肆
「レースに出るなら、パーツはすべて新しくする必要があるな…」
手始めにクルザの店にあるパーツをじっくりと見たあと、北へ三百メートルほど離れた人が行き交う通りで、口元に手を添え、呟くカイナの口から次々と単語が出てくる。それがバイクのパーツの名前であることはかろうじて理解できたが、細かなことまではわからなかったリオトは口は挟まず、隣で器用に人をよけながら考えを巡らせ続けるカイナをパーツ屋へと導く。
「リオト、所持金はいくらだ?」
おもに財布の紐を握っているのはカイナだが、念のためリオトにも一定の額の小遣いを常に持たせている。しかし、金の使いどころもちゃんとカイナから学んでいるため、滅多に使うことはないので懐はまだ温かい。
リオトは首を横に振って答える。
「まだ五千以上はありますから大丈夫です。寝床も確保できてるんですから、まあそう気にせずたまにはバーンと使っちゃったらいいんじゃないですか?」
金が無いわけではない。無いにしてもどこかで賞金首を一人捕まえれば、もらえる賞金は安くてもミスリル銀貨一枚、つまり十万ソルド。
今二人の手元には昨日捕まえた賞金首の懸賞金である三十万ソルドがある。次にどこで賞金首を捕まえられるかはわからない。下手をすれば次の収入は一ヶ月後ということもザラだ。いつもなら宿代や食事代を懸念し財布の紐をかたく結ぶところだが、クルザとレインの厚意により少なくともこの街にいる間は寝食の心配はいらないため金に余裕がある。
バイクのパーツが高くつくものだということはたまに行うディーヴのメンテナンスを傍観していたリオトも知っていた。
いくら余裕があるとはいえ個人的な理由で出場するレースのためだけに大金をはたくことに後ろめたさを感じているのだろう。カイナはしかし、と渋る。
「今更何言ってんですか。もう参加申告もしちゃいましたし、スパッと諦めてサクッと優勝しちゃってください」
リオトの軽い口ぶりに、カイナはやれやれと肩をすくめながら苦笑する。
「初参加で優勝など、随分と簡単に言ってくれるな」
「簡単に言いますよ。だって、」
リオトは足を止めて振り返る。
「オレの師匠はなにをしても完璧で、誰にも負けたこと無いんですから」
確固たる確信と自信に満ちた、頼もしささえ感じる言葉と声だった。カイナをまっすぐに射抜く緋色の瞳に宿っているのは期待なんかじゃない。それは、ただの、師に対する弟子としての尊敬と、有無を言わさぬほどの信頼。
あまりにも率直で、はっきりと言ってのけた弟子に数秒間呆気にとられたあと、カイナは再度肩をすくめながら、困ったように笑った。
「まったく…、お前は私を過大評価しすぎだ」
「過大評価かどうかは、一週間後に明らかになりますよ」
「お前がそこまで言うなら、私は全力でその信頼と言葉に応えるしかないな」
頭を撫でてやると、自信に満ちていた笑みがへにゃりと崩れ、嬉しそうなはにかみに変わる。まるで子犬か子猫のようだ。リオトの場合は主人にだけ素直で従順で単純だから、犬だ。
「お、ちょうどその店がパーツ屋のようだな」
ふと視線を動かせば、数メートル先のネジの絵が描かれた看板に気がついた。撫でるのをやめ、歩き出したカイナのあとを未だ嬉々とした表情のリオトが追いかける。
二人が店の前まで歩いてきたところで、不意にガチャリと扉が開いた。二人が反射的に足を止めると同時にまいど!という主人の声を浴びながら男が出てきた。
二人をすっぽりと覆い隠してしまえるほどの大きな影を作る大柄で筋肉隆々の体は色黒く、その身をタンクトップとノースリーブのジャケットに包んでいるが、体がデカすぎるのか服が小さすぎるのか、まるで大量の水を浴びて服が肌にハリついているかのようにピッチリとして、体のラインから筋肉の形までをありありと綺麗に表している。巨顔の真上で重力に逆らい一寸の乱れもなく縦一列にまっすぐにそそり立つ赤毛はまるで鶏の鶏冠のようだ。
その周りには取り巻きか、同じ赤毛に赤いバンダナを首に巻いた男達が四人。それぞれ一つずつ大きな袋を抱えて立っている。
カイナとリオトに気がついた男は猪首を曲げ、二人を見る。
「お前らもレース参加者か」
この時期にパーツ屋に入る人間はイコールレース参加者という方程式でも出来上がっているのか。男は早くも半ば確信したように言う。
「そういう貴殿も、見たところ参加者のようだな」
わずかに警戒心を抱くカイナは表情と声を鋭くさせながら返すと、男はニィと気色の悪い笑みを浮かべて笑う。
太いカサカサの唇から不揃いの歯と幾つかの金歯が見え隠れする。
「残念だったな。今回も優勝は俺がもらっていくからな」
今回も、という単語に眉をぴくりと動かしたのはリオトだ。言い返そうと踏み出しかけた単細胞弟子を後ろ手で止めて制す。
一方で。師匠はお前なんかに負けない。そう言おうとしていたのに、止めれてしまったリオトの口から言葉にならない怒りと抗議が入り混じった声が漏れる。押し退けようにも、力が込められた師の腕はそう簡単に退かせなかった。数秒間格闘したがびくともせず、そのうち諦めて暴れるのをやめた。
リオトがおとなしくなったことを確認すると、カイナはリオトを止めていた腕を下ろし口を開く。
「上等だ。初出場でそうやすやすと優勝できてしまうようでは、張り合いがないからな」
関心したように男はへえ?と呟く。
「てめえ、名は?」
「人に名を尋ねるなら、まず自身から名乗るのが礼儀だと思うが?」
カイナが珍しく突っかかる。男はますます興味を抱いたような素振りを見せた。
「言うじゃねえか。俺様は孤高のスーパーライダー、ブザビオ・ブッチ・ブッチャー様だ」
自称であると丸分かりの通り名を自ら名乗った上に、一々名前の頭文字に力を入れるものだから、後ろでリオトが吹き、肩を震わせ声を押し殺して笑う。本当に喧嘩になると面倒なのでバレる前に肘で小さく小突いてやめさせようとするが、ドツボにはまっているらしく肩の震えは当分収まりそうにない。
ため息をつきながら、カイナは体格差を使って自身の体でリオトを隠しながら名乗り返す。
「カイナ・ベスティロット」
「てめえのツラと名前、確かに覚えたぜ。一週間後のレース本番までに、せいぜいご自慢のバイクを鍛えとくんだなぁ?」
そんな捨て台詞をおいて、男、ブザビオは薄ら笑いをうかべ取り巻きたちとともに去って行った。
ようやく笑いが収まったリオトが目じりにうっすらと浮かんだ涙を拭いながら四つの背中を従えて歩き去るデカイ背中を睨みつけていると、頭になにかが乗る。
「よく我慢したな。偉いぞ」
向けられた紅の双眸が細められる。
大きな手のひらから伝わる優しい温もりがリオトの中で沸き立つ怒りを鎮めていく。弟子の言動が師の品格であるという、昔どこかで聞いた言葉を覚えていたとは言わず、照れ隠しか未だ怒っているのかリオトはなにも返さず、ただ頬を膨らませてそっぽを向くのみだった。




