第47話 最強のサキュバス
Sエリアの方は、スパーダもスコーピオも出てくる気配はない。そうなると、必然的に中堅はタオという事になる。タオ自身もそれを分かっていて、軽く準備運動を始めた。そのタオの肩に、エルカが手を置いた。
「ねえあんた、いつからあんなでかい口叩けるようになったの? 一応確認するけど、ちゃんと状況把握してる? また酔っ払ってるんじゃあないでしょうね?」
「分かってるよ。優勝するには、残りの私達三人が全員勝たなければならない。それも、カゲトさんやレオンさんですら勝てなかった相手に。そして負けたらその時点でスパーダの命令によって死亡確定。だから降参は出来ない。死んでも勝たなければならない。でしょ?」
タオは淡々と今の状況をおさらいし、エルカと目を合わせた。タオの態度からは、恐怖や緊張などは一切感じない。かといってヤケクソになっているわけでもない。確かな覚悟がそこにはあった。
「……あんた、強くなったね。いろんな意味で」
エルカが肩から手を離し、背を向けた。
「私達の命、あんたに預けたわ。絶対に負けんじゃないよ」
「うん。任せて」
タオはそう言って軽く微笑み、リングに向かって歩き出した。ベルーゼ達も声をかけようとしたが止めた。今のタオには言葉など必要ない。ただ勝利を祈る事しか出来ないのだ。
Sエリアの中堅、ジュリイもリングに上がった。ラチュラとはまるで正反対の、ど派手な長い金髪と化粧を施した女だ。胸元をはだけさせた露出度の高い衣を身に纏い、背中にはコウモリに似た翼。恐らくサキュバスだろうとタオは見当を付けた。サキュバスは男の夢の中に現れ、精気を搾り取って殺す事に長けた下級悪魔だ。本来なら、このような武闘大会になど出てくるはずがないのだ。だからと言って、当然このジュリイが弱いはずがない。
「サウザンドトーナメントもこの試合で終わりね。最後の試合が女同士の戦いなんて、結構珍しいかもね。くすくす」
ジュリイがタオを覗き込むように、悪戯な笑みを浮かべる。タオは臆することなく言い返した。
「最後じゃありませんよ。まだ二戦残ってますから」
「あんたも見かけによらず気丈ねぇ。さすが大勢の前でゲロ吐くだけの事はあるわ」
タオが僅かに頬を赤く染めた。軽く咳払いして再び気を落ち着かせる。安い挑発に乗って調子を狂わせるわけにはいかない。
「それでは始めます……中堅戦、開始ッ」
両者共にすぐには動かず、相手の出方を窺う。お互いに、相手の得意な戦術は分かっている。どちらも魔法だ。準決勝のジュリイの対戦相手は、炎の魔法によって一瞬で灰になったのだ。
「……ハア!」
先に動いたのはタオ。コクサス戦で見せた、無数のブーメラン型の魔法弾がジュリイを襲う。
「うふっ」
ジュリイの指先から、ビー玉のような魔法弾が連続的に飛び出した。向かってくるタオの魔法弾一つ一つに着弾し、確実に撃ち落としていく。結局一発もジュリイに当たる事なく、タオの元へ戻ってくる事も無く、全ての魔法弾があっという間に消されてしまった。
「エネルギーの無駄遣いだったわね。次はどうするの?」
「くっ……それなら!」
タオの周囲に次々と何かが形作られていく。それは、長さニメートル近い氷の槍だ。いくつもの槍がタオの合図と共に、ジュリイに向かって発射されていく。ジュリイが手を翳すと、氷の槍と同じ数の火球が現れ、氷の槍にぶつけにいった。
(火で対抗してくるのは予想してたよ。でも、この槍はそう簡単には溶けない!)
氷の槍と火球が、空中で次々とぶつかり合った。そしてタオの思惑とは裏腹に、その槍は液体という過程すらもすっ飛ばし、一瞬にして蒸発していく。予想外の事態に、タオが目を見開いた。タオの氷の槍は、実際にちょっとやそっとの火力では、一滴の雫すらもこぼれ落ちる事はない。ただジュリイの魔力が、タオの想像を遥かに上回っていたのだ。
(つ、強い……分かってはいたけど、本当に強い!)
「……じゃあ、今度はあたしから行くわよ」
「!」
ジュリイの周囲に霧が立ちこめ始める。それが徐々に人型に形作られ、身の丈二十メートル近い一体の巨人が出来上がった。しかし体は一つなのに、顔は腕や脚などの全身に浮かび上がっている。
「こいつは……いえ、こいつらはね、あたしが今まで搾り殺してきた男達の亡霊よ。ただ殺すだけじゃ勿体ないから、こうやってしもべにしてあげてるの」
「な、何ですって……!?」
「酷いと思ったでしょ。でもこいつらは快楽の絶頂を感じながら死んでいったのよ。そしてしもべになった今も、あたしはこいつらに戦果に応じたご褒美をあげてるの。恨むどころか、感謝されているぐらいなのよ。ふふふふ……」
ジュリイが指を鳴らすのを合図に、亡霊の巨人がタオに向けて右の拳を振り下ろす。タオが後方に飛びながらそれを回避した。タオの代わりに拳を受けたリングが、爆ぜて欠片が舞い上がる。しかしそれを読んでいたかのように、左手による張り手がタオを捕らえる。
「きゃあ!」
間一髪でガードが間に合ったが、そんな事はお構いなしに、凄まじい衝撃がタオの全身を突き抜ける。そのまま観客席まで吹っ飛び、巻き添えを食った観客達が宙を舞った。
「うっ……痛っ……!」
背骨を強打したようだ。鋭い痛みが背中を走った。亡霊の巨人がゆっくりと大きな足音を鳴らしながらタオに向かって歩いてくる。全身についている顔が上げる呻き声は、若いタオの体を欲しているかのようだ。タオはジュリイをチラリと見た。巨人と一緒になって襲い掛かってくる気配はない。
(高みの見物……いや、違う。あれだけの大きな物を動かすには、多分それ相応の魔力と集中力が必要なんだ)
故に他の行動を同時に起こす事が出来ない。そう予想を付けたタオが地を蹴り、ジュリイに向かって飛び出した。それを阻むように巨人が連続で拳を繰り出す。タオは急旋回を繰り返し、巨人の横をすり抜ける。射程距離に入り、タオがその手に魔法弾を作り構えた。それでもジュリイは表情を一切変えない。絶対的な余裕が窺えるのだ。そのおかげでタオは気付けた。すぐそこまで迫っていた、自分の命の危機に。
「はっ!?」
タオが攻撃を中断し急上昇した。直後に、さっきまでのタオの進路上に突然何かが出現した。それは、タオが先程出した物とは明らかに質の違う、巨大且つ鋭い氷の槍だった。あとほんのコンマ数秒勘付くのが遅れていれば、自ら正面から串刺しになるところだった。タオは後ろを振り返った。巨人も消えていない。尚もタオをはたき落とそうと追いかけてくる。
(ど、同時操作出来るんだ……! 一体どれだけの魔力を持っていればこんな芸当が出来るの!?)
「ふふ、惜しかったわね。もう少しで面白い物が見れたのに」
魔力の桁が違う…………戦っているタオはもちろん、リング外で観ているベルーゼも、眉間に皺を寄せながら思った。どいつもこいつも強すぎる。Sエリアはスパーダはもちろん、他の四人もカゲト以上の実力者揃いだ。まともにやり合って勝ち目などあるはずがない。しかし、タオの目はまだ死んでいない。逆転の手段を模索し続ける。
格上の相手に勝つ方法……。最もシンプルなのは弱点を突く事。だがそんなものは見当たらない。魔法で勝てないなら肉弾戦……それも駄目だ。エルカほどの決定力は、タオの体術には無い。相手の虚を突く……気を引いてくれる仲間もいないサシの勝負でどうやって? 魔力を溜めて溜めて溜めて、一気にぶつける……そんな暇がどこにある?
「うわっ!?」
考えながら飛び回っていたせいで、巨人の攻撃に直前まで気付かなかった。真上から振り下ろされる平手をバランスを崩しながら躱す。そして反撃の魔法弾を上に向けて発射するが、巨人の顔の横をすり抜けて闘技場の天井を突き破っていってしまった。
「どこを狙ってるのよ、お馬鹿さん」
「!!」
いつの間にか、背後にはジュリイがいた。振り返る間もなく、ジュリイの放射した業火をまともに食らい、タオの全身が炎に包まれた。
「きゃああ!!」
タオが熱さに悶え苦しむ。すぐさま水の魔法を自分にぶつけて鎮火するが、火傷の痛みが全身に残る。更に巨人に追い打ちを食らい、タオの体はリングに激しく叩きつけられた。タオは動かない。ベルーゼ、カゲト、レオンが息を飲んだ。
(…………駄目……意識が……)
瞼が鉛のように重い。意識を失えば、その時点で敗北が決まる。即ちBエリアの敗退が……そして五人の死が。観客席にいる手下達や、控え室から観ているタルト、スケ夫、ヤドックも手に汗を握りながら祈った。
────私達の命、あんたに預けたわ。絶対に負けんじゃないよ
タオは思い出す。エルカの言葉を……自分に全てがかかっている事を……そして絶対に負けられない事を。タオは目を見開き、全身に力を込めて飛び起きた。眼前に迫るのは、ジュリイがたった今放った魔法弾。それを躱し、再び宙に舞った。息も切れ切れに、ジュリイと巨人に対し正面から向かい合う。
「呆れたわ。ゴキブリ並みのしぶとさね」
「……それは……そうだよ。だって、全然効いてないもん……」
どう見てもただの強がりだ。しかしジュリイは、タオの強気な態度に僅かながらに不快感を顔に出す。
「あなた、強いよね……。でも、そんなに強いのに……亡霊を集めて戦わせるなんて、実は自信ないとか? 案外臆病なんだね」
「……」
ジュリイのこめかみに血管が浮き出る。今度は目に見える怒りを露わにした。
「……弱いくせにムカつく事言ってくれるわね。いいわ、その安っぽい挑発にまんまと乗ってあげる」
ジュリイが指を鳴らすと、巨人はまた霧のように姿を変えて姿を消した。
「しめしめとでも思ってる? 残念だけど、今までのは本当に単なるお遊びよ。わざわざ亡霊の巨人を動かすのに魔力を割くよりも、あたし自身が百パーセントの魔力を使用した方がよっぽど恐ろしいという事を、今から証明してあげるわ!」
ジュリイの全身から、魔力の波動がほとばしる。それだけで闘技場内で凄まじい暴風が吹き荒れ、観客の何人かが宙に舞い上がっていく。タオは吹き飛ばされないように、必死で空中で踏みとどまった。
「な、何を考えてんだタオちゃんは? わざわざ挑発して全力を出させちまうなんて……!」
タオの意図が読めないカゲトが、風に目を細めながら言った。それはレオンも同じだ。
「亡霊は引っ込めてくれたが、却って状況は悪くなった……。これはタオの計算の内なのか? それとも想定外なんじゃあ……」
炎、氷、風、ありとあらゆる種類の魔法を次々とタオに繰り出していく。無数の魔法弾がタオに襲いかかる。痛みに耐えながら、タオはひたすら飛び回った。いつ直撃を受けてもおかしくない状況だ。時には反撃の魔法を放つが、軽い牽制にしかならない。ここで、今まで黙って見ていたエルカが、違和感を感じ始める。
「……タオの奴、変ね。挑発までしておいて、全然攻める気が見えないわ。まるで時間稼ぎでもしてるかのように」
「攻めようにも攻められないんだろ? 下手に攻勢に出れば、一瞬でやられちまうぞ」
「それに時間を稼いでどうなる? 誰も助けられないし、スタミナ切れを狙うにしても、どう考えても先に力尽きるのはタオだ」
エルカは反論するカゲトとレオンには目を向けず、唯々飛び回るタオを目で追い続ける。
「そうね。でも、タオのあの目……何かを狙っている目よ。それが何なのかは分からないけどね」
エルカの考えは当たっている。タオにはとっておきの秘策があった。そして、ベルーゼだけはそれが何なのかが分かっている。飛びながら時々牽制しているだけなのに、明らかに減るペースが早い、タオの体内に宿る魔力の量。タオはその異常を必死で隠している。ベルーゼはタオ以上に冷や冷やしていた。自分に分かってしまったという事は、ジュリイにもいつ勘付かれてもおかしくないという事なのだから。
(頼む……バレてくれるなよ……!)
双方の流れ弾が次々と観客席に飛び、場内は修羅場と化した。なかなか決定打を与えられないジュリイの苛立ちが募っていく。
「さっきから、ちょこまかちょこまかと……! いい加減、くたばりなさいよ!!」
「!」
巨大な津波のような炎がタオを飲み込んだ。咄嗟にバリヤーを張ったおかげで火だるまは免れたが、その灼熱を防ぎきる事は到底叶わなかった。飛ぶ力を失ったタオが、リングの上にドサリと落ちた。
「ったく、手間取らせてくれちゃって」
ジュリイがタオを見下ろしながら、ゆっくりと降下し始める。タオが力を振り絞り、ジュリイに向けて鉄砲水を撃ち出した。しかし、もはや攻撃と呼べるほどの勢いはない。ただいたずらにジュリイやリングを水浸しにしただけだった。
「ふっ、今のがイタチの最後っ屁ってやつかしら? ならもう諦めなさいよ。あたし相手によくここまで持ったわ。だから、もう楽になりなさい」
タオは、虚ろな目で震える右手を、ゆっくりと天に掲げた。それに蔑むような視線を送るジュリイ。諦めの悪さも、ここまで来るとただ見苦しいだけだ。しかし次の瞬間、タオの目に光が戻った。リングを蹴り、その場から退避するように跳び上がり、天に掲げた右手をジュリイに向けて振り下ろした。
────まばゆい閃光、そして耳をつんざくような轟音。それは天井を突き破り、ジュリイの脳天から脚の指先に至るまで走り抜けた。それによって生じた衝撃波によって、タオ自身も吹き飛ばされた。その正体は、極大の稲妻。ジュリイは悲鳴を上げる間もなく、焼け焦げた肉体で受け身も取らずに、そのままリングに崩れ落ちた。
先程タオが天井に向けて撃ち放った魔法弾。それは雷雲へと姿を変え、天井の遥か上空で育ち始めた。タオは戦いながらも少しずつ雷雲に魔力を送っていた。そして、少しでも効果が増すようにジュリイの体を濡らした。確実にジュリイに当てるために邪魔な亡霊の巨人を消させて、全ての準備が整った後、ジュリイに向けてそれを落としたのだ。
「う……ぐ……」
俯せのままジュリイが呻く。完全に想像の外の攻撃だったため、そのダメージは計り知れない。タオがふらつきながら、ジュリイの元へ戻ってきた。さっきまでとは立場が正反対の形になる。
「……ち、ちくしょう……あんたの……勝ちよ。さあ、殺しなさい……」
ジュリイのその言葉に、タオは首を横に振った。もう間もなく、ジャッジが判定を下す。
「……十秒。勝者、Bエリア・タオ」
怒りと悔しさでジュリイが拳を硬く握り締めた。爪が食い込み、中から血が滴っている。ジュリイは怒りの形相をタオに向けた。
「こんな侮辱を受けたのは初めてだわ……。何故殺さなかったの……!?」
「……侮辱じゃありません。借りを返したんです」
「借り……?」
「前の試合、ラチュラさんはレオンさんを殺そうと思えば殺せたはずです。でも降参するのを待っててくれました。だからその借りです」
「……」
ジュリイはもう何も言えなかった。敗者がこれ以上勝者に口出しする資格はない。タオはゆっくりとその場を後にし、仲間達の元へと戻っていった。これで一勝二敗。依然としてBエリアの崖っぷちは続く……。




