玖
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さすがにこの時間ではリオトは起きていないだろう。そう思い、起こさぬように静かに扉を開け、中に入った。
明かりがついていたので起きているのかと思ったが中は静かなもので、カイナに気づく声もない。
扉の目の前にある大きめの事務机にも、その近くの一人用のカウチソファーにも人影はなく、しかしこの部屋にリオトがいるとすればあとは奥にある大きなベッドだ。
近づいてみると、キングサイズとまではいかずとも、それに匹敵する大きさのベッドの上に見覚えのある服を着た小さな体が横たわっていた。
やはりリオトだ。マフラーも外衣も脱いだ身軽な姿で穏やかな寝息を立てるかわいい愛弟子の首には白いタオルが引っかかっている。大方シャワーを浴びてすぐに横になり、うとうとしている間にそのまま寝てしまったのだろう。笑みをこぼしながら歩み寄り、大きなベッドでは端に腰かけても距離があるので、極力静かに乗り上げて首元のタオルを取り上げて近くの椅子の背もたれにかけ、消灯して小さな体と向き合うように隣に体を倒す。
掛け布団を引っ張り上げ、冷えないように肩までかけてやり、目を閉じた。
お互いにその気が無くとも年頃の娘が男と寝床を共にするのはあまり褒められたことではない。かといってこれと一緒に眠るのは初めてというわけでもなかった。旅の道中で宿が取れても節約のために同室にすることも少なくない。しかしフレディーに頼んで同室にしてもらい、寝床を別にするべきかとも考えた。彼は面倒見が良いし、性質柄女性にそういった思考は持たないだろう。
考えて、やはりこのままがいいと思った。《一人きり》は、極力避けたい。でなければ思い出を残して《あの小屋》を出た意味も無い。
物思いに耽っていると、胸の辺りにぽかぽかと軽い衝撃を受ける。なんだろうかと目線を下に下げてみると、てっきり寝ていると思っていたリオトが両手を軽く握ってこちらの胸を叩いていた。
せめてもの怒りをぶつけているつもりなのだろう。それはわかるのだが、やり方があまりに幼稚過ぎて緩む頬をおさえきれない。
見つかったら何笑ってんですかと怒られそうだ。
「遅くなって、すまなかった」
よしよしと頭を撫でてなだめるも、ぽかぽかと叩く手は止まらない。
「ばか師」
「すまなかった」
「ばーかばーか」
「…わかった。チョコレート三つで手を打ってくれ」
告げるや否や、胸を叩く手が止まった。
まったく単純というか、そんなところが愛らしいというか…。
「…あの、師匠…」
そっとため息をついていると、不意に下から敬称を呼ばれる。目線を下に向けてみるが、リオトもまた顔を下に下げていて表情はうかがい知れない。
ただ、わずかにくぐもったその声はいつもより沈んでいる気がした。
「どうした?」
問いかけてみるが、リオトはもごもごと口ごもる。そのまま静かに五分ほどが経過した。
「…いえ。なんでも…ないです…。すいません…」
おやすみなさいと小さく呟いて会話を断ち切り、しかしなにかに怯えるように縮こまらせた体をこちらへ寄せてくる。
またこの前のように夢にうなされたのだろうか。
にしては目も泣き腫らしていないし、冷や汗をかいたようでもない。
本人も今はなにも話す気は無いようだし、ここは自ずと話してくれるのを待つべきだろう。その意思を尊重してカイナもまた口を閉じると、小さな背中に腕を回してあやすようにぽんぽんと叩いてやる。
そういえば、《あの小屋》はどうなっただろうか。
ほんの数年であったが師と共に暮らした、丘のうえにある小屋。そのふもとには村があるが、少し距離があるし、わざわざ管理をしてくれているはずもないだろう。
半分廃墟にすらなっているかもしれない。
―――たまには、帰ってみるのも、いいかもしれないな…。
寝息を立てる弟子につられたか。だんだんと瞼が重くなってきた。
質のいい枕は性に合わないので使わず、自分の腕を枕にして、カイナは睡魔に意識を委ねた。




