拾参
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街から南東へ三キロほど下った先にあるミディアード峡谷。夕陽に照らされたような赤銅色のゴツゴツとした岩肌を持つ高い山々があちらこちらにそびえ立っている。
元々は浅い渓谷であったが、大昔の地殻変動による地面の隆起と近くを流れる川の浸食によって現在のような険しい大峡谷になったと言われている。
総面積はおおよそ五千平方キロメートルという広大な地域のなかで、街に近い北西部の一画を使い、バイクレースは行われる。
コースはスタート地点から大きく輪を描いて峡谷を周り、再び戻ってくる。これを三度繰り返す。距離にして五百マイル、キロメートルに換算すれば八百四キロ。コースは一本道ではあるがもちろん難所もいくつか存在し、それらは五つの地点として区切られている。
第一地点は長さ十キロにもおよぶ狭い谷。
第二地点は林木のようにそこそこ長く太い岩々が乱立するゾーン。風化により岩石が姿形を変え、アンバランスなものもあるらしく崩落事故が起きたこともあるらしい。
第三地点は第一地点と同じく一本道の狭い谷があるが、ぐねぐねと曲がりくねっており速度を出し続けながらでは進みにくい。距離はおよそ八キロとされている。
第四地点も風化によって岩石からアーチへと姿を変えた岩の門が連なりそびえ立っている。
第五地点は、といえば特筆するほどのものは何も存在しないが第四地点からスタート兼ゴール地点までは割と距離があるため、一つの地点として確立されている。
この五つの地点を各々の愛機で走り抜け、誰よりも先にコースを三週すれば優勝である。制限時間は二半刻。
安全と選手たちの安否確認のため、事前に配られる小型追跡機二つを各自それぞれバイクと腕に一つずつつけておくこと。レース終了までこの追跡機を外すことは禁じられており、また、レース中における選手交代や選手に向かって物を投げる、バイク同士を追突させるなどの妨害とみなされる行為は反則行為とみなし失格とする。リタイアする場合は事前に管理側から渡される発煙筒か閃光弾を打ち上げること。
以上が、このレースの概要となっている。これらを除けば取り立てて特別なルールも無く、問われるのは運転技術とバイクの性能のみ。
スタート地点の前後に渡って作られている段になっている観客席はすでに多くの観客が集まり賑わっていた。周囲のあちこちにはワインレッドのコートを着た者達、近くの支部の警護騎士が警備のために配置されている。スタート地点には、既にレース参加者たちが自前のバイクにまたがり、横一列に並んでいた。
「いよいよですね…」
一番端の観客席側に並んでいるカイナの隣で、レインが神妙な面持ちでつぶやいた。
「どーよカイナ、調子は」
リオト、レインとは反対側の隣で、後頭部に手を組みながらアムルスが声をかけてきた。いつもはめている手袋を身につけながら、カイナはいきいきとした様子で言葉を返す。
「うむ。問題無い。私も、ディーヴ(こいつ)も」
ディーヴの装甲にそっと触れ、いたわるような優しい手つきで撫でるカイナの瞳には、なにかに興奮しワクワクしている子供にも似た無邪気な輝きが宿っている。
普段は穏やかで冷静を欠くことも無い彼は一度バイクのこととなると激しく一喜一憂したり、終始瞳を輝かせていたり、多くも少なくもない口数が一気に饒舌になるなど、人が変わる。同時に、それだけバイクが好きだということがわかるが、今回は今までの比ではない。
この一週間は夢中でディーヴを改良、調整し続け、ついに今日という日を迎えたのだ。彼がどれだけこの日を待ちわびていたか。どれだけバイクが大好きか。彼が今、どんな心持ちでいるか。
未熟ゆえか、未だにカイナに関しては時おり察しのつかないことがあるリオトでも、想像に難くない。
金欠であることも原因なのだろうが、いつもなら自分から個人的なことでなにかしたいとは決して言い出さないカイナが自身の願いを言葉にして伝えてくれたこと、そして彼が今とても嬉しそうに、楽しそうにしていることを、リオトもまた、とても嬉しく感じていた。
「ところでアムルス、お前のバイクにはどういった特徴があるんだ?」
リオトのその問いかけが意外だったのか、アムルスはおっ?と一瞬だけ驚いたような顔をしてリオトを見たあと、ほどいて下ろした手を今度はそのまま太ももについて前のめりになりながら答えた。
「よくぞ聞いてくれました! 俺のバイクの名はドラッグスターフォーマルセカンド。ロー&ロングにスリムでスタイリッシュなフォルム! クルーザー特有のリラックスしたライディングポジション! それから!」
アムルスがいきいきと語りだすが、バイクに詳しくないリオトは顔を顰め、レインは呆然とした表情を浮かべて両者とも頭上にハテナを浮かべる。その後も止まることなくバイクの説明がまるで一、二、三、と数を数えるようにペラペラと出てくるが、ふむふむなるほどと頷くカイナの隣で、二人は固まっていた。
「ちょ、ちょっと待て。用語で言うな。わかりやすく頼む」
リオトが右手を顔の高さまで挙手すると、代わりにカイナが答えた。
「簡潔に言うと、ごたごたしていないスッキリとした形で、見た目ほどの重量感が無い。乗った時に足が地面につきやすい。通常は燃料である詠力の消費が少ない代わりにスピードが出にくいが、そこはちゃんと改良しているのだろう?」
「そりゃあもちろん!」
アムルスの方に首を回すと、彼は胸を張って大きくうなずいた。
「ちなみにお前さんの方はどうよ? どこに力入ってんだ?」
「ああ。こっちは重量があるが、なるべくこまわりがきくように足回りを触っておいた。それとオーバーヒート防止に冷却水も新しくして、」
『間もなくレースを開始します。参加者以外の方はコースから退場してください』
突如頭上からキィンという耳障りなノイズと共に降ってきたメガホンによるアナウンスがカイナのセリフを遮った。するとギリギリまでコースやバイクの整備や他の選手と話していた人々は次々と階段を上がり、観客席へ移動していく。
「あ、そうだ。よかったらオレのマフラー使ってください。砂埃対策に」
リオトはするりと首元のマフラーを外すと、適当にまとめてカイナに差し出す。
いつもの旅の道中と違い、タイムレースである今回はかなり飛ばすことが予想される。着ている外衣はチャックを閉め切っても口元まで届かない。目を覆うゴーグルしか持っていないカイナにとってはありがたい申し出だった。
「助かるが、いいのか?」
「もちろん。だいぶ長いので鬱陶しいかもしれませんが、使ってやってください」
「すまないな。ありがたく使わせてもらう」
「師匠、」
首を動かせば、眩しいぐらいの光を放つ蒼色と目が合う。
「信じて待っています」
「努力はする。見ていてくれ」
カイナが頷きながら返すと、二人はすぐそばにある階段を登って観客席へと移動する。といっても、カイナが観客席側の一番端に並んでいるのに合わせて段になっている観客席一段目、しかもその最前列をすでにクルザの大きな体が陣取っているため、二人はそこへ向かう。
「アナウンスはああ言ってっけど、先に喧しい解説係の選手紹介があっからまだ気張んなくていいぞ」
アムルスは倒していた上体を起こすと、退屈そうに再び後頭部の後ろで手を組み、目を閉じた。
「そうか。わかった」
短く返したカイナは、リオトから借り受けたマフラーを二巻きほどして首に巻く。
そのとき、ふわりと鼻腔を掠めた覚えのある香り。右手で鼻周りのマフラーを押さえ、今度はちゃんと鼻腔の奥へそれを吸い込んでみる。
―――リオトのにおい、か…。
なぜか、心が落ち着く気がした。
女の子らしさの欠片もないリオトは香りや匂いがするようなものは何もつけていないが、それでもこのマフラーには確かに香りとぬくもりが残っていた。
ガラにもなく年甲斐もなく子供のようにだいぶ興奮していたからちょうどいい。少し落ち着こう。
『さあて! 今年もやって参りましたベリトアの街名物第十三回バイクレース! 解説は今年もワタクシ! ミケラル六世がお送りしまあっす!』
「……個性的だな。いろいろと」
「個性的だろ? いろいろと」
観客席の最上段、下から三段目に見えるショッキングピンクとブルー、そしてグリーンの塊。目が痛くなるような奇抜な色で構成されたその人物はよく見ると髪が緑で服はショッキングピンクとブルーのチェックだった。あれが実況係らしい。カイナの眉が思わず歪む。
「まずはおなじみこの人! 今年も勝利をかっ攫い、前人未到の四連覇なるか! さすらいの赤き瞬速! ブザビオオオオ・ブッチ・ブッチャアアアア!!!!」
カイナとは真反対の端に並んでいるブザビオが高らかに拳を頭上へと上げ、拍手と声援が湧き上がる。
悪人であるはずが人々からの関心を得ていることに関して疑問を持ったリオトがレインに問いかける。
「みんなブサイクがズルしてることしらないの?」
「知っている人もいるよ。でも、見ている側の人たちからすれば盛り上がるようなおもしろいレースならなんだっていいの」
「他人事ってわけか…」
レインが悔しそうに唇を噛むと、その肩にクルザがそっと手を置いた。
『続いては! 今年こそ優勝なるか! 三年連続二位入賞の二番星! ゴルベーザ・テスタアアアアアア!!!!』
ブザビオの右隣の、歳はおよそ三十代ぐらいか、色黒で巨体の男が雄たけびと共に両の拳を天に向かって突き上げる。すると、観客席からブザビオのときと負けず劣らずの声援と拍手が巻き起こる。
三年連続二位入賞ということは、操縦技術もかなりのものだろう。バイクを見てもそうとう高性能であることぐらいは読みとれるが、具体的にどこが特化しているかまではさすがに読めない。
彼は要注意だ。
『お次はこの人! 今年はどれだけ金をかけたのか! 昨年にも増して純金が眩しいぜ!! バージィイイイイィ・ミュルトオオオォ!!!!』
筋肉質な巨体、というよりはただ単にふくよかという意味で大柄な三十代ほどの巨漢。豚足のような短くも太い脚が跨っているのはほかの参加選手たちと比べればかなりちいさな小型バイクだった。しかも、ハンドルと座席を除くすべての箇所が光り輝く純金で構成されている。日が当たってかなり眩しいらしく、観客席の一部の者たちは手をかざしたりうっとうしそうに眼を細めたりしている。
見ればわかるが解説者の紹介文句から察するに、性能だけでなく外装にまでかなり金をつぎ込んでいるようだ。
『続いては、優勝目指して突き進む! 荒野の爆走野郎とは俺のことさ! アムルス・フィスカアアアアァ―――ル!!!!』
アムルスが観客席に目線をよこしながら、右手の人差し指と中指を揃え、こめかみの横あたりで小さく振る。
なぜか顔をそむけたリオトの肩が震えていた気がするが、見なかったことにする。
『最後はなんと今年初参加! はたしていいのは顔だけか?! 括目せよ! 白銀のニューフェイス! カイナ・ベスティロットオオオオオオォォ!!!!』
心なしか声援と拍手よりも、黄色い声が多く大きかったような気がしなくもない。耳に突き刺さるような金属音にも似たそれにリオトが顔を顰めていると、不意にカイナがこちらを見て、頷きながら笑みを浮かべた。
自分に向けられていると勘違いしたのだろう。背後で再び黄色い声がした。
しかし、紅が捉えているのは間違いなくリオトだ。笑って頷き返す。
『選手は以上! 今年は五人でのレースだ! どんな結末が待っているのかは神のみぞ知るところ! しかし! 男ならその手で勝利を掴みとれ!』
実況係が場を煽り、観客たちは選手たちを食い入るように見る。
「そんじゃまあ、真剣勝負といきますか」
アムルスは軽く背伸びをして体をほぐし、ハンドルに手を置いた。
「ああ」
カイナもまた目よりも上につけていたゴーグルを正しい位置にはめる。
『皆々様、お待たせいたしました。それでは! ベリトアの街名物、第十三回バイクレース、
――――スタアアアアァァ―――ット!!!!』
二半刻=約15分




