漆
子供たちに捕まる前にと、リオトは早口にそう問いかける。するとアリエスが苦笑を返した。
「みたいですね……。では、すいませんが外で薪割りをお願いできますか?そこの扉を出てすぐ右手に裏口がありますからそこから出てください」
「ん」
手で示したそこの扉、とは、さきほど子供たちが飛び出してきたダイニング側奥の扉であった。マフラーと黒髪をなびかせ、リオトはアリエスの隣を過ぎて行く。
すると、リオトが触れるより先に扉が勝手に手前に開いた。驚き立ち尽くしていると、扉の向こうから小さな影が現れた。
かと思いきや、敷居に躓いたのか、影が不自然に手前へ倒れ込んでくる。明かりを浴びて露わになったのは榛色の髪。リオトは咄嗟に一歩大きく踏み出し、手を伸ばしていた。
自身の体をクッションにして、受け止めてやった。下から、みゅぷ、だか、むぷ、だかなんだかわからない声がした。
「大丈夫か?」
この遥かに小さく華奢な体は明らかに子供、しかも少女だとわかり、できる限り優しく言ったつもりだった。体を離してちゃんと立たせてやれば、少女のエメラルドの輝きを放つ丸い瞳がリオトを見上げた。
その表情は怯えるでもなく、笑うでもなく、両の腕にウサギのぬいぐるみを抱えたまま、初めて見る顔をただ不思議そうに見ているのみだった。
「メルル! 姿が見えないと思ったら……!」
アリエスが駆け寄り、しゃがみこんでケガをしていないか確かめる。
「次から気ぃつけろよ」
あとをアリエスに任せ、カイナを見習って頭をぽんぽんと撫でてやり、しかし足早にその場をあとにする。
扉の向こうに姿を消し、扉が閉まりきるその瞬間まで、メルルはリオトの姿を目で追い続けていた。
*
ガッ!と、薪割り用の小振りな斧の刃先を大きな切り株の上に置いた短い丸太のちょうど真ん中あたりに向かって振り下ろす。
伐採されてからかなり時間が経ち、だいぶ乾いた木の丸太はスパンとスムーズに半分に両断され、その衝撃が半月型になった丸太を切り株の下へ落とした。
それの片方を拾い上げ、切り株の上に置いて再び斧を振り上げた。刃先が切り株にぶつかった衝撃のわずかな反動が一瞬だけリオトの両腕を駆け抜ける。見事四分の一カットのサイズとなった薪を右へ放り、残りの二分の一カットになった丸太を切り株の上に置いて、両断。
斧は小振りだが、アリエスのような淑女や他の子供たちからすれば薪割りは危険な重労働に分類されるため、その都度必要な分をアリエスが用意するだけで手一杯だったのだろう。丸太の状態でのストックは山とあったが、薪としてのストックはほぼ無いに等しかった。
ならばついでに今ここにある丸太はすべて切っておこう。そうすれば当分彼女たちが薪割りに苦労することはあるまい。
暫くのあいだリオトは薪割りに専念した。時折心地よい風に優しく労われながら、無心に丸太を片っ端から四等分に割っていく。子供の相手をするよりは薪割りをして体を動かしている方が性に合っていた。
ふと、さきほど子供たちに連れられていくカイナの姿が脳裏をよぎる。その顔はとても嬉しそうで、楽しそうだった。
「む……」
リオトの表情が曇り、右側の頬がわずかに膨れる。
「……師匠の、」
半月型の丸太を切り株に置いて、斧をのそりと振り上げ、
「―――ばーかっ!」
言葉と共に、ストンと刃先が丸太に向かって落下し、小気味よい音を立てて両断した。しかし、少しの怒りを込めたせいか軸がぶれ、半月型の丸太はやや右寄りで割れていた。おかげで二つの薪は太さがアンバランスである。
それがさらに顔をしかめさせた。
分かっている。あの人はただ、しかし本当に子供が好きで、それは言ってしまえば人が動物を愛でるのと同じような感覚だ。
どうしてそれが気にくわないのか。具体的な要因はリオト自身まったく把握出来ていないが、それにしてもこの怒りは至極くだらないものだ。
くだらないのだが、さきほどのように子供たちに笑いかけているカイナを思いだすとなぜか無性に腹が立って仕方が無い。
斧を担いだ肩を落とし、ため息をついた。
「……バカはオレの方か」
左手を腰に当て、頭上を仰ぐ。
青い空を白い雲が群れをなしてゆっくりと流れていく。周囲を山々に囲まれているため、あまり遠くの空や地平線までは見えないが、しかし今リオトたちがいる場所は村を眼下に見下ろす小高い丘であるため眺めがいい。辺りの丘にぽつぽつ見える白や黒の斑点はおそらく放牧されている牛や羊たちだろう。
ここじゃないどこかでは魔物や山賊だって出るというのに。この村は穏やかで平和で、まるでここだけ山で区切られた別世界のような、悠然とした刻が流れている。
「ん?」
背後に気配を感じた。覚えの無いものだから恩師ではないことは明白だ。
振り返ると、小さなそれが立っていた。栗色の髪を腰まで垂らし、コバルトグリーンのフレアワンピースに身を包み、細く短い両腕にウサギのぬいぐるみを抱いた少女。
さきほど敷居につまずいていた子だ。
確か名は、そう――。
「メルル、とか呼ばれてたか。こんなとこで何してんだ。ここに来てもお前の相手をしてくれるやつはいねぇぞ」
言い換えれば自分は君の相手をする気は無い。ということだけ伝えて、作業に戻った。そう言っておいて、あとは無視していればつまらなくなってカイナやアリエスの元へ戻るだろうと考えていた。
背後でメルルが動いているのがわかった。きっと中へ戻ったのだろう。安堵した刹那、気づいた。
気配が移動しただけで、消えてない。薪割りの手を止め、おそるおそる振り返る。
「…………」
いた。まだいた。裏口に設けてある、三段だけの階段に腰かけて、じっとこちらを見ていた。
―――相手しないって言ってるのに……。なんなんだこいつ……。




