第十二章 陰謀
みんなの視線・・・特に女子の視線が極端に冷たくなったことに小雪が気づいたのは、その噂がたってすぐのことだった。
彼女を良く知る人物からの態度は弥生を除いて変わらなかったものの、それ以外の人達は、小雪を見ては陰口を叩いたり、くすくす笑ったり、冷やかしたりした。
まさしく、澪が言ったとおりになってしまったのである。
それだけではない・・・小雪のものが無くなるという困った事態まで起こった。
筆箱、体操服、上履きなどなど・・・他にもいくつか無くなり、いずれも隠されたものが見つかることは無かった。
小雪への嫌がらせの方法は陰湿なもので、おおっぴらではなかったために犯人を特定することも困難で、澪にも未だ対処が出来ない状況だった。
最初は平気な顔をしていた小雪だったが、日に日に元気を無くしていった。
それでも、澪の前では笑顔を作る・・・小雪は心配をかけまいとしているらしいが、むしろそんな彼女の様子に心配が増しているという事実を本人は知らない。
そんな小雪を見ている澪はどうしてもやれない自分がもどかしく、早く犯人を見つけなければという決意を新たにするのだった。
しかし、なかなか良い情報が手に入らない。
小雪か綱紀個人へ対する恨みのものなのか、それともただ面白半分に見た事実を触れ回ってみただけなのか・・・こう考えてみると犯人の特定は難しくなる。
嫌がらせの犯人を突き止めてみようと踏んでいるが、そちらの方はここ一週間あたりで分かるだろう。
大体小雪のものが無くなるときにはペースがある・・・当人は気づかれないようにしていてもそういう手口に慣れていない人間はどうしても爪が甘くなってしまうものだ。
そのペースを読むために、しばらく犯人を野放しにしてみたが澪はもう限界だった。
濡れ衣で小雪が辛い思いをしているのも、それを止められない今の状況も。
おそらく犯人は複数・・・大方綱紀に好意を抱いていた人間の仕業だろう。
しかし、嫌がらせの犯人と噂を流した犯人は違うだろう・・・そうでなければ、噂が広まる前から今のようなことが起こってもおかしくない。
とりあえず・・・まずは嫌がらせを無くす方が先だ。
噂を流した人間が面白半分であったならまだ良い。・・・それが恨みによるものなら、もっと面倒なことになるかもしれない。
もしそうだとしたら・・・。
「澪、どうしたの?次体育だから移動しないと・・・。」
小雪がそう尋ねてきたとき、澪はハッとした。
いつの間にか1時間目の授業は終了していた・・・次は2時間目の体育、更衣室まで移動しなければならない。
教室にはもう二人以外だれもいなかった。
小雪は最近澪がしょっちゅう難しい顔して考え込んでいることを知っている。
何か裏で動いてくれていることも知っている・・・具体的なことは良く分からないが。
いつも自分のために澪は奔走してくれている。
そして自分の事を助けてくれる。
小雪は自分のために苦労するのはやめてくれ・・・と前に澪に言ったことがあった。
しかし、その時小雪は逆に彼女に怒られてしまった。
友達のために何かするのは当然のことだ、と。
そう言われてしまったら、小雪にも何も返す言葉が無い。
確かに、澪や弥生が困っていたら自分は彼女達を助けるためになんだってするだろう。
それと同じことだ、と澪に言われた気がした。
だから、それから何か気づいても澪にそのことについて尋ねることは無かった。
「ありがとう・・・。」
だけどこれだけは・・・お礼を言うことだけは許して欲しい。
そうでなければ自分の気がすまない。
自分に出来る彼女へ出来る感謝をあらわすことはこのくらいしか出来ないから・・・。
「何で礼なんか言うのよ・・・変な小雪。」
慌てて体育の準備をしていた澪は、一瞬片付ける手を休めて驚いたように小雪の方を見たが、しばらくした後、そう言っておかしそうに笑った。
「何でも無い・・・ただ言いたかっただけ。」
小雪は澪に微笑んで言う。
「そう・・・まぁいいけど。準備も終わったし、そろそろ行こうか。」
それ以上追求することなく、澪は席を立って小雪を促す。
「うん。」
小雪も彼女に付いて教室を出た。
休み時間ということもあり、廊下には数人の生徒がいた。
澪と小雪は急ぎ足で廊下を突っ切り、階下にある更衣室に向って階段を下りていたが、途中すれ違った女生徒二人の言葉に思わず足を止めずには入られなかった。
「瀬川先生、校長室に呼び出し食らったんでしょ?」
「そうそう・・・なんかやっぱあの噂のせいらしいよ。」
「あぁ、何かうちの生徒に手を出したっていうあの噂?」
「それ、それ・・・なんか校長に話が伝わっちゃったらしいよ。謹慎くらったって・・・でもさ、教育実習生なのに謹慎ってやばくない?」
「だよね。後実習期間2週間切っているっていうのにさぁ・・・ていうか生徒に手を出す奴に先生になって欲しくないよね。」
「これを機にやめてくんないかな?生徒が迷惑。・・・てか先生馬鹿じゃん?」
「思う〜。」
二人組みの女生徒の甲高い笑い声が遠ざかっていく中、小雪は動くことが出来なかった。
そんなに大変な事態になっているなんて知らなかったのだ・・・まさか校長に呼び出されて謹慎処分になるほどなんて。
澪は目を見開いたまま呆然と立ち尽くしている小雪の顔を心配そうな顔で覗き込んだ。
「・・・大丈夫?」
「私・・・行かないと。」
「えっ、行くって・・・瀬川先生の所に?」
小雪が頷くと、澪は小雪の前を遮るようにして立った。
「駄目・・・小雪は全然悪くないんだよ?あの人は小雪の気持ちを全然知らずに小雪を傷つけたんだよ!?なのになんで小雪があの人のところに行かなくちゃいけないの!?・・・余計傷つけられるだけだよ。」
「でもね・・・あの人を追い込んだのは私なんだ。大切な人を奪ったのは私なんだ。・・・だったら、私はあの人のために出来ることをしなくちゃ。きっと・・・駿はあの人が悲しむことを望まないから。」
険しい顔で叫んだ澪に、優しく微笑んで小雪は言った。
そんな小雪の表情をしばらく見ていた澪だったが、はぁっとため息を吐いた。
「小雪・・・いつもあんたの考える基準は駿君なんだね。それだけ・・・好きだって事なんだ。それは・・・小雪の大切な気持ちは否定しない。・・・行っておいで。先生には適当にごまかしとくから。」
澪は苦笑しつつ、そっと小雪の通るための道を開けた。
「ごめん。」
小雪は一言謝ると、様々なごちゃごちゃした感情を振り切るように走り出した。
彼女は振り向かなかった・・・きっと澪をまた悲しませた。
だけど・・・それでも行かなくてはならない。
変わらない物なんていない。
時を止めることだって出来ない。
それなのに・・・私達だけ過去に囚われているのはおかしい。
その不自然さに気づかないまま、私は生きてきた・・・でも、もうこのままではいられない。
前へ進まないといけないのだ・・・私も、彼も。