壱
昼間の街中で、レイグは焦った。緑の双眸が戸惑いの色を浮かべて揺れる。
ただでさえ気が弱いせいで、一端の男児であるにもかかわらずレイグはケンカが苦手だった。
「聞いてんのかガキィ!」
現に今も、目の前で怒号をまき散らす不良に勇ましく言い返すこともなく、恐怖に支配された体を小刻みに震わせ、あの……、えっと、と言葉ですらない小さな声を出すことしかできない。背後はすでに壁で、その壁の冷たさが服越しに背中に染み渡るようだった。
我ながら情けないと思う。でも今はそれどころではない。手出しはおろか、言い返すことすらできない自分がこの状況をどう切り抜けることができようか。
通りを行き交う人々は、とばっちりを恐れ足早にその場を通り過ぎたり、ヒソヒソと話し合いながらこちらに視線を寄越すばかりだ。
始まりは至極ベタで、面倒なものだった。というのも、たまたまお互いが通りの向こうから歩いてきて、すれ違ったところで肩がぶつかったのだ。よけたつもりだったのだが、相手のわざとか自分の運が悪かったのか。
なにはともあれ反射的に謝ろうと振り返れば、いきなり相手の怒号が飛び、ごめんなさいのごの字も告げられぬまま冒頭に至る。
「自分から人にぶつかっといてゴメンナサイも言えねぇーのかっつってんだよ!」
自分はちゃんとよけた。ぶつかってきたのはそっちじゃないか。
臆することなくそう言えたら、どんなにいいだろう。
この先の展開は既に目に見えている。最低でも一発、強烈な痛みを覚悟し目をつぶろうとしたそのとき、レイグの前に漆黒が飛び込んできた。
「やめろ」
低い声色の、短い言葉が、静かにその場に響いた。
「なんだてめえは?」
不良の問いかけに、その漆黒は答えなかった。
「あ、あの……」
自分を庇うように立つその黒い背中に、小さく声をかけた。どういうつもりか知らないが危ないから逃げろ。そう伝えたかったのに、まだ恐怖で金縛りにも似た状態になっているレイグは、まるでまだ多くの言葉を知らない子供のようにうまく言葉を紡げなかった。
「公衆の面前で子供にくだらない因縁をつけてどやすのが、そんなに楽しいか?」
すると、不良の額に青筋が浮かび、眉毛がピクピクとひきつる。どうやらカンに障ったようだ。
「こ、このガキ……!」
予想通り、不良は拳を振り上げる。しかし、この黒の乱入と、標的が自分から逸れることは予想外だ。拳が迫っているにもかかわらず、黒はなぜかその場を動かない。
自分に代わってほかの誰かが殴られるなんて冗談じゃない。レイグは固まっていた体を無理やり突き動かし、黒を庇おうと手を伸ばす。
レイグが少し華奢に感じる黒の肩を掴んだと同時に、目の前の不良の拳が時が止まったかのように静止し、レイグもまた思わず動きをとめた。
「怒り任せに子供に手をあげるとは、あまり感心しないな」
レイグと黒は声が聞こえた左側を向き、不良は右に首を回す。
そこに立っていたのは雪のように白い髪という変わった髪色に、紅の瞳を持つ端正な顔立ちが印象的な青年だった。
「師匠!」
黒から明るい声が発され、青年は横目に黒を捉えると、わずかに微笑んだ。どうやら知り合いらしい。
「つ、次から次へと、関係ねぇやつが首突っ込んでじゃ────ぐあっ!? いてぇ!?」
青年が掴んでいた不良の腕を容赦なく捻りあげれば、途端に不良は痛みに声を上げる。
青年はかまわず空いている手で不良の首根っこを掴むと、脇へ放るように突き飛ばす。一方、突き飛ばされてつんのめりながらも体勢を立て直した不良は振り返り、恨めしそうな顔で黒と青年を睨みつけた。
「この……!」
ついにキレたのか、不良が構えたのは呆れたことにナイフだった。
完全に頭に血が上っているらしい不良は一心不乱に三人のもとへ駆けてくる。そこで動いたのは黒だった。
一瞬だけしゃがみこんで足元のなにかを拾い上げると、黒はそれを不良に向かって投げた。
狙い通りナイフを持つ手に音を立ててあたり、短い悲鳴をあげる不良の手から落ちるナイフと共に地面に転がったそれは小石だった。不良は立ち止まると、負傷した右手を左手で庇いながら悔しそうに歯を食いしばり、眉をしかめる。
「くそが……! 覚えてろ!」
ナイフを落としたことで頭が冷えたのか、不良は使い古されたような捨て台詞を置いて走り去っていった。
てっきりあのまま一発殴られるものと思っていたが、思わぬ助けが入るという急展開に理解が追いつかず呆然としながらも、危機を脱したことに安堵したレイグは右手を胸に当て、ほっと息を吐く。
「ケガはないか?」
「あ、はい! ありがとうございました!」
振り向いた黒に問いかけられ、レイグは改めてその人物の顔を見た。
光の加減によっては焦げ茶色にも見える長い黒髪は後頭部の高い位置に結い上げられており、やや長めの前髪から覗くのは青年の紅とは対照的な、少々つり上がった深い水底のような蒼色の双眸。顔立ちや身長から察するに、歳はレイグとさほど変わらないように見える。蒼いラインが走る外衣といいブーツといい全体的に黒を基調とした服装に、黒と灰の模様が入った白のマフラーが印象的だ。
「それはなによりだ。ところでリオト」
「はい?」
リオト、と呼ばれた黒が素直に青年の方へ振り向き、レイグも何気なく青年へ顔を向ける。
見れば見るほど整った顔立ちにくわえスラリと背が高く、レイグが隣に並んでもレイグの頭の先はようやく青年の鼻に届くぐらいだ。
鍛えているのか厳ついとまではいかずともがっしりとした体は襟のある黒いシャツにファーのついた白い革のハーフコートを重ね、下は黒いパンツに革のブーツを履いている。
「さっきの礫は見事だった。動きや構えもよかったし、コントロールもできていた」
「えへへー」
大きな手に頭を撫でられ、リオトは嬉しそうに照れ笑いをうかべてへにゃりとはにかむ。
「しかし、」
青年は言葉を改めると、撫でていた手を止めてリオトの額の前で構える。
「あいたっ!」
いわゆるデコピンをくらい、リオトはいてぇ……と呻きながら額を押さえた。レイグも何度かされた経験があるため地味に痛いことは知っている。
「まったく、ケンカを止める止めないは別として、無闇に首を突っ込むのはやめなさいとこの間言ったばかりだろう」
青年が腕を組み、呆れたように言うと、額を押さえたままリオトはうっと肩を揺らす。
「すいません…、カイナ師匠…」
口を挟めず、二人のやりとりをぼんやりと眺めていたレイグは自身のせいで彼が怒られていることに気づき慌てて声を出す。
「あ、あの! 僕が絡まれて反撃しなかったのがいけないんです! だから、あまり怒らないであげてください」
「何言ってんだ。オレが勝手に首突っ込んで勝手に怒られてるだけだ」
「でも、おかげで僕は助かりました。なにかお礼をさせてください」
「いらん」
「リオト」
額を押さえたまま即答するリオトをカイナがたしなめる。
「私達が勝手にやったことだ。気にする必要はない」
「でも……」
レイグは食い下がる。受けた恩は必ず返すのが常識であり、それが自身の性分だった。
すると青年は口元に手を添えて考える素振りを見せたあと、何かを思いついたらしく数秒後に口を開いた。
「私の名はカイナ、この子は弟子のリオト。君は?」
彼の言葉によりまだ名乗っていなかったことを思い出したレイグはわたわたと慌て出す。
「す、すみません申し遅れました! レイグといいます! 助けていただいて、本当にありがとうございました!」
何度も体を折り曲げて頭を下げるレイグの生真面目さにカイナは微笑みながら返した。
「まあそう畏まることはない。名を知り合った今、私達は友人だ。ところで、レイグはもう昼食は済ませたか?」
「あ、いえ。まだ……」
用事を済ませ、戻って昼食にしようと思っていたところを運悪く絡まれたのである。
「なら、ぜひ付き合ってもらえないだろうか。私達はこの街に来たばかりだから街の造りがわからない。なので、うまい店を教えてもらえると助かる」
顔をあげたレイグは嬉しそうに笑った。それぐらいなら、おやすい御用だ。
「はい!」
気になってこの小説を見てくださった皆様、本当にありがとうございます。
ライトノベルに関しては右も左もわからぬ初心者ですので本編のなかに、いたらない点や矛盾した点があるかもしれませんが、気づき次第修正いたしますので、温かい目で見守っていただけたら幸いです。
できれば感想やアドバイスなどいただけましたらありがたいです。
なお、もちろんのことこの作品、および作中に登場するキャラクターや単語、団体などはすべてフィクションです。