殺気。そんなベルーゼをおちょくるように、スコーピオはガムをくちゃくちゃと噛みながら、ニヤついた顔を向けた。
「てめえもしつこい野郎だな、ベルーゼちゃんよ。三度目の正直なんてのがあるとでも思っちゃってんの?」
「……黙れ。貴様の声を聞くだけで虫唾が走る」
ベルーゼの言葉に、スコーピオはますます愉快そうな態度を見せる。
「愛する妹の仇討ちを夢見て幾星霜…………数多の修羅場を潜り抜け、遂に訪れた怨敵との戦いの時。だが、しかーし! そんな積年の恨みも空しく、絶対的な力の前に為す術なく、ゴミ虫のようにプチッと潰されてしまうのでした! ギャハハハハハ!! こんな面白え事はねえよなあ? まさに! サウザンドトーナメントを締めくくるに相応しい最後だぜ!」
スコーピオが腹を抱えて笑った。ベルーゼは奥歯を噛み締め、拳を握りしめる。まだだ……まだ試合は始まっていない。そう強く自分に言い聞かせ続ける。
「ジャァッジ! さあ、史上最高の惨殺劇の開幕を宣言しろぉ!」
「……分かりました。では、副将戦開始」
ベルーゼは、自らを係留していた鎖を今解き放った。猛犬のようにスコーピオに襲いかかると、スコーピオもガムを吐き捨て、真正面から立ち向かい拳を繰り出す。二つの拳がリングの中央でぶつかり合った。
「ぐあっ!」
力負けしたベルーゼが後方に吹っ飛ばされた。それを追うようにスコーピオが地を蹴り、ベルーゼの足首を掴んだ。
「ぃよいっしょおーー!」
スコーピオはそのままグルグルと回転し、遠心力を利用してベルーゼをぶん投げた。危うくBエリアの応援席に突っ込みそうになったところでベルーゼが踏ん張り、手下達の目の前でピタリと止まった。そのタイミングを最初から狙っていたように、スコーピオが魔法弾を連射する。
「ヒャハハハ! そらそらそらーー!!」
「な、何!? くそ!!」
避けようと思えば避ける余裕はあった。しかし、避ければ後ろにいる手下達が吹っ飛ぶ。やむを得ず、ベルーゼはその場に留まり防御の構えを取った。そしてベルーゼに着弾する魔法弾が、次々と爆発を起こしていく。
「ひいいい!」
「べ、ベルーゼ様ぁぁ!!」
「馬鹿! 早くここから離れるぞ!」
「俺達がここにいたら邪魔だ!」
急いで避難するBエリアの手下達。その間も、ベルーゼは自らの体を盾にして、スコーピオの猛攻を受け続ける。粗方避難が終わった時、スコーピオの魔法弾も止んでいた。
「ぐっ……は……」
ベルーゼが力無くその場に落下する。飛んできたスコーピオがベルーゼの傍に着地し、髪を掴んで引き起こした。
「甘えよなぁ~。甘い甘い、甘すぎんよベルーゼちゃん。脳味噌プリンで出来てんのか? あんなゴミ共を庇ってこんなにズタボロになっちまって、可哀想によ」
スコーピオはそのままベルーゼの顔面を思い切り殴った。吹っ飛んだベルーゼの体は、再びリングの上に戻り、スコーピオもそれを追ってリングに着地した。
「主役はちゃんと舞台の上にいないとな。くっくっく」
ベルーゼが、力を振り絞ってよろめきながら立ち上がった。もはや勝負あった……どう考えても覆しようがない。場内のほとんどの者がそう思っている。それでも、ベルーゼの闘志だけは消えていない。
「スコーピオ……どこまでも、腐りきった奴め……!」
「おいおい、てめえは魔界の本質すらも忘れたのか? 力こそが正義、力こそが全て。弱肉強食の世界、それが魔界だ。全てはてめえの非力さが招いた事だ。てめえが強けりゃ、フライヤは俺に殺される事も無かったし、ブブルも暴走する事は無かった。てめえの手下共が今、危険に曝される事も無かった。ぜーんぶ、てめえの自業自得じゃねえか」
「……黙れ……黙れ!!」
ベルーゼの放った魔法弾がスコーピオに直撃し、爆発を起こした。しかし、その爆煙の中から出てきたのは、無傷のスコーピオだった。続け様に何度も何度も魔法弾を撃ち込むが、スコーピオは微動だにせずに一歩一歩とベルーゼと距離を縮めていく。間合いに入り、伸ばした腕でベルーゼの首を掴み持ち上げた。
「う、がはっ……」
「ドッカンドッカンうるせえよ」
ベルーゼの腹部に拳を叩き入れ、続けて胸部を蹴って吹っ飛ばした。スコーピオがそれを追いかけ、更に攻撃を仕掛ける。確実に死に近付いていくベルーゼを見ながら、タオは唇を噛み締め、自分の両腕を血が出るぐらいに強く握りしめた。必死に自分を抑えているのだ。今すぐにでも助太刀したい。しかし、それをやった瞬間に全てが終わってしまうのだ。
「おら! うら! そりゃあ!」
スコーピオはベルーゼを嬲り続けた、他人から奪った力で、自分より弱い者を蹂躙する。これこそがスコーピオの生き甲斐だ。エルカのように強者に挑戦して、自分を高めたいなどとは微塵も思っていない。単に優越感と支配欲を満たせればそれでいいのだ。
「うっ……」
俯せに倒れ込んだベルーゼの頭を、スコーピオがゴミを潰すように踏みにじる。そして、十秒カウント勝ちを避けるために再び髪を掴んで引き起こし、ベルーゼの耳元に顔を近づけ、小声で話し始めた。
「さあて……そろそろフィニッシュだ。観客も飽き始める頃だしな。だがその前に、一つだけてめえにどうしても伝えておきたい事があってな」
スコーピオが含み笑いを始めた。これから言う事に、ベルーゼがどんな反応を示すのか、楽しみでしょうがないといった感じだ。
「さっきスパーダが言ったよな。俺達の優勝が確定した瞬間、てめえら全員に死を命令すると。だが一人だけ生かしてもらうように、スパーダには前もって頼んであるんだ」
「……どういう……意味だ」
「てめえが大事にしている、フライヤとよく似たあのタオって小娘だよ」
「な……に……!」
とてつもない嫌な予感に、ベルーゼが顔色を変えた。
「あいつの魔力はなかなかのもんだ。ジュリイには及ばないものの、魔界中探したってあれほどの魔力の持ち主にはそうそう出会えるもんじゃねえ。ただ殺すには惜しいって話よ」
「貴様、まさか……」
「奴の魔力は、俺がキッチリと頂いておいてやる。一滴残らずな。てめえの妹の魔力とのブレンドで、もしかしたら更なるパワーアップを図れるかもしれねえしな。それに……くくく。まだ少々ガキ臭えが、フライヤに似てるだけあって、なかなかいい女じゃねえか。殺す前に、体の方も味見しておいてやるよ」
「…………」
スコーピオが右手の五本の指を鉤爪のように立たせ、手首から指先までを魔力で覆って硬化させた。
「あばよ。いい退屈凌ぎになったぜ。一足先に、地獄で仲間が後から来るのを待ってるんだな」
スコーピオがその手でベルーゼの心臓を抉るべく突き出した。しかし、それは直前で止まった。いや、止められた。ベルーゼが、スコーピオの腕を掴んでいたのだ。
「あん? まだそんな力が残ってやがったのか。……くっ!? て、てめえ……!」
スコーピオが右手を押しても引いても全く動かせない。焦ったスコーピオは、左手にも同じように魔力を纏わせて、今度は顔面に突き出した。しかしこれもベルーゼに掴まれて止められた。
「くっ! は、放せコラァ!」
その時、スコーピオは初めてベルーゼに恐怖した。得体の知れない力。あるはずのない力。起こり得るはずのない事態。リング外のエルカが、そのベルーゼを見て思わず身を乗り出し呟いた。
「穴が……塞がれた……」




