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師匠と弟子の旅路録  作者: 蒼理アオ
弐.警護騎士《キャヴァリエル》
24/101

 *


「うっ…」


 意識が戻り、うめき声を出すリオトのまつ毛が震えたように動いた。回復していく感覚が髪も服も、体中すべてが湿っており、膝下あたりは冷たいものに浸かっていることを脳に伝える。しかし感覚が脳に伝えたことはそれだけではない。

 体がかすかにぬくもりに包まれている。


「し、しょう…?」


 ゆっくりと目を開けて上を見れば、ぼやける視界に人の顔らしきものが映り込む。少しして見えてきた顔は、予想とは違う人物のものだった。

それはえんじゅで、感じるぬくもりは彼の腕だった。

 リオトは上体を起こし、周囲を見る。

 そこは薄暗い洞窟で、硬くて冷たい岩があるばかり、膝下は水に浸かっている。

 状況を冷静に分析すると、突然の足場の崩壊にリオトとえんじゅがこの地下洞窟へ落ちた。おまけに彼は足場が崩れて下へ落ちる際、空中でリオトを抱き寄せて自分が先に落ちるようにした。みたところ二人とも軽傷で済んでいるのは、確か地底湖とかいう洞窟の底にたまったこの水たまりに、おそらく運よく落ちたのだろう。

 おかげで服も体も水気たっぷりである。そしてはじめは何とか意識があったえんじゅがリオトも一緒に連れてなんとか浅瀬まで上がったところで力尽きて気絶、といったところだろう。でなければ今頃二人とも底に沈んで溺死していたはずだ。

 だが気になるのは、賞金稼ぎを嫌っていたえんじゅがリオトを庇ったということ。

 カイナと一緒にいるのだから、リオトが賞金稼ぎだと知らなかった、なんてことはありえない。

 ずいぶんとおかしな男だと考えながら、リオトは立ち上がり浅瀬に脚が浸かったままのえんじゅを引きずって引き上げ、近くの岩に上体をもたれさせて座らせる。

 足が水に浸かっていたこと、服がびしょ濡れであること、さらに多量の水があることの三点が合わさり、体温はすっかり下がりきっていて身震いするほど寒い。しかしまず最初に明かりが必要だ。行動を起こそうにも薄暗すぎてなにもできない。

 リオトは目を閉じて意識を集中させ、両の手のひらを前へかざす。イメージする。かざした両の手のひらの前に、火の詠力が結集し、一つの球体となり、光を放つ様を。

 不意に閉じた瞼越しに眩しさを感じた。目を開けてみると、手のひらの前にはイメージした通り、手のひらいっぱいの大きさのわずかに橙を纏う球体が全体から光を放ち、ゆっくりと回転しながら浮いていた。

 カイナから教わった詠術における応用術だ。ただ攻守の技として使うのではなく、詠力を感じ取り、元々の素質を利用する。術を扱える素質がある者にしかできないが、詠術として発動してしまわないように力を抑える必要があるなどコツがいるが、覚えておいて損は無い。

 それを頭上に浮かせて手元の視界を確保する。


「準備オッケー、では…」


 先にブーツ、二―ソックスを脱ぎ、力いっぱい絞って足元に広げ、乾かす。次にマフラーを外し、絞ってブーツ、二―ソックスの横に置いて乾かす。長いので二つ折りにしておいた。続いて外衣を脱ぎ、絞る。まるで蛇口を捻ったかのようにジャー…!と下へ落ちる大量の水が逆におもしろい。

 限界まで絞り終えたら、洗濯物を干すときのように強く波打たせてある程度シワを伸ばし、岩にかけて乾かす。いつえんじゅが目を覚ますかわからないが、仕方がないので順に脱いで絞っていく。

 心に残っている若干の羞恥心に急かされつつ、手早く作業を終えた今のリオトは、絞った胸部のみを覆うナベシャツの上にタンクトップ一枚と下着というカイナに見つかったら雷が落ちるようなあられもない姿。

 一応周囲の気配には気を付けているが、今のところ近くに不審な気配はない。今のうちにえんじゅの方も終わらせてしまおう。


「失礼しますよ、っと…」


 まずはじめに腰に下がっている刀を外し、警護騎士キャヴァリエルの紋章が刺繍された赤ワイン色のコートは、男が着ているものだけあってなかなかサイズが大きく、悪戦苦闘しながら袖、襟元、裾など部分ごとに絞っていく。思い切りシワが寄っているが、勘弁してもらいたい。終わったら広げて乾かすとしよう。

 続いて脱がせた灰色のワイシャツ。露わになった健康的な色をした素肌は鍛え上げられており、無駄な脂肪は見受けられない。しかし、やはりカイナの方がたくましく、それでいて綺麗だと思うのはさて自分の師匠贔屓か否か。

 ともあれワイシャツは元々布地が薄いので絞りやすかった。

 適当な岩にかけ、リオトはいよいよえんじゅのスラックスのベルトに手をかける。いろいろな意味で思わず固唾を呑まずには居られない。

 ここまでする必要もないかもしれないが、濡れた服を着たままでは体温と体力が奪われ体が弱ってしまうし、風邪をひくかもしれない。なにより、偶然だろうがなんだろうが、彼に借りができたのは事実だ。自分は平気で恩人が風邪をひくなんて礼儀的に耐えられない。

 勇気を出し、バックルに触れ、ベルトを緩める。さすがにチャックに触れる勇気はないので、触れずに頑張って脱がせてみる。


───くっ、しぶといなこのスラックス…。


 ぐいぐいと引っ張ってみたり、左右に交互にずらしたりしてみたが、なかなか脱がせない。

 どうかこのタイミングでカイナが現れることはないようにと祈りながら、リオトはスラックスと格闘する。

 そのとき、


「ん、…?」


 意識が戻ったえんじゅが目を覚ました。


「やった! ……げ…」


 同時に、リオトがスラックスとの勝負に勝ち、膝辺りまでスラックスをずらしたところで、二人の視線が交わる。


「なんてタイミングで目を覚ますんだ空気の読めないやつめ」


 リオトがえんじゅをジト目で睨む。

 えんじゅは今のリオトのあられもない服装を認知した後、下を、今の自分の服装を見る。

 自分は上半身裸で、はだけたスラックスの裾を掴んだ状態で何とも言えないような顔をしているリオトは黒のタンクトップと下着一枚のみ。惜し気もなく晒されている細く引き締まった肩や腕、太ももは下着が黒いせいかやけに白く、そして美しく思えた。

 状況を把握したえんじゅの顔に熱が集中する。


「なっ?! バっ…!! んな! なにしてんだよお前はあ!!?」


 誤解まで生じているかはわからないが案の定、えんじゅは顔を真っ赤にしてスラックスを取り返し、飛び退ってリオトと距離をとる。


「落ち着けって…。全身ずぶ濡れだったからまずは服を乾かそうとしただけだよ。この状況だとこうしなきゃ風邪ひくか弱るかで事態は悪い方向にしか転ばないだろ」

「うっ…」


 おずおずと取り返したスラックスを絞る。ただしリオトからは目を反らした。


「お前…、恥ずかしくないのか…。あの足場の崩壊はおそらく意図的なもんだ。そんな無防備なときに敵襲にあったらどうするつもりだ…!」

「大丈夫だよ。武器はすぐに出せるようにしてあるから。それに、男の裸なら師匠で見慣れてるしな」

「はっ?!」


 風呂上りや鍛錬のときなど、一緒に旅をしている以上カイナの一糸まとわぬ上半身を見かけることは少なくない。それでなくとも、彼は外衣の下に着ている白のワイシャツのボタンを第二まで開けているので、彼が外衣を脱げば自然と鎖骨から胸元までが見える。

 最初こそ戸惑い意識もしたが、毎日見ればさすがのリオトも反応しなくなってくるというもので。


「お、お前ら…、まさか毎日お互いの裸見てんのか…?」

「毎日じゃないけど、まあ……、たまに……」


 改めてそう聞かれると気恥ずかしくなり、赤く染まる頬をかきながら尻すぼみになる。


───オレは当たり前師匠の前じゃ下着姿にもならないけど、宿とかで休むときは外衣とマフラーとニーソぐらいは脱ぐし…。


───こいつら、師弟のくせに好き合ってんのか?!


──────


「ああ、もうこんなに乱れたのか。イケナイ子だなリオトは……」

「カイナさ……、や……、やあ……!」

「ほう? 嫌がるわりに、カラダはまんざらでもないようだが……?」

「あっ……、カイナ、さっ……! んんっ……! んやあっ……!」

「フフ、リオトはかわいいな。それに、とても綺麗だ……」


──────


 もんもんもん……。

 詳細を知らない槐の想像が膨らんでいく。


「~~~っ!!!」

「え、槐どうした!? 鼻血出てるぞ!?」

「べ、べつになんでもねぇよっ!!」


 慌てて手の甲で鼻を押さえつつ、熱を持つ顔を背ける。


「そ、そうか……? じゃあ、あまりここに長居もできないし、そのスラックスここに並べて」

「あ、ああ…」


 リオトが指差した位置は二人が着ていた服装一式を並べたところの空いている右下の箇所だった。何をする気なのかと少し訝るように眉間にシワを寄せつつ、えんじゅはスラックスを指定された位置に広げて置いた。


「ついでにお前もその隣へ立て。動くなよ」


 置いたスラックスの横にえんじゅが立ったことを確認すると、リオトは意識を集中して両の手のひらを前へ構える。

 リオトの近くにずっと浮いていた光放つ球体が広げてある服の上へ移動し、放たれている光が一層強くなる。

 それと同時に、肌に触れる光に暖かさを感じた。

 リオトはしばらくそのまま動かなかった。詠術を使って自分と濡れた服を乾かしてくれているようだった。

 全てを包み込み草木を芽吹かせる、春の穏やかな陽光に似た暖かさがとても心地が良くて、えんじゅはまどろむようにしばし目を閉じていた。


「ごめん。もう無理…」


 わずかに疲労したような声色のリオトの声が耳に届くと同時に、体を包み込んでいた暖かさが消え、再び湿り気とひんやりとした空気がえんじゅの周囲をまとわりつく。

 目を開ければ、そこにはへたりこんでいるリオトの姿。


「お、おい。…大丈夫、か?」


 あれだけ冷たく接していた手前、急に優しく問いかけることもできず、えんじゅはおそるおそるリオトを見ると、弱弱しい苦笑が返ってきた。


「もともとオレは真逆の水と闇属性が得意でな…。慣れてないからちょっと疲れたけど歩けるから大丈夫。ありがとう、えんじゅ


 そうか、とだけ返し、えんじゅは広げたスラックスを拾い上げる。驚いたことに、乾いていた。ついさっきまで陽光に当たっていた洗濯物のようにまだ温もりが残っている。

 相変わらずそっぽを向いて、えんじゅは脱いでいたーー正確には脱がされたーー服を身に着けていく。

 彼の様子で服が乾いていることを知ったリオトもまたうまくいったことに安堵し、服を着ていく。とても暖かくて、なんだか頬が緩む。


「あ、えんじゅ


 視線だけをよこされる。


「オレを庇ってくれて、助けてくれて、本当にありがとう」


 外衣を纏い、マフラーを首に巻きながら、リオトが笑うと、えんじゅは一瞬だけ目を見開き、直後につん、と顔を反らした。


「…ふ、服乾かしてもらったし、これでチャラにしてやる」


わずかに熱がこもる顔を隠しながら、えんじゅはぶっきらぼうに呟いてそそくさと着替えを済ませる。


「ああ。さあ行こうか。師匠たちが待って…」


 不自然にリオトの言葉がとまり、外衣を纏い刀を腰に下げて準備が整ったえんじゅはどうしたのかとリオトの顔をのぞき込む。


「どうした」

「そういえばさ、師匠、今ハイネと一緒だよな…」


 石橋が崩れた際、巻き込まれかけたカイナをハイネの方へ突き飛ばしたため、確かに二人は一緒にいるだろう。


「ああ、そうだな」

「しまったぞ! こうしてはおれん! 急いで師匠の元まで戻らなければ!」


 藪から棒に躍起になり始め、今にも走って行ってしまいそうなリオトの肩を掴んで押さえる。


「落ち着け! いきなりなんだ!」

「落ち着いていられるか! 女といえど、相手はあの天才鬼畜外道変態錬金術師だぞ?! さっき別れた時に釘は刺したけど、あいつは自分の欲求と願望と興味にだけはバカ正直だ。師匠は科学者も薬品も嫌いなのに、もしオレの知らないところでハイネになんかされてたら…! 急ぐぞ!」

「は…、あ、おい!」


 ゴツゴツして足場の悪い洞窟内をいきなり走り出す術者リオトに従い、光を放つ詠術の球体はえんじゅから離れていく。

 仕方がないので後を追い、えんじゅもまた駆け出したその時、銃声が響いた。しかしえんじゅの身に変化はない。

 足を止めて前を見ると、リオトもまた足を止めていた。どこからか漂う火薬のにおいを頼りに正体を見つけようと二人は首を回す。


「見つけたぞ、黒狗ノワール!」




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