拾玖
イリアスと交流を図れたところで、そろそろ移動しようと思い立ったそのとき、新しい気配を二つほど感知した。
しかも残念ながら、それは人の気配では無い。
振り向けば先ほどと同じタイプの魔物が新たに二体、喉の奥で唸り声をあげながらこちらに迫ってきていた。
「新手か」
二体を見据えるリオトの隣で、同じように気づいたイリアスが再び肩を震わせた。
「大丈夫。オレが守るよ」
安心させてやろうと、微笑みかけながら自身よりもわずかに背の低い彼女の頭を撫でてやると、強ばった表情が心なしか和らいだ気がした。
安全のために少し下がるように言い聞かせると、右手に鞘から抜き放った短刀を、左手には投擲ナイフを握り、構えながら迫りくるワニ型の魔物たちと距離を詰める。
そして右足に力を入れ、飛び出さんとする三秒前、響いた銃声。
こちらへ迫っていた魔物のうちの片方が突然足を止めて叫び呻き、その場で苦しそうに体をばたつかせた。
「片っぽは俺様に任せな!」
降ってきた声を頼りに目を向ければ、小高い岩のようなものの上で肩にかけた紅のオーバコートをはためかせながら、アシュレイが古式銃を手に意気揚々と構え立っていた。
「アシュレイ!? っ!」
仲間を害されたことに憤慨したか、無傷の方の魔物が再び雄叫びをあげてリオトに向かってくる。
左手のナイフを、見た目にそぐわず小さなかわいらしい魔物の足へ投擲。甲にナイフが食い込み、魔物が痛みにグォウと悲鳴をあげて足を止めた隙にもう二本ナイフを手に取る。
狙いは一般的なワニの急所――ワニじゃなくても急所だが――である二つの目玉。それに一本ずつまっすぐに放つ。
生々しい音を立てて目に刃が刺さり、魔物は無論喚き声を上げて転倒し、その場にのたうち回る。最後に短刀を構え、飛びかかりながらとどめの一撃。
「黒いのは無事勝利、と。さて、お前はどう調理してやろうか」
小高い岩の上から飛び降りた彼はそんな挑発を自分を睨む魔物にくれてやる。
ほとんどの魔物は知能が低いとされているので、彼の言葉を魔物が理解できたのかは知らないが、魔物は大きく太い尾でぱしんぱしんと白い地面を叩くと、こちらからいくぞとでも言いたげに猛スピードで突っ込んでくる。
「猛る炎!!」
叫ぶアシュレイの足元に浮かぶ赤い詠唱陣。同時に、魔物めがけて向けられている彼の右手の古式銃が淡く赤い光を纏う。
カチリと安全装置を外すと、銃口に同じ色の光が収束し、手のひらに収まるほどの光の球体になった。
そして、魔物が鋭い牙のはえ揃った大きな口をガバリと開けてアシュレイに食らいつかんとしたその時、引鉄が引かれ、光の球体が大きな炎弾となって放たれる。
飲み込まれ、焼け焦がれ、炎弾が光の尾を引いて消えた時には、魔物の姿は塵も残さず消え失せていた。
リオトは短刀をしまいながらアシュレイを観察し、その変わった戦闘技法について思考を巡らせる。詠力と火属性の力を練り上げて銃にこめ、術を起爆剤にして撃ち出す。さしずめ詠術の弾丸、といったところか。
「巣が近いのかもしれない。とりあえずここから離れよう」
イリアスに目をやると、彼女はやや不安げな面持ちながらも頷いた。
「アシュレイ! 次が来ないうちに逃げるぞ!」
「ほいよっと!」
イリアスの手を取り先導しながら駆け出したリオト。そのあとを周囲に現時点で敵影が無いことを確認したアシュレイが武器をしまいながら続く。
「お前、愛しの師匠はどこに置いてきたんだ?」
肩を並べて走りながらからかうように問いかけてくる。リオトは鋭くした視線だけを向けて返した。
「なにが《愛しの》だふざけんな! あとそれこっちのセリフだ! なんで師匠はおろかゲオルグも一緒じゃないんだよ!」
「目ェ覚めたらカイナもゲオルグも、ましてや俺様の大事なブレイヴァーレ号すらも見当たらなかったんだっつの! 油断して一人虚しくうっかりぽっくり逝っちまったんかと思ったわ!」
どうやら、目覚めたときの状況はこちらとまるで同じだったらしい。
自分だけであればまだしもアシュレイも共にこの場所にいるとすると、三途の川を渡ってしまったと決定づけるにはまだ早いかもしれない。
「とりあえずもう少し離れたら休憩して、師匠とゲオルグたちと、それから船を探しながらここを探索しよう」
「だな!」
周囲はほとんど日が暮れたときのように薄暗くて、気を抜くとどの方向から来たかもわからなくなりそうな、ほとんど草木も生えていない寂寞な原野を三人は駆け抜けた。
*
土地勘の無い三人がひたすら走ってやがて辿り着いたのはゴツゴツとした岩が点々と立ち並ぶ、しかし変わらず荒野に近い原野だった。
さっきまでいたなにもない平地よりは身を隠すことができたりとまだマシなので、この場で一度休憩を挟むことにしたのだった。
「もっかい確認するぞ。オレ達は確かに船でノーデル海洋を北東に進んでいた。そのさなか、突然クジラなる巨大生物の夜襲を受け、抵抗も虚しく海の藻屑となったはずだった。で、気づいたら天国とも地獄とも判別しがたいこの世界にいた」
岩の影に身を寄せ合い、ちょうど座れそうな形に出張った岩の上にイリアスを座らせると、腕を組んだリオトはアシュレイに目だけを向けて同意を求める。
「ああ。最初はぶっちゃけ《ああもうこりゃ死んだな》って思ったけど、それにしちゃこの世界はなんか妙だ」
「同感だ。イリアスは……、喋れないね。まあ似たような状況だとは思うんだけど……。アシュレイ、改めて、この子はイリ───」
「初めまして可憐なお嬢さん。ごたついてたもんで、挨拶が遅れて申し訳ない。俺は荒くれ者たちを束ね、海を統べる海賊王。名をアシュレイと申します」
リオトの言葉を遮ったアシュレイはシュバッと目にも止まらぬ早さでイリアスとの距離を詰め、彼女の足下に跪いて白く細い左手を両手で掬いあげ、握る。
そして少し細めた目をイリアスに向け、フッと口元を解く。
一方イリアスは不快な表情はしていないものの、彼の言動に不思議そうに目を丸めて首をかしげていた。
「一目あなたを見た瞬間、俺の心はあなたに囚われてしまった。しかしあなたを怯えさせたくはない。まずはどうか、お近づきの印にお名前───をおおうっ!?」
周囲にキラキラと輝く何かを散りばめて、アシュレイは少しずつ、自然な体運びで顔を近づけていたところで彼の体が突然後ろへ引っ張られた。
「はいはい口説くのはもう少しこの件が落ち着いた後にしてくれ。今はゆっくりしている場合じゃないんだからな」
「リオトサンマジ怪力ぃ……」
たやすく自分を猫つまみで持ち上げたリオトにアシュレイは青い顔をして口をひきつらせる。
彼女の眉が顰められているのは持ち上げた人間が重かったのではなくただ呆れているだけだとわかったからだ。
「お前が華奢なんだろモヤシ女ったらし。どうやらこの子は口がきけないらしいから、くれぐれもそれをいいことにオレの目を盗んで手を出さないように。すまんなイリアス、これのことはそんなに気に止めなくていいから。バカの人ってだけ覚えとけばいい」
「おいいいぃ!!」
「なんだバカタレイ。暴れるな。放るぞ」
「なにこいつ対応がカイナと変わらねぇ!?」
「お前、カイナさんの知り合いにしては結構やかましいよな」
「そのうえ可愛げもありゃしねぇな!!?」
ぎゃいぎゃいと言い合っていると、不意に服の裾を引っ張られたことに気づく。控えめに裾を握る手は小さく白く、その正体はイリアスだった。
だが、彼女は顔を伏せていて、その表情はうかがいしれない。
「イリアス? どうした?」
呼びかければゆっくりと顔を上げたが、しかし翡翠の瞳は悲しげに、辛そうに下を向いている。
アシュレイを降ろしたリオトは裾を握る彼女の手をとり、空いている手で頭を撫でた。
自分が俯くと、師匠はいつもこうして落ち着かせてくれる。だからこういうとき、この方法が一番に思いつくのだ。
「なにか、伝えたいことがあるんだろ?」
ようやく、イリアスと目が合った。
彼女の肩口から碧の髪が一房、するりとこぼれ落ちる。
「教えてくれる? イリアス」
スッと、イリアスが腰を上げた。
そしてリオトの手をぎゅっと握り返すと、導くようにその手を引いて歩き出した。




