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追憶  作者: 葉月☆
19/23

第十八章 守


目を覚ましたとき、一瞬ここがどこか分からなかった。




しかし見慣れた白いざらざらとした天井と、部屋特有の香りで、ここが自分の家で、自分は今ベッドに横たわっていることを理解する。


部屋全体は薄暗く、自分がずいぶん意識の無い状態であったことを知る。



頭がぼうっとする・・・熱が出た後に残る特有の気だるさが体を支配していた。


確か・・・あの少女と話していたことは覚えている。


ただ僕が怒鳴ったときからぱたりと記憶が無い。


どうやらそれから気を失って倒れてしまったようだった。


綱紀は昔から体が強い方ではなかったが、倒れることはここ最近無かった。

知らないうちに無理をしていたのかもしれない。



だが・・・久しぶり、というかもしかしたら初めてかもしれない。誰かに声をあげて怒鳴ったことは。素直に感情表現を他人に出来ることが綱紀自身驚きではあった。


思いを上手く伝えられなくて赤ん坊が泣くように、彼女にもやもやしたどうしようもない思いをぶつけてしまった・・・解決策にも何にもならない

ことを知りながら。


自分でも馬鹿だと思う・・・それでも告げずにいられなかった。





誰がここまで運んで来てくれたのだろうか・・・大方同僚の教師の誰かだろうが、知らないうちに自分の家に上がられたと思うと、助けてくれたのはありがたかったがあまり良い気はしないかった。



とにかく、このままおとなしく寝ていても仕方がない。


せめて気絶している間の状況確認だけでもしなくては、とベッドの下に置かれている黒い鞄を取ろうとしたとき、額に乗っていたミニタオルがぱたりと音を立てて掛け布団の上に落ちた。


すっかり湿り気をなくしていたタオルは、体温と暖かさがすっかり溶け込んでいて綱紀は落ちてくるまでその存在に気づいていなかった。


携帯を取ろうとする行動を止めて、タオルを拾い上げる。


赤い花がちりばめられた桃色地の可愛らしい柄のタオルだった。


このタオルの持ち主は一人しか思いつかない。



気絶する前に自分の傍にいたのはあの少女しか居ない。


綱紀はふっと自嘲気味に笑った。

「ほうっておけば良いのに・・・。」


過去のことを引っ張り返し、5年も前に死んだ駿のことを責めて苦しめる自分の事なんて放っておけば良い。


そしたら大げさな話、肺炎になってぽっくり逝っていたかもしれないのに。そしたら「過去」に囚われたうるさい奴がいなくなる。彼女はきっと「今」を生きていける。


それなのに・・・彼女は自分を助けた。



本当にどこまでお人よしなのか・・・自分で言うのも何だが、自分だったら絶対にこんな嫌な男助けたくはない。




気を失っている間昔のことを思い出していた。


何の因果か、彼女と初めて会ったときのことを。


彼女はきっともう忘れているが、実は綱紀は小雪と会ったことを鮮明に覚えていた。


・・・駿がとても大切にしていた子だったから、ずっと会いたいとは思っていた。だからだろうか、他人との出会いなんて執着は無いのにあの日の

ことは思い出せる。



小雪を見る駿の瞳はとても優しく、自分や両親に向けるものとも、ほかの誰かに向けるそれとも違った。


「・・・大切だからこそ、俺は小雪と離れなくちゃいけないんだ。」

だからこそ、駿が寂しげに呟いたその言葉の意味を理解できなかった。その理由を尋ねても彼は答えなかった。


そしてその一年後、サッカーの強い他県の中学へ駿は進学を希望した。



何故、離れなくてはならなかったのかは分からない。だが彼なりに何かを悩み決めたことなのだろうと自分は思っていた。駿はサッカーは確かに得意だったが、それほど執着を持っていたという風には自分には思えなかった。ましてや他県まで行ってサッカーをしたいというようにも見えなかった。


おそらくすべては彼女のために・・・小雪は駿に大切といわせるほどの存在だった。



それなのに、自分は何をやっているのだろう。


彼の大切な存在を自分は傷つけている・・・きっと駿は怒っているだろう。



でも分かってほしいとも思う。


駿にとって小雪が大切な存在だったように、自分にとっても駿は失いたくない大切な存在だった。


綱紀の存在意義を見出してくれたのはまぎれもなく彼だったから。


そんな存在を失って、それを奪った人間を憎むなというほうが無理だった。



綱紀はタオルを枕の横に置くと、今度こそ鞄から携帯電話を取り出し、電話を掛ける。


4回ほど呼び出し音が鳴った後、相手が出た。


「もしもし。」


「もしもし・・・ってお前綱紀じゃないか?元気になったかよ?」

電話口に出たのは田村だった。


一応高校時代の担任である彼は、何だかんだ言ってあの高校で唯一彼にとって頼りになる存在である。


「はい、おかげさまで。」


「相変わらずそっけない返事だな。・・・まぁ、お前らしいというかなんというか。この俺が運んでやったんだから感謝しろよな。」

田村が運んでくれたという事実に綱紀は安堵する。


彼なら、何度か部屋に来ているしなんら問題は無い。あまり知らない人間に連れてこられるより全然ましだった


「仕事が終わったらそっちに行くからな。有森はまだそこにいるか?お前の家に残るって言っていたんだが・・・。」


「えっ・・・?」

綱紀はその言葉に布団から出る。


そして電気をつけた。


すぐに明るくなり、今まで暗闇の中に居た綱紀には眩しくて思わず目を細める。



この部屋にいないならば、後は台所しか人が居られるスペースは無いはず。


それほどこの家は狭かった。


実家から一切援助を受けていないため、バイトのみで生活するなら多少古くてもこのくらいのアパートに住むよりほかない。


実際叔母たちは全て負担させてくれと言ってくれたが、綱紀の気持ちが許さなかった。


これまでずっと実の親子でもないのに良くしてくれた二人にこれ以上負担を掛けたくなかった。

わがままを言って大学まで出してくれた第二の両親のためにも、自立する道を選択したのだった。



がらりと台所と居間を仕切るガラス戸を開けた。



やはり彼女はそこに居た。


電気もつけず、台所に1つだけ置かれた背もたれのついた小さな椅子に、少女は無防備な状態で座って眠っていた・・・居間の明かりが無かったらしばらく気づかなかったのかもしれない。彼女は小さな寝息しか立てていなかったから。



こくりこくりと前に倒れるものだから、椅子から今にも転げ落ちそうなのに、不安定ながらもきちんとバランスをとっていた。



綱紀はふっとため息をつくと、

「・・・居ました。」

と一言答えた。


「おっ、そうか。それならもう夜遅いし、俺が送るからそこで待っていろって言っておいてくれ。もう少ししたら仕事が終わるから。」

それじゃあ後でな、そう田村は告げると一方的に電話を切ってしまった。


田村らしいと思いつつも流し台に携帯を置き、台所についている電気コードを引き、こちらも電気をつける。

明るさが灯ったとき、綱紀はガスコンロに朝まで無かったはずのアルミ製の鍋がかかっていることに気づいた。


蓋を開けて中を見る・・・やはりというべきかお粥が作られていた。

出来てそれほど間が空いていないようだ。まだ冷めておらずかすかに湯気が出ていた。



綱紀は静かに蓋を閉めた・・・そして、眠っている少女の顔を見る。


まだあどけない表情をしている。高校生であることを忘れそうな幼い顔つきなのに、時折自分よりも強い存在であるように感じられる。


責められても泣かず、それでも駿が好きだと彼女は言った。


何でその気持ちを素直に信じてあげられないのだろう。


もしかしたら一番遠いと思っていた彼女の存在が最も近い存在であるかもしれない。



駿を今でも忘れず大切に思ってくれている・・・そんな自分と同じ少ない人間の中の彼女を、自分は傷つける。


綱紀は身震いをする。

そして暖房器具も無い台所は、いくら室内とはいえ少し肌寒く感じられることに気づく。


少女のことに思案を廻らせていたためそこまで頭が回らなかったようだ。


このまま寝ていては少女が風邪を引いてしまう。


そう思い、綱紀は小雪の肩を掴み揺さぶって起こすことを試みる。



「ねぇ、ちょっと起きてよ。こんなところで寝ていたら風邪を引くよ?」

少しして、小雪はその甲斐あってかうっすら目を開けた。


寝起きであるため頭が働いていないのか綱紀の顔をしばらくぼーっと見ていた小雪だったが、目を見開いて突然慌て始めた。


「あっ!私いつの間に寝てたんだろう・・・すいません。先生、体の具合どうですか?」

眉を下げて小雪は綱紀に尋ねる。


「・・・おかげさまで、だいぶ楽になったよ。」

綱紀は苦笑して小雪にそう言うと、彼女は本当に嬉しそうな笑顔で微笑んだ。


「そうですか。倒れてしまわれたとき、本当にびっくりして・・・少し元気になったみたいで、本当に良かったです。」

そのように笑顔で言われると、綱紀はどうして良いか分からなくなる。


何でそんなに嬉しそうなの?これだけ嫌な男のこと、君は心配していたっていうの。

冗談じゃない。

それじゃあ・・・君を憎む僕が馬鹿みたいじゃないか。憎まれてるのを知っているくせに心配なんかしてくれる人間を恨み続けるなんて・・・そんな甲斐のないことを繰り返している。


駿をなくした悲しみが心からなかなか出て行かない。むしろずっと根深く自分の心を支配し続けている。だから彼女を許すことが・・・出来ない。



「風邪だそうですけど・・・疲労が原因らしいです。しばらくは安静にしておいた方が良いみたいですよ。」


「そう・・・。」

それを機に、会話が止まってしまう。


どちらも目をそらさず、お互いの顔を無表情で見つめたまま黙っている。


この沈黙に彼女は何を考えているのだろう。


しばらくして、小雪は目をそらした・・・下を見てうつむく。


そして口を開いた。



「私、もう音楽室には行きません。先生にも会いません。」

有無を言わせないはっきりした口調だった。


静かな台所に、彼女の高い声が響き渡って、消える。


「へぇ・・・逃げるんだ。」

綱紀の言葉に小雪は体をびくりと震わせる。


スカートの裾をぎゅっと握り締めた。いまだ目線は下に向いたままだ。



「僕にあれだけのことをされても音楽室に来たってことは、一度は僕と・・・というより駿の死と向き合おうとしたってことだよね。でもそれをやめるっていうことは・・・現実から逃げたってとっても良いのかな?」

そこまで言うと、小雪は初めて顔を上げた。先ほど見せた笑顔と変わらぬ笑みを浮かべたまま綱紀を見つめた。


「そうです、私逃げるんです。辛い現実に耐えられなくなったんです。駿が死んだのは私の責任だけど、私はあなたにどうしてあげることも出来ない。駿を返してあげることも出来ない、私が死んで彼が喜ぶなら後を追ったかもしれないけど、それは彼の意思に反する。・・・だから、私は逃げます。貴方の前から消えます。」

楽しく世間話をするような明るさで、小雪は言った。


でも、その言葉は辛らつなものだった。



「先生、私と貴方は会ったことがありません。だけど私は貴方の弟を奪った敵です。だから憎んでもらってかまいません・・・ただ私がどこに居るかわからないから、貴方はその怒りをぶつけたくても、ぶつけられないんです。いつか仕返しするのを夢見て、毎日を過ごすしかないんです。」


「ずいぶん・・・身勝手だね。」

まさかそんな事を言われるとは思わなくて少し呆然としながら綱紀は言った。


その言葉に、小雪は初めて困ったような表情を浮かべた。

「・・・身勝手です。本当に身勝手なんですけど、そういう風に考えてもらいたいです。私は消えるんです。貴方の前には現れていなかったころに戻るだけです。・・・私、先生に会わなければ、駿についてこれほどまた考えることはなかったかもしれない。だからそのことについては先生に感謝しているんです・・・皮肉じゃないですよ。駿に救われたことの重みを改めて実感できたんです。私は生きているんじゃない。誰かによって生かされているということが良く分かりました。誰でも、本当の意味でそうなのかもしれない。親や兄弟そのほか自分の大切な人の存在が自分を助けてくれたり、支えてくれたりするから、人は生きられるんだなって・・・そう思うんです。」


「・・・。」

綱紀は反論することが出来なかった。


小雪が言うことが、正しいことのように思えたから。


彼女なりに出したその答えが、彼女の思い全てであるような気がした。



「話がそれちゃいましたね。勝手なことばかり言ってすいません。怒鳴られてもなじられても仕方ないと思ってます。意気地なしで手前勝手、その上人に責められることに慣れていない。それが私なんです。だから、先生に何を言われても私はこれから貴方の前に現れないし、私達は明日から初対面です。」

小雪は椅子から立ち上がった・・・綱紀はその行動を黙って立ったまま見つめていた。


彼女は綱紀のほうを向き、深く礼をした。


「本当にごめんなさい。・・・もう先生大丈夫みたいだから私、帰りますね。たぶん後から田村先生が来ると思います。それじゃあ・・・さようなら。」

それだけ言い残すと、そのまま玄関に向かって靴を履き、小雪は部屋を後にした。

彼女は一度もこちらを振り向くことは無かった。


綱紀は何も言わずに、彼女の背中を送り出した。


とても小さく、頼りなさげな背中が、今日は力強く感じられたのはどうしてだろう。



知っていた・・・彼女が簡単に逃げるという言葉を口にしたわけではないことくらい。・・・瞳に涙の後がうっすら残っていたから。



分かっていた・・・すべては自分を思ってしてくれたことだと。



彼女は、綱紀が過去ばかりに囚われ続けていることを気にしていたのだろう。だから自分にされた仕打ちをなかったことにして、恨みの対象である彼女自身を一度も会ったことが無い人間であると名乗ったのだ。




彼女は一度も綱紀を責めることが無かった。・・・自分の言葉全てで、綱紀を守った。



「もう馬鹿だ・・・本当に馬鹿だ。」

自分を傷つけて、それでもこんな男を守るなんて、本当に馬鹿だとしか言えない。


真っ直ぐで、他人を疑うことを知らず、どこまでもお人よし・・・。












駿が何故小雪を大切に思っていたのか少しだけ、分かったような気がした。








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