第六話
日が経って、冬野の計画に参加する人間と参加しない人間とがはっきりしてきた。十人程が計画に乗り気なようだ。中心になっている冬野たち三人組がそもそも同じ部屋に住んでいるように、部屋単位でどちら側になるか決めたメンバーがほとんどだったが、霜山と萩原は例外だった。
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう。部活とかやって、楽しくなると思ったのに」
ここに残ることを選択した萩原は僕たちにそう言って溜め息をついた。
「ねえ、二人は行かないよね?」
視覚も聴覚も強く刺激しない楓は大人しい、という評価を受けている。僕も彼女とセットになって黙っていることで、自分の態度を保留してきた。だから萩原の問いにも答えられない。楓は「大丈夫だよ」と曖昧な返答をした。
教室は明確に派閥が生まれているように見えた。以前からいくつかのグループに分かれていたが、あくまで特に仲のいい者同士が集まっているだけであって、敵意のようなものは今まで無かった。同じ箱庭に住むメンバー。そういう仲間意識があったのに。もうどっちつかずでいられる雰囲気ではなかった。
部屋に帰ってから、楓に聞いてみる。教室の居心地と関係無く、もう猶予が無いのだと思う。どう頑張っても何かが変わっていく。楓の結論を聞いて、それに合わせて僕は何かを諦める覚悟をするべきだ。
「楓はどうするの?」
「何を?」
「何をって、冬野のやつ。ここから脱出して真実をって」
「それなら行かないよ」
ベッドに寝転がった楓はぬいぐるみを持ち上げている。腕を伸ばして、まるで寝ながら高い高いをしているみたいだった。
「冬野が知りたいと思ってることって、あんまり大事なことじゃない気がするんだよね」
途中からぬいぐるみと見つめ合うのにも飽きたのか、真上に放ってはキャッチする、ということを繰り返し始めた。
「そうなのかな」
「たぶん私たち超能力者じゃないしね」
「外に出たいとも思わないの?」
「あんま興味無い」
そこまで答えを聞いて、やっと安堵が胸の中に生まれる。
「そっか」
それなら何も迷わなくていい。ただ一日でも長く楓と過ごす箱庭の日々が続くように、延命措置を考えていけばいい。
楓はぬいぐるみを高く放り、落ちてきたのを抱き締めた。そして唇に人差し指を当てる。
「行かないってことは秘密にしてね」
「どうして?」
「なんか教室ぎすぎすした感じになってるけど、どっちでも私たちはずっと一緒に過ごしてきた仲間だと思うから」
彼女の言葉に熱を感じた。多くは語らない彼女だ。わざと意見をぼかすこともよくある。その楓がはっきりと仲間だと言う。
「うん、わかった」
頷く。八方美人だ、とは思ったけど咎める気にはならない。できれば冬野たちを止めたい。そしてまた今まで通りの日々を送れたらいい。僕だってそんなことを夢見ているから。
「ちょっと散歩」
「散歩」
初めて聞いた言葉であるかのように楓は反復した。行ける場所が限られているここで散歩なんて言葉を使うことはまず無い。自分が変な単語を用いたことに気付く。
「そこらを歩いて、冬野たちがいたら考え直すように説得したいんだ」
「そう」
楓がぬいぐるみを抱えたまま体を起こした。
「頑張ってね、でいいのかな」
「たぶんそれで合ってると思うよ」
楓の手が僅かに挙がる。彼女の顔の横まで来るが、手を振るには至らない。意味の無いことをしようとしていると思いつつも引き止めずに送り出そうとしている。僕にはそう見えた。勘違いだと思うけど。
冬野側のメンバーを説得して一人でも多くここに残したい。彼らの計画はおそらく失敗するだろう。その時ここに帰ってこられる保障は無いわけだから、行かないのが正解であるはずだ。冬野の部屋のドア。そのすぐ傍で雪本が壁に寄りかかって立っていた。
「何してんの、こんな所で」
「ん、ああ。考え事をしてた」
聞いてくれよ、と彼は言った。「ここ最近俺たちの部屋で会議をやってるんだけどな、これが酷いんだ」と小声で愚痴を漏らし始める。
「冬野があれもしたいこれもしたいと目標を増やすんだが、そもそもそれらを実現するまともな案が全く出てこないって状況でな。特にここから脱出する方法については具体的な案が全く無い。俺たちはきっと特殊な人間だからベランダから飛び降りても平気かもしれない、なんて言うやつまでいるんだぜ?笑えるだろ」
「大変だね。そんな調子じゃ実行に移さないまま頓挫しちゃうんじゃない?」
「俺もそうなると思ったんだがな」
複雑な顔をする。周囲を見回し、顔をこちらに近付けて、声をより一層潜める。万一にも聞かれないように、といった感じで。それの一連の動作は部屋の中の人に聞かれたくないというのとは違う様子だった。
「拷問をすることになりそうだ」
「拷問」
不穏な響きだ。なるほど部外者にはあまり聞かれたくないということか。
「教師をな。どうせカードを奪っても使えないから、それくらいしかできない。だから、誰をどのようにやるか、そういう話がこの中では一番熱い」
愚痴を言うためとはいえ、僕にそんなことを漏らしていいのだろうか。眉が寄るのを極力抑える。それでもどうしても表情は変わってしまうが。
「反対する人は、いないの?」
「いる。だから拷問って案は一旦却下されて、その後でやる気だったやつらを集めて、反対派にばれないように計画を練っている」
「あまり穏やかな話じゃないね」
小さい頃から一緒に過ごしてきた仲間が粗暴な行為を企んでいる。それも仲間を欺きながら。とても不快だ。綺麗じゃない。ここは箱庭であるはずなのに、腐敗している。
「そうするように指示したのは冬野だ。少なくともあいつだけは本気みたいだ。お遊びって感じじゃない」
ところでお前はどうするんだ。雪本はそう聞いてきた。
「魅力的だとは思うけど、上手くいきそうにないし、成功したところでその後どうなるかわからないしね。このままの生活を続けた方がよっぽどいいと思うよ」
「俺も同感だな。お前の方が正しいと思う」
雪本からそんな言葉が出てくるのが意外だった。彼は冬野の味方だと思っていた。
「じゃあどうして雪本は冬野たちと?」
「あいつのやろうとしていることは凄く危険なことのような気がする。もしこれが映画だったら、真実を知ろうとした人間は一人残らず抹殺されるんだろうな」
「映画なら、ね」
「しかしこんな場所だ。そういうことが起きても普通だと俺は思ってる。少なくともここに帰ってこられるはずがない。許されるやんちゃではないからな」
「帰ってこられるとしても、記憶喪失になっていたり精神を改造されていたり、みたいな?」
ありそうだ、と雪本は頷く。
「失敗したらきっと無事では済まない。だから少しでも成功する確率を上げた方がいい。そしてそういうのを考えるのは冬野より俺の方が得意なんだ」
「そんな理由でわざわざ?」
「そんな理由なんて言うなよ。何もしなかったら、親友を見殺しにするみたいでな。それも嫌だし。こんな狭い世界で親友を失ってみろ。退屈で死ぬぞ」
そう言って笑い、彼は背中を壁から離した。
「さてそろそろ戻るわ。俺がきっちり成功する計画にしてやらんと」
「あ、僕が反対派っていうことは内緒にしといてくれないかな。冬野たちともちゃんと話したい。どっちつかずでいれば、勧誘しに来るかもしれないからさ」
「了解した」
雪本は部屋の中に入っていく。ばたん、という音。僕は、白井はどうだろうか、と考えていた。説得は無理だと思う。彼は人付き合いがいい。雪本でさえ友人を見殺しにするのに抵抗があるなら、彼はもっと強くそう思っているはずだ。
それぞれの道を行く。どこかで聞いたことのあるフレーズ。きっと普通の青春にはそういうことがありふれているのだろう。人生にはよくあること。それなのにやたらと痛い。人類はどうしてこんな危険な刃を放置したままでいたのか。だから滅びたんだ。そんな悪態を思い付いた。