第二十章 独白
「瀬川先生が謹慎になったって。」
そう聞かされたとき、心がざわめくのを感じた。
5、6時間目の間の休み時間、篠田亜由美は弥生の席にやって来てそう告げた。
亜由美は弥生と1年のときにクラスが同じで仲の良かった子であった。
気が強くすっぱり物事を言う彼女の性格が、弥生には好ましいものであり妙に気があったのだ。
時々彼女はこうやって弥生のクラスに顔を出してくれる。
「そう・・・まぁ、仕方ないんじゃない?」
弥生はそう言って苦笑した。
報われなかった恋・・・それはいまだに弥生の心の半分以上を占めていた。
・・・小雪と、好きだった先生である綱紀がキスしているシーンをまさか見ることになるなんて、ついこの間までは予想もしていなかった。
だって小雪は彼の事を嫌っているようだったし、彼女の話す限り、彼も彼女の事を好いているようには感じられなかった。
なのに・・・あのキス。
どういう流れでそうなったのかは知らない。彼らがいつ両思いになったかとか、そんな事も知らなかった。
全く何も、自分は知らなかった。
それなのにあんな場面を見せられたものだから、頭の中が真っ白になってしまった。
直視できなくて、信じたくなくて・・・自分はあの場から逃げ出した。
痛い、痛い・・・心が痛い。ぎりぎりときしむように胸が圧迫されるような気がしてくる。
涙で前を見ることが出来ない。ただ走る、ひたすら走る。
今まで失恋したからといって泣くことも、これほどショックを受けることも無かった・・・でも今回はいつもと違う。
綱紀のことは好きだった・・・顔も好みの系統であったし、普段他人への態度が冷たいと聞いていたから、優しくされて優越感を感じられたのが大きな理由であったと思う。
もしかしたら自分に気があるのではないかと少し思ったのだ・・・一目ぼれされることは相手の年齢に関らず弥生にはよくあることだった。
自分が気になっている相手がそういう態度ならば、ますます恋心に拍車がかかるというものだ。彼女は自分を好いてくれる相手が好きであったから。
だけど、それ以下でもそれ以上でもない。もしかしたら自分は恋愛に相当冷めているのかも知れない。理由が無く好きになることなんて今までになかったから。
でも間接的な振られ方ではあったが実らない恋であったことが悲しくなかったといえば嘘になる。
しかし何より、小雪が自分に何も言ってくれなかったことが一番悲しかった。
親友だと思っていた・・・小雪は自分にとってとても大切な存在だった。でも、彼女にとってはそうではなかったのかもしれなかった。
自分も好きだと正直に告げてくれればよかったのに・・・それなら弥生だって嫉妬くらいはするかもしれないが良いライバルだときっと思えた。
小雪なら譲っても良いとすら思えたかもしれない。
なのに・・・小雪はそうしなかった。
黙って友人が好きだと思っている人と恋愛関係になる子ではない・・・小雪はそんないい加減な子ではないと信じてあげたかった。
でも、自分はそれほど心が広い人間ではなかった。
親友に裏切られた・・・そんな醜い考えばかりが頭によぎってしまう。
だから理由を伝えようと家にやってきた小雪を突っぱねたり、未だに彼女のことを避け続けている。
そんな事をしていたらもしかしたらこのまま一生彼女とともに笑いあうことが出来ないかもしれない・・それが本当はすごく嫌だった。
だけど、傷ついた心が彼女との会話を拒絶する・・・今何を聞いても信じることが出来ない気がして。
遠巻きに澪と小雪が一緒に喋っているのをたまに自分の席から密かに盗み見る。
私は、確かにあの「中」にいた。
一緒に笑いあい、騒いで・・・休み時間終了のチャイムが鳴ったことも気づかないくらいに話が白熱することなんてしょっちゅうだった。
でも、今ではとても遠い・・・前は近くに感じた二人との距離も心も、すごく遠い。
友達という関係は強そうに見えて、案外もろいものだ。
何かあれば簡単に崩れてしまう。そんな関係がほとんど。幾度となくそんな状況を見、また経験もしてきた。
果たして・・・私達もそうなのだろうか。
私は彼女達に出会い、友達とは本来こういう存在のことをいうのだと初めて実感できたというのに。
それは誤解だったのだろうか・・・そう思っていたのは錯覚だったのだろうか。
このまま崩れてしまうのだろうか・・・。
「それだけ?・・・そんな反応ってことは、少しは吹っ切れたって感じかな。」
亜由美がやわらかく微笑む。
普段はきつい印象を与えがちな切れ長のつり目な瞳が細まって、穏やかな表情になる。
小雪と綱紀の噂が広まったとき、彼女はすぐに弥生の元に心配して来てくれた。
綱紀のことを好きだということを弥生は彼女にも話していたから。
ショックを受けている弥生を、励ましてくれ、慰めてくれたのは彼女だった。
「・・・まぁ、少しはね。」
半分本気で半分嘘の回答だった。
あれから何日もたっているというのに、未だに吹っ切れないなんていえるほど、自分は素直な人間じゃなった。
何だか悔しかった・・・自分だけ、小雪や綱紀に振り回されっぱなしなんて。
しかし、これでも数日前より幾分か心は穏やかな状態に落ち着いていたのだ・・・亜由美の話を聞くまでは。
弥生は小雪の席を盗み見る・・・そこは二時間目から空席になっていた。
体調不良で早退したと教師は言っていたが、本当はどうなのだろう、と弥生は思う。
・・・もしかしたら小雪はその事を知っていて、責任を感じ授業どころではなかったのかもしれない。
それとも、本当に体調不良なのかもしれない・・・何が原因かなんて弥生には分からなかった。
ただ、空席という事実がそこにあるだけ・・・小雪はまた何も自分には告げてはくれなかったという寂しさがあるだけだった。
不思議と、ざまあみろという感情は沸いてこなかった。
それよりも、彼女が今どうしているのだろうとか、彼女の立場は大丈夫なのだろうかというそればかり考えている自分に気づき、心の中で舌打ちする。
あんな子なんて、どうなってもかまわないじゃない。
私の事を裏切って、平気で私の好きな人を獲った子の事なんか。
それなのにあの子のことが気になっている私は、本当にどうかしている。
「でもさぁ・・・小雪ちゃんも結構ひどい子だよね。私今回のことまだ怒ってるんだから。弥生が綱紀先生のこと好きだって知ってる癖に・・・。」
頬を膨らませて険しい顔をしてそう言う亜由美に思わず弥生は苦笑する。
「それでも・・・しょうがないじゃん。先生が小雪のことが好きなら・・・。」
全然しょうがなくないくせに平気な顔をする、そんな自分がひどく滑稽な存在に感じられた。
そんな弥生の気持ちに気づいているのかいないのかは分からないが、亜由美は先ほどより幾分か表情を和らげて言葉をつむぐ。
「弥生が良いなら良いけど・・・私は納得行かないな。・・・だから先輩の件だって仕方ないって思うし。」
「先輩?」
先輩という予想していなかった言葉が引っかかり、弥生は亜由美に尋ね返した。
亜由美は頷いて答えた。
「うん。綱紀先生って人気あるじゃない?なのにキス騒動・・・おまけに今回謹慎騒ぎなんかになっちゃって・・・先輩達が近いうちにしめるつもりだってもっぱらの噂だよ。」
いい気味だよね、と笑いかける亜由美の言葉に頷き返すことが出来なかった。






