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師匠と弟子の旅路録  作者: 蒼理アオ
壱.放浪する師弟
14/101

拾参



  *



「よーっし、こんなもんかな……!」


 やっと日が東の地平線から離れた翌朝。

 うっすらと汗ばんだ額を腕で拭い、満足そうにふうっと息を吐きだしたリオトの手には濡れた厚手の雑巾が握られている。


「終わったか」


 チェックアウトを済ませたカイナが宿から出てきた。気づいたリオトが振り返ると、結い上げた黒髪が美しく緩やかな曲線を描いてなびく。


「はい! 師匠! 隅々まで拭き取り完了です!」

「ん。ありがとう」


 二人の目の前にある、朝日を浴びて輝く漆黒の装甲カウルに覆われ、車輪の脇や後輪の上にはリアボックスや旅の荷物が括り付けられた大きなそれは、燃料供給型高速原動機、通称鉄の馬(バイク)

 前傾姿勢で操縦するタイプで、これまで幾度となく手を加え、険しい旅路をここまでともに駆けてきたカイナの愛機である。

 一日二回、朝と夜にこの鉄の馬(バイク)の汚れの拭き取り作業と、装甲カウルに大きな傷が無いかを確認するのが、弟子としてのリオトの務めの一つだ。

 鉄の馬(バイク)自体が大型であるため抜かりなく隅々まで磨くとなるとこの作業、なかなか骨が折れるわけだが、弟子の務めとくれば手を抜くわけにはいかない。

 あとはカイナによるエンジンの点検を済ませれば、出立だ。

 ひとまずこの街にいた賞金首は捕まえて懐も潤ったし、昨夜に匿名で警護騎士の支部に連絡を入れ、街はずれの森の賞金首の隠れ家も教えた。

 すぐに対応策はねられ、この街の警備は警護騎士によって強化されるだろう。しばらくは賞金首たちもこの街には近寄らないはずだ。


「異常はない。すぐに発てる」


 早速鉄の馬(バイク)に跨ったカイナはクラッチを切ってエンジンを作動させ、軽く吹かせる。ついているタコメーターにも、ツインマフラーから響く低いエンジン音にも特におかしな点もない。ほっと安堵する。


「カイナさん! リオトさん!」


 二人の元へかけてくるのはレイグだった。その表情は昨日のかなり落ち込んだ様子とは打って変わって満面の笑み。


「おはよ、レイグ」

「あっ、おはようございます!」


 リオトに挨拶を先越され、レイグは慌てて返す。挨拶を忘れるほど気分が高まっているようだが、なにより物静かな性格の彼が朝から子供のように駆けてくるなんていったいなにがあったのか。二人は首をかしげる。


「朝から上機嫌だな。どうした?」


 バイクのシートに腰かけたままカイナが問うと、よくぞ聞いてくれました!とでも言わんばかりに再び満面の笑みを浮かべるレイグは少々興奮気味に即答する。


「今朝! また知り合いの店を手伝いに行こうとしたら、玄関の外に薬が置いてあったんです! 《レイグと、母君へ》という一文だけの手紙と一緒に!!」


 これなんですけど!と突きつけたのは小さなメッセージカード。その真ん中に、達筆な文字で彼が言った通りの短い文章が綴られている。


「へえ。で、その奇特なやつはどこの誰だったんだ?」


 腕を組むリオトの問いかけに、レイグは途端にしゅん、とした様子で突きつけていた腕と首を垂らした。


「それが、どこにも名前が書いてなくて…」

「だが、おふくろさんの容体はよくなったのだろう?」


 弾かれたように顔を上げたレイグ。思わず力んだ右手はメッセージカードを握り潰してしまいそうになっていた。


「あ、はい! さきほどさっそく薬を飲ませて少ししたら顔色がよくなって、目を覚ましました!」


 コロコロと変わる表情によく知っているとある人物を重ねながら、カイナはリオトを見やる。すると、視線に気づいたリオトもまたカイナに向かって笑みを浮かべる。

 興奮冷めやらぬ勢いで未だしゃべり続ける今のレイグには、二人が微笑みを交わした真意を気に留める余裕などなかった。

 不意に、くらりと視界が歪んだ気がして、カイナは右手で頭を押さえると、歪んだ視界を正そうと軽く頭を振った。


「師匠?」


 目を閉じたその表情が少し辛そうに見えて、リオトはやや神妙な面持ちで彼の顔をのぞきこんだ。


「ん? ああ。なんでもない」


 リオトに気づいたカイナはすぐに頭から手を離し、笑みを浮かべて答える。

 その笑みを、リオトは信じなかった。


「昨日の傷のせいでしょう。もう一泊して今日一日体を休めた方が……」


 昨夜、ティラウに剣で刺されたことにより流した血はかなりの量だった。そのせいできっと貧血を起こしているのだろう。心なしか血色もやや青い。


「そんな顔をするな。本当に大丈夫だから」


 あれだけの血を流しておいて、大丈夫なものか。あのとき、もっと、もっと早く駆けつけていればと、リオトは奥歯を噛む。

 間に合わなかった。彼を守れなかったことが悔しい。歯がゆい。

 彼の体が人一倍頑丈なことはこれまで共に旅をしてきた中でなんとなく分かっていた。それでも、血だまりの上に横たわってピクリとも動かない彼を見て、一瞬でも心臓が凍る思いだった。

 必死に、まだ彼は生きている。死んでなんていない。と自分に言い聞かせ、冷静を保って、驚かされたお返しに背中を思い切りぶっ叩いてやった。

 まだまだ強くならなくてはいけない。誰よりももっと、もっと強く。彼を守れるように。彼が傷つかずに済むように。

 弟子として、自分が彼にしてやれるのは、それぐらいしか思い浮かばないから。


「レイグ、気持ちはわからんでもないが、この辺りで一度落ち着け」


 レイグに声をかけ、カイナは半ば逃げるように無理矢理リオトとの会話を断つ。


「あ、す、すいません…。つい…」


 顔を赤らめて肩をすぼめ、羞恥に下へ向けた瞳に、漆黒の装甲が映り込む。


「ひょっとして、これがお二人が言っていた鉄の馬(バイク)ですか?!」


 初めて目にした大きくも精妙な機械に、レイグは色めき立つ。やはり男の子だけあって機械に興味があるらしい。まるで正義のヒーローに憧れる子供のような、無邪気な表情だった。


「ああ。私の愛機、ディーヴだ」

「迂闊に触って壊すと殺されるから、気をつけろよ」

「はわわ……」


 ケタケタと笑いながらリオトが言うと、間に受けたレイグは顔を青くし、慌てて両手を背中に回しながらバイクから距離をとった。


「こらリオト、口任せに吹き込むんじゃない。バイクはそこまで脆くないから大丈夫だ。触っても構わない」

「じゃ、じゃあ失礼して……」


 にじり寄り、神妙な顔つきでおそるおそる右手を伸ばした。

 バイクのボディーに音もなく触れた指先から、硬く冷たい無機質な鉄の感覚が伝わる。ぱあっとレイグの表情が華やいだ。


「おーっとレイグー、その足元に転がってるネジは何かなー?」

「ごめんなさいどうか命だけは!!?」

「リオトやめなさい」

「やだなぁ。冗談ですよ」


 悪びれた様子もなくニタニタと笑いながらも顔を背けてカイナの指弾の半目から逃げる弟子にまったくとため息をつく。

 根が真面目であるゆえにあうあうと慌てふためきながら、落ちてもいないネジを探してレイグは何度も忙しなく自身やバイクの足元を交互に見ていた。


「レイグも気にするな」

「はい……」


 宥められ落ち着いたレイグは顔を上げ、そして眉尻を下げた。


「もう、出発ですか…」


 二人が旅の身支度をしていたことは明らかだった。寂しいです、と続ける。

 二人は気にしなくていいと言ってくれたが、この数日間は二人に世話になりっぱなしで、たくさん迷惑をかけてしまった。その詫びや礼をろくにできなかったことが、レイグにとって大きな心残りだった。


「べつに今生の別れじゃないんだ。そう気を落とすなよ」

「…はい。いつかまた、お二人にお会いしたいです!」

「君がそう望んでくれるなら、私たちは絶対にまた会えるだろう」

「はい!」


 街の外まで一緒に行かせてほしいと言うレイグを連れ、二人と一台はまだ人の少ない通りを歩く。そこかしこで店開きの準備が行われ、ぱたぱたと忙しなく人々が動き回っていた。

 三人と一台はそのまま街と外の境界線を跨ぐ。レイグはふと空を仰いだ。初めて見た、雲が悠然とたゆたい、遮蔽物のない遥か地平線まで続く広大な青い空は、今まで街の中から見上げていたものとは別物とさえ思える。

 世界・・はこの街だけではない。この外にどこまでも果てしなく広がっているのだ。

 今こうして見送りのためについていかなければ、きっと自分は一生こうして一歩でも街の外に出て、世界・・を見ることはなかっただろう。

 また恩ができてしまったなと、心の中で苦笑する。


「いつか…」


 呟いて、二人と一台を見る。


「いつか、僕も旅をしてみたいです。この知らない世界・・を、僕もいつか見てみたい」

「だったら、お前はまずその性格と体を鍛えるところからだな」


 ニヤリと意地悪く笑うリオトがレイグの首に腕を回して引き寄せ、肩を組むと、レイグはうっ、と声を詰まらせる。


「が、頑張ります…」

「ああ、がんばれ。君なら、きっといい旅人になれるかもしれない」


 そう微笑むと、カイナはハンドルにかけていたゴーグルをはめる。


「さてリオト、そろそろ出発するぞ。レイグは危ないから少し離れていてくれ」

「はーい」

「わかりました」


 レイグの肩から腕を外し、手渡されたゴーグルをはめる。そして、リオトは結い上げている長い髪をマフラーの下で同じように首周りに緩く巻く。マフラーの長い裾は口元を覆うようにもう一巻きして垂らす長さをできるだけ短くする。

 服を整え終えたら、先にディーヴに跨っているカイナの後ろへ座り、腹部に軽く腕を回した。

 一応座席には二人乗れるのだが、二人目の座席はギリギリまで後ろから荷物に占領されており、ゆったりと座れるほどのスペースはない。

 リオトがやや小柄で細身であることが幸いなのだが、それでも思い切り体をカイナの背中に寄せなければ乗ることは出来ない。

 《最初の頃》は恥ずかしさや照れにより思い切り体を密着させることに抵抗があったが、今は大好きなたくましい背中に顔すらもうずめて、彼の存在を体で感じ、彼の匂いで肺を満たすことが幸せと感じることすらある。


「振り落とされないよう、ちゃんと掴まっているんだぞ?」

「はい、師匠」


 肩越しに寄越された紅にしっかりと頷いてみせた。


「必ず、またいつか会おう」

「またな! レイグ!」

「はい! 旅の無事を祈っています!」


 アクセルが回され、軽い土埃を巻き上げてディーヴが駆け出す。二人をのせて走り出したバイクと二つの背中は見る見るうちに遠ざかり、小さくなって、地平線の、その先へと消えていく。



「いつか、きっとまた…!」



 そよ風が、二人を見送るレイグの頬を優しく撫でた───。





壱.放浪する師弟 End

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