プロローグ
草原の上に小屋が立っている。
あたりには何もなく、見晴らしの良い大地からは遠くの山が見渡せる。
山の反対側にはうねりを上げる波の音がする海岸が崖の下にある。
小屋は二つあり、その一つは空っぽの馬小屋だ。
もう一つの人が住むための小屋には、明かりが灯っている。
暖炉に灯された火の粉が飛び散り部屋の中を明るく照らす。
「ねえ、まだお父さんは帰ってこないの?」
幼い少年の声がベットの上から聞こえた。
声をかけた相手は少年の母親だ。
少年と同じ色の豊かな黒髪を持つ母親は振り返って、ベットに近づく。
「まだよ。ほら、もう遅いから寝なさい」
「戦争はもう終わったんでしょ?司教様が言ってたよ。もうすぐ神の戦いは終わるって」
少年は不平の声を漏らして、母親にすがるような目をする。
それに母親は少し遠い目をして、絶望を匂わせる苦笑を浮かべた。
「・・・そう。でもね、戦争はなくなってもあの人の戦いは終わらないの・・・ずっと、ずっと続くのよ」
母親の言葉が少年は理解出来ず、不可思議な顔をする。
「でもあの人は必ず帰ってくるわ。だから安心して眠りなさい」
「・・・わかったよ」
「お祈りはもう済んだ?」
「まだ・・・」
唇をとんがらせて不満顔を浮かべる息子に母親は呆れた顔をする。
「またなの?お父様にも言われているでしょ?神に祈り、日々の糧にありがたみ、その恩恵に感謝しなさいと」
母親は息子の手を組み合わせて祈るようにする。
「う~ん」
少年はそれでも祈る事はせず、嫌そうな顔を浮かべるばかりだ。
それでも母親は諦めた顔をして、
「天にまします我らの神よ、どうか私達の家族をお守りください。この子が無事に育ち、あの人が必ず帰ってきますように。アーメン」
祈りをあげ終わったとたん、いきなり少年は身を起こした。
母親よりも鋭い聴覚が馬の蹄の音を捉えたのだ。
「きっと父さんだ!!」
ぱっと少年は飛び出し、小屋の玄関に向かって走っていく。
それを見て母親は、ため息を上げた。
「・・・もう」
吹きすさぶ風とともに扉を開けて入ってきたのは一人の男。
少年が飛びつくとその男は抱き上げて笑顔を浮かべた。
「よしよし、久しぶりだな息子よ」
「父さん、胸が痛いよ」
抱きついた父親の胸に何かがあり、それが少年の胸を痛めていた。
「おお、すまん」
息子を下ろした所で男は自分の妻の姿に気がつく。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
少年は前と後ろに自分の親がいることに幸福感を覚え、満面の笑みを浮かべた。
母親が手招きをして、早く寝なさいとベットに連れて行こうとする。
それに父親は微笑を浮かべ、扉を締めようと・・・
扉の向こうには何もない闇。
柵の中の羊、今さっきまで乗っていた馬小屋の馬、すべてが消え去っていた。
まるで初めからいなかったように・・・。
「まさかっ!付けられていたのか!?・・・アマンダ!、逃げろ!!」
父親の叫び声が聞こえた瞬間、少年は体が横っ飛びする衝撃を襲った。
頭を壁に打ち付け意識が一瞬で奪われて気絶した。
世界が赤い。
空も地面も赤く染まっている。
燃えたぎる火に部屋は照らされ、地獄の釜のように煮えたぎっている。
竜巻のように取り囲む火の上。
星はなく、黒い雲が覆っている。
ーーー少年は意識を取り戻して、それを見た。
最初、司教に教えられた地獄にでも落ちたのかと思った。
それとも悪夢か何か。
前後の記憶が定かでもないまま全てに恐怖を覚える。
だがそれを切り裂く光があった。
倒れている少年の真上。
父親が剣を握り、それを振り回していた。
切りつける相手は黒い闇の何かだ。
炎の壁から飛び出してくるそれは、菊に耐えない金切り声を出して襲いかかってくる。
少年は思わず耳を塞いで、身を縮めた。
その動作に父親は、息子が意識を取り戻したのだと気がつく。
「気がついたか!?」
父親は安堵の声を上げて、剣を止めた。
体に吊り下げた瓶を開け、中の液体を自分達の円心状に撒く。
それから少年が聞いたことがないような言葉を唱えた。
水は炎によってすぐに蒸発するがその蒸気はあたりにゆったりと漂い、影の侵入を抑える。
「こっちに来い!!」
父親は剣を床に突き刺し、暖炉に手を伸ばす。
熱によって手が焼けただれるにも関わらず薪を取り出し、取っ手を見つけた。
そこを開けると小さな洞窟が続いている。
少年をそこにおろして父親は言った。
「いいか、この道を通って逃げろ」
「でも、でも。母さんは!?」
何が起こっているのかわからない少年は、震える声を上げる。
「・・・母さんなら必ず助ける。だからお前は先に逃げろ。いいな、決して振り返るな」
父親は剣を握っていた手を息子の頭に当てる。
それに息子は、確かにうなづいた。
「それと・・・」
父親は言葉を続け、胸元から鎖につながった小さな箱のような物を取り出した。
先程、少年に当たり、痛がったものだ。
それを父親は息子の胸に掛けた。
思わぬ重みに少年は、驚く。
「これを持って逃げてくれ。いいか、これは絶対に誰にもわたすんじゃない。何があろうともだ」
父親は立ち上がり、息子をじっと見下ろした。
「お前は、神に使える騎士の息子だ。必ず生き延びろ!」
再び父親は炎の壁に向かって剣を握った。
「行けっ!!」
少年は見上げる。
剣を握る騎士の背中。
騎士は剣を振り上げ、迫り来る闇に向かって最後まで闘うという意思を見せた。
少年はそれを見て、泣き出しそうになる意思を抑える。
足に力を入れ、大きく息を吸う。
「父さんっ!!」
少年は叫びを上げて、身を翻した。
身を低くして出来るだけ早く走る。
父親に託された物を強く握り締めながら。
洞窟は近くの墓地につながっていた。
亡骸のない無名の墓の入口を蹴りで壊して這い上がる。
大分家がある丘から離れたことになる。
少年は自分が逃げてきた場所を振り返った。
炎の竜巻が家を取り巻き、天と地をつないでいる。
今までずっと生きてきた家が燃えていく。
母親も父親もあそこにいるというのに・・・
じっと目を凝らすと少年は不思議な衝撃にあう。
何百と離れている距離を無視するように少年の意識は、体を離れ家に近づく。
視界のみが家に迫り、その光景をさまざまと見せつけてくる。
感じるはずのない火の熱で体が燃えるていると感じるほどだ。
そして、炎はところどころ途切れていた。
途切れているところから覗くのは、燃えた家。
地面には折れた剣が投げ出されている。
その上に自分の父親が立っていた。
「とう・・・さん・・・?」
呼び声にその姿あ振り返る。
だが先程自分い笑い掛けてきた優しい顔とは違った。
目は黒く、深淵のごとく。
口は避け、鋭い何本もの牙が生えている。
まるで神に歯向かう悪魔のような形相だ。
黒い影がその悪魔を取り巻き、踊るように舞っている。
そしてその悪魔は。いびつな爪が伸びた手をこちらに伸ばし・・・
「ぜあはああぁっつ!!!」
ーーー俺は、目を開けた。