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師匠と弟子の旅路録  作者: 蒼理アオ
壱.放浪する師弟
3/101




「───お待たせいたしました」


 女性がワンピースとエプロンの裾を揺らして出来たばかりで湯気を立てる料理がのった皿をテーブルに置いていく。瑞々しいサラダが乗った大きめの木のボウルは中央に、主菜メインの皿は人数分頼んだので、丸いテーブルを囲んで座る三人の前にそれぞれ静かに並べられていく。


「ありがとう」

「あ、い、いえ!」


 律儀に礼を述べ微笑むカイナと目が合い、女性は思わず返事を噛む。その頬はわずかに紅潮していた。皿を運び終え、ご、ごごごゆっくりどうぞ!とやはり噛み噛みの挨拶を残し、女性は赤くなった頬を押さえてそそくさと早足で戻っていく。


「やーいたらしー」

「………」

「あ!  ちょっ!  すいません冗談です!」


 にしし、とリオトがからかうように笑うと、リオトの正面に置かれている皿を隣に座るカイナが無言で取り上げる。とたんにリオトが謝り倒しながら縋るようにその腕をガシッと掴んだ。


「人聞きの悪いことを言うな」

「カイナさん、カッコいいですもんね」


 この言葉はお世辞ではなく本心だった。すっと通った鼻や、やや鋭いものの穏やかな光を宿す紅の双眸、形のいい唇と、顔は作り物のように端整で、その笑みは同性であるレイグでもほんのり頬を染めてしまう。さらにスラリと背が高く、体つきは服の上からでも適度に鍛えられていることが窺える。くわえてどこか気品あふれる、物腰やわらかな雰囲気と口調。

 彼が一度ひとたび街の通りを歩けば、きっと振り返らない女性はいないだろう。


「だろー? それはもう見てるこっちがおもしろいぐらいモテて……、ちょっ!  わかりましたすいません黙ります!  黙りますから!!」


 取り返した皿が再び取り上げられ、リオトは懇願するように叫び、皿を奪還する。


「でも、リオトさんも颯爽と現れて僕を庇ってくれましたし、すごくかっこよかったです」

「フフン、そーだろうそーだろう」


 得意げに鼻を鳴らして腕を組むリオトに、なぜか呆れ顔をしながら右手で頭を押さえるカイナ。その意味がわからないレイグは首を傾げる。


───また調子に乗ってる…、とかかな。


 落ち着いたところで三人は早速それぞれナイフやフォークやスプーンを手に取る。


「ここは酒場だから色々な人達が来るので少し騒がしいかもしれませんが、ご飯はすごく美味しいんですよ」


 後ろの壁際の席で酒を煽りながら大声で話をしている中年の男達を一瞥しつつ言うレイグの正面で、カイナとリオトが早速運ばれてきた料理を口にする。静かにもぐもぐと咀嚼した後、二人の顔が綻んだ。


「うまいな」

「ですね」


 顔を見合わせて頷く二人によかったぁと胸をなで下ろしたレイグは、玉ねぎと人参とニルス鶏のスープをスプーンで掬い、一口啜る。

 温暖な気候の地方にあるニルス村で育てられていることからそのまま命名されたというこのニルス鶏はクセのないあっさりとした味わいで、そのニルス鶏と野菜を煮込んで作られたスープはレイグのお気に入りであり、ここへ来たときはいつも注文している。


「…聞いてもいいですか?」

「なんだ?」


 少しの間黙々と食事を進めたあと、バスケットからパンを一つ手にとったカイナと、もきゅもきゅとサラダを咀嚼するリオトに一番気になっていた質問を思い切って問いかけてみる。


「お二人共、先ほどこの街へ来たばかりと仰っていましたし、旅人さんですよね?」


 生まれてから今日までの十八年間をずっとこの街で過ごせば、見かけない顔かどうかの判別ぐらいは付くというもので、二人が街の外から来た旅人であるとレイグは既にわかっていた。

 なにより、二人の服装はどう見ても旅向きの動きやすいものだし、銀というよりも、雪のような白髪や、宵闇を彷彿とさせるような漆黒の髪はこのあたりの街や地方じゃまず見かけない。


「ああ、正解だよ」


 ごくんとサラダを嚥下したリオトは短く返してこんがり焼けているパンに手を伸ばす。一口齧れば、きつね色のカリッとした表面の向こうからもっちりとした柔らかな生地が顔を出す。


「どこから来たんですか?」


 レイグが瞳を輝かせて問いかける。この街は住み慣れた故郷でありそれなりの愛着があるとはいえ、少なからず外の世界への憧れもあるのだろう。


「どこ、ということもないのだが、以前にサリウス地方の山奥に住んでいたことがある」


 街の外に出ることが無くとも、この世界の地図ぐらいはレイグも目にしたことがあり、少しなら覚えている。

 確かサリウス地方は地図の左上にあるユメール大陸北東部の広い山林地帯だが、注目すべきはそこからこの街までの距離である。

 今レイグたちがいるこのオーグレスの街はそのユメール大陸と海を挟んだ隣、地図では左側から中央に掛けて大きく描かれているラビア大陸南西端のレダー地方、その外れにある。一ヶ月や一年で移動出来るほどの距離ではないとすぐにわかり、レイグは絶句する。その旅路はあまりに遠く、険しかったに違いない。


「そんな途方もない距離を旅してこられたなんて、お二人ともすごいです…」

「大げさだな。旅はそういうもんだぞ」


 ほわぁと幼子のように目を丸くするレイグに苦笑混じりに言うと、リオトは残り一口大になったパンを一気に口の中に放り込んだ。むちむちした歯触りで、どんな料理にも合うよう素朴な味に作られている。


「それに、私たちには便利な足(・・・・)がある」

、ですか?」


 水を喉に通してから、ああ。とカイナが頷いた。

 旅人の足といえば、専ら馬ぐらいしか思い当たらないが、彼らの言い方から察するにそんな類のものではない気がする。

 しかし早くもほかに思いつかず、カイナに先を促す。


「レイグはバイク(・・・)を知っているか?」


 カイナに問われ、レイグは木のスプーンでスープを掬おうとして手を止め、昔どこかで耳にした話を思い返す。


「えーっと、燃料を入れれば動く大型の機械で、あまり見ないということぐらいしか……」


 レイグがあまり知らないのも無理は無い。彼の言うとおり、鉄の馬(バイク)というその機械自体が世間や流通に出回っておらず、街で機械関係の工房を営む者達に聞いたって皆揃って首を傾げることだろう。


「その通りだ。燃料供給型高速原動機、機械で作られた馬と例えて、通称鉄の馬(バイク)だ。私達はそれに乗って旅をしている」


 。聞けば聞くほどその言葉のなんと魅力的なことか。好奇心と興味を掻き立てられたレイグは少々興奮気味に問いかける。


「どこまで行くんですか? 目的は?」


 すると、カイナは食事をすすめる手を止め、まっすぐにレイグを見つめる。


「レイグ、君はこの世界に果て(・・)があると思うか?」


 改まったカイナの問いをすぐに飲み込めなかったレイグは言葉が出ない。今まで一度も考えたことのない問いだったからだ。

 レイグが彼の言葉をゆっくりと反芻している間に、その場にしばしの沈黙が降りる。


「……考えたことはないですけど……、それって《この世界の地図の端》っていうことですよね」

「そうだな。ある意味ではその解釈もあながち間違いではないが…」


 器用に音も立てず、カイナは主菜メインディッシュのステーキをナイフとフォークで切り分け、口へ運ぶ。容姿端麗なるゆえか、その姿は妙に優雅に見えた。

 ステーキといっても特別上等な肉というわけではなく可もなく不可もない普通の肉なので、肉の繊維や筋が荒く、大抵の人はどうやってもカチャカチャと音を立ててしまうのだ。

 地図の端、といっても地図に描かれているこの世界の大陸の回りはすべて海だし、それを突き抜けても誰も知らない土地や大陸なんて無いはずで、地図の図面が切れるところに大陸など記されていない。

 こんがらがってきた。


「……本当にあるんですか?」

「さあ?」

「あるんじゃねぇの?」


 大丈夫かこの二人…。

 笑みをたたえたカイナとまるで他人事のようなリオトの温度差のある返答が重なる。アバウトな返答が返され、聞きたかった夢溢れる話は期待できそうになく、レイグは小さく肩を落とした。


「わからないからこそ、私たちは答えを求めて旅をしている、と答えておこう」

「そんな取り留めの無い旅なんて、旅費がすぐに底をつくんじゃ……」

「ああ、それなら大丈夫」


 とリオトは変わらず軽く返してステーキの最後の一口を頬張り、食事を終えたカイナは再び優雅に水を飲んで続ける。


「ちゃんと収入源はある」

「と、言いますと…?」

「それは、今は言えないな」


 もったいぶった返しをして、カイナは腰のポーチから小さな袋を取り出す。ジャラジャラと金属がすれあう音から考えて、おそらく財布だろう。中に手を突っ込んで、銅や銀の硬貨を何枚か取り出しテーブルの上に広げる。

 水色がかった色をした銀貨が二枚に、赤茶色の銅貨が四枚。それらはこの世界の共通通貨であるソルド硬貨であり、そして今回カイナとリオトが平らげたメニューの代金だとすぐにわかり、レイグは慌てて口を開いた。


「お金は僕が払います!」


 あたふたしながらレイグもまた財布を取り出して代金分の貨幣を出す。


「何を言う。私達は君にたかるつもりで食事に誘ったわけではないぞ」

「で、でもまださっきのお礼なにもしてませんから…!」

「レイグは私達の要望通り、美味い店を教えてくれて、そして昼食に付き合ってくれた。それだけで十分だ。本当は君の分もおごってやりたいが、そうすると真面目な君はまた恩を感じてしまうだろう」


 すまないな、と短く謝ったカイナはレイグの頭をぽんぽんと撫でる。早くも自分の性格の一部分を理解したうえでの気遣いに、レイグは呆気にとられていた。そこで、カイナは何かを思い出したような顔をすると、レイグに問いかける。


「そうだレイグ、世話になりついでに一つ聞きたいことがあるのだが」

「あ、はい。僕にわかることでしたら」


 すると、カイナは茶色の革の手帳を取り出し、パラパラとページを捲る。


「ティラウ・ハーンという男を知らないか? くすんだような暗めの金髪で、ややタレ目。外見は二十代後半ぐらいだ。この街の人間ではない」


 細かな特徴を挙げられ、レイグはもう一度記憶を掘り返す。この街の人間ではない人の顔は見慣れないため、やけに印象的に見え記憶に残るものだ。しかし、覚えている範囲内では、カイナが挙げた特徴に当てはまる顔はなかった。


「すいません。知らないです」


 申し訳なさそうに返したレイグに対し、変わらず穏やかな声色でそうか、とだけ短く返したカイナはすまなかったなと言いながら体を酒場の出入り口の方へ反転させる。


「もしもその男に会ったら注意しろ。私たちは街の西にある宿にいるから、できれば知らせて欲しい」

「はい。わかりました」

「助かる。ではまた会おう、レイグ。行くぞリオト」

「はーい。ありがとなレイグ!」


 口直しに水を飲み込んで口内をさっぱりさせると、リオトは席を立って先に出入り口へ向かうカイナを追いかける。


「また、会いましょうね!」


 レイグはこちらに手を挙げて返しながら扉をくぐって出て行く二つの背中を見送ると、財布から残りの自分の食べた分の代金をカイナが出した代金の横に置き、皿と代金を回収しに来た店員にごちそうさまでしたと律儀に声をかけて酒場を出た。

 まだまだ高い位置で燦々と照り続けている太陽と足元に寄り添う小さな自分の影がさほど酒場に長居していないことを物語る。

 明るく暖かな日差しを浴びながら人々でごった返す街の通りを抜け、向かう先はただ一つ。


「ただいま」


 帰宅を告げる声が家の扉を開く音と重なる。

後ろ手に閉めた玄関の扉に寄りかかるレイグは馴染み深い特有の雰囲気や漂う匂いに促され、ピンと張り詰めていた緊張の糸がほぐれ、抜けていく体の力を吐き出すように、静かに、大きく、息を吐いた。

 顔を上げれば質素なテーブルとそれを挟んで同じく質素なイスが二つ置かれただけのリビングと、その向こうには簡易なキッチン。換気のために開けておいた窓からは外を走り回る近所の子供達の声が聞こえた。

 玄関から足を動かし、リビングを通り抜けて向かったのは五畳ほどしかないこの家に二つあるうちの片方の部屋。レイグの自室はこの部屋の隣だが、彼が入る部屋を間違えたわけではない。


「ただいま、母さん……」


 部屋の隅にあるベッドに横たわるのは、三十代後半ぐらいの女性。レイグの母親である。

 レイグはベッドに歩み寄ると、しゃがみこんでベッドの白いシーツの上に両腕を置いてもたれかかる。


「さっきね、おじさんの所の手伝いの帰り道に不良に絡まれたんだ。肩がぶつかったって怒鳴られたんだけど、僕はちゃんとよけたんだ。でも僕、臆病だから言い返せなくて…」


レイグは苦笑を浮かべて先ほど起きた出来事を話し出す。しかし、母親は横たわったまま微動だにしない。かまわずレイグは続ける。


「そしたらね、 すごく強くてカッコイイ人達が助けてくれたんだ。カイナさんとリオトさんていって、カイナさんはお師匠さまで、リオトさんはお弟子さんなんだって」


 静寂のみが制す室内に、レイグの声だけが響き続ける。


「海向こうのユメール大陸の山奥から、バイクっていう珍しい機械で来たんだって…」


 レイグの声量が徐々に落ちていくに従って、首までもが力なくだらりと下げられた。


「ごめんね、母さん。こんな僕で……。男のくせになにもできない、臆病でちっぽけな人間で…」


 すがりつくように、母親の手を握る。


「恐怖に立ち向かう勇気もない…、病気で苦しんでる母さんを、助けることも……、できない…!」


 悔しさと虚しさから、大粒の涙がレイグの頬を濡らす。母親が病気で寝たきりになってからもう2年が経っていた。

 母を病気から救う薬がこの世に存在しない、なんてベタなオチというわけじゃない。レイグと母親の二人暮らしのこの家は一般家庭よりもただ少し貧乏だった。他所の家だったならば少し無理をすればその薬は買えるだろう、しかし、この家からすれば〝少しの無理〟では済まない。

 それでもレイグは諦めずなんとか〝知り合いの中年夫婦の店の手伝い〟という働き口を見つけ、少なくないが高くもない給料を必死に貯めている最中だ。しかし、その薬が買えるのは早くてもあと五年はかかる計算。そのあいだに万が一病気が悪化したならば、待っているのは絶望のみ。

 そのうえ、もう二年も意識を失い昏睡状態に陥っている母親の体は今では目に見えてやせ細り、かなり危険な状態である。

 病気が先か、弱り果てた体が朽ちるのが先か、どちらにせよ時間の問題であることは確かだった。


「でも……、僕がんばるから……、きっと、母さんを……、……助けてみせる……から……。もうしばらくかかるけど、……待っててね」


 ぎゅっと握り締めた母親の手は、相変わらずぴくりとも反応しなかった。




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