参
飛び込んできたのは女性の綺麗な声だった。そして叫ばれたそれは少年の名であると思われる。リオトと少年が同時に首を動かすと、こちらに駆けてくる一人の女性を視界に捉えた。
げっ、と少年が幼い顔を歪めて後退ったのは、きっと教えたくなかった自分の名がリオトに知られたからというわけではないだろう。
女性は少年、もといルノアのもとまで駆けてくると、腰に両手をあてて怒気を散らす。
「どこへ行っていたのですか! 気づいたらどこにもいないから心配したのですよ!」
ルノアは目を泳がせた末、返す言葉が見つからなかったらしくそっぽを向いて逃げた。
肩にかかる二つの薄い橙色の髪は毛先に向かうにつれゆるくカールしている。相手が子供であろうとも厳しく責め立てる瞳は若草色。身長はリオトよりも数センチ高く、やっと幼さが抜け女性らしさを帯びてきたぐらいの顔立ちからすると歳は二十前半といったところか。
身に纏うのは切れ込みの入った白い大きな襟と同色の袖口にやや小さめなパフスリーブが特徴的な膝下丈の灰色の修道服。ヒラヒラと揺れる裾から出ている足は黒いタイツに包まれており、足先は茶色のハイカットブーツを履いていた。胸元には控えめに輝きを放つ十字架のペンダントが揺れている。服装にくわえて丁寧な口調が優婉で清楚な印象を抱かせた。
察するにどう見ても修道女だと思われるが、この言葉からするとさてこの少年は彼女の弟なのか、あるいは……。
すると、女性の目線がルノアの不自然に上げられている腕を伝い、リオトとカイナに行き着く。さらには、リオトの左腕に抱えられている食パンにも気がつくと、女性の表情がますます険しくなった。
「あなた、さてはまたお店の食べ物を盗んだのですね?」
ルノアは肩を揺らすと、冷や汗を流しながら限界まで首をひねり、ひたすらに彼女の追及を逃れようとする。
「ついこの前も同じことをして怒られたばかりではありませんか! やめなさいとあれほど言ったでしょう! 私達に食べ物をお与えくださる全ての人々と我等が主に対する冒涜です!」
なるほどこの少年は今をときめく反抗期真っ盛りのヤサグレ少年らしい。
詳しいことは知らないので口を出すこともできずしばらくことの成り行きを眺めていると、目の前で突然頭を振り下ろされた。驚いてとっさに少年から手を放し、目を丸くするリオトに構わず、女性は口を開いた。
「本当に申し訳ありません。我等が主に誓って、今後同じことをしないようきちんと言い聞かせますので、どうか許していただけないでしょうか」
「いや、あの、オレたちは店の人間ではなくて……。ああでも、オレ達から盗んだわけでもなくて……」
慌ててリオトが右手を前に出して振りながら言葉を取り繕うと、女性はようやく頭を上げた。ではどこから盗んできたのかと女性の不安げな表情はいまだ晴れない。
「オレ達は通りすがりの旅人で、そこのパン屋から盗ってるとこをたまたまみつけて、引き止めただけです……」
「では、お返ししてきちんと謝罪を……」
「大丈夫。主人には、代わりに金を払うからオレ達に免じて許してほしいと話を付けておきましたから」
そうですか、と安堵したような、しかし気を落としたままのような声色だったが、ことが大きくなる前に終結したのはなによりだと考えたようだ。
「見ず知らずの方にも関わらず、わざわざこの子の過ちを引き止めてくださり、本当にありがとうございます」
下腹部辺りで両手を重ね、彼女は恭しく丁寧なお辞儀をする。
「それであの、」
女性は控えめに視線をこちらに、正確には未だにリオトに背を向けた状態で肩を落としているカイナによこす。
「その方にはなにが……」
「え、あ、こっちはその……」
リオトが答えるよりも先に、バカ正直にルノアがまたも肩を揺らしたのを、女性は見逃さなかった。
「ルノア、あなた、この人たちにまでなにか失礼なことをしたのですね?」
「し、してない!」
「嘘おっしゃい!!」
しらばっくれるルノアの小さな耳を、女性は問答無用で摘み引っ張る。
「いてて! 虐待だ!」
「お黙りなさい! たださえここ最近近くの山に山賊が出るようになって危ないから一人で出歩かないようにと、あなたを含めた院の子供たち全員に言っておいたのに! 言いつけを破った上にまたお店のもの盗んだ挙句、親切に助けてくれた人たちにまで恩を仇で返すなんて!!」
「ああああの!」
引っ張り上げられて露わとなった耳孔の奥に直にねじ込むかのような怒涛の説教の最中に勇気を出して吃りながらも割り込んだリオトは、力みすぎて右手を挙手する。気になることを耳にしたからだ。
「そっちがいいなら、その山賊の情報詳しく聞きたいんですが……」
やや控えめなアピールをする。
女性は我に返ったのか、一度深呼吸をして怒りを鎮めると、リオトに笑みを向けた。
「失礼いたしました。お礼には足りないかもしれませんがお望みでしたら喜んで。申し訳ありませんが、お話はうちの孤児院でよろしいでしょうか? 残してきた子供たちが心配で……」
やはり、この少年は孤児のようだ。リオトは一瞬だけ虚無の表情をうかべるが、すぐに笑みを戻す。
「構いません。お願いします。オレはリオト、後ろはオレの師で、カイナといいます」
「申し遅れました。私はアリエスティルといいます。少し長いので、どうぞアリエスとお呼びください」




