陸
*
「なんだ…?」
突然の小さな揺れが、カイナの歩みを止めさせた。
「またハイネがなんかしでかしたんだろ」
首だけ振り返らせ槐が返す。
二人と別れておよそ二十分弱、はやくもなにかあったようで、カイナのなかの心配と不安が大きくなる。だが、リオトも己の限界は弁えている。いざとなれば師を頼って本当に戻ってくるだろう。
それまでは、師らしく弟子の健闘を祈ろう。
「しかし、この遺跡は随分と広いようだな」
行けども行けども続くまったく同じ通路。まさかなにかの術中にはまり、同じところをループしているのではと思わず勘ぐってしまう。おまけにカイナは方向音痴であるため気を付けなければどっちが進んで来た道か混乱してしまう。
カイナに背を向けたまま、槐は五メートル先を歩きながら口を開く。
「だな。おかげでどれぐらい進んだかわかんなくなりそうだ」
そこで会話が途切れた。昨夜に初めてあったばかりであまり親しくないということもあってどうにも会話が続かない。おそらく向こうも同じだろう。
まあ、ただ少し嫌われているというぐらいでカイナはさして気にしなかった。
「…少し聞きたいことがあるのだが」
「なんだ」
これはがんばって会話をしようとか、そういう意図ではない。ただ、いい機会だから聞いてみようと思い立った。
「貴殿は東人とお見受けするが…」
「それが?」
素っ気ない返答が投げられる。
東人とは、海を越えた東の果てにあるという東の國出身の者たちのことを指す。東の國はこのガリアデル帝国やどこの大陸の者たちとも一切の交流を持たず、独特の文化を持ってひっそりと栄え続けているらしい。
ここまで聞くととても閉鎖的な印象を受けるが、東の國出身、すなわち東人たちのなかにはこの槐のように広大な海を越えてこの地に足を踏み入れる者たちもいる。ちなみに逆にこの地で育ったものが東の國へ足を踏み入れることもある。
しかしそのどちらのケースもごく少数で稀な話であるため、東人と出会うことなど一生に一度有るか無いかであると言い切れるほど確率の低い出来事である。
「東人は瞳の色は疎らだが髪色だけは全員黒だと聞いたのだが、本当か?」
「ああ。違うとしてもせいぜい限りなく黒に近い濃い茶か濃い紫の髪を持つやつがいるぐらいで、今まで東の國で黒以外の髪色を持つ人間が生まれたことはただの一度も無い」
その逆に、この世界のそれぞれパグラ、ラデリア、ディームルト、サリウス、ダウラ、イルヴァの六つの大陸内で黒髪の嬰児が生まれたという話はついぞ確認されていない。
これで、リオトが本当は東人である可能性が極めて強くなった。
「弟子の話か。気になるなら直接本人に聞けばいいだろ」
「それが、リオトは記憶喪失でな。今から六年前以前の記憶が一切無いんだ。気がついたら自分の名前すらも思い出せない状態で知らない場所に一人きりだったと聞いている」
リオトには話していないが、彼女の記憶を取り戻すヒントを探すことも、この旅の目的の一つだった。
隠しているつもりのようだがどうやらリオトは記憶が無いことを多少なりとも気にしているようなのだ。もしもある程度まで記憶が戻ったら、このことを話し、そのまま記憶を取り戻すかどうかを決めさせようと思っている。
万が一無くした記憶が忌まわしいものであるなら、忘れたままでいるという選択肢もまた正解であると、カイナは考えているからだ。
自分にも、忘れてしまいと強く願うほどに辛く忌まわしい記憶が頭に焼き付いて離れないから。
「弟子が弟子なら、師も似たようなモンだな」
槐が鼻で笑い、カイナはキョトンとする。
「思いあって大切にして、必死にお互いを守り支えようとしてる。随分と美しい師弟愛なこった」
リオトが必死にハイネとカイナを引き離そうとした件のことだろう。
リオトはおそらく気がついている。カイナが医者や科学者を嫌悪し忌避していることを。
その理由を聞くこともせず、ただ役に立ちたいと弟子なりに考えた結果なのだろう。本当に師匠思いのいい子だ。
カイナの口元から笑みがこぼれる。
―――弟子に心配されてしまうとは、私もまだまだということか…。
そう少し気を落とす反面、リオトからの暖かな優しさとそれを喜ぶ嬉しさ、そして安心感が心を満たしていく。
こんなに心が満たされ温かいのは、すごく久しぶりだ。
「おい、ロリコン白髪」
「しらっ…?!」
グサリ。カイナの心に鋭い何かが音を立てて刺さり、カイナはその言葉の主、槐を睨みつける。
「ちょっと待て。それはどういう意味だ」
そう言われたのは初めてだった。しかもかなり聞き捨てならなかったので、さすがのカイナも流さない。
「歳下の女を調教して愉悦を感じてるかなりやばいロリコン変態白髪」
「まず一つ目にかなり語弊のある言い方はやめてもらいたい。二つ目に失礼な単語をさっきよりも増やすな。三つ目に“白髪”ではなく“白髪”と言ってもらおうか。あとついでに人を指さすな」
腕を組み、即刻順を追って訂正箇所を強調しつつ的確に述べる。
「それより、これを見ろ」
突然しゃがみこんだかと思えばなにかを拾った槐は腰を上げて右手を出すと、カイナは顔を顰めたまま、白い手袋に覆われた掌の中にあるものを見る。それはかなり傷んだ短い髪の毛だった。無論カイナたち四人のなかの誰のものでもないことは明白である。
「やっぱ、先客がいるみてぇだな」
「ふむ」
周囲の気配を読むが、近くに人の気配も殺気も感じない。奥にいるようだ。
「戦闘になったら、足手まといにだけはなるなよ」
「フッ、上等だ」
鼻につく刺々しい物言いを不敵な笑みで返し、二人は止んでいた靴音を再び響かせながら奥へ進む。
相変わらず変わり映えしない通路を黙々と進むにつれて、肌にひんやりとした空気と、湿り気が触れる。文字通り湿気だ。近くになんらかの形で水が大量にあることになるが、さてどこにどう水が存在しているのか。敵襲の可能性も踏まえ、十分に警戒しながら道なりに歩く。
やがて通路に傾斜が付き、下りはじめたことにはすぐに気が付いた。
相変わらず変わり映えしない通路を黙々と進むにつれて、肌にひんやりとした空気と、湿り気が触れる。文字通り湿気だ。近くになんらかの形で水が大量にあることになるが、さてどこにどう水が存在しているのか。敵襲の可能性も踏まえ、十分に警戒しながら道なりに歩く。
十分ほど歩き続け、やがて通路が途切れ、たどり着いたのは妙に拓けた広い空間だった。
これまでの道のりで見てきたものと同じく、紋章や模様が施された鉱石の壁のところどころにブルーライト鉱石が配あしらわれており、遠く離れた反対側にはさらに同じ道が続いている。
彼らの靴音をそっくりそのまま反響させるこの空間の淀みも傷もない床は、足元のみではあるが二人の姿を反射していた。
二人から向かって左側奥には祭壇のようなものがあり、右側の奥には別の通路に続いているのだろうか、見たところ周りの壁と同素材で作られている縦長で大きな両開きの扉がこの空間とまだ見ぬその向こう側を隔てている。
「ここはいったい……?」
周囲をぐるりと見回すカイナの呟きが広々とした空間の中に溶けていく。
「おい、なんかくるぞ」
「っ!」
向こう側の通路からなにかの気配が近づいてくる。それに気づいた二人は臨戦態勢をとった。




