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師匠と弟子の旅路録  作者: 蒼理アオ
肆.かつて
63/101

拾捌

 *


「───では、名を決めなくてはな」


 かつては名も持っていなかったそれが弟子になることを受け入れたとき、彼は意気揚々とそう言った。

 顎に手を添え、視線を脇に流しながら思案すること一分足らず。彼は手が汚れることもいとわず、泥と砂埃と汗にまみれた乱れ放題のそれの髪に指を通して頭を撫でながら微笑みながら口を開いた。


「《───》。今この時からお前の名を《───》とし、そして私の、カイナ・ベスティロットの弟子とする。《世界の果て》まで、ともに行こう」


 それが、《───》の、そして彼と《世界の果て》を目指す旅の始まり。

 彼から向けられた笑顔と言葉、汚らしい物乞いのような自分の頭を優しく撫でてくれたあのときの大きな手の温もりは三年の歳月が流れた今でもはっきり覚えている。


「これから、よろしく頼む、《───》」



 そう。あの日、あのときから、オレは……。

 オレの名前は───。


 *


「―――ト! しっかりしろリオト!」


 肩を掴まれ、強く揺さぶられている。

 よく知っている聞きなれた声が焦りの色を含んで《その名》を呼んでいた。

意識がゆっくりと浮上し、少しずつ目を開けながら顔を上げた。

 焦点が合わずぼやけた視界におぼろに映るその姿は、敬慕して止まない恩師のもの。


「ししょお…?」


 つたなく呼ぶと、カイナは安堵の息をついて肩の力を抜き、困ったような顔をしながらも笑った。


「一人で飛び出すなと言ったのに…、まったくお前ときたら…」


 覚醒しきっておらず、妙にぼうっとする頭で現状の過程を思い出す。

 確か夜中に賞金首が孤児院を襲って、メルルが人質に取られて、それを追いかけて森に入って、メルルを助けて、それから誰か、知らないやつが…。

 走馬灯のように記憶がフラッシュバックし、すべてを思い出したリオトが詰め寄る。


「め、メルルは無事ですか?! それにあいつは…!」

「落ち着け。メルルは無事だ。一人で戻ってくるから驚いたが、リオトがまだ森にいると教えてくれて、急いで追いかけてきた。すでにことが収まっていたのはいいが、お前も気絶しているからさらに驚いたぞ。そこで伸びているダレル以外には誰もいなかったが、誰かになにかされたのか?」


 頭を撫でて落ち着かせてやりながら一つずつ説明していくと、リオトの体から力が抜けたのがわかった。同時にそう、ですか…と小さく呟く。


「…ご心配をおかけしました。オレは大丈夫ですから、戻りましょう」


 リオトは立ち上がり、服についた砂を払う。

 なにがあったのかはわからないが、見たところ目立った外傷もなく、衣服の乱れも見られない。

 ああ、とだけ返して、カイナも腰を上げた。

 倒れているダレルの腕を肩に回し、支えるように、しかし足を引き擦りながら孤児院までの道のりを歩き出す。

 隣に並んだリオトが少し遠慮がちに口を開いた。


「あの、師匠…」

「ん?」


 視線だけを向けてみれば、リオトは若干顔を俯かせている。胸の高さで手をすり合わせたり組んでみたりと少し落ち着きのない様子で、なんだかとても言いにくそうにしていた。

 恥ずかしそうにしている、ともとれる。


「…今更なんですが、その、覚えてはないですけど、おそらくはオレがいなくなったことに気付いて教会まで来て…、付き添ってくれて…、ありがとうございました」


 一度眠りについてから教会で目を覚ますまでの自身の行動は何一つ覚えていないが、ただ、自分が深く冷たい水底に沈んでいっていたのは覚えている。

 目を開けてみれば、水面の方に揺らめく温かい光が見えて、それに向かって手を伸ばした。そして、気が付いたらそこは孤児院の隣の教会で、カイナが傍にいた。ものすごく驚いたが、少し嬉しかったのも事実だ。

 さっきは彼からのいつものからかいに立腹していたのと賞金首騒ぎで礼を言いそびれていた。だが改めて礼を言うのもいささか恥ずかしくて、妙に言葉が詰まる。


「気にするな。無事で何よりだったが夜に急に姿が見えなくなると心配するし、心臓に悪い」

「…心配しました?」


 彼の性格は大方把握している。面白半分にからかってくることもあるが、親のように時には叱って、時には褒めて、いつもそばで気にかけて身を案じてくれるとても優しい人だ。

 《姿が見えないと心配する》と言われてまた少し嬉しくなった。だからあえて聞いてみたくなって、緩みそうになる表情を抑えながら聞かずともわかりきっている答えを求めて、しかし控えめに、遠慮がちに聞いてみた。


「当たり前だろう。弟子を心配しない師がどこにいる。だから、なるべく目の届くところにいてくれ」


 この間のこともあるしな、と付け足す。

 わかっている。昼間の子供たちに対する嫉妬の件を醜くもまだ少なからず引きずっているのだ。

 それでも、その言葉を聞いたリオトは満足そうに笑った。


「はい。師匠」


 暁を間近に控えた闇夜のした、二人は孤児院へ続く道を戻って行く。


「師匠そっちは孤児院じゃないです」

「む……」






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