弐
「あ、あのお客さま……」
あわあわと慌てた様子の従業員の女性が青ざめた顔でリオトとカイナを交互に見ながら声をかけてくる。性別はともかくとして、子供が大の大人三人──一人沈んだままなのでただしくは二人──に向かって行っているが止めなくていいのかと言いたいのだろう。
しかしカイナは笑みを浮かべて返す。
「アレなら大丈夫です。片付けもあとでさせますから、とりあえず今は危ないので近づかないでください。あと、コーヒーをもう一杯いただきたい」
「は、はあ……」
カラになったカップを差し出すと、戸惑い首をかしげながらも受け取った彼女はもう一度心配そうにリオトの方を一瞥したのちカウンターへ戻っていく。
カイナもときおり飛んでくるテーブルやガラスの破片に気をつけながら空いている隅のカウンター席に腰かけた。
「このガキ───ごふっ!?」
「邪魔すんじゃ───ぐあっ!」
「やりあがったなてめ───がはっ!?」
「ガキがなめてんじゃ───ぐわっ!!」
示し合わせたように交互に飛んでくる、怒りに身を任せるリオトがたてる打撃音と、報復をくらう男二人の悲鳴を二分ほど聞いて、従業員の女性がカウンター越しにコーヒーを持ってきてくれた。
同時にリオトにぶつけようと手当り次第に掴むも、気づかれ正拳突きをくらった男の手からすっぽ抜けたワインの瓶がこちらに向かって飛んでくるのを横目に捉えた。
「お待たせいたしました……」
「頭を下げてカウンターの下へ」
「え?」
突然のカイナの言葉にその意図を分かりかねた女性はコーヒーを置いた体勢で動きを止めてしまった。このままでは瓶が彼女に直撃する。
カイナの判断は早かった。
「失礼」
「きゃっ!?」
コーヒーの横にドッと膝を付けば、カップが揺れコーヒーが波立った。構わずカウンターに乗り上げて彼女が持っていた盆を奪い取り、同時に肩を下へ押しこんで無理やりしゃがみこませながら、盆を振り上げて飛んできた瓶を弾く。
ガン、と音を立てて向きを変えた瓶は、放物線を描いて未だ大乱闘を繰り広げているリオトたちの方へ飛んでいく。そして、リオトの背後を狙って拳を振り上げていた褐色の肌にスキンヘッドの男の後頭部にタイミングよくヒット。
割れて零れたボルドーを浴びながら倒れ伏した。
「リオト、暴れるのは構わないが周りに火の粉をまき散らすな」
注意するが、今回はよほど頭に来ているらしいリオトは無視を決めこみ、こちらを向かない。
まったくこのバカ弟子め、とため息をついた。
「手荒ですまない。ケガは?」
盆を置き、カウンターの下をのぞきこむと、女性がおそるおそる顔を出した。
「だ、大丈夫です……。ありがとうございました……」
突然襲い掛かってきた危険にまだ少し動揺しているようで、おっかなびっくりな表情のままだが礼儀正しく頭を下げた。
ならよかったとカイナは微笑んでカウンターから降りる。
すると、危険を感じて同じようにカウンターの下にもぐっていた店主が出てくる。
「お、おい、お前さんの連れ、そろそろ止めた方がよくないか……?」
焦ったように冷や汗を流しながら指さした先にいるのはその言葉通りリオトだった。しかし彼が案じているのは彼女ではなく、見たところ失神しているにも関わらず、まだリオトにしばかれ続けている男たちの心身。
顔を向けてみればちょうど、泣きながら悪かった、許してくれと命乞いをしているヒゲの男の胸ぐらを掴み、血と涙でぐちゃぐちゃになった顔面に追撃の鉄拳をみまうという鬼の所業にかかる弟子の背中が目に入る。
これはさすがにまずい。カイナは慌てて叫んだ。
「こらリオト! 殺すなと言っ───」
「ひゃーっ。こりゃ酷ェ有り様だなぁ……」
カイナの言葉を遮って飛んできたその言葉が、今まさにリオトに殺されかけている男たちと、彼女たちが散らかした酒場の内装、どちらをさしたのかはともかく、呆れと驚きで色づけされた声変わりをあまりしていないやや高めのその声に、カイナは聞き覚えがあった。
バカ弟子を止めようと踏み出した足がすぐに止まり、声がした酒場の入口に振り向く。
同時に、鉄拳を構えたままリオトも首を回した。
そして、腰に両手を添えてキョロキョロと酒場のなかを見回した彼の目がやがてカイナを捉えて止まった。
「カイナ……? カイナじゃねぇか!」
目を丸くして驚いたかと思えば、今度は嬉しそうに笑って彼に歩み寄りながら、右手を上げた。
一方、突然声を掛けられたカイナも驚きから目を丸くしていたが、その姿に一致する人物を思い出したらしく、こわばっていた表情が緩んだ。
「アシュレイか。久しいな」
彼のものであろう名を親しげに呼び、上げられたその手に答えて右手を上げ、軽く打ち合わせる。ハイタッチなどするあたり、どうやら人違いというわけでもないようで、昨日今日知り合ったばかりの間柄ではないことが彼らの様子から見て取れた。
我に返ったリオトが掴んでいた男を無造作に放り、体ごと振り向いて彼らの様子を見る。
「なんだ紅猫。お前さんの知り合いか」
「よお店主。ハデに荒らされたもんだな」
他人事であるのをいいことに右手を上げて気軽に返す。こちらも多少親しい間柄であることをうかがわせる空気だった。
カイナよりも数センチ低く、また細身の体に白いシャツと赤いベストを重ね、その上からワインレッドのオーバーコートを肩にかけている。暗い赤茶のくせっ毛の頭には紅の飾り羽がついた三角帽が乗っていた。
「しっかし、子分らからここにお前がいるって聞いて半信半疑だったが、まさかホントにこんなトコにいるとはな! マジで驚いたぜ!」
人懐っこい無邪気な笑顔をうかべる彼が視線で示したのは酒場の出入口に並んでいる三人の男たち。それはさきほど近くのテーブルにいた、覚えのある服を着ていたもの達だった。
これで自身が感じた違和感に納得がいった。あの紅を基調とした服装は彼の船の乗組員たちが海賊団の一員として揃って着用しているスタイルだ。
「お前こそどうした。陸地よりも海上の方が落ち着くのだろう?」
「また長旅になるから物資源の補給ってやつだ。で、あそこで暴れてた黒いのは? お前の連れ?」
彼の指先が指し示すのはアシュレイに気を取られて暴れるのをやめたリオト。邪魔をしないようにと気を使っていたのか、死屍と化した男たちを足元に転がしたままその場に突っ立っていた愛弟子を、カイナが呼び寄せる。
「リオト、こちらへ」
おとなしく従うリオトがカイナの隣に並び立ち、アシュレイと視線をかわす。
「弟子のリオトだ」
頭を撫でてやりながらカイナが言うと、アシュレイは途端に翡翠の目を細め、ニヨニヨと含みのある笑みを浮かべる。




