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師匠と弟子の旅路録  作者: 蒼理アオ
弐.警護騎士《キャヴァリエル》
16/101


 *



 焚火に足す薪の収集をリオトに任せ一人野営地に残ったカイナは、自身の服を少し捲り上げ、腹部を見る。もちろんただ自身の肉体美がどうとか、腹筋の割れ具合が気になるわけではない。

 見ているのはこの前捕まえた賞金首、ティラウ・ハーンに刺された時の傷。比較的すぐにリオトに治癒術をかけてもらったので大事には至らなかったが、腹部のだいたい中心あたりにティラウが持っていた剣の刃幅と同じ、約四センチほどの傷跡がくっきりと残っている。貫通こそしなかったものの、刺された深さも結構なものだった。

 しかし、カイナはどんな傷を受けたとしても、例えばそれが体が真っ二つになる、肢体が切り落とされる、心臓が破裂するなど《極端に酷いもの》でなければ《死に至ることは決して無い》のだ。

 《これまで》でも、そして《これから》も―――。


「また傷跡が増えたな…」


 ため息を吐きながら服を戻し、整える。

 それ以外にも、服の下には部位を問わず大小さまざまな傷跡がある。それらは人や魔物との戦闘によるものや、かつて師と仰いだ人物のもとで鍛錬を積んだ際についた傷など、理由も様々だ。

 しかし一つだけ、とても大きな傷跡が、記憶と共に刻まれている。その記憶がふとした時に脳裏をよぎるたび、傷は体を蝕むように疼き、痛み出す。

 右手でそっと、その傷跡を服の上から存在を確かめるようになぞる。それは左肩あたりから斜めに下り、下腹部の右斜め下あたりまで続く、とても大きく、とても深い傷跡。

 不意に焚火にくべた薪が爆ぜた。ハッと我に返ったカイナは何度か瞬きをする。


「リオト、遅いな…」


 最初はカイナが行くと言ったのだが、そのまま蒸発されて森の中で鉄の馬(バイク)と一緒に置き去りにされるのはさすがに困りますという弟子の冷たくも切ない正論により、あえなくお留守番となったのだった。

 絶対に遠くまで行かず、焚火の明かりが届く範囲で拾ってきなさいと言い聞かせたので近くにはいると思うのだが、心配せずにはいられないのが保護者であり、師であり、カイナである。


「うわああああぁぁっ───!!!?」


 噂をすれば、叫び声が聞こえた。それは間違いなくリオトのものだ。


「リオト…?!」


 カイナは立ち上がり、暗闇が広がる木々や茂みの向こうへ駆け出す。


「リオト! どこだ!?」


 声がしたのはそう遠くない地点、ほんの十メートル弱ほど。ちゃんと言いつけを守っていたのはあとでほめてあげるとして、近くには人の気配もする。しかし見当たらない。カイナの首が右往左往する。


「ししょ~…!」


 情けない声。それとともに葉っぱが二、三枚パラパラと頭上から降ってくる。まさかとカイナは上を見上げた。


「助けてくださいぃ~…!!」


 五メートルほど上に見えたのはまるでとあるタロットカードのように蔓かなにかで手足や体を絡め取られ、木に逆さまにつるされている弟子の姿。

 元々体の露出を嫌がって簡単に捲れ上がるような服は着ていないためあられも無い姿になることはなかった。


「なぜまたそんなところに…」


 あきれ顔をするカイナの口から出た率直な感想だった。周囲に魔物の気配は無いし、意思を持つ食虫植物の木というわけでもないようだ。

 仕込みナイフか詠術か、あるいは黒魂魄くろみたまを使えばすぐに助かるのだが、少しパニックになっているのか、今のリオトには何分余裕がないようだ。


「今助ける。少し待っていろ」


 ナイフを投げて蔓を切り、落ちたところを受け止めてやろう。服の裾からナイフを出し、狙いを付けたその時、脇にある茂みが揺れた。


「ん? リオトだって?」


 聞き覚えのある声だった。カイナの動きが止まる。


「あ! 誰かと思えばお弟子くんとお師匠さんだ!」


 その人物はひょっこりと茂みから姿を現した。野営地から届く焚火の明かりで、かろうじて容姿が視認できる。

 背格好はリオトとあまり変わらず、瑞々しいスプリンググリーンの髪をサイドでまとめており、抹茶色の瞳が無邪気に輝いている。華奢な体躯が羽織っているのは真っ白の白衣。

 その様子を見ていたリオトは、ハイネを見るや否や、カイナが一瞬だけおびえるように肩を揺らした、気がした。


―――師匠…?


「ハイネ……」


 やほー、と人懐こい笑みを浮かべて手を振る彼女の名を呼ぶカイナの声色が幾分か沈んでいる。


「ハイネ、誰かいるのか?」


 低い声と共に茂みが揺れ、その声の主が出てくる。


「誰だアンタら」


 カイナを警戒し、青年は眉間にしわを寄せて身構える。

 リオトと同じ黒髪を持ち、輝く月に似た金色の瞳。身長はカイナとそう変わらず、年の頃は外見からおおよそ二十代前半と予測できる。所々になにかの紋章が刺繍されたワインレッドのコートのベルトにはリオトの得物と同じ刀が下がっている。


えんじゅは会うの初めてだよね。ちゃちゃっと自己紹介したげてよ」

「その前に私の弟子をあそこから降ろしてもらいたいのだが?」


 ジト目で指差すさきには、同じくジト目でハイネをにらみつける逆さ吊り状態のリオトの姿。ハイネは思い出したようにああ!と声を出す。


「ごめんごめん忘れてた。今降ろすね~」


 ハイネはリオトがぶら下がっている木の根元まで歩くと、そこに膝をつき、手を動かす。なにかを書いているようだ。


「よし。っと…」


 ハイネはすぐに腰を上げ、次に白衣の中を弄る。取り出したのはそれぞれ緑色と桃色の液体が入った試験管だった。楽しそうに鼻歌を奏で始めたハイネの後ろでは、カイナが腕を組んでリオトが戻るのを待っており、その背後に事の成り行きを傍観し続けるえんじゅ

 ハイネは薬品入りの試験管二本のうちの片方を開いている手で持つと、器用に片手でコルクの蓋を外し、二つの液体をその陣へ無造作に掛けると、空になった試験管をしまい陣に両手をついた。

 すると、陣が青白い光を放ち、リオトを縛り上げている蔓が意志を持ったように動き出す。

 彼女は白衣の中に携帯している薬品を駆使して科学と化学の錬金術を行使する、錬金術師であった。

 ようやく降ろしてもらえると安堵した矢先、蔓はリオトを降ろすどころか、さらに上まで吊るし上げ、おまけに両手足を縛り上げた。ついにリオトが吠える。


「ハイネてめえいいかげんにしろ!」

「ごめんなんか間違えちった」

「はっ倒すぞこのマッドサイエンティストが!」


 ぐるるるる…!と威嚇するリオトと、少しも悪びれる様子もなくにゃははと笑うハイネ。

 カイナとえんじゅは同時にため息をつく。


「ハイネ、」


 彼女を諌めようとしたえんじゅをカイナが手を上げて制す。


「もういい」


 ハイネの人間性を理解しているカイナは諦め、服の袖からナイフを構え、リオトを縛り上げている蔓目掛けて放つ。ひゅんと空を切った二つのナイフはそれぞれリオトの足を縛っている箇所と、両の腕を束ねて縛っている箇所を同時に切り裂いた。


「ちょっ!? 師匠なにを…!」


 支えを失い、ツルに縛られたままのリオトは下へと落ちる。なぜ自分が縛られたままにも関わらず先にツルを切ったのか。

 考える暇もなく、自由のきかないリオトの体は下へ。さすがのリオトも動きを封じられた状態で受身など取れないが、これもいつものスパルタ修行とでもいうのか。結構な高さを落ちる浮遊感に恐怖を感じ、リオトは目を閉じる。きっとこの先には痛みが待っている。


「っ!!」


 ドサリ。膝裏と両肩に衝撃。リオトは目尻に涙がうかんだ目をおそるおそる開ける。


「大丈夫か、リオト?」


 微笑みながら尋ねる優しくも頼もしい師の整った顔がすぐそこにあった。目尻の涙が大きくなる。


「師匠~…!」

「はいはい」


 体を支える逞しい腕や手がリオトに安堵を与える。いっそ抱きついてしまいたいが腕が縛られたままなので、顔を強く押し付けるに留める。


「うええ…」

「よしよし、もう大丈夫だ」


 身動きが取れない状態で、高さにしておおよそ十メートル弱からの落下はさすがに怖かったらしい。その場に膝をつき、リオトの体を自分へもたれさせ、絡みついたツルを解きながら頭を撫でてやる。

 すべてのツルを取り払ったところで、ふとリオトが静かになったことに気がついた。

 泣きつかれて眠ったのかと思いつつ、カイナはリオトの顔をのぞき込むと、その血色は青ざめていた。


「顔が真っ青だが、どうした?」

「いや、逆さ吊り状態で怒鳴ったので……」


 覇気の無い小さな声で答える。

 頭に血が上ってめまいを起こしているようだ。


「少しおとなしくしていなさい」

「すい、…ま、せん…」


 頭痛やめまいに顔を歪めるリオトがゆっくりと目を閉じた。気を失ったらしい。カイナはリオトを抱き上げ、ハイネとえんじゅに歩み寄る。


「とりあえず、野営地まで一緒に来るならリオトが拾い集めたそこの薪の束を持ってきてくれ」

「ハーイ! あ、えんじゅ薪よろしく」

「俺かよ!」


 元気良く手を上げるハイネに頷き、カイナは少し離れた先で夜の森を照らす灯りの元へ歩き出し、ついていくハイネのあとを渋々薪を抱えたえんじゅが続く。



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