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師匠と弟子の旅路録  作者: 蒼理アオ
壱.放浪する師弟
11/101


 *


 地震が起きた。といっても、ただの大きな爆発か何かのようだったので、外には何の影響もきたしていないだろう。原因は考えなくてもわかる。リオトだ。おそらく今しがた脱走を始めたのだろう。

 壁や床に亀裂と雑草の蔓が伸びて荒れ放題のこの部屋では、壁から釣り下がっている燭台が揺れ、同じく亀裂の入った天井からは砂埃と天井のごく小さな破片が振ってくる。この建物は誰がどう見ても老朽化しており、耐久力はそこまで期待できない。

 リオトはバカではないが、勢い余って戦闘狂の血が大爆発した暁には自分たちもろとも賞金首とその手下たちと共に生き埋めになってしまうことははたして頭に入っているのか。

 周囲にいる何人かの手下たちは揺れに驚きザワザワと騒ぎ出す。そのほとんどはカイナたちに痛めつけられ負傷し、体中に巻かれたガーゼや包帯が痛々しい。そのなかにはレイグの姿もあり、手下たちと同じように揺れに驚いている。

 負傷している手下たちは、さっきの森の中や、昨日の隘路での乱闘の時に見た顔だ。その者たちが負傷してもなおここにいるという事はもうこれ以上このアジトに置いておける未登場の戦力が無いということ。すなわち、敵の戦力は既に底をつきかけていると推測できる。

 体を縄で縛られ身動きが取れず、冷たいボロボロの床にゴザを掻いて座っているカイナは冷静にそう考えたあと、目の前の男、ティラウ・ハーンを見やる。


「あのガキか」


 ボロボロのデスクらしきものに腰かけていたティラウはニヤリと楽しそうに笑ってカイナを見下す。


「てめえの愛弟子、女だったんだな?」

「え…?」


 いくつかの武器を手にもって見せる。それらは間違いなくリオトが服の袖や靴などに仕込んでいた仕込み武器たち。カイナの眉間にシワが寄り、手下たちの後ろにいるレイグは小さく声を出す。


「はじめは俺もヤローかと思ってたが、ナイフ仕込みまくってたらしいから念のために調べたんだよ。俺直々にな? そしたら…」


 言葉が意味ありげに途切れる。持っていた武器を置いて、空になった手を一度だけゆっくりと開閉しながら浮かべる下卑た笑みがカイナの眉間のシワを深くする。


「貴様…!」


 ティラウのゲラゲラと愉快そうな大きな笑い声が響く。


「安心しな。ガキみてえに小せえ胸と腕やら足やらをちょっと触った程度だ。お楽しみはこのあと、てめえの目の前で披露してやるよ。子分たちが世話になった礼に、弟子の啼き声を聞かせて絶望のどん底に落として、十分楽しませてもらった後で弟子と一緒に逝かせてやるよ」

「この、ゲスが…!」


 すると、ティラウは急に無表情になり、デスクから立ち上がりカイナと向き合う形でしゃがみこむと、右手でカイナの髪を掴んで引き寄せる。


「っ…!」

「口の利き方に気を付けたほうがいいぜ?」


 遠慮なしに髪を鷲掴みにされ、カイナは痛みに端整な顔を歪める。

 苦痛にゆがむカイナの表情に満足したティラウは物を放り投げるようにカイナの頭から乱雑に手を放し床へ叩き付ける。逆らうこともできず、カイナの体は横倒しになり、頭から固い床へと向かう。

 強い痛みにうめき声をだすカイナの、叩き付けられた右側の前頭部から少しの血が流れ出す。


「ハッ! ザマアねえな賞金稼ぎ」


 リオトがくるか、縄が解けない限り動けないカイナはただティラウを睨みつけるのみだった。


「よし、気が変わった」


 くるっとカイナに背を向け、ティラウは続ける。


「てめえの前で弟子を啼かすのもいいもんだが、俺も結構優しいからよぉ? つらくなる前に、とっととあの世に送ってやるよ」


 ティラウがデスクの上にあるらしきなにかを手に取るが、倒れたままのカイナの目線では見えないが、それを手にしたティラウがすぐに振り返る。

 その手にあったのはなかなかの長さと刃幅を持つ長剣ロングソードだった。鞘は既に抜かれており、鋭い刀身が顕になっている。


「てめえだけ先に、こいつで一思いに逝かせてやる」


 狂ったような笑みを浮かべて、ティラウがカイナへ歩み寄る。


「今すぐ無様に命乞いするってんなら、もう少し生かしてやっててもいいんだぜ?」


 しかしカイナは屈しない。


「誰が貴様なんぞに縋るものか……!」

「そいつぁ残念だ」


 燭台の明かりを反射する刃の切っ先が、真下にあるカイナの腹部を捉える。ティラウが本気であることがわかり、レイグの瞳が揺れる。

 止めなければ。あの人を助けなきゃ。さっきだましたのに?貧弱で臆病な自分になにができる?あの人の代わりに自分が死ぬ勇気があるの?


「あばよ賞金稼ぎ。大事な愛弟子は丁寧にかわいがっといてやっからよ」

「カイナさん!!」


 足も、腕も動かない。意味のない叫びだけがレイグの唯一の行動だった。ティラウが剣を持つ手を上へと上げていく。


「くそっ…! ―――っ!!!」


 腹部のちょうど中心あたりに違和感が生じ、そこから焼かれるようにじわじわと熱くなっていく。それは腹部全体に広がり、やがて違和感は痛覚を刺激し、とてつもない痛みが体中を襲う。横へずらした目線が捉えたのは、身にまとう衣服を貫いて自身の腹部に深く食い込んだ白銀と、それを中心に溢れ出す、赤い、赤い、血。


「が…、ぁ…」


 かすれた声にならない声と共に、口から同じ赤い血が筋を作り流れ出す。

 ティラウがカイナの腹部から長剣を引き抜くと、刃と肉が擦れ合いズシュリと生々しい音がした。力の抜けたカイナの体はだらりと床に横たわる。


「っヒヒヒ! ヒャーハッハッハ!!!」


 抑えきれぬ興奮と狂気が入り混じった高笑いが響き渡る。レイグは変わらず部屋の隅で立ちつくしていた。

 直後、その高笑いを大きな爆音と粉砕されたこの部屋の扉が遮った。巻き起こる土埃が部屋中を満たし、扉のそばにいた手下たちはティラウがいる部屋の奥へと避難する。

 一方、立ちつくしたままだったレイグは突然の出来事に動くことが出来ず、腕で顔や目をガードしながら破壊された扉を見る。

 徐々におさまってゆく土埃の中に、ぼんやりと人影が浮かぶ。それは瓦礫と化した扉を踏みつけ、部屋へと入ってくる。やがて姿を現したのは、


「お、やっと見つけた」


 刀を肩に担ぎ、大勢の手下と、それらに囲まれているティラウを見るなり、楽しそうに笑うリオトだった。


「り、リオトさん!」

「なんだ、レイグもここにいたのか。ちょうどよかった」


 首を動かすリオトと目が合うなり、レイグは急に表情を暗くしてうつむいた。


「ごめんなさい…。僕のせいで、……カイナさんが…!」


 絞り出されるような声に嗚咽が混じりはじめる。

 リオトはすぐそこで倒れている師を見る。真っ赤な血だまりの上で、カイナは力なく横たわっていた。リオトの瞳が丸くなる。


「よお、遅かったな。そいつはもう天国だ」


 早くも完全に勝った気でいるティラウはべっとりと血のついた剣を軽く振って血を落とし、鞘に収めながら再び下卑た笑みを浮かべる。

 刀を腰の鞘にしまいながら、ゆっくりとその亡骸に歩み寄り、傍で膝をついてしゃがみこむ。


「師匠…」


 小さく呟くと、リオトはそっと右手で、


 その大きくたくましい背中を思い切りぶっ叩いた―――。


「いいかげん起きてください。なんだったら、気付けにもう一刺しか、もう一叩きいきますか?」


 リオト以外の、この場にいる全員の空気と表情が変わる。

 こいつは今、なんて言った?


「まったく、お前は本当に容赦がないな。少し痛かったぞ」


 至って平然とした声が返した。その声は、ほかの誰でもないカイナの声。

 リオトは服に血が付くことも構わず、カイナの体に両手を回す。そうして抱き起されたカイナの顔は生気に溢れている。


「バカ師…」


 カイナを抱き起した体勢のまま、リオトは回している両腕に力をこめ、額をカイナの腕へ押し付ける。今の状況がどういうことなのか知っていてもなお、リオトのこの行動が自分が生きていたことに対する安堵だとわかっているカイナは苦笑する。


「余計な心配をかけたな。すまない」


 カイナの腕に顔を押し付けて言葉を返さないリオトは代わりに、カイナの体の前側に回していた左手をカイナの腹部の傷口にかざす。


「麗しの天使よ、我らに慈悲なる光の加護を、―――フィール!」


 顔を離して詠唱するリオトを中心に光を帯びた薄黄色の陣が浮かび上がる。カイナによるスパルタ修行と、リオトの惜しみない努力の成果によりやっと習得できた、使える者は極稀といわれている回復系統の詠術だ。

 リオトの左手から同色の光の玉が現れ、やがて強く光ると同時に弾けると、光の破片と化したそれらがカイナの腹部の傷口へと吸い込まれる。


「動けますか?」

「ああ、問題ない。ありがとう、リオト」


 リオトが先に腰を上げ、次いで体を縛っていた縄をいとも簡単にするりと解いたカイナが腕や手首をひねってほぐしながら立ち上がると、リオトの頭を撫でる。それを見た手下たちは一斉に怖気づき、この世のものではないものを見るような顔をする。

 確かに、剣はカイナの腹部を深く抉った。にも関わらず、ピンピンしている彼を、ティラウは険しい形相で睨む。


「てめえ…!」

「驚かせてすまなかった。私の体は人よりも少々頑丈にできているものでな」


 カイナの挑発的な笑みと劣勢という事実が、ティラウの脳血管に多量の血液を送る。


「レイグ」


 名を呼ばれたレイグは肩を揺らしてカイナを見る。


「絶対にそこから動かないでくれ」


 優しく穏やかな紅と目が合い、レイグは静かにうなずいた。

 カイナは目線を前へ戻すと、目を閉じて意識を集中する。


封欺解呪エル・リリズ


 カイナの足元に薄黄色の陣が浮かぶ。淡い光を発しながら、風のないはずの部屋の中でそよ風程度の微風が巻き起こり、そばにいたリオトと、カイナの服の裾や髪を揺らす。

 陣から同じ色の光が溢れ出し、カイナの周囲を舞うように立ち上ると、やがてその光はカイナの目の前に柱となって集束した。

 カイナがその光の柱を、自身の口元あたりの高さの位置で掴むと、手に触れている部分がナックルガードのついた持ち手に変わった。そのまま、その持ち手を引き抜いていくにつれ、柱状の光が刀身へと変わっていき、最後に小さな光の破片を散らしながら、鋭い切っ先が床から離れる。カイナの身長をゆうに越すほど長く大きなそのつるぎは、片刃だが彼の髪色と同じ白の刀身に黒の刃を持つ大剣。名をエンデューロ。


「一応聞いておこうか。おとなしく降参するなら危害は加えない。しかし、なおも抵抗するというなら実力行使もやむを得ん」

「手下の半数以上が手負いの状態で、さっき以上に本気のオレたちに適うかな?」


 二人の目つきと纏う雰囲気、その周囲の空気が変わり、気圧され恐怖する手下たちは青い顔を見合わせる。


「そうか、てめえらか。賞金稼ぎの、白阿修羅アルディオン黒狼ノワール!」



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