第十七章 追憶
久しぶりに見る赤い屋根の二階家、よく手入れされた花がたくさん植えられた華やかな庭・・・見慣れていたはずなのに懐かしさを感じずにはいられなかった。
正月、綱紀は実家に帰ってきた。
イギリスに留学して一年・・・許してくれた条件として提示されたのは、学校が長期休みのときには必ず帰ってくることというものだった。
叔母夫婦は綱紀がどこか自分達に遠慮している部分があることを知っている。
だからこそこういう条件を提示してくれたのだと綱紀は理解していた。
離れても自分が帰ってきやすいようにという叔母夫婦の心に、胸が熱くなったのを覚えている。
白い門の留め金を外して中に入ろうとしていたが、
「綱紀兄ちゃん!!」
と、自分を呼び止める声が聞こえて思わず足を止めて、その主の方を見た。
案の定、それは駿だった。
幼少期から変わらない無邪気な笑顔を浮かべてこちらに走りよってくる。
「おかえり!!今日帰ってくるなんて知らなかったよ。」
駿は笑いながら言った。
「驚かせようと思ってさ。駿、元気だったか?」
「うん。また一緒にサッカーしようよ。」
「ああ・・・。」
そんな会話をしていたとき、少し離れたところから女の子がこちらを見ていることに気づいた。
綱紀の視線に気づいたのか、駿も後ろを振り返った。
そして少女に向って手招きをし、こちらに来るように促す。
少女はゆっくりと綱紀たちのほうにやってきた。
年は駿と同じくらいだろうか・・・黒く綺麗なロングヘアを持つ、色の白い少女だった。
目が大きく、可愛らしい部類に入る顔立ちをしている。
「兄ちゃん、この子覚えてる?近くに住んでる有森小雪。俺と同級生なんだ。」
駿は綱紀に少女のことを紹介した。
少女は綱紀の顔を見てにこりと笑うと、
「有森小雪です、こんにちわ。」
そう言って軽く会釈した。
「ああ・・・よく駿が電話で言っている子がこの子か。たぶん直接は会ったこと無いよね。はじめまして、駿の兄の綱紀です。」
綱紀も少女に習って丁寧に挨拶を返した。
「はじめまして。あっ、そういえば・・・駿はお兄さんに私のことなんて話しているの?」
小雪は綱紀から目線を離して、駿を見て尋ねた。
「えっ・・・それは・・・。」
駿は戸惑ったように目線を泳がせる。
彼の態度を不思議に思ったのか、小雪は首を傾げた。
こんな風に慌てた駿を見ることがとてもめずらしかったので、思わず綱紀は笑ってしまった。
駿は大人びた考えを持つ少年に育っていた。
大したことでは動じず、笑顔を浮かべて交わせるというのに・・・どうもこの少女にはそれが
仕えないらしい。
そういう素直なところは体も心も成長したというのに、変わらない彼の良い所でもある。
気の毒になった綱紀は、すかさずフォローを入れた。
「小雪ちゃんと君の従兄弟とよく遊んでいるって聞いているよ。この間のクリスマスは皆でパーティしたんだって?」
そう綱紀が言うと、小雪の顔がぱぁっと明るくなった。
「そうなんですよ!すごく楽しかったです。来年も出来たら良いなぁとか思っているんですけど・・・。」
そこまで言ったとき、6時の鐘が鳴った。
「いけない、もう帰らないと母さんが心配する。・・・それじゃあ駿、綱紀さんさようなら。」
小雪は手を振って別れの挨拶をする。
「うん、また明日な。」
「さよなら、小雪ちゃん。」
二人の言葉に元気よく頷くと、小雪は踵を返して背を向けて駆け出した。
「今のが・・・駿の大切な子?」
綱紀が不意に尋ねると、駿は驚いた表情を浮かべて彼を見上げた。
「電話でよく言ってる、すごく好きな子ってあの子のことじゃないの?」
もう一度、確認するような口調で綱紀は駿に問う。
「何で?・・・好きだとは言ってないよ。」
駿はそう言ってうつむいた。
しかし彼の耳は真っ赤で・・・何も言わずとも肯定しているのと一緒だった。
小雪の話は、事実駿からよく聞かされていた。
彼女の話をする駿はとても楽しそうで、幸せそうで・・・彼女のことがとても好きなのだと気づかされた。
駿が大切な人を見つけたということは、兄である自分から離れていくような一抹の寂しさを感じさせた。
だがそのことに関して嬉しさももちろん抱いていて・・・彼には初めて生まれたと思われる恋心を大切にしてもらいたいとも思っていた。
「そんなの、聞かなくても分かるよ。血は繋がらなくても・・・僕たちは兄弟だからね。」
綱紀が微笑んで言う。
「・・・そっか。」
納得したように頷きながら、駿は苦笑した。
否定をするのを諦めたらしい。
「・・・小雪は、明るくて優しくてまるで太陽みたいな子。兄ちゃんが言ったみたいに、俺にとって大切な子だよ。」
声は明るいというのに、彼の表情はどこか辛そうで・・・それが綱紀には不思議だった。
「でもね・・・。」
駿はそこまで言って言葉を区切った。
綱紀から目をそらし、小雪が去っていった方向を見つめる。
その横顔は、綱紀が今まで見たことがないような憂いを帯びたそれであった。
「・・・大切だからこそ、俺は小雪と離れなくちゃいけないんだ。」