拾
*
《今日からてめえは俺の弟子だ! せいぜい弟子らしく師匠の言うことを聞くんだな》
《おン? そういやまだ名前言ってなかったか?
俺の名は───》
《エルデュラン・グランエア・ベルセルクってんだ───》
*
風に頬を撫でられ、目を覚ました。
少しべたつく潮の香りのそれは間違いなく潮風だろう。
起きろと催促するように、次いでかもめの高い鳴き声がする。
もう朝か。
眠るのが遅かったせいでまだ少し眠いが、動けば目も覚めるだろう。名残惜しくはあったが体を起こし、弟子がいるはずの隣を見る。
が、
「…早いな」
そこには誰の姿も無く、手を当ててみるとすでに温もりは無い。随分早くに起きて朝餉の支度をするフレディーを手伝いに行ったのだろう。
あっちが早い、というよりはこちらが目を覚ますのがいつもより遅かったのだろうが…。
ベッドから出て、リオトが換気がてら開けたのであろう窓から外を見た。
自分たちをのせたこの船はアシュレイの言う通り夜明け頃には出港したようだ。穏やかな波の上を船はゆっくりと進んでいる。
海へ出たのは久しぶりだ。師と死別して、一人ふらふらと渡り歩いていた頃以来か。
「…そういえば、《あの人》は船が苦手だったか」
不意に思い出して吹きだす。
きっと、昨夜にアシュレイと彼のことを話して、今朝は彼の夢を見たからだろう。
ずいぶん昔に、一度だけあの人と一緒にこの船に乗ったことがあったが、そのときは終始青ざめた顔で口元をおさえて仏頂面をしていたものだ。
あの人の夢を見たのはずいぶん久しぶりだ。昔は頻繁に見ていたが、リオトと出会って、《一人じゃなくなってから》はぴたりと見なくなっていたのだ。
なにかにつけてこれも弟子の務めだとなんでもかんでも押し付けて人をこき使うとんだ性格破綻者で、気が短くすぐに口や手や足の出る悪ガキのような人だったが、あの日、《世界の果てを見ることが唯一の夢だ》と語っていたときだけは少年のように無邪気の顔をしていた。
少しだけ、懐かしい。
朝餉を済ませたら、リオトを連れて甲板へ出よう。昨日はよく見ることが出来なかったが、改めて見る海に感激して目を輝かせる愛弟子の無邪気な姿が容易に想像できて、つい笑ってしまう。
「今の私を見たら、あなたはなんと言うのだろうか。《エルデュラン》…」
とそのとき、扉からコンコンとノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
ガチャリと扉が開いて、陰から黒い頭がひょこりとのぞく。
噂をすれば影が差す。控えめに顔を出したのはやはりリオトだった。
「よかった。起きてたんですね。まだ寝てたら起こすの忍びないからどうしようって思ってました」
目が合うなりぱぁっと嬉しそうに笑顔を咲かせる弟子につい笑みがこみ上げる。
「おはよう、リオト」
「おはようございます。朝ごはんですよ。みんな待ってます」
朝食と聞いて、腹の虫は鳴かなかったが途端に激しい空腹感を感じた。思えば、昨夜は疲れて食欲もなかったから、昼食以降なにも食べていないのだった。
「ありがとう。すぐに行く。その髪型、とてもかわいらしくて似合っているぞ」
今のリオトはいつもの服装におそらく借り物であろう簡素なエプロンを身に着けて、いつも結い上げている黒い髪も今朝は左側にまとめられている。詳しくはわからないが、お団子にした根本から少量の髪がお下げのように垂れているように見える。
一瞬で顔を真っ赤にしたリオトは慌てて体を傾けて自身の影に髪を隠し、しどろもどろになる。
「いやあの、これはそのっ! フレディーに女だって見破られて、髪纏めてあげるって言うので任せたら、こ、こんなことになってて…、なんかっ、解き方もよくわからなくて…!」
まあ確かに、いかに男かぶれであっても短い時間とはいえ傍に居れば、服の上からでもわかる体の小ささやくびれでさすがに気が付くだろう。
それにしてもこれが女性であると見破り、また着飾ることに疎く、そして照れ屋であることを見越してわざとかわいいが解き方がわかりにくい髪のまとめ方をするあたり、さすがフレディーというところか。
女性と趣味嗜好が類似しているため髪や服を着飾ることが好きだが、彼自身が女性であったならまだしも男しかいないこの船ではそういった相手がいなくてつまらなかったのだろう。
完全に標的にされてしまっている。この髪型を完成させたときの彼の満足気な表情が目に浮かぶようだ。
ご愁傷様と心の中で手を合わせる反面、普段見ない女の子らしいリオトの姿も悪くない。
「ん。かわいい」
「黙らないと殺しますよ」
…照れ隠しとはいえ、この粗暴な口調だけでも矯正するべきか。腕を組み、考えて。
「さて、朝食だったな。顔を洗ったらすぐに行く。先に行っててくれ」
弟子の再教育については検討するとして、とりあえず、廊下から漂ってくる食欲をそそる匂いを放つ朝食を旧友たちとにぎやかに頂くとしよう。
ベッドの隣のクローゼットから適当なタオルを手に取った。
「みんな待ってますから、急いでくださいね!」
「ああ」
きちんと扉を閉めて、リオトが部屋を出た。
カイナはもう一度窓辺へ移動すると、カモメが羽ばたく空を仰ぐ。
「しばらくはあの子が相棒だ。どうせ上では退屈なのだろう? なら、高みの見物がてらせいぜい見守っていてくれ。我が師よ」
粗暴だったけど、雑に扱われもしたけど、それでも、彼と共にあった日々の中に見出したものもあった。彼から学んだことも少なくなかった。
彼という師を誇りに思い、彼と過ごした日々は決して忘れはしないだろう。
そしてその恩を返すために、彼から引き継いだ夢を、絶対に叶えてみせよう。
愛すべき愛弟子と一緒に。




