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師匠と弟子の旅路録  作者: 蒼理アオ
参.激走バイクレース!
33/101



 カイナが借りているガレージはクルザの店の裏にあるクルザとレイン親子の家のあいだから通路が通じており、わざわざ外側からでなくても直接行けるようなっていた。

 レインに盆を借り、カイナの分の夕食を届けに来たのだが、


「フフ、フフフフフ…」


 当のカイナはコートとロングベストを脱ぎ、黒のワイシャツ一枚にクルザから借りた簡素な作業用の前掛けを身にまとい、工具を手にディーヴをいじりながらなにやら怪しげな笑い声をエンドレスでガレージ内に響かせていた。現在は日も暮れているので、余計に怪しい。


「フフフフ、フフ…、フッフフフフフ……」


───ホント、楽しそうだ…。


 未だリオトに気付かず背を向けた状態なので表情はわからないが、きっと子供のように純粋でさぞ楽しげな笑みを浮かべていることだろう。

 しかしなおも響き渡る笑い声は、まるで大きな野心と欲望を胸に高度で緻密な策略を着々と進めえつに浸る悪者を連想させる。

 バイクが本当に好きで、心底楽しいからこそ出る笑い声なのだろうが、微妙に声のかけづらさを感じたリオトは黙って置いていくか、一声かけていくか迷い、通路を出たところで立ち尽くしていた。

 その三十秒後、カイナはディーヴに顔を向けたまま、左手を動かした。しかしその手は辺りをまさぐるばかりでなにも掴まない。

 大きな背中に隠れてよく見えないが、右手はなにかを押さえているようだった。もう少し伸ばせば無造作に転がっているレンチに手が届くのだが、視線は手元に向けたままだからか気がついていない。予想と実際の距離感に少しのズレがあったようだ。

 近くにあった汚れていない台に盆を置いたリオトは小走りで近づき、カイナの前腕辺りを掴んでレンチの方へ近づける。作業中は工具が油やすすで汚れているから素手で触らないようにと以前カイナに言われたのだ。手袋に包まれている指先がすぐにレンチに当たり、カイナはレンチを掴みながら首を動かした。


「すまない、ありがとうリオト」


 すでに人物に察しがついていたことに内心少し驚く。


「いえいえ。ご飯持ってきたんですが、どうしますか?」


 探し物がレンチであっていたことに安堵しつつ問うと、カイナはそうだな、と呟きながら手にしたレンチでボルトをしっかりとしめる。


「今もらおうか」

「あとでもいいですよ? そこの台に置いてますから」


 作業中に入ってきたことで気を使わせてしまったかもしれないとリオトはそう付け加えるが、カイナは首を横に振り、散らかしていた工具や部品を簡単に手早く片付けると、手袋を外してガレージの隅にある簡易な洗面台に向かい手を洗う。


「今ならちょうど作業のキリがいいんだ。没頭して忘れてしまわないうちに食べておいた方がいいだろう」


 冷めてしまうしな、と付け足しながら作業用の前掛けを外し、簡単にたたんでディーヴの座席の上へ置く。


「リオト、こっちにテーブルがあるから、すまないが夕食を持ってきてくれ」

「え、テーブル?」


 首を動かすと、カイナ越しに少し古ぼけた木製のテーブルと、それを挟んで向かい合わせに並ぶ椅子が目に入った。

 ガレージに入って左側の隅にあったので、入ってすぐの正面で作業をしていたカイナに気を取られて気がつかなかったようだ。

 皿を割らないように静かに盆をテーブルに置いたリオトはテーブルを挟んでカイナの向かいに座る。


「いただきます」


 行儀よく手を合わせたカイナは、まずレタスとパプリカの彩り豊かなサラダを食べることから始めた。とても新鮮で瑞瑞しく、歯ごたえもシャキシャキとしっかりしていた。


「ディーヴはどうですか?」

「ああ。すべてのパーツを買い換えるという選択肢は正解だったようだ。長らく替えていなかったし、ちょうどよかった」


 皿に三つ盛られたパンのうちの一つを手に取り、一口大にちぎって口へ運ぶ。咀嚼し飲み込むと、もう一口パンをちぎって食べた。

 コップの水を口へ含み、喉を潤したら、メインディッシュのロールキャベツに手をつける。平皿に二つ盛られているうちの片方を左手に持ったナイフで切り込むと、中まで染み込んでいたトマトベースのスープがひき肉の肉汁とともに溢れ出した。右手のフォークで一口サイズに切ったロールキャベツを口へと運び、咀嚼する。

 噛めば噛むほどじゅわりと溢れ出すひき肉の旨味とキャベツに染み込んだスープがたいへん美味だ。


「おいしいでしょう?」


 カイナの心を見透かしたようにリオトが笑う。


「ああ。レインは料理上手だな」

「はい。すごくおいしかったです」


 微笑を返し、次にまたサラダをたべ、それからロールキャベツにパンと続き、順番にバランスよく食べ進めていると、でも、とリオトが言葉を改める。


「やっぱりオレは、師匠が作るスープの方が好きです」


 照れ笑いをうかべるリオトに、カイナは思わず呆気に取られた。自分が作った料理が好きだ、なんて、もうずいぶんと長い間言われていなかったからだ。

 そういえばこの子は初めて出会ったときに食べさせたスープをたいそう気に入ったらしく、以来定期的に作ってほしいとせがんでくるようになったのだったか。確か、つい三日前にもせがまれて作ってやったはず。

 胸の奥深くにとてもあたたかな光が灯る。そのあたたかさが心地よかったからか、単に他者からの褒め言葉が嬉しかったのか、はたまたはにかみながら笑う弟子リオトが微笑ましかったのか、カイナはフッと表情を緩めて笑った。


「そうか」

「はい!」


 問いかけたわけでもないのに、力強い肯定が帰ってきた。

 そんなことを言われると、やはりカイナの手は迷いなくリオトの頭へと向かい、長い腕がいともたやすくテーブルの上を跨ぐ。

 すると、やはりリオトはいつものように嬉しそうにへにゃりと笑うのだった。




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