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追憶  作者: 葉月☆
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第四章 恋





「な〜んだ、私その先生知ってる。どうして話聞いたときに気づかなかったんだろ?新聞部員として失格だわ。」

次の日、小雪から「変質者」の正体が鋼希であることを聞かされた澪は、残念とばかりにため息をつきながら言った。


「へっ、澪、知ってたの?」

小雪が意外だというような顔をする。


「もちろん。新聞部員はまず情報集めが資本だから、当然でしょ。」


「で〜も、小雪の話だけじゃ分かんなかったじゃない。まだまだ修行が足りないんじゃないの?」

ニヤニヤしながら言う弥生を、澪は睨みつけた。



現在は4時間目前の休み時間だ。


休み時間になると、それぞれ友達のところに行って話したり、自分の席で音楽を聴いていたりなど、様々な活動が行われ始める。


小雪たちは殆ど前者の方で、いつもお互いの席を行き来していた。


でも、最近は比較的、一番後ろで窓側の席になった小雪の席に集まることが多い。


後ろであれば、人にあまり気兼ねすることなく話をすることが出来るからだった。



「そんなこと・・・!たまには私だって見込み間違いすることだってあるの。」

しれっとした顔で澪は言う。


「でもさぁ、何で澪あたしに教えてくんなかったの?かっこいい人情報は逐一あたしに教えてっていつも言ってるのに。」

拗ねたように軽く頬を膨らませて、弥生は澪に聞き返した。


「だって、小雪の話みたいな話いっぱい聞いたんだもん。クールって言ったら聞こえは良いかもしれないけど、かなりの毒舌家。私も取材に行ったんだけど、(興味ないし、答える義務がない)とか言われて速攻却下。最初は結構いたらしいファンも、先生の口の悪さにショック受けて、今じゃほとんど居ないみたいなの。・・・そんな人、完璧に顔で判断する弥生に進められるわけ無いでしょ?」

澪は、否定できるのならしてみろというような顔で弥生を見た。


小雪は澪の言葉に、頷いて同意を表す。



確かに澪の言うとおりだ、と思う。


あれほどの性格破綻者(小雪談)でも、確かに顔はかっこいいのだ。


・・・弥生の好みのタイプに当てはまりそうなタイプでもある。


そんな男に弥生が夢中にでも万が一なってしまったら、彼女が不幸になるのは目に見えている。


だから、澪が弥生に教えなかったのは、きっと澪なりの愛情だ・・・弥生がそれに気づいているかどうかは謎ではあるが。




「まぁ、否定はしないけどさぁ。でも何か気になる・・・よし、見に行っちゃお!」


「えっ?」

一体何を言い出したのか理解できず、澪は素っ頓狂な声をあげた。


「今から見に行くの!気になって絶対授業なんて頭に入んないし。」


「止めときなよ、弥生!あんな奴見る価値なんて無いって。本当に最低な奴なんだよ?」

小雪が説得しようと試みるが、弥生には全く応えていないようである。


「最低でも何でも、澪がわざわざ私に隠すくらいの人って事はかなりの上玉に違いないもん。ってことはそれだけで見る価値ありってこと。・・・というわけで、私行くね!」


「ちょっ・・・弥生!!」

澪の声が聞こえていないのか、あるいは無視しているのか、弥生は踵を返すと、軽い足取りで教室を出て行った。



「・・・もう、弥生ったら。」

せっかく忠告してあげてるのに、と不機嫌そうな顔で澪は言う。


「弥生は気になったことは解決しないと、すっきりしないタイプだから・・・。」

仕方の無いことだとは思うのだが、わざわざ不快な思いをすることが分かっている人間の元に

友人を送るというのは、小雪とてあまり気持ちの良いものではない。


しかも、実害をこうむった経験のある当人ならばその気持ちはかなり強くなるもので・・・フォローは入れているものの、小雪としてはかなり複雑であったし、心配でもあった。


「本当に猪突猛進型よね、弥生は。前世が案外猪だったりして。」

おどけて言う澪の言葉に思わず私は笑った。


少し気分が軽くなったような気がした・・・弥生がもし嫌なことを言われるようなことがあったら、慰めてあげれば良いんだ、と自分に言い聞かせた。




しかし、授業が始まる頃になっても、始まった後も、弥生は帰ってこなかった。


弥生が姿を見せることは、結局授業が終わるまで無かったのである。










「弥生・・・戻ってこないね。」

昼食を食べるために鞄の中を覗き込みながら、小雪はポツリと言った。


今日は朝からずっと雨が降り続いている。


秋という季節柄のせいか、このところ雨が降っていなかったのだが、今日の雨は、今までの遅れをまるで取り戻すかのような大雨。


(バケツをひっくり返したような雨)とは、こんな雨模様のときのことを言うのだろうか。


雨の日は当然、いつものように屋上で食べることなんて出来ない。


そんな時、小雪たちは自分たちの教室で、適当に机をくっつけて一緒に食べるようにしている。


今日も例外ではなく、雨を見つめながら小雪は弥生へと思いをはせていた。



「あの少々のことでは動じない弥生を傷つけるようなこと、先生言っちゃったのかしらね。」

澪が思案する。


「大丈夫かな・・・?」

小雪が澪に問いかけるように言った。


「大丈夫・・・とは、はっきり言えないけど、弥生のことだから立ち直りは早いと思うわよ?そろそろ帰ってくるんじゃない?」

安心させるように微笑んで、澪は小雪に言った。


「うん・・・そうだね。・・・って、無い!」



「けほっ・・・いきなり大きな声出さないでよ。変なところにお茶入っちゃったでしょ?」

ちょうどお茶を飲んでいた澪は、むせながら小雪に非難の声をあげる。


「あっ、ごめん。」

小雪は素直に謝った。


「・・・もう落ち着いたから良いけど。で、何が無いのかな、小雪ちゃん?」


「弁当が・・・無いの。」

沈んだ声で小雪は言うと、先ほど探っていた鞄の中を澪に見せる。

確かに、小雪の鞄には教科書以外に弁当の形をしたものは入っていない。


「・・・あら、本当だ。お気の毒・・・まだ購買開いてるから買ってくれば?」

澪は小雪に合唱のポーズをして、助言した。


「実は・・・財布も無いの。」

小雪はいよいよ落ち込んで、力が抜けたのかへなへなと机につっぷした。


「えっ、そうなの?困ったわね・・・今日私金欠でお金持ってないの。この間の取材費まだ生徒会から払ってもらって無くてさ。」

申し訳なさそうに澪は言う。


「そうなんだ・・・どうしよう、本当に昼ごはん食べられないかも。」

覇気の無い声で小雪は言った。

彼女にとって弁当は午後の眠い授業を乗り切る特効薬なのである。


「弥生と聡介なら持ってる可能性大なんだけど・・・弥生はいつ帰ってくるか分かんないし、聡介はまだ来そうにないし・・・仕方ない、諦めなさい。私の弁当少しくらいなら分けてあげるから。」

澪がそう言うと、小雪はうつむいていた顔を勢いよく上げた。


そして、輝かんばかりの瞳で澪を見つめる。



「本当に?」


「うん、本当。そのかわり江口君の告白の詳細詳しく私に教えてよね!」

極上のスマイルでそう切り替えしてきた澪に、小雪は脱力する。


「・・・やっぱり良い。私絶食する。」


「・・・やぁねぇ、冗談だってば。本気にしないの。ちゃんと分けてあげるから、ねっ?」


(今の間は?)

意地悪そうに笑う澪に小雪はよっぽど聞きたかったが、なんとかその気持ちは抑えた。


「あっ!小雪・・・もしかしたら救世主が来たかもよ?」

澪が突然小雪の後ろの方に目を向けながらそう言ったので、小雪は背を向けていた教室の出入り口付近に思わず目を向けると、風呂敷包みに包まれた手の平サイズの物体を抱えた風と、その彼女で1年生の小柄で愛らしい雰囲気をかもし出している夜月が笑顔で立っていた。

その笑顔が、小雪には天使の笑みに見えた・・・。



「風、夜月ちゃん!」

小雪は二人の名を呼びながら駆け寄った。


「よっ、小雪。弁当忘れてたから届けてやった。」

風が言った。


風と小雪の両親は仲が良く、しょっちゅう一緒に旅行に行ってしまう。


そのため、従兄弟で、家が近くにある風はそういう時、いつも小雪の家に泊まりに行く。

・・・まあ実際のところは、小雪が一人では危なっかしいことこの上ないので、風が家事全般を小雪の分まで引き受けてくれているのだが。


「先輩、お久しぶりです!お元気でしたか?」

微笑を浮かべて、夜月が小雪に尋ねる。


夜月はとても優しく、その上、よく気の利くしっかりした子である。

そんなところが、世話好きな従兄弟と合ったのかも知れないが、彼らは夏ごろから付き合い始めて、今もそれは続いている。


一応、恋の手伝いをした小雪にとっては、二人が仲良くしている姿を見るのはとても嬉しいことだった。



「うん、私は元気。そういえば、久しぶりだね。夜月は元気?」

小雪が尋ねると、夜月はしっかりと頷く。


「はい!元気が有り余るくらい元気です。小雪先輩に暫くぶりに会えてすっごく嬉しいです!」

夜月があまりにもはっきりと言い切るので、小雪は思わず笑ってしまった。


「ふふっ、私も。」


「はい、弁当。・・・本当に、お前は高二になってもそそっかしいのは相変わらずだな。」

そう言って風はため息をつくと、小雪に弁当を差し出した。


ちなみに、この弁当は風作である。

「むっ・・・仕方ないでしょ。・・・でも、ありがとう、二人とも。」

小雪は風を軽く睨んだが、お礼を言って、しっかりと弁当を受け取った。


「・・・あっ、そういえば先輩、江口君が告白したって相手が先輩って本当なんですか?」

夜月が突如思い出したように小雪に聞いた。


「へっ!?・・・それ誰から聞いたの?」

小雪は動揺を隠せずに、夜月に聞き返した。


まさかそのことを今尋ねられるとは思ってもみなかったのである。


よくよく考えれば、彼女は一年なのだ・・・小耳に挟むこともあるだろう。


うかつだった・・・と小雪は思う。


「私の友達からです。・・・やっぱり噂は本当っぽいですね。じゃあ、振ったって噂の方も本当なんですか?」

夜月の、おそらく罪の無い質問に、小雪は苦笑しつつ頷く。


「へぇ、物好きな奴もいたもんだな。」

風が感心したように言う。


「何言ってるんですか、風先輩。小雪先輩は結構もてるんですよ!性格良いし、かわいいし・・・私も、男だったら絶対タイプです!」


「えぇっ!?」


「マジか!?・・・俺の立場って一体。」

爆弾発言をさらりと告げる夜月に、二人は思わず素っ頓狂な声をあげる。


夜月は、何が理由になったかは定かでないが、おそらく風に好意を持つようになるよりも早く、小雪に対して憧れの感情を持っていたようで、彼女から小雪が声をかけられたことが、二人が知り合いになったきっかけであり、その後小雪経由で知り合いになった風と恋人同士になったのである。


彼女は本当に小雪を慕っていて、小雪と風に向ける思いは、実はとても似たものでは無いのだろうか、と、風が危惧するくらい、彼女は小雪に尊敬の念以上のものを抱いているように思えた。



「風先輩にとはまた違った愛の形ですけどね。・・・てな、冗談はさておきまして。」


「冗談だったの・・・(とても冗談には聞こえなかったけど。)」


「まぁ・・・それならいいけどな(絶対本気だった。目、マジだったし。)」

二人はそれぞれのことを思いながら、貼り付けたような笑みを浮かべた。


「とにかく、小雪先輩はもてるんです。私が保証します!」

胸を張って断言する夜月に、小雪は苦笑する。


「あっ・・・ありがとう。」


「・・・ったく、小雪が本気にするから、世辞はその位にしとけ、夜月。んじゃ、俺らまだ飯食ってねぇから、これで失礼するわ。」

風が、ここにずっと居れば、延々小雪に対する夜月の賛辞が続いてしまうと判断し、風が小雪に切り出す。


「別にお世辞じゃないです!私はいたってマジなんですから。・・・それじゃあ、お名残惜しいですけど、先輩、失礼しますね!もし好きな人とか出来たら、ぜ〜ったい教えてくださいね。私がしっかりその人を半殺・・・いえ、教育しにいってきますから!」


「教育・・・?」

夜月の言葉の意味が分からず、小雪は首を傾げる。


「(何か、今物騒な言葉が聞こえた気がするが・・・まあ、聞かなかったことにしよう)・・・何だ、その教育っていうのは?」

風が尋ねた。


「小雪先輩を確実に幸せにするようにそいつに教え込むことですよ!私よりよわっちょろい男なんて絶対に認められませんから。」

力説する夜月があまりにも真剣なので、風は小雪の彼氏になるかもしれない男に少し同情した。



夜月は空手茶帯の猛者だ(黒帯を取る前にやめたので茶帯だが、黒帯級の実力あり)・・・そうそうな相手では彼女に叶うわけが無いからである。


「分かった、分かった・・・いいかげん帰るぞ、夜月。小雪、俺今日部活だから少し遅くなる。一応夕飯の変わりになるもん冷蔵庫に入れておいたから、あんま遅かったら先食っといて良いから。」

風は、夜月の腕を掴み、引っ張りながら教室に戻っていく。


夜月が振り向いて手を振るので、小雪は微笑みながら手を振り返す。



夜月ちゃんの言葉は嬉しいけど・・・その教育・・・一生必要ないかもしれないな、私には。



小雪は誰にも聞こえないような声で呟くと、もう夜月達が見えなくなったことに気づき、教室に入ろうとした。



しかし、夜月達が行った廊下の方から、見慣れた姿を見つけ、思わず立ち止まる。

「弥生・・・。」

それは紛れもなく、先ほどから戻ってきていなかった弥生本人だった。






「惚れた!!」

ようやく全員揃って昼ごはんを食べようと席についたところで、唐突に弥生が叫んだ。


「へっ?」

小雪は何のことか分からず、目を丸くする。


「まっ・・・まさか、弥生・・・あんた・・・。」


「そう、そのまさか。・・・瀬川先生を好きになっちゃったってわけ!」

弥生は上機嫌でニコニコ笑いながらあっさりと言った。


「せっ・・・瀬川先生って・・・。」

小雪が澪のほうを見ると、澪はこくりと頷く。


「小雪は下の名前しかそういえば知らなかったわね。・・・瀬川先生は鋼希って呼ばれてたその先生よ。」

澪がはぁっとため息をつきながら言った。


「え〜っ!!!」

驚いた小雪は叫ぶ。


そのとたん、何事かと一斉にクラスメートの視線を集めてしまう。


それに気づいた澪は、何でもないのよと苦笑いを浮かべながらフォローを入れたため、その場はとりあえず収まった。



「どうして、何で、どこが良いの、あんな奴・・・!?性格最悪だよ!?」

今度は小声にして小雪は言う。


「そうよ・・・悪いこと言わないからやめときなさいって。」

澪も険しい表情で、弥生に忠告した。


「そんなこと関係ないじゃん!あんなかっこいい人早々いないって。・・・そりゃあ、冷たくあしらわれたわよ。でも、授業中じゃなきゃ、また来てもいいって言ってくれたんだ。」


「なっ・・・!?」

小雪は二の句がつげない。


「へぇ・・・正直意外。私の聞いた限りじゃ、先生目当てで教室に行った子達は皆かなり冷たく追い返されてて、もう二度と行きたくないって言ってるっていう話なのに。」

不思議そうに澪は言う。


「えっ、マジ!?じゃあ脈ありって事!?よっしゃ、これはもう押すしか無いじゃん?」

嬉しそうに弥生は言った。


かなり幸せそうなその顔は恋する乙女そのものである。



「やめときなよ、あいつの性格悪さは天下一品だよ?あんな奴よりもっといい奴いっぱいいるって!」

小雪は必死に説得しようとする。


正直、親友である大事な彼女に、あんなどう考えても性格が破綻している人物に近づけたくなかった。


そして・・・これ以上あの男との接点を持ちたくなかった。

元来、それほど人を極端に嫌うことは小雪には無かった。

どちらかといえば、人の良い所を探そうとする性格なのである。

なのに何故か・・・あの男だけは受け入れられなかった。


口調もきついところもだが・・・何よりあの人を馬鹿にするようなさげすんだ瞳が。


自分勝手な思いなのは分かっている・・・でも、それでも小雪は弥生を止めたかったのだ。


「小雪・・・あんたが心配するのは分かってんの。噂もたくさん聞いてんだし。でも・・・でも、もうたぶん私あの人の事好きになっちゃってんだ。あの人の事考えるだけで、何だか幸せな気持ちになれる。だから・・・もし辛いことがあったとしても、自分で終わりを見つけるまでは絶対に諦めない・・・っていうか、諦めつかないと思うし。」

弥生の瞳には迷いが無い。


悔しいけれど、もう彼女はあの男に魅せられてしまっているんだ、と嫌でも小雪にだって理解できた。



澪は、はぁっと深いため息をつく。

「まぁ、あんたがそこまで言うんなら止めないけど。でも・・・もし泣くようなことになったとしても、自分の責任なのよ?そこの所を、よく覚え

ておきなさいよ。」


「分かってるって。私、絶対後悔なんてしないし、泣かないもん。絶対先生の彼女になってみせるんだから!」

弥生はそう宣言すると、言ってすっきりしたのか、お弁当を開いておかずを食べ始めた。


澪と小雪は顔を見合わせる。



「澪・・・。」


「小雪が不服なのは分かるけど、これは弥生の問題だから仕方ないわね。もう覚悟決まっちゃってるみたいだし。」

苦笑しつつ、澪は言う。


「そう・・・だね。」

小雪には頷くより他、術が無かった。


澪の言っていることは正しいと思った。


自分には止める権利は無い・・・決めるのはあくまで弥生本人なのだから、それを止める事は横暴だ。



小雪も、話のために中断していた食事を再開する。





風の作ったお弁当はいつもはとてもおいしいはずなのに、何だかすごく苦く感じた。






本当は行きたくなんて、無かった。


でも放課後に音楽室に行くことは小雪の習慣だったし、何より、あの男がいるからという理由で行くのをやめるなんて癪だし、腹立たしいのも良い所だ。


というわけで・・・今日もまた小雪は音楽室にやってきている。


綱紀がいませんように!・・・と心の中で祈りつつ、小雪は音楽室の扉を開けた。




開けて中を見渡し、小雪は安堵のため息を一つ落とす。


・・・そこには、誰もいなかった。


中はとても静かで、音といえば開いている窓から入ってくる風にそよがれてはためくカーテンの音だけだ。


安心したように小雪は一人微笑むと、ピアノの方に歩いて行く。


備え付けてある椅子に座り、ピアノの蓋を開け、鍵盤に置いてある紅いカバーを外して側にあった机の上に置いた。



そして・・・弾き始める。


奏でるのはそう・・・「トロイメライ」。




ピアノを弾くのは楽しくて、懐かしくて・・・あの公園と同じくらい、駿を近くに感じられる気がする。


もう・・・駿と小雪を繋いでいるのはピアノだけ。


自分からピアノを取られたら何が残るのだろう・・・たまに考えるけれど、その答えは未だ出ない・・・否、ひょっとしたら何も残らないという事実を知るのが怖くて分からない振りをしているだけなのかもしれないが。



弾き終わって、小雪が軽く息を付いたとき、

「へぇ・・・また来たんだ。」

という声が聞こえてきて、小雪はびくりと体を震わせた。


この嫌味な言い方はあの男しか居ないからだ。



声が聞こえたほうを小雪が向くと、案の定あの男・・・瀬川綱紀が準備室の前辺りに立っていた。


「来て悪いんですか?ここは先生の所有の教室って訳じゃないでしょ?」

無愛想な態度で小雪は言った。



今日は会わないと思っていたのについてない・・・小雪は密かに思う。


本当は、弾き終わったらすぐにここを出るつもりだった。それならば綱紀に会うことも無いだろうと、小雪は考えていたのである。



「当たり前だろう、それは。それに来てはいけないなんて言ってない。ただ僕と話した生徒は必ず次の日にはここに来なくなるから珍しいなと思っただけ。」

綱紀はしれっとした顔で言う。


「先生が冷たく追い返したりするからでしょ?あいにく私は他の人たちみたいに先生に興味があるわけじゃありませんから。来るのは自由ですしね。」


「君・・・性格ひねくれてるってよく言われない?」

真顔でそう質問してくる綱紀に腹が立った小雪は、ピアノを戻して、すくりと立ち上がる。


「先生には言われたくありません!それじゃあ用も終わりましたし、帰ります。」

そして、ドアへと向おうとしたとき、頭に不意に弥生の顔が浮かんだ。



さっき、綱紀は話した生徒は皆次の日から音楽室に来なくなったと言っていた。


要するに、綱紀がいつものように憎まれ口を叩いたということ。


じゃあ、弥生には?弥生は明日も音楽室に行くと張り切っていた。


今日も小雪が行くと告げると、羨ましがっていたくらいだ。


弥生は特別・・・そういうことなのだろうか?



「先生・・・高橋さん(弥生の名字)知ってますよね?」

小雪は立ち止まり、振り向いて綱紀に尋ねた。


「ああ、あの元気な子だろう?知ってるよ。それが?」

事も無げに綱紀は言う。


「先生は、その・・・いえやっぱり何でも・・・!」


「あの子のこと、どう思ってるかってことかな?」


「!」



・・・何でこの人はこんなに鋭いのだろうか。


不適に笑いながら言うこの男の考えていることは小雪には理解しきれないが、きっと小雪の考えはきっとこの男はすべてお見通しなのだろう。


「そっ・・・それは・・・。」


「あの子の事はいい子だって思ってるよ。元気な子だしね。・・・あの子はきっと僕のことが好きなんだろうな。」

綱紀はさらりと言う。


その発言が事実だとはいえ勘に触った小雪は、

「・・・よっぽど自分に自身があるんですね。」

と皮肉を言ってやる。



「自身じゃないよ。事実を言ってるだけ。今まで散々自分の顔について言われてきたからね、自覚しない方が無理じゃないかな。」

が、当の本人である綱紀はまったく気にも留めていない様子で、窓の外を見てぽつりと言う。


窓から見えるグランドでは野球部やサッカー部の練習風景が見える。


もう夕日が沈みかけているというのに、まだ練習が終わる気配は無い。



「思いをぶつける方は楽なんだ。ぶつけられる方がどれだけ苦痛かなんて知らないんだから。」

そう呟いた綱紀は、確かに弥生が言うようにとても綺麗で、不覚にも小雪はどきりとしてしまった。


しかし、そんな考えはすぐに取り除き、小雪はその言葉の意味を汲み取る。


「要するに・・・弥生のことをなんとも思ってないってことですか?」


「何とも・・・とは言わないけどね。」


「じゃあ、好意があるってことですか?」


「さぁ、どうだろうな?」

駆け引きが苦手な小雪は、はぁっとため息をつく。



「結局どっちなんですか?」


「僕の気持ちを君に悟らせるつもりはないから、時間の無駄だと思うな。分からないままにしとけば良いんじゃない?」

綱紀は言った。



確実にこの男に弄ばれている。


分かってはいるのに反撃ができないのは、この男に適わないことを頭のどこかで理解しているということで・・・それがたまらなく悔しい、と小雪は思う。



「そんな風に人を試してて楽しいですか?」

小雪は呆れたように言う。


「うん、楽しい。君は僕の予想どおりの答えを返してくれるしね。」

綱紀は薄い笑みを浮かべた。


「あぁ、そうですか。・・・そんなんだから、結構いたらしい先生のファンがいなくなっちゃうんですよ。」

いぶかしんだ瞳で小雪は綱紀を見つめる。


「良い・・・そんなの僕には関係ない。僕は自分の思ったことを言っただけ。それで勝手に傷つこうが傷つくまいが僕には関係ない。」


「・・・冷たいんですね。」

小雪は遠慮もなく一言そう言った。



確かに関係ないのかも知れない・・・でも、相手を傷つけてしまったという罪悪感と後悔は心の中にいつまでも残るものだ。

綱紀はそうではないのだろうか。


彼は小雪の言葉を聞くと、突然真顔になって、

「冷たくても良い。・・・大切だと思うものさえ傷つかなければ、僕には何も必要ない。」

と冷めた声でそう言った。


そして、興味がなくなったのか否か、そのまま小雪になにも告げず、準備室の中に入ってしまった。


「もう・・・何なの?」

小雪は一人呟く。


言いたいことだけ言って引っ込むなんて自分勝手も良いところだ。


でも・・・と小雪は思う。


最後の言葉だけが妙に印象に残った。



―大切だと思うものさえ傷つかなければ、僕には何も必要ない―



珍しく本気で綱紀は言っているように思えたから・・・。

「あ〜あ、訳分かんない。」

あの男は何なんだろう・・・というか何を考えているかさっぱり分からない。



分かりたいとも思わないけれど。


教室を出た後も、あの言葉だけが、小雪の耳に残っていた。









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