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師匠と弟子の旅路録  作者: 蒼理アオ
肆.かつて
62/101

拾漆

 *


 闇夜の森の中。視界は悪いがダレルを見失うことは無かった。

 草木の生い茂るなかに、おそらく彼が通ってできたと思われる隙間がまっすぐ奥へ続いていた。いわゆる獣道みたいなものだ。散らばっている葉、折れている茂みや枝の折れ口も真新しい。

 くわえて近くからガサガサと草木を踏分ける音がする。

 それを辿ると、ほどなくしてなにかを抱えた大きな人影らしきものを発見した。動きづらそうに半身を交互に大きく前へ動かすたび、ガサ、ガサ、と葉と枝の擦れ合う音がする。

 どうしても通れないところはナイフを振り回して乱雑に切り拓いていた。


「ダレル・スベット! メルルを返せ!」


 声を張りあげれば、気づいたダレルが目を見開く。腕にメルルを抱え、ナイフを構えた。


「来るな! ガキを殺すぞ!」


 彼はなにがなんでも逃げ延びたがっている。いつまでもメルルを盾ににらみ合いをする気は無いはず。足を止め、とりあえず距離を置きつつ相手の出方を見る。

 右半身を後ろに向け、自身の体を死角に右手を動かして投擲用の小型ナイフを手にする。

 隙を待ち、一瞬で仕留めるのだ。

 彼の腕に捕まっているメルルは小動物のように震えながらリオトを見ていた。視線に気づいたか、リオトがメルルを見返す。そして、微笑みながらゆっくり頷いた。

 その蒼色が大丈夫だと語りかけてきたのがメルルにもわかった。強ばっていた表情がわずかに和らぐ。

 メルルにナイフをあてがい、血走った目で睨むダレルと、死角にナイフを構えたままじっと隙をうかがうリオト。

 極度の焦りと緊張から呼吸が乱れているらしく、しばらく彼の荒い息遣いと夜風にそよぐ草木の音のみが聞こえていた。夜風が草木だけでなく、結わえていないリオトの長い黒髪をも弄ぶが彼女は微動だにしない。


「───ぐあっ!? いてえっ!!」


 その場を満たしていた静寂を破ったのはダレルの悲鳴だった。

しかしリオトの右手には未だナイフが収まっている。

 眉を吊り上げながら月明かりを頼りに目を凝らして見ると、メルルが自身を抱えているダレルの腕に思い切り噛み付いていた。

 驚きと痛みに、ダレルは騒ぎ立てながらウロウロと動き回る。


───今だ!


 右手のナイフを投擲し、彼の右手にあるナイフを弾く。

 その隙に一気に距離を詰め、手を伸ばして名を叫んだ。


「メルル!!」


 気づいたメルルが小さな手でダレルの体を精一杯突き飛ばし、その勢いと反動でリオトの胸に飛び込んだ。しっかりと抱きとめ、抱きしめ、抱えあげて後ろへ飛び退る。


「よくがんばったな。えらいぞ」


 頭を撫でながら褒めてやる。しかしのんびりもしていられない。

 メルルを下ろし、手短に逃走ルートを伝える。


「この獣道をたどれば孤児院は目の前だ。オレは大丈夫だから、先に孤児院まで全力で走れ。いいね?」


 つぶらで可愛らしい目を見つめ、言い聞かせる。なかば有無を言わせないリオトの険しい眼差しに不安げな表情をうかべはしたが、メルルは頷いてみせた。


「行け」


 背に庇うように一歩前へ踏み出しながら言うと、背後でメルルが走り出す。振り返らずとも小さくなる足音が彼女がちゃんと言うことを聞いたのだと語る。


「ガキどもが、揃いも揃って俺をバカにしやがって……!」


 対し、メルルに噛まれた左腕を空っぽになった右手で押さえながら、ダレルはギロリとリオトを睨む。

 どうやら相手方はキレたようだ。いったいいくつ持っているのか──それとも最後の一本か──、再びダレルの手にナイフが握られる。

 しかし人質はすでに救出済みであるため、今度は気兼ね無く戦うことが出来る。


封欺解呪エル・リリズ!!」


 さっさと黙らせて帰ろう。

 そう考え突き出した左手に闇属性の詠力の塊が現れ、やがて黒魂魄くろみたまが具現化する。

 そして右手で鞘を掴み、引き抜いた。

 一点の染みも曇りも無い刀身が月明かりを浴びて鈍く光り、切っ先とそれに劣らぬ鋭い蒼がダレルを見据える。


「うぉおおらあああぁっ!!」


 バキバキと茂みや落ちている葉と枝を力強く踏みつけてダレルの突進と共にナイフが迫る。

 リオトは緩慢な動作で刀を頭上へ持ち上げると、自身の二メートルほど前に線引きのようにして衝撃波を放った。


「ぐっ……!?」


 草を薙ぎ、地を浅くだが抉り、風が突風のように強く吹き付ける。押し負けたダレルの足が止まり、左腕が頭部を庇う。

 その左腕の影から、今度はリオトが間合いを詰め、黒魂魄くろみたまが彼の右手のナイフを弾き飛ばす。間髪入れず次は左手の鞘で後頭部を思い切りぶん殴ってやった。メルルを人質にして怖がらせた罰だ。


「うっ!!」


 短いうめき声を残して、リオトの足元に倒れ込んだ。そしてダレルの脇に膝をつき、うつ伏せになっている彼の服を掴んで乱雑に仰向けに転がすと、黒魂魄くろみたまの切っ先で糸を切って第二ボタンのみを入手する。


「これでよし、と……」


 腰を上げたリオトはボタンをポケットに詰っ込むと、刀を鞘に収める。そして、具現化させた時と同じように左手に持って前へ突き出すと、黒魂魄くろみたま全体が淡い紫色の光に包まれ、やがて空気に溶けるようにすぅ、と消えていった。

 あとはこの男を師のもとまで引っ張って帰るのみである。右手で首根っこを掴み上げ、ズルズルと引きずりながら獣道を歩き出す。

 と、そのとき───


「!」


 背後に迫り来る気配を感じ、ダレルから手を放しながら振り返り、臨戦態勢をとる。


「あぐっ!?」


 遅かった。腕を掴まれ、そばにあった木に体を押し付けられる。背中を思い切りぶつけ、痛みに顔を歪ませながらもその正体を掴むべくリオトは顔を上げた。

 けれど、目深に被ったフードが相手の顔を闇で包み、正体を掴ませない。ただ、髪だろうか。編み込まれた細い金糸がフードの隅から垂れ下がっているのがわかるくらいだった。

 背丈はカイナに近いぐらいで、マントを羽織ってはいるが体格はそれなりだ。いまだ師から学ぶことが多けれど、さりとてリオトも武人の端くれ。男女問わず一般人との力比べで負けるはずはないのだが、腕の拘束を解けないことから、相手はただの野党や乞食というわけでもないようだ。


「てめえは誰だ……! アレの、仲間か……!?」


 それは否定も肯定もしなかった。首を振ることも口を開くこともせず、リオトの腕を力強く掴み動きを封じ続ける。

 感じるのは強い殺気だけだった。

 力比べでかなわず、動くこともできない。こんな至近距離で詠術を行使すればただの自爆。ならば残る手は少ない。


封欺エル───」


 再び黒魂魄くろみたまをだそうと詠唱に入ったリオトの言葉を遮るように、右手を眼前にかざした。

 左手が自由になった今ならみぞおちを狙うことも出来るのに、まるで顔を覆われるように右手を目の前にかざされた瞬間、体中の力という力が、そして状況把握と現状打破のために頭のなかを駆けずり回っていた思考という思考が煙のように消え去った。


「うっ……、く……」


 力が入らない。踏ん張りがきかない。

 ズルズルと、体が下へ落ちていく。


「……、な……を…………し……!」


 言葉もまともに発せないまま、ついに臀部でんぶが木の根元に触れた。座り込むようにして腰を下ろし、背中が木に支えられる。もはや瞼すらも満足に開けていられなくなってきた。かき乱されるように意識が薄れ始め、抗っても瞼とまつ毛が震えるだけだった。

 霞む視界で最後に見えたのは、人物が今度はこちらの胸部に、その心臓部にあたるやや左寄りに右手をかざす姿だった。

 為すすべもないリオトの意識は、そこで途切れた。





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