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師匠と弟子の旅路録  作者: 蒼理アオ
参.激走バイクレース!
43/101

拾陸



『さきほど、第四地点で落石事故があった模様。原因および負傷者は現在確認中。詳細は追って通達します。観客の皆様はそのままここで待機していてください』


 つい数分前に起こったかすかな揺れにどよめいていた観客たちは警護騎士キャヴァリエルからの報告にさまざまな反応を見せる。


「リオトちゃん…」


 リオトが観客席を飛び出して行ったのは、きっとカイナのサポートを行うためだろう。


「カイナさん…!」


 あの二人は強い。だからきっと大丈夫。

 どうか、どうか無事であるようにと、レインは歯がゆい思いに唇を噛み締めながら手を組み合わせ天へ祈る。


『おぉっと! 先頭をきって現れたのは、流離さすらいの赤き瞬速、ブザビオ選手だあああ!!』


 ブザビオの姿を見るや否や、観客たちは嬉々とした表情を浮かべて声や拳を挙げ、席から立ち上がり声援を送る。そのあいだあいだに怒る者、驚く者、嘆く者、顔を顰める者もいるが、全体のほんの二割ほどの人数だった。

 自身に向けられる声援にブザビオは左腕を振り上げて応え、会場を通過し最終ラップに入った。


『現在ブザビオ選手がトップを独走! このまま前人未到の四連覇を達成してしまうのかああああっ!!?』

「……っ、」


 ブザビオの後ろに続くものはおらず、駆けてくる人影も見えない。

 組み合わせているレインの小さな手が力み、ついに顔が伏せられた。クルザもまた悔しそうに表情を歪めながら、愛娘の肩に手を置いた。


『おおっと!あれはなんだあ!?』


 解説係の一際大きな声がマイクを通じて観客席一帯に響き渡る。地平線に揺らめく陽炎のなかにぼんやりと浮かび上がる影を見た観客たちは一斉に身を乗り出し、影の正体を見ようと首を動かし、目を凝らす。

 その影は砂埃を上げてぐんぐんと観戦会場へ近づいてくる。やがて見えてきたそれはバイクだった。

 照りつける陽光を反射するボディは爪痕そうこんに似た金の線状装飾を持つ漆黒。それに跨る体躯は決して小さくなく、大の男であることがわかる。吹き付ける風に揺れる髪はバイクと反した白髪はくはつ


「あれは…!」


 クルザが巨体を観客席から乗り出して目を見張る。

 やがて観戦会場に入り、スタートラインだった白い線を過ぎていくその姿をレインも確かにその目に捉えた。


『なんと! 追いついてきたのは本レース初出場のニューフェイス! カイナ・ベスティロット選手だあああぁっ!!!』


 実況係のマイクを通した大きな声に負けず、観客たちが一斉に湧き上がる。

 無事であった安堵と、自身のため、自分たち父娘おやこのため、最後までレースに尽力する彼の姿に胸をうたれ、レインはこみ上げる涙を引き止める。震えを制しきれず歪む唇を動かし、精一杯名を叫んだ。


「がんばれ!! カイナさん!!」


 突風にも似た風を巻き起こすほどの速度で走っている人間に言葉を投げたところで届くわけがない。

 それでも、レインの声に応えるようにカイナはさらに速度を上げ、ブザビオとの距離を詰めていく。


『さあさあさあ!! レースもいよいよ大詰め!! ついに最終ラップに突入しました!! ただいま入ってきた情報によりますと、アムルス選手とゴルベーザ選手が落石に巻き込まれリタイア! 命に別状はないが閉じ込められて身動きが取れず、現在、警護騎士キャヴァリエルによる救出活動が行われているそうです! 一方、選手たちの最後尾にいたバージィ選手も疲労とバイクの燃料切れによりリタイア! さきほど警護騎士キャヴァリエルに身柄を保護されたとのこと! これで残ったブザビオ選手とカイナ選手二名の一騎打ちとなりました! はたして勝つのは、真のライダーはいったいどっちだああぁ!!?』




 最終ラップ。リタイアすることなく追いつき真横についたカイナに向けるブザビオの視線はさすがに鋭いものだった。

 一気に速度を上げたブザビオが先頭に出たことで、縦に並んだ形で二人は一つ目の谷間へ入り込む。

 ブザビオが加速すれば、すかさずカイナも速度を上げ、極力離されないようにする。ラスト一周に入った二人の速度は一周目や二週目よりも各段に速い。谷間を抜けるまで三十秒もかからなかった。

 固く握ったハンドルを右へ左へと忙しなく捻り、今度は乱立する岩の木々の間を縫うようにして走り抜けていく。

 カイナは右て数メートル先にある岩木を捉えた。このまま走ってもハデにぶつかりはしないだろうが、自身の体かバイクに多少の打撃かかすり傷は及ぶだろう。

 その岩木から少し距離をとり、真横を通り過ぎる。すると、岩木の陰から勢いよくなにかが飛び出した。


「……っ!?」


 驚いたカイナの紅が丸くなる。

 とっさに切ったハンドルは驚きのせいで勢いがついてしまい、車体がぐわんと大きく揺れ、それにまた驚いたが、間一髪で衝突は免れた。

 体勢を立て直しながら前を見ると、見えたのはブザビオの、筋肉で盛り上がった丸い猫背だった。わざと飛び出してきたのか、それともたまたまお互いの姿が岩木に隠れて見えなかったのか。

 真相など考えるまでもない。

 しかしカイナとて負けるつもりは無いし、引くわけにはいかない。アムルスやゴルベーザ、そしてクルザ父娘おやこからあとを託され、愛弟子ばかでしが妨害を食い止めてくれているのだ。

 絶対に、


―――勝ってみせる…!


 対なす紅が鋭くなり、前を見据える。コースは残り半分を切った。もう詠力を惜しむ必要は無い。

 二つ目の谷が見えてきた。谷に入り込むまで残り数十秒と迫ったところで、カイナが速度を上げてブザビオを抜かし、トップに躍り出る。

 ブザビオが一瞬だけ目を見開いた。とられた先頭をすぐに取り返そうとするがすでに遅く、間もなくして二人は谷に入り込んだ。

 そこで初めてブザビオの表情から余裕が消えた。

二つ目のこの谷は道筋がかなり曲がりくねっているが、二度も通ればだいたいの構造は把握出来る。カイナに焦りはなかった。

 気を集中させて詠力を解放し、カイナはハンドルを少しずつ握り上げ、さらに速度を上げてぐんぐんとブザビオから距離を突き放す。負けじと、ブザビオもカイナを追い上げる。

 が、狭い谷間では追い抜けない。ブザビオが黄ばんだ不揃いの歯を食いしばり、ハンドルを握る力が強くなる。

 谷を抜け、ブザビオがアクセル全開でカイナを追い抜く。途端にブザビオの顔が疲弊に歪み、汗が滴っているのはアクセルを全開にしたことで燃料を、つまり体内の詠力をかなり消費したからだろう。

 バイクの燃料として詠力を費やすのと、詠術の発動のために詠力を費やすのではわけが違う。

 詠術では自身の詠力を媒体に空気中に細かな微粒子となって霧散しているそれぞれの属性の精霊たちの力を借りて発動するため、いわば負担は精霊たちと分けっこしているようなものだが、それに対しバイクだと精霊の力は借りず、すべての負担は自身へくる。

 くわえて、バイクがより大きければ大きいほど、距離を走れば走るほど、速度を上げれば上げるほど膨大な詠力を消費する。

 元々詠力をそれほど持ち合わせておらず、詠術を行使しない人間には無縁の話だが、詠力は気力や精神力とほぼ同列のしくみであるため、詠力の消費はそのまま当人の精神と気力の疲弊へ直結する。

 とどのつまり、バイクレースともなればどこまで詠力を温存し、どこでスパートをかけるのかが鍵となる。

 その点、詠力を人一倍持つカイナは優位だ。

 谷を抜ければ残るはアーチ状の岩々が立ち並ぶ第四地点と、ゴールへと続く平坦な第五地点のみ。

 アーチの脚と脚の間をくぐり抜け、さきほど崩落したアーチの残骸が見えてきた。レースの邪魔にならないよう、最小限にとどめた人数と救助規模の警護騎士キャヴァリエルたちが今まさにアーチの残骸を武器や詠術で断ち切っているところだった。カイナの表情が少しだけ曇る。

 しかしすぐに表情を戻し、その場を過ぎて行った。

 十と数秒して、二人は第四地点の出口に差し迫った。岩の壁が谷のような狭い隙間を開けて二人の走行を阻む。ここを通るならば二人同時は不可能。つまり、通る順番に前後ができる。

 そのとき、隙間のすぐ前に詠唱陣が浮かび上がる。黄土色は土を操る詠術。カイナはそれが得意ではないが心得はある。だがリオトに教えても属性が合わなかったらしく上達しなかった。彼女の仕業でないことは明らかだ。

 まさかと思いブザビオを一瞥すれば、詠力の限界が近いのかその顔には冷や汗が伝い、血色が白んでいるが、しかしニタリと笑っていた。

 詠術を発動させているような素振りはなく、どちらかといえばバイクを走らせるので手一杯に見える。

 だとすれば、


―――取り巻きを配置させていたか…!


 彼もまたよほど勝利に貪欲らしい。

 最後の力を振り絞り、ブロロとエンジン音を轟かせながらウィリーの要領で後輪立ちになり、一気にカイナを追い抜いていく。

 五も数えないうちにブザビオが狭い岩壁の間をすり抜けた直後、黄土色の詠唱陣は刹那に強く光を発し、そのなかから大小様々な山型の岩石が乱立し始める。道を塞いで時間を稼ぐ気のようだ。

 こうなればカイナも詠術を行使せざるを得えない。これはあくまで正当防衛だ。今だけは、何者にも咎められる筋合いはない。あるはずがない。むしろあっていいはずがない。

 あってたまるか。


「屈んで頭引っ込めてろ!! 止まるんじゃねぇぞ!!」


 よく知っている声が殴り書きのような乱雑な言葉を勢いよく放り投げてきた。

 その生意気な声の主が誰か考えずともわかったカイナは詠術の行使を止め、ディーヴの操縦に専念する。

 ついでに言うなら、その声の主が次に何をする気なのかも予測済みである。


「頼むから私まで巻き込むんじゃないぞ…!」


 そして彼は、臆することなく速度を上げて岩石に突っ込んでいく。


狼爪刃ろうそうは!!」


 気合の入った掛け声とともに上から降ってきたのは青を纏った剣撃波。三撃のそれが道を塞ぐ岩石を破砕する。湧き上がる砂煙と降り注ぐ小石も構わず、カイナはそのなかを突っ切った。

 体に巻き込んだ砂煙を靡なびかせながら、ラストスパートをかける。

 岩壁の上から背中を見送ったリオトが、抜き身の黒魂魄くろみたまを肩に担ぎ、さて、と仕切り直す。その声色はやけに軽快だ。


「なっ…、なあ?! 頼むから助けてくれよ! 殺さないでくれ!」


 この先自身を待ち受ける結末を悟ったのか、顔中の穴という穴から水分を垂れ流しながら命乞いを始める。


「勝利のためなら手段を選ばない。非難はしないが、その心意気には呆れ返るとともに脱帽だ」


 だが、と声色が変わった。

 ゆったりとした動作で振り下ろされた白刃のきっさきが向く先はどんどんと白くなっていく顔面の鼻先。ひっ、とみっともない声が恐怖に震える唇から漏れた。さきほど詠術を発動し妨害を仕掛けたブザビオの手下だ。

 へたりと座り込み小刻みに震えているところを見ると、早くも腰が抜けてしまっているらしい。さっきまで堂々と妨害を仕掛けていたくせに、目の前に現れたリオトが慣れた手つきで黒魂魄くろみたまをくるりひゅるりと振ってみせただけでこの体たらくである。


「あの人の邪魔をするなら、カイナさんを傷つけるなら、たとえお前達が天使やら悪魔やら、神であっても容赦はしない」


 澄んだ蒼色は鋭く尖っていた。宿すのは穏やかな光などではなく、相反した赤い激情。怒りだ。

 今度はゆっくりと黒魂魄くろみたまが振り上げられる。間もなくそれは彼女の言う通り容赦なく振り下ろされ、自分は斬られるのだろう。勝手にそう解釈し想像した手下が一足先に絶望と断末魔の叫びをあげた。

 やがて、期待に沿うように白刃がヒュイ、と空を切った。


「ひぎゃああああああああっ―――!!!」



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