陸
*
入り組んだ路地裏に突如現れる扉。
そこは、一見するとただのボロい家屋だったが、そこがなにであるかを知っているカイナは躊躇うことなく扉を開けた。
何の変哲もない壁や窓にまで張り付けられた趣味の悪い赤黒い幕のせいで、中は暗闇に近いが、壁掛けの蝋燭で辛うじて足元の視界が確保できる。
部屋の至るところにも仕切りのように下げられた幕が幾重にも空間を裂いており、不気味で怪しい占い屋かなにかのような雰囲気を漂わせていた。
建てられてからだいぶ立つのか、中へ足を踏み入れると、ギシギシと床が軋んだ。ガチャリと扉が閉まっても、家屋の主は出てこない。
出直すかと諦めかけたとき、奥から気配と、カツカツとヒールが床を叩き、その重さに耐えかねた床の鳴く音が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ、お客さま」
若い女性の声だった。
幕の向こうから人影が現れ、蝋燭の光がその姿を顕にする。
タイトな黒いオフショルダードレスを着用し、胸元はその豊満さを強調するように大きく開き、下は右側に深いスリットが入っていて、彼女が歩く度に白い柔肌がドレスの裾から見え隠れし、男の色情を煽る。
女性特有のラインを強調することに特化し、妖艶な雰囲気を醸し出すその服装に、世の男なら誰しもが鼻の下を伸ばし、釘付けになることだろう。
二の腕から手の甲までを覆うドレスと同色のオペラグローブに包んだ両手は肩にかけたショールが落ちぬよう押さえている。
揺らめく蝋燭の光に照らし出されたその顔は強気な顔立ちで、やや内巻きな長い髪は濃い紫だった。
いわゆるうら若き乙女と言えるだろうが、この家屋の内装の影響か、黒いドレスに身を包んでいる彼女はさしずめ魔女のようだ。
「あら、初めて見る顔ね」
「不都合ならおとなしく引き返すが?」
「いいえ、大歓迎よ。特に、」
愛想のいい笑みを浮かべた彼女は、ゆっくりとカイナに歩み寄り、彼の首に両手を回す。
「あなたみたいなイイ男は、ね?」
これでもかと、柔らかなそれがこれ見よがしに体に押し付けられ、挑発的な赤で彩られた唇が近づく。
しかし、むやみに色香をまき散らす行為を忌むカイナは隠すことなく顔をしかめた。だが、照れ隠しだとでも解釈したのか、女性は本気と受け取らず楽しげにくすくすと笑う。
「ここへは《情報を買いに》来た。戯れる気はさらさら無い」
そう。弟子をアシュレイたちのもとに置いて一人で出向いてきたわけはただ一つ。
とあるツテで知ったこの女性、情報屋から、知りたいことを聞くためだ。
リオトの記憶の手がかりを。
そして、彼女を狙う、フードを被っていた遺跡に現れた敵の手がかりを。
「冷たい男も、嫌いじゃないわよ。いいわ。なんでも教えてあげる。知りたいことを言いなさいな」
女性はにっこり笑って体を離し、腕を組む。
豊満なそれと、紫の髪が揺れた。
「近頃、誘拐が多発しているという話はないか。地域や細かい場所は問わない。とくに、女性や子供が狙われているとか、どこかでよく盗賊が出るようになったとか」
リオトが攫われかけた理由についてカイナは、誰かが《リオトという一個人》を狙い、誘拐を企てたと考えている。
ただの奴隷商人の品物仕入れという可能性もあるが、尋問した盗賊の一人が《そこのガキ、つまりリオトを連れてこいと言われた。詳しいことは聞いていない》と証言したこと、そしてその盗賊たちが途中で使い物にならないと判断したか、口封じに全員の命を奪ったことから、普通の奴隷商人の仕業ではないと考えられた。
では、なぜリオトが《一個人》として狙われるのか。そもそも、連れ去ることが出来たとして、アレに何の用事があるというのか。
そのすべてに、今は忘却のなかに埋もれた《彼女の過去の記憶》が関わっているのではないかという結論にたどり着いたのだ。リオトに攫われる要因があるとすれば、それしかない。
あの敵は《過去のリオト》を知っている、もしくは関係がある可能性が高い。
頭の中の情報網を引っ張り出しているのか、女性は目を閉じて少しの間考えるそぶりを見せたのち、返答。
「聞かないわね。そもそも誘拐も盗賊も珍しくない話だし」
悲しいことに、言ってみれば賊なんて街の外であればそこらじゅうにいるといっても過言ではなく、誘拐も、警護騎士の支部の無い辺境の小さな村や街では奴隷商人が金で賊などを雇い行わせている。
「そうか。では、金の髪を持った人間が、街中ではなくなにか特殊な場で目撃されたという情報はないか? 申し訳ないが金の髪という以外にこれといった特徴の情報が無いのだが…」
そもそもあの雇われ盗賊から聞いた情報は《フードから金の何かが見えていた》、という中途半端なものなので具体的に《金の何であったか》はわからないのだが、まずは一番考えられることから手探りで探していくしかない。
すると、女性はおかしそうに笑い声をこぼす。
「さらわれた恋人でも探しているのかしら? 妬けちゃうわ」
「代金踏み倒すぞ」
まじめに答えろと軽く睨んでやる。それすらもおもしろがっているのか、彼女の笑みは崩れない。
「そうね…、金髪も東の國の黒髪ほど珍しいものでもないし…」
頬に手を添えて真剣に思い当たる情報を考えてくれているようだが、いかんせんこちらが提示した条件が少なすぎるため、彼女も困っているようだ。いかに情報屋といえど、今回ばかりは彼女を責められない。
「申し訳ないけど、力になれそうにないわ…」
「いや、構わない。なにせこちらも情報が少ないのでな。気にしないでくれ。…最後にもう一つだけ教えてほしい。最近どこかでなにか変わったことや、気になる話を耳にしなかったか?」
「…そういえば、北の海の底に大きな海底神殿が見つかったんですって。でもおかしなことに、どこにも出入口がなくて、調査に向かった警護騎士たちが手を焼いているそうよ」
「そうか、わかった。代金は……」
金を出そうと右手を腰のポーチに伸ばしたところで、動きがとまる。金欠であったことを今になって思い出したのだ。情報屋との取引は大金が基本である。しまったと苦虫を噛み潰したような顔をする彼の様子に目ざとく気づいた女性は、深く妖艶な笑みをたたえてカイナにからみつく。
鼻腔を甘ったるい香りが掠め、首筋と胸元を何かが這う。
「お金はいらないわ。その代わり、ちょっと付き合いなさいな」
突如抱きついてきた女性が左手をカイナの首に回し、右手は彼の服をゆっくりと乱していく。
意味を理解したカイナの表情が険しくなった。
「戯れる気はないと言ったはずだ」
「あら、払える代金も無いのにどの口が言うのかしら。嫌なら本当に代金踏み倒しってことで、あなたを警護騎士に突き出してもいいのよ? なんなら、《脚色》付きでね」
振り払おうとしたところで、その言葉とともに強気なウインクが飛んできた。
つまり、事実と虚偽を織り交ぜてでっち上げる気らしい。これではツケにしてもらうことも難しそうだ。半ば脅しに近い督促に、カイナは従わざるを得ない。
期間を設けてでも金を搾り取ることはしないと考えれば正直ありがたいのだが、手放しに喜ぶことも出来ないとため息をつきながらも、渋々彼女の腰に腕を回す。
この展開に初めて遭遇したわけでもないが、やはり億劫に思えた。
できるなら、今すぐこの場をあの紅い万年淫乱変態船長に代わってやりたい。
「それから、これはおまけよ。もしそこの北東の海域を、ノーデル海を渡るなら気をつけなさい。最近、いくつもの輸送船や客船が行方不明になっているらしいわ」
「忠告感謝する」
言い終わるや否や、カイナは彼女の熟した果実のようにぷっくりと膨れた唇に自身の唇を押し付けるとともに、近くの壁に彼女の体を押し付け、右手は彼女の腰に回したまま、左手はドレスのスリットから出ている妖艶な太ももを愛撫する。
「んっ。下からなんて、意外とせっかちね」
「今日はあまり遅くなれないのでな。手早く済まさせてもらう」
「あら。ひょっとして家庭持ち?」
「黙れ」
よく回る彼女の口を塞いで物理的に黙らせる。
さきほど見た太陽は傾きかけていたところだったので、早ければ夜更けには戻れるはずだ。
彼女の甲高い嬌声に、カイナは口角を上げた。




