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師匠と弟子の旅路録  作者: 蒼理アオ
参.激走バイクレース!
37/101

「えっ、……くしいった!?」


 一瞬の痛みのあとに口内にわずかに広がる鉄の味。

 くしゃみをした拍子に舌を噛んだのだ。右手を口に添えてリオトは盛大に顔を顰めた。肩でも凝ったのだろうかと左手を添えた右肩を回しながら、ひょっとしたら勝手にパーツの材料調達に行ったことを知った師がなにか言っているのかもしれないと考える。さっさと集めて帰るとしよう。

 しかし、気になることは他にもある。


―――なーんかさっきから視線が背中に刺さってんだよね……。


 街から南へ下ること二キロ足らずの、街のすぐそばにあるこの森に入って早三十分ほど。視線が背中に刺さり始めて早二十分ほど。

 どう考えても尾行されているのは明らかだった。狙いがなにかは知らないが、気配が複数であることから大方ブサイク……、ではなくブザビオの子分たちだろう。

 先だっての誘拐未遂事件のこともあるが、標的がたった一人でいるにもかかわらず、手を出してこないということは違うのだろう。

 それにしてもこれで気配を隠しているつもりでいるのだから片腹痛い。少なくとも魔物や動物だったらとっくに見つかっているであろう程度には気配がダダ漏れである。


「えー、っと……」


 とりあえず気づいていないフリをして採取を続け、終わったら適当にあしらって帰ろう。

 そう考え、リオトはガサガサと茂みを踏みわけ、ときにはその場にしゃがみこんでかき分け、目を凝らす。玄次郎によれば、サユラ草はふちがギザギザした円形の葉で、そう珍しいものではないと言っていた。ならばすぐに見つかるはずだ。

 生え茂る草に触れ、これじゃないあれじゃないとブツブツ呟きながら搜索していると、両手はやがて土をかぶり、肌色を焦げ茶色に変えていく。大して痛くもないので気にしていないが、ときおり走る痛みは草による切り傷だ。


「んー、………お…?」


 やがてリオトは忙しなく動かしていた首と目を止めた。蒼色が捉えたのは固まって群生している何本かの草。細い茎が二、三枝分かれした先についているのは話に聞いていたとおりの縁がギザギザした丸い円形の葉。

 リオトはそのすぐ傍で膝をつくと、試しにそれを一つ摘み取り、適当にくしゃくしゃと丸めて石で荒くすり潰してみた。すると、細胞や繊維が壊れた葉や茎からにじみ出る光沢のある液体。触れてみるとぬるりと指先に絡みつくそれはまさしく、


「油…、ってことはやっぱりこれがサユラ草!」


 湿った指を地面にこすりつける。もちろん土がつき汚れたが、油がとれればそれで良かったので気にしない。汚れていない左手でさらに何本か必要な量を摘み取り、玄次郎から借りた袋に入れる。もちろん、茎から上をちぎって摘み取るのではなく、周りの土を掘り返して、葉っぱの先から根っこの先まで無傷の状態で。

 あとはリコット鉱石のみ。どちらも森で採れるということは、近くに岩場があるのだろうと、リオトは場所を移動する。もちろん、気づかれていないつもりでいる気配たちも一緒に。

 とそこで、何とも間の抜けた音がリオトの耳に届く。くわえて感じる腹部の違和感。いわゆる腹の虫である。


「そういえば、腹、へったな…」


 正確に現在の時刻を知ることが出来る物は持ち合わせていないが、そういえばそろそろ昼食時にさしかかる頃か。

 玄次郎からパーツの材料のことを聞いてそのまま飛び出してきてしまったので、今のリオトの胃は空っぽである。もしもカイナがこの場に共にいたなら、後先考えないからだと呆れ混じりにため息をつかれていただろう。


「なにかあったかな…」


 後ろ手に腰のポーチを弄っていると、指先に何かが当たった。それを掴み出してみると、それは銀紙に包まれた非常用固形携帯食料だった。

 長さ十センチ、横二センチ、幅一センチのそれを視認するや否や、リオトが顔を顰めた。なぜなら、その非常用固形携帯食料は、《類を見ない不味さ》なのである。元々携帯食料や保存がきく非常食料はお世辞にもおいしいと言えるものなどあまり無いが、なかでも今手にしているコレは過去イチ、つまり今まで食べてきたどの非常用固形携帯食料よりも不味いのである。リオトだけならまだしも、カイナでさえ終始顔を顰めながら食べていた上に普段自分からあまり間食をしない彼が不愉快そうに顔を顰めたまま口元に手を添えて、すまないが口直しにチョコを一つもらってもいいかとまで言ってきたぐらいなのだから間違いない。

 また金に困って一番安い携帯食料を買うことになったら、もう二度とこのふざけた子供のらくがきのような印のものだけは買うまいと二人で固く誓いながら、いろいろな意味で捨てるわけにもいかないので我慢して無言で毎日食べ続け、ついこの間やっと消費しきったと歓喜していたのに、まだこんなところに生き残りがいたとは…。

 空腹であるため食料が見つかって嬉しいはずなのだが、素直に喜ぶことが出来ない自分はわがままなのだろうかとしばし心の中で葛藤した後、観念したリオトは息を一つついて一拍置き、銀紙を開く。露わになった赤色のそれ。おそらく食欲を促すために赤色に仕上げたのだろうが、その効果は今の今までついぞ表れたことはない。もう少し透き通った透明感でも持たせられればまた違ったのかもしれないが、いかんせん今目の前にあるそれはまるで安物のグミ──実際安物だが──のような不透明さしか備えておらず、普通のグミと比べたら大きさが異なるせいかやはり何度見てもおいしそうには見えない。

 未だわずかに残るためらいがリオトを神妙な面持ちにさせる。理性がそれを握る手を口元から離そうとするが、脳がその行動を制御し、口へ運ぼうともさせる。二つの意思がぶつかり合い、グミもどきの携帯食料を握る手が小刻みに震える。

 そして、


「…はむっ!」


 グミもどきを口に押し込む。歯がその一部を噛み千切った。食べ応えと満腹感を重視したゆえのぐにぐにとした食感と形容しがたい味がリオトのテンションをだだ下がりにさせる。口直しにチョコでもあればまだ元気が出るが、残念ながらチョコを所持、および管理しているのはカイナである。高いので無駄に消費しないためらしいがこういう時はツライ。

 しかし仕方もないのでリオトはそのまま食べ進めながら歩を進める。

 途中で細流を発見し、喉を潤して再び森林を歩き出す。少しして、一部分だけ山肌がむき出しになっている場所を見つけた。近づいてみると、やや明るめの黄土色の土の中には大なり小なりいくつかの岩石が埋まっていて、それらの岩石からはまるで結晶石のように鼠色の鉱石が突き出るようにして生えている。

 そしてその鉱石には、特徴的な白い横縞が走っている。

 間違いない。これがリコット鉱石だ。


「採掘採掘、っと…」


 リオトが鼻歌交じりに腰のポーチから取り出したのはそら豆のような形をしたなにか。上部、および底部の両方には長さ一センチ、幅三ミリというわずかな隙間が開いており、手のひらにちょうど収まるぐらいの大きさのそれは中にいくつかの道具が備え付けで収納されている携帯できる七つ道具セットである。ちなみに持ち手部分にあたる部位の形がそら豆と似ている理由は、手にしっくりなじむ形を意識して作られているからだと前にカイナから聞いたことがある。

 以前、偶々入手したのだがカイナはもう似たようなものを持っていたので、役立つこともあるだろうから持っているようにと言われたものだった。


 それを二、三回軽く振ると、底部に開いている隙間から先端が針のように鋭利なピックが出てきた。それを使って、リコット鉱石の根元を削っていく。左手は鉱石に添え、右手に力を入れて勢いよく根元に何度もピックを突き刺す。ピックを突き立てるたびにちょっとずつ根元が欠けているところを見ると、特別硬い鉱石というわけでもないようだ。

 注意すべき点は削った際の破片が目に入らないように気を付けること。そして、誤って左手や鉱石の根元から上を傷つけ無いこと。


「とれた…!」


 しばらくして、根元の半分以上を削り終えると、鉱石は自身の重さに耐え切れずパキリと折れ、母体の中から外へと産まれいず嬰児えいじのように自ずと生えていた岩石の元を離れた。

 採掘できたリコット鉱石は、女性という括りの中で言えば平均よりもやや大きめのリオトの手のひらを少し上回る程度の大きさだった。玄次郎に作成を頼むパーツはそれほど大きくないし、これ一つで十分だろう。

 出した道具をしまうには七つ道具の持ち手部分の、親指を添える箇所のすぐ上についているスイッチを押せばいい。そのスイッチを押してピックを内部へ収納すると、リオトはそれをポーチへしまい、左手に持っているリコット鉱石は足元に置いている道具袋の中へと入れる。


「これでノルマは達成、っと…」


 頭上の木の上にいる気配たちには聞こえないであろう声量で呟いたリオトは、わずかな重みを感じる道具袋を手に踵を返してきた道を戻る。

 その方向でリオトが目的を果たし街へ戻ろうとしているのがわかったのか、次の瞬間にはリオトは前後左右の四方を囲まれていた。


───やっぱ出てきたかめんどくせェ…。


 内心げんなりしながらとりあえず正面にいる男にガンを飛ばす。

 赤色、というよりは朱色ともとれるだいだいがかった赤っぽい髪の毛に、盗賊のような簡易な服装と装備、首元には髪の毛と同じ色をしたバンダナが巻かれている。

 はて、どこかで見たような…。


───あ、ブサイクの子分たち…。


 始めから子分だと見切りをつけていたのは、似たような輩に出会いすぎて、そういうたぐいの連中の大体のメンバー構成が読めるようになったから。

 ちなみにいえば、このあとのセリフを言い当てられる自信もある。おおかた《今手に持っているブツをこっちへよこせ》とでも言ってくるだろう。


「今手に持っているブツをこっちへよこせ」


 呆れからリオトの目がジト目になる。


───一字一句違わずこちらの予想に沿うこともないだろうに…。


 お次はたぶん、《逆らうならてめえの命もろとももらってくぜ?》、あたり。


「逆らうならてめえの命もろとももらってくぜ?」


───なんだこいつら、読心術でも使えるのか…。


「ちなみに聞くが、オレからコレを奪い取ってなにに使う気なんだ?」

「お前らの代わりに、ブザビオのアニキがそれを使って部品を作るのさ」


 ならば自分で集めればいいだろうがとつっこみたい。


「じゃあなに、渡したら命だけは助けてくれるわけ?」


 腕を組み、ジト目のまま問いかけると、今度は真後ろにいる男が言葉を返してくる。


「そうだな、まあ、てめえの態度次第だな」


 肩ごしに後ろを見やれば、正面の男と服装は同じだがバンダナを首ではなく左の二の腕に巻いた男が顎に手を添え、値踏みするな粘着質な視線がリオトの頭の先から足の先までを駆け巡る。

 舎兄が舎兄なら、舎弟も舎弟である。


「逆らわない方がいいぜボーズ。このオジチャンはお前みたいなかわいいショタに目がねえからよお?」

「変なケイケンしたくなかったらおとなしく渡しな」


 てっきり女だと感づかれているのかと思ったが、そうではないらしい。同じような展開は免れないようだが。

 左右からゲラゲラと笑い声が上がり、背後の気配がジリジリと迫る。

致し方あるまい。


「お断りだ。この袋の中身をくれてやるつもりはないし、今後役に立たない経験をするつもりもない」


 言いながら道具袋の紐をベルトに巻き付けて結び、固定する。


「なら、しかたねえな」


 まずは誰が仕掛けてくるのか。構えながら警戒する。

 不意に視界の下部に赤い光の飛沫が掠った。

 既に足元に詠術による詠唱陣が展開されていると理解したリオトはサイドステップで右へ退きつつ、そのまま右側にいる折り曲げたバンダナを額に巻いたブザビオの手下へ仕掛ける。その男が詠術を発動させているからだ。その証拠に、男の足元にはリオトの足元にあったものと同じ赤い詠唱陣が展開している。

 間合いを詰める頃には背後の詠唱陣から火柱が火の粉を散らしながら上がっていた。あと二、三秒でも気づくのが遅れていたら丸焦げになっていただろう。攻撃がくると悟った男は防御体勢をとろうとするが、リオトの動きの方が速かった。若干の熱を背中に感じながら、がら空きのみぞおちに右ストレートを打ち込んでまず一人撃破。

 続けて背後から迫る気配と足音。肩越しに後ろを見れば既に握られた拳が迫っている。舞うようにくるりと身を翻しながらよけ、攻めようとするが既に再び拳が迫っていた。


「おっと、」


 リオトは首を曲げてかわす。赤のバンダナを左の二の腕に巻いた男からなおも繰り出される拳閃けんせんはかわせないほど動きが速いというわけでもない。拳撃の一つ一つがすべて見えているし、手で受け流していなすこともできる。ハッキリ言って恐るるに足るほどのものではない。たとえ防御の一手のみを強いられ後退ばかりしていようとも、リオトはさして焦っていなかった。されど邪道なまでの拳の乱れ突きはいささか鬱陶しい。

 すると、突如攻撃が止み、二の腕のバンダナの男が視界から消えた。

 かと思えば、男と入れ替わるように眼前には高く隆起した地面が迫っていた。


「ちっ!」


 大地に働きかける力ということは地属性の詠術。やられた。他にも詠術が使える奴がいたようだ。

 地を大きく後ろへ蹴り、バックステップ。頭部を守るために前に出した両腕に隆起した地面の尖った部分が掠ったが、擦り傷で済んだ。

 再び詠術を使わせないため首を回して術者を探す。すぐに見つけた。残り三人のなかで、リオトから一番離れた位置に立つ首にバンダナを巻いた男。足元にはまた詠唱陣が浮かんでいた。させるかと仕込みナイフを出し狙いを定めるが、


「よそ見してんじゃねぇぞ!」


 背後から声と共に降ってきたのはさっきの拳、ではなく両刃の片手剣だった。すかさずよけるが、リオトと術者の間に入られてしまい距離とともに壁ができる。

 ふふんとしたり顔をする右手首にバンダナを巻いた男は、さらに剣を振りかざし迫る。ならばとリオトは剣閃をかわして大きく飛び上がり、空中でナイフを投擲とうてき

 しようとした矢先に脇から迫る拳。

 やむなくリオトはそちらを回避しつつ地面に着地。なおも迫る、拳とつるぎ


―――詠唱が終わるまでの時間稼ぎか…。


 剣と拳の連撃で相手を黙らせ、術者の守護と詠唱時間を稼ぐ戦法。

 敵ながらなかなか頭はあるようだ。今までレース参加者の妨害をし続けた結果こんなチームプレーを身につけるとは。

 もう少しマトモなことに活用してほしい。


―――術者だけでも仕留めないとな…。


 交互に繰り出される剣と拳をかわし続けながら、リオトは思案する。なにか。手が、必ず隙があるはず。

 すると、二の腕のバンダナの男が大きく踏み込んで間合いを詰め、リオトのみぞおちに正拳突きを見舞う。クリーンヒットだった。


「がっ!!」


 拳に詠力を纏わせていたのか、重い一撃がリオトの体は後ろへ大きく吹き飛んだ。空中で受け身はとれたがバランスを崩し、着地と同時に片膝をついた。さらに詠術の追撃がきた。俯いていたリオトの瞳に詠唱陣が映る。明るい黄土色。また地属性だ。

 足元の大地が歪み、割れ、意志あるように隆起し、そそり立つ岩がリオトを中心にして呑み込むように乱立し、閉じ込める。

 勝利を確信した男たちはにんまりと笑いながら、リオトが閉じ込められている岩塊がんかいへ歩み寄る。

 が、まだ終わりではなかった。

 乱立する岩塊がんかいの隙間から、光が漏れだしていた。紫色の、淡い光だった。

 男たちがいぶかり眉をひそめていると、岩塊がんかいにぴきぴきとみるみる亀裂が走っていき、やがて前触れもなく中から爆発するように弾け飛んだ。巻き立つ砂埃にせき込み後ずさりながらも、男たちは目を守るために前へかざした指の隙間から前を見続ける。

 やがて晴れてきた砂埃の中からは、ひどく顔を顰めたリオトが姿を見せた。口元はニヤリと笑っているが、額には心なしか青筋が浮かんでいるように見える。肩に担いでいるのは既に抜刀済みの漆黒の愛刀、黒魂魄くろみたま

 身に突き刺さるような溢れんばかりの殺気は、黒狼リオトがキレたことをありありと表現している。

 男たちは完全に気圧けおされていた。


「いいだろう。その《ケンカ》、買ってやる!」


 仕切り直しを告げる声は、たけいかる狼の唸り声にも等しく。



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