拾玖
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夜襲を迎撃したのち、賞金首の引き渡しや割れた窓の修繕などの後片付けをこなしているとそのうち少なくとも師弟にとっての起床時間となり、結局二度寝の時間は与えてもらえなかった。
それはちょうど子供たちよりも先に起きて朝食を作るアリエスにとっての起床時間と重なり、結果、顔を冷水で洗い引き締めてもいささか眠い目をこすり時折あくびをこぼしながら三人で朝食を作ることになった。
一時間ほどで完成し、夜襲に気付かず眠りこけていた子供たち──ちなみにメルルはリオトの帰りを頑なに待ち続け、孤児院へ戻って顔を合わせたあとに再び寝かせた──を起こし、みんなで朝食を済ませ、その片付けも済ませたあと、孤児院を発とうとする師弟の服の裾を子供たちが名残惜しそうに引っ張っていた。
「にーちゃんたち、ほんとに行っちゃうの?」
「ああ。そろそろ行かなくてはみんなにも迷惑がかかる」
主に金銭面的な意味で。
二人がいれば子供たちが喜ぶし、悪い人じゃないのでアリエスとしても追い出す気など起きないだろうが、それではただでさえ苦しい家計に決して軽くない負担を上乗せし続けることになる。
子供たちは食べ盛りだし、これ以上の負担は気の毒だ。賞金首も捕まえたことだし、もうここにとどまる理由は無い。
元々、昨夜の夜襲が無くても同じように今日ここを離れて最初からとっておいた村の宿に戻るつもりだった。
そろそろ戻らないと、宿に丸一日放置した荷物とバイクが心配だ。
「もうすこしいてよお!」
「いっちゃやだあ!」
「ぐうう……!」
そんな大人の事情などつゆ知らず、よほど彼を気に入り懐いているらしいアルドとミーシャは今にも泣き出しそうな様子でカイナの体に引っつき必死に二人を引き止める。
そんな子供たちの健気でかわいらしい姿にカイナの良心と罪悪感、そして子供好きの性、くわえて《やっぱりまだここにいたい》という思いが一度に疼き、吐血でもしそうな勢いで苦しそうに顔を歪めて胸を押さえた。
「揺さぶられてんじゃねぇですよ」
この子供好きめが。
対し、あまり子供に関心の無いリオトは腕を組んでジト目でカイナを見る。
すると、くいくいとマフラーが引っ張られた。
「おにいちゃん、いっちゃうの…?」
目を向けるとメルルがいた。
相変わらずあまり感情の感じられない声色だが、そのなかにわずかな寂しさが見え隠れし、眉尻も若干下がっている。
「もう行かないと。いつまでもここにいることはできないよ」
頭を撫でてやると、メルルは何も言わず顔を俯かせた。小さな手はぎゅっとマフラーを握ったまま放さない。
子供の相手が得意ではないのは変わらないが、リオトが浮かべた表情は昨日のような苦々しいものではなく、留守番を嫌がる子供をどう説得しようか悩む親のような、困ったような笑みだった。
「あの子、メルルは元々この近くに両親と少し歳の離れた、そう、ちょうどリオトくんぐらいの歳のお兄さんと四人で暮らしていたそうです。でも昨日の盗賊たちに家を襲われ、メルルだけが生き残り、この孤児院に連れてこられました。きっと必死にあの子を庇われたのでしょう。お兄さんの死体の傍らで泣いているところをあとから駆けつけた村の人たちに発見されたと聞いています」
二人の様子を見たアリエスが声色と声量を下げて言う。
彼女の感情の起伏が乏しいのは、そしてリオトを《おにいちゃん》と呼びついて回っていたのは、もう会えない大好きな兄の姿をリオトに重ねていたからか。
だとすれば、まだ幼いメルルには無理もない話だ。
せっかく子供嫌いのリオトが子供に心を開きかけているし、メルルにも新たに支えと呼べる人が出来た。なんだか、このままここを発ってしまうのが心苦しい。
カイナが眉を下げ、切ない表情でリオトとメルルを見つめる。その死角から注がれる熱を帯びた視線に、彼は気づかない。
言うか言うまいか悩み、もじもじと手を握り合わせた末、アリエスは意を決して声をかける。
「あ、あの! 良ければずっとここで、私と一緒に子供たちを見守っていていただけないでしょうか!」
カイナがキョトンとした表情で首を回し振り返った。しかし言葉を返すよりも前に、急に顔を赤くしたアリエスが慌てた様子で続ける。
「あ、いや、あの…! こ、子どもたちも懐いていますし、もちろんリオトくんも一緒に!!」
昨夜の事件をきっかけに、自身の中の、彼に対する気持ちに特別なものが混じり始めたのは認めよう。
しかし、わざわざ《私と一緒に》、なんて言ってはまるで本当に求婚しているようだと、我に返り自身の発言を恥じたアリエスはしどろもどろに言葉を繕う。
その様子がおかしかったのか、カイナは目を細めて笑んだ。
「そうだな。それもいいかもしれない。とても楽しそうだ」
行かせまいと、未だ真剣な顔をして自身の腕や腰に張り付いている子供たちの頭を撫でながら笑いかける。
その言葉を聞いた子どもたちやアリエスの表情が期待に彩られ、ぱあっと明るくなる。
「だがすまない。やはりここに残ることはできない。今はただ、アレと旅をしていたいんだ」
横へ流した目線の先、四メートルほど向こうには頬を膨らませ、目を潤ませるメルルと、それの傍に膝をつき、苦笑しながら説得を続けるリオトの姿。
愛弟子に向けられた眼差しは異性への特別な想いや熱を帯びたものというよりは、手のかかる家族や連れに向ける保護者のような優しいものだった。
しかし、なんだか負けたような気になって、アリエスは素直に安堵できない。
「リオト、もう行くぞ」
「はい」
機嫌がななめに傾いたままのメルルの手を引いて、リオトがこちらへ歩いてくる。彼女をアリエスに託して手を放し、しゃがみこんで目線を合わせる。
「絶対に、また会いに来るよ」
ようやく顔を上げたが、表情は曇ったままだ。
「…ほんとう?」
「ああ、もちろんだ。近くまで寄ることがあれば、必ずまた顔を出すと約束する」
メルルを見て、それから周りを囲んでいる子供たちの顔を順に見ていく。
すると、子どもたちは涙をこらえ、口々に約束だよ!絶対だよ!と何度も釘をさす。
「ルノアも、もうアリエスを困らせるなよ」
「うん。…ありがとう、リオト」
アリエスの隣に立っているルノアが照れくさそうに言った。
「リオトくん」
ルノアから目線を上にあげ、アリエスに向ける。だが、なぜだろうか。うふふふふ…と笑っているその声は低く、笑顔が妙に力んでいる気がして少し怖い。
そしてずい、と前のめりになりながら一言。
「私、負けませんからね!」
「…が、がんばってください…?」
いささか敵意は感じたものの、唐突であったことと覚えの無かったことからそれが宣戦布告だということがわかっていないリオトは、思わず気圧されつつも両手を前に出して壁にする。返した言葉が合っているのかどうかわからず、ニュアンスが疑問形になった。
しばらくそのまま睨まれ続けていたが、不意にアリエスは表情を自然な笑みへと変え、乗り出すようにしていた身を引いた。
「お元気で。どうかお二人と、お二人が進みゆく旅路に、我らが主のご加護があらんことを」
両手を腹部で重ね、アリエスはゆっくりと二人に向かって体を傾けた。
それに倣い、子どもたちも次々と頭を前へ倒していく。
「ありがとう。みんなも元気で」
カイナが言うと、一足早く顔を上げたメルルが右手を振る。なにかを健気にこらえ、小さな唇を引き結んでいる。
「またね、おにいちゃん…」
「ああ。またな」
踵を返し、アリエスたちに背を向けてカイナとリオトは孤児院をあ離れていく。
小さくなっていく二人の背中が見えなくなるまで、メルルをはじめ、子どもたちは手を振り続けていた。




