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第五話

 彼女の私服は決まって白いワンピースだ。学校のある日はずっと制服かパジャマだけど、休みの日はそれを着る。私服姿の彼女はまさにお人形だ。白いワンピースに黒い髪の女の子。部屋にはぬいぐるみがたくさん。一枚の写真、あるいは映画の穏やかなワンシーンのよう。

 僕たちは人形だ。

 休みの日になって彼女のワンピース姿を見る度にそう思う。僕も楓も自分の意思で服を選ぶことはできない。自分の着ている紺色のシャツはあまり好きではない。着せ替え人形。たぶん似合うからこれを着せられているのだろう。彼女も随分と様になっている。だから二人きりなはずなのに、どこかからあしながおじさんが見ているのではないか、と思ってしまう。

 僕が関係を進展させられずにいるのは、ここが箱庭だから、というのもあるのだと思う。誰かが僕と楓が恋人になることを狙って同じ部屋に住ませることにしたのだと僕は思っている。楓と恋人同士になってしまったら、誰かの悪趣味な計画通りになってしまう気がして、意地を張っている。

 どうやって素直になればいいんだろう。僕は僕の意思で恋をしているのだと信じられる術は無いのか。

 ずっとそんなことを考えている。もし小さい頃に喧嘩をしていなかったら、その時素直に謝ることができていたら、僕は何かを企んでいる誰かのことなんて気にせず、彼女に告白していたのかもしれない。そうなっていれば気楽にいられたのに。現実は楓と喧嘩して、謝ることもできず、無視しながら棘のような気配を押し付けあう日々を過ごしてしまったわけで。

「また探してる」

 外を眺めていた楓が室内を眺めている僕に呆れた様子で言う。こうやって監視カメラを探すのは休みの日の習慣になっていた。どこの誰だかわからない人間に自分の生活を見られて不快に思わない人間なんているだろうか。楓だって「いい気分はしないね」と認めている。それなのに彼女はこの行為に意味を感じていない。

 頑張って見つけて壊しても、また新しく設置されるだけでしょ。

 そう言って、監視カメラを探そうと天井を見ることは一切しない。確かに楓の言う通りなのだけど。

「だって、なんか悔しいんだもん」

 誰かに見られているままじゃ告白できない。同じ部屋に住む女の子を好きになってしまった。素直に告白したら、僕たちはロマンチックなドラマを演じさせられているみたいで、嫌だ。月島と鹿島を否定するわけではないけど、僕は見世物めいた恋はできない。せめて大事なことは観客のいない時に告げたいのだ。

 冬野がやろうとしていること。真実を知ってここから脱出するという計画はとても素晴らしいことだと思う。この建物から出てしまえば、僕たちはちゃんとした恋ができるはず。自由と言うのは的確かどうかわからない。ここは箱庭だ。今の生活を続けていく方がよっぽど好き勝手にできるだろう。だけど少なくとも今より人らしく生きられるのではないのだろうか。それなのに僕は冬野たちと行きたいとは思わないのだ。

「やっぱ見つからないなあ」

 カメラを探すのを諦める。どこを探しても不審な物体は見当たらない。たぶんこの部屋は元々監視する前提で作られているのだろう。見えないように上手く埋め込んである、とか、実は天井全体がカメラとしての機能を持っている、とか、そんな感じで。探すのを諦めてしまえば、すぐに誰かの視線なんて気にならなくなる。どうせ子どもの頃から見られているのだ。

 不満はある。だけど今のままで十分に幸せだとも思う。この箱庭での生活、楓との今の関係。不幸では決してない。だからだろう。形振り構わず愛情を暴走させる程の衝動は湧き上がってこない。そんな冷静な自分を見つめていると、本当は恋なんてしていないのではないか、と自分の気持ちを疑ってしまうくらいだ。

 暇だ、と言いかけて、思い出す。冬野からアニメを借りることになっていた。

「ちょっと冬野の所に行ってアニメ借りてくる」

「行ってらっしゃい」

 そういえば冬野たちはどうやって計画を実行するか検討しているのだろうか。そんな所にアニメを借りに行くなんて、楓のマイペースがいつの間にか伝染しているのかもしれない。付き合い長いから。

 冬野たちの部屋に行ってノックする。

「柿田か」

 ドアが開いて白井が出てきた。

「この前言ってたアニメ借りようと思ったんだけど」

 そう言った瞬間、白井の眉が寄った。

「もしかして例のあれで取り込み中?」

「ああ。お前、参加しないのか?」

 白井は小声で言った。中の様子をうかがうと、冬野と雪本以外にも何人かいるのが見えた。霜山も。

「まだわかんない。楓が興味あるのか無いのかわかんないから」

「なるほど。小川は静かだからな。ちょっと待ってろ。取ってくるから」

 すぐに戻ってくる。手にはDVDボックスが二つ。上下巻。

「ありがとな」

「またな」

 ドアが閉じられる。すぐに会話が再開されたのがわかった。

 ただいま。おかえり。自然に言葉を受け渡しできるこの部屋は、冬野たちの部屋より会話が少ないはずなのに賑やかに感じられた。

「やっぱり冬野たち、あのことを話し合ってたよ」

「そう」

「霜山もいたよ」

「そう」

 楓の目は本から離れない。

「アニメ、見る?」

 ボックスを掲げる。彼女はやはりこちらを見なかったが「うん」と頷いた。

「じゃあ準備できたら言って。それまで待ってるよ」

「ん」

 ついに返事が「ん」になった。「お茶飲む?」と聞いても「ん」と返ってくる。話をよく聞く気が無いのがよくわかる。教室にいる時はこうはならない。僕以外の箱庭のメンバーとも付き合いは長いのだが、他のメンバーがいる時はマイペースになりすぎないようにしているみたいだ。だから僕も話しかけないようにして、読書に集中させてあげる。テーブルに紅茶を置くが、反応を見せずに楓は本を読み続けた。

「ふう」

 息を吐きながら彼女は本から目を離し、栞を挟む。そうしてやっと紅茶に口を付ける。彼女は一口飲んで、そして「見ようか」と言った。

 アニメ。アニメは現実ではない。正確に言えば、ドラマ以上に現実から遠い。現実には存在しない場所やあり得ない風景が描かれていることだって少なくない。それでも日常をトレースしたものも確実にあるわけで。だから僕たちは映像作品に弱い。僕たちがおそらく一生体験できないであろう生活の一場面が画面の中では自然なものとして扱われている。通学路が真っ白な廊下ではないことが眩しくて仕方ない。

「今何時だろう。そろそろお腹減ってきたんだけど」

 何話か続けて見たところで楓がそう言ったので、僕たちは食堂に行くことにした。

「登校している場面があったじゃん」

 大盛りのカレー。端から削っていきながら話す。

「あったね」

 楓は和食。焼き鮭を箸で小さく切りながら楓は答える。

「そこでさ、大体の生徒の絵が手抜きだったじゃん」

 それがいちいち丁寧に描いていたら作業が大変すぎるからああなってるっていうのはわかってはいるが。

「もしかしたら、いっぱい人がいる所を歩いてたら、あんな感じに見えたりするんじゃないかなって思ったんだ。その他大勢って言うのかな。どう思う?」

「そういうこともあるかもね」

 頷いた後に楓はぽつりと言う。

「ここは寂しいね」

 夕食にしては時間が早かったみたいだ。食堂には他のメンバーがいない。ここにいるのは三十と少しの知り合いだけだ。先生のみならず食堂のおばさんの顔も覚えてしまっている。他人が非常に限られている小さな世界。テレビの中の光景は遠すぎて、もしかしたら人類は既に僕たちしか残っていないのではないか、なんて想像をしてしまう。その他大勢がスペースを埋めることは無い。空っぽが毒々しく広がっていた。

 人が欲しい。

 その欲求を満たす手段は多くの人と仲良くするか特定の人と深く繋がるかのどちらかだ。そしてこの箱庭は人が少ない。自然と後者になる。帰りのエレベーターの中で、僕は楓とキスしたくてたまらなくなった。しかし衝動に身を任せるのは抵抗がある。楓との関係が悪化すれば、箱庭はたちまち地獄と化す。そのことが容易に想像できた。僕が飢えている一方で楓は普段通りなことが幸いして、僕はすぐに冷静になれた。それでも一度生じた欲求はべっとりと背中に残る。

「外には、人がたくさんいるのかな」

 強引な行為の代わりに、そんな言葉が漏れる。カードで部屋の鍵を開けた楓は無言で僕の腕を掴んだ。

「え?」

 引っ張られる。部屋の中に入り、そのままベランダへ直行。外はもう暗くなりつつあった。日が沈むのが早くなってきている。それに少し寒い。空を眺めている僕に「ほら」と楓は言いながら下の方を指した。背の低い建物たち。

「外、誰も歩いてない」

 本当だ。どこを見ても人の姿は見えない。

 でもそれは偶然ということだって。

 いつも外を見ている彼女が言うのだから本当に誰も歩いていないのだろうけど、認めなくはなかった。

「もう少し待てばわかると思うけど、暗くなっても明かり点かないんだよ。どこも」

「じゃあ、本当に人が、いない?」

 この建物の中にいっぱいいるかもしれない。もしかしたら地下に住んでいるのかもしれない。そんな可能性を挙げてから楓は「少なくとも祐介が憧れている生活はここ周辺には存在しないと思うよ」と言った。

 胸が濁ったもので満員になる。涙が出る時の気持ちだ。胸の中で何かが目から涙を押し出そうとしているのだ。でも涙は出ない。冷たいことを突きつける彼女の傍、今いる場所が僕の居場所なのだ。もし彼女との関係で失敗した時、代わりとなる相手が存在しない。そのことがはっきりとしただけだった。怖い。唯一つの理想が叶わなかった時、この箱庭の中で急速に朽ちていく自分の姿が見える。この楽園は蜜で満たされているわけではない。わかっていたことではあるのだが。

 自分の受け取る幸福を選択できなかったら、それは本当に幸せと呼べるのかな?

 考え込んでしまう。外を眺めたせいもあって、冬野たちの計画が気になる。彼らがこの箱庭から出ていったら、ここはどうなるのだろうか。僕たちの前に広がっている世界は空っぽで、彼らのやろうとしていることはただ霧散して余計に寂しくするだけのように感じた。

「ここ最近よく外を見ていたけど、もしかしてずっと人がいるかどうか確認してたの?」

「違うよ」

 楓は笑いながら首を振る。

「どうすれば空を飛べるのかなって考えてただけだよ」

「飛ぶって」

 笑ったら、楓はむっとした。ギャグで言ったわけではなかったらしい。

「だって星とかもっと近くで見てみたいじゃん」

「ああ、なるほど」

 なるほど、と言いつつも、僕は彼女の考えていることをよく理解できていなかった。楓ならそういうこと考えるかもね、といった具合の理解だ。共感には届かない。僕や冬野たちとは見ているものが全然違う。真実なんてどうでもいい、と思っていそうだ。だけど、彼女のように生きられたらいいな、と憧れてしまうのだ。

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