第38話 最悪の事態
控え室に戻ったエルカ達は、二回戦第二試合……つまり、自分達が明日戦うエリアの戦いを観戦していた。一回戦を突破してきたのは、JエリアとGエリアだ。このどちらかがBエリアの準決勝で戦うことになる。しかし……それは早くも決まろうとしていた。対戦方式は五戦マッチで、既にGエリアがあっさりと二勝をあげている。続く中堅戦も、JエリアはGエリアに一矢報いる事もなく、三つ目の白星を提供してしまった。
「勝者、Gエリア・クロ。Gエリア準決勝進出決定です」
実力が違いすぎた。Gエリアはほとんど手の内を明かす事なく勝ち進んだ。そして一回戦も含め、ここまで全ての対戦相手を殺してきている。中には、わざわざ殺すまでもない相手もいたにも関わらずだ。HエリアやVエリアの者達とは、明らかに質が違う。
「終わっちまったな。結局何の参考にもならんかったぜ」
「ふん、相手が弱すぎるわ」
「何て言うか……感じの悪い人達だよね。あまり戦いたくないなぁ……」
「僕も同感だ」
四人はそれぞれ思った事を口に出した。黙ったままなのはベルーゼだ。その瞳に映るのは、Gエリアのボス・ゴキブレア。頭から生えている二本の触覚をゆらゆらと動かし、冷酷な笑みを浮かべている。それに加え、不気味に黒光りするその肉体は、見る者を不快にさせる。
「ベルーゼ様、どうしたんです? 怖い顔してますけど……」
タオがベルーゼの様子がおかしい事に気付き、心配そうに声をかけた。
「いや、何でもない」
「……ベルーゼ様、言ってもいいんじゃないでやんすか? 別に、皆さんが知っても都合の悪い事はないはずでやんす」
スケ夫は知っている……ベルーゼの心境を。全員の視線がベルーゼに集まると、ベルーゼは小さく溜め息をついてから口を開いた。
「あの男、ゴキブレアは……俺の父ブブルの重臣だった男だ。実力的にはBエリアのナンバーツーだった」
「へえ。ブブルが死んでから離れていった手下達の一人ってわけね」
「いや、奴は父に追放されたのだ。性格が大いに問題があってな。俺はまだ幼かったが、度々父と衝突していたのを覚えている。以前からもそういう事はよくあったらしいが、俺が生まれて父が俺を次期Bエリアボスにする事を決めてから、それはますます激化したらしい。自分を差し置いて、俺がボスになるのが許せなかったのだろうな」
「ブブル様はゴキブレアには手を焼いていたでやんす。それでも実力は確かだから置いていたんでやんすが、徐々に貴重な戦力からただの危険因子に変わっていったんでやんす。終いにはブブル様の暗殺をも企て、それがブブル様に勘付かれたんでやんす。ブブル様がゴキブレアを追放しなければ、ブブル様の死後にベルーゼ様を殺し、Bエリアの支配者になっていたに違いないでやんす」
スケ夫が補足した。ゴキブレアはBエリアを追放された後、Gエリアに単身で攻め込んで当時のボスを殺し、Gエリアのボスに成り代わった。そして今、古巣であるBエリアと相見えようとしている。
「ふーん、そんな因縁があったのね。まあでも、エリアボスならそいつは私の獲物よ。文句ないわね?」
「好きにしろ」
裏切り者を自らの手で制裁したい気持ちもないわけではないが、ベルーゼがどうしても自分の手で倒したい者はただ一人。Sエリアのスコーピオだけだ。
「……姫様、少し宜しいですかな?」
「んっ、何? ヤドック」
「これまでの姫様の戦い、誠にお見事でした。ここに来て、その腕はますます磨かれております。私の見た限りでは、次のGエリアの者達の中に姫様より強い者は、恐らくいないでしょう」
「まあ、当然ね。それで?」
「しかしそんな事は、奴らも分かっているはずです。つまり正攻法で姫様に戦いを挑む事はしない。どんな罠を仕掛けてくるか分からないという事です」
先程の快勝の余韻でどこか気が緩んでいたベルーゼ達四人が、それを聞いて思わずハッとなった。このトーナメントでもなお健在のエルカの圧倒的な強さに、彼らは安心しきっていた部分が確かにあったのだ。しかし、これだけ注目を浴びてしまえば、対策されない方がおかしいのだ。幸いヴィトルはエルカと同じように、これといった特殊能力のない、パワーで押し切るタイプだったから何とかなった。しかし、Gエリアの者達もそうである保証はどこにもない。
「まあ、言いたいことは分かったわ。でもねヤドック、私は今までこの魔界でいろいろな奴らと戦ってきた。中には私の想定外の戦法を使ってきて、私を苦しめた奴も確かにいたわ。でもその度に、私はその場で対応してそいつらを倒してきたの。あんたが言っている事なんて、別に今に始まった事じゃないわ」
「確かに……危ない場面は過去にあったが、スパーダを除けば最後にはいつも勝っているな」
ベルーゼが言葉を繋げた。誰よりも間近でエルカの戦いを見てきたベルーゼにとって、エルカの強さには絶対的な信頼を寄せていた。エルカなら多少の小細工など物ともしない。
「そもそも、結局奴らが具体的に何を仕掛けてくるのか分からない以上、今あれこれ考えたって無駄なのよ。だから、始めから全力で叩き潰すのみよ」
「……とにかく、相手を見下して油断だけはなさらぬよう」
ヤドックもそれ以上は何も言えなかった。しかし相変わらず胸騒ぎが治まらない。それがただの取り越し苦労である事を願うばかりだった。
*
「……皆さんおはようございます。サウザンドトーナメントも残すところあと二日、三試合となりました。現在ここまで駒を進めているのは、Bエリア、Gエリア、Wエリア、Sエリアとなっております。それでは、準決勝第一試合を開始します。Bエリア、Gエリア、ご入場下さい」
二つの門が同時に開いた。両エリアのメンバーが、一歩一歩リングに歩を進める。どちらにとっても、準決勝など通過点に過ぎない。ここまで来た以上は、もはや優勝しか見えていない。
対戦方式決めのため、両エリアのボスがそのままリングに上がった。ベルーゼとゴキブレア……数百年ぶりの再会だ。ゴキブレアは、肩にペットらしきドブネズミを乗せている。ドブネズミが、威嚇するようにベルーゼに向かって鳴き声を上げた。薄汚いゴキブレアにはお似合いのペットだと、ベルーゼは密かに思う。
「ウフフ……ご無沙汰ですねぇ、殿下。お元気そうで何よりです。まさかこうして再び顔を合わせる事になるとは、夢にも思いませんでしたよ。またお会いできて何よりです」
「俺は貴様の不愉快極まりない顔なんぞ、二度と見たくなかったがな。とっくに野垂れ死んだものだとばかり思っていたぞ」
「その言葉、そっくりそのままお返しします。殿下のような弱者が、今日まで生き延びられたなんて驚きでした。お父上と違って、あなたは弱い割に悪運が強いんですねぇ」
その言葉に、ベルーゼが僅かに反応を示す。早くも勃発している両者のいがみ合いを無視して、ジャッジがコインを弾いた。二人は一旦いがみ合いを止め、それぞれ表裏どちらかを宣言した。緊張の一瞬……ジャッジがコインの上の手をゆっくりとどかした。
「裏です。Bエリアに決定権が与えられます」
「よし……勝ち抜き戦だ」
Bエリアの者達は、心の中で小さくガッツポーズをした。勝ち抜き戦にするだけで、俄然有利になるからだ。しかし、ゴキブレアに焦りの色は見られない。
「ふむ……相当あの人間の娘に信頼を寄せているようですね。魔族として、恥ずかしくないのですか?」
「何とでも言え。これで貴様らは終わりだ。一人ずつ血祭りに上げられる姿を見ながら、精々恐怖するがいい」
Bエリアの勝利を確信したベルーゼは、捨て台詞を吐いてリングから降りた。入れ替わるように、エルカがリングに上がる。一回戦同様、五人抜きする気満々だ。戻ってきたベルーゼにカゲトが声をかけた。
「よう、ナイスだぜ。これで勝ったも同然だな」
「ああ」
二人のやり取りに、心配性のレオンが口を挟む。
「でも、相手も準決勝まで勝ち上がってきた強豪だよ。ヤドックが言っていた事も気になるし、流石のエルカも今回は一人で五人抜き出来るかどうかは分からないんじゃないか?」
「まあそれでも、最低でも三人抜きは固いだろうよ。残り一人か二人なら、俺ら四人で充分だ」
「まあ……確かに」
エルカと対峙するGエリアの先鋒チャバは、全身茶色の出っ歯の小男だ。エルカの全身を舐めるように見回してニヤついている。その気色悪さに、エルカは早くも不快感を覚える。しかし、どう見ても弱い。エルカの敵ではない事は、誰が見ても一目瞭然だ。エルカがチャバの潜在能力を探っても、脅威になり得る要素は何も見当たらなかった。
(ちっ、楽しめそうにないわね。速攻で終わらせて、さっさと次に行かせてもらうわ)
「準備は宜しいですか? では、先鋒戦開始」
エルカが地を蹴った。姿勢を低くし、まっすぐチャバに向かっていく。しかしチャバはあくまで冷静に、懐からGと書かれた拳大の黒いボールを取りだし目の前に放り投げた。そのボールが放った強烈な光が、辺りを包み込んだ。
「また目眩まし? ウザったいわね……!」
ホルターの光に比べれば大したことはない。エルカは目を細めながら走り続けた。しかし突如、駆ける足が空を切り、エルカはバランスを崩して転倒した。光が消え、辺りが鮮明になっていく。そこで、エルカは初めて気付いた。自分が今倒れている場所に……。
「場外。勝者、Gエリア・チャバ」
「…………な……なにいいいいいーーー!!?」
騒然となるBエリアサイド。他のエリアの観客達の間からも、どよめきが起こる。エルカは何が起こったのか分からず、未だに茫然として立ち上がれずにいる。しかし、他の者達は一部始終を見ていた。
『チャバが投げたボールから光が飛び出し、エルカを包み込んで吸い込む。チャバがそのボールを大急ぎで拾い、リング外に向けて思い切り投げる。ボールが弾け、中から飛び出したエルカがそのまま場外に倒れ込む』
たったこれだけの動作で、チャバは自分よりも遥かに格上のエルカに勝利した。飛べないというエルカの唯一にして最大の弱点に目を付けたゴキブレアが、試合直前にチャバに授けたアイテムだ。エルカがどのタイミングで出てこようが、対策は完璧に出来ていたのだ。控え室から見ていたヤドックは、思わず額に手を当ててうなだれた。だからあれほど言ったのに……と。
「ちょ…………て」
エルカが何かを呟き、空気がピンと張り詰めた。その場にいる全員が、噴火直前の火山の目の前にいるような錯覚を覚える。
「ちょっと待てコラァーーーッッ!!!!」
エルカが鬼の形相で勢いよく立ち上がり、リングに再び足をかけた。驚いたチャバが、恐怖の表情を浮かべて後ずさる。
「ま、まずい!」
「やめろエルカ!」
ベルーゼ達も慌ててリングに上がり、エルカを羽交い締めにして四人がかりで取り押さえた。それでもエルカは、四人を引きずりながらチャバに詰め寄った。
「っざけんじゃないわよ!! ああん!? あんなインチキアイテムで勝ちとか、そんなのが通ると思ってんの!? あんなの無効よ無効! 正々堂々とやり直し! ノーカウント!!」
「……へ、へへ。お、俺に言うなよ。判定を下したのはジャッジだぜ? 文句があるならジャッジに言えって」
チャバは冷や汗を流しながらも、挑発的な態度でエルカの矛先をジャッジに向けようとした。誘導されるように、エルカの睨みの視線はリング脇に立っているジャッジに移る。
「ジャッジ! これは魔界最強を決めるトーナメントでしょうが! あんな判定認められるわけがないわ! 今すぐに判定の撤回と試合再開を宣言しなさい!!」
「……ルール上は何の問題もありません。武器及び道具の使用は認められています」
ジャッジは一切態度を崩さずに、冷徹に言い放った。火に油を注ぐとは正にこのような状況を指す。エルカは頭がカアッと熱くなり、再び四人を引きずりながら、今度はジャッジに向かって走りだした。
「エルカ駄目! 落ち着いて!」
「ジャッジに手を出すな! 失格になっちまうぞ!!」
「失格どころじゃ済まないぞ! 泉に魂の分身を預けている事を忘れるな!!」
「エルカ! 頼むから止めてくれぇ!」
エルカの振り上げた拳が、ジャッジの顔面に当たる…………直前にピタリと止まった。数秒の静止の後、エルカはしがみつく四人を乱暴に振り払い、無言でリングを降りた。
あと少しで五人の魂が破壊されるところだった。ベルーゼ達はその場にぐったりと座り込み、大きく大きく安堵の溜め息を吐き出す。エルカが振り返り、未だに怒りが治まらない表情で四人を睨みつけた。
「……絶ッッッ対に負けんじゃないわよ。こんなつまらない事で敗退なんて許さないわ。死んでも勝ちなさい。いいわね?」
「お……おう……」
エルカはそれだけ言って元の場所へと戻っていった。ゴキブレアがニヤリと笑うのが見え、再び導火線に火が付きそうになるが、それは必死で堪えた。
エルカがジャッジを殴って全員失格になるまでが、ゴキブレアの描いた理想のシナリオだった。そこまでは成らなかったとはいえ、いずれにしてもエルカが勝ち抜き戦の先鋒戦で敗北という、最悪の大波乱は既に起こってしまったのだ。




