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第四話

 教室はいつもと違っていた。異質な音が混じっている。

 ぱち。ぱち。

 梱包に使われる無数の突起に空気が入れられているあのシートで遊ぶ時の音に似ている。しかしそれよりもいくらか大人しい。そしてそれはどうやら霜山の席から発生しているようだった。霜山の席には鹿島が、その前の席には月島が座っていて、向かい合って何かを見ている。霜山と萩原も立って同じ所を見ている。

「何してんの」

 覗きこむ。そこには将棋盤があった。とても薄い。駒もまたぺらぺらで、漫画で見たのとは全然違った。

「詩織の部屋にあったんだって」

「昔一緒にやってたのを思い出したんだ。確か俺たちの世話をしてくれたお兄さんから教えてもらってさ。この盤もその時に」

 月島がそう説明する。

「でも私ほとんど覚えてないよ。それこそ駒の動かし方くらいしか」

 そう言いながらも鹿島の指す手はのびのびとしている。二人して知的というイメージに違わず、きちんと将棋をしているように見えた。

「これ、どっちが勝ってる?」

 わからない、と二人は言う。そして月島は考え始める。どうすれば有利になるか考えているのだろうけど、何をどう考えているのか僕には見当もつかない。

「楓はわかる?」

 聞いてみるが、彼女は首を横に振るだけだった。

「すげ、将棋やってる」

 冬野たちも来た。そして冬野は「今どっちが勝ってるんだ?」と聞いてくる。

「それはさっき俺が聞いた」

「で、どうなんだ」

「わからないってさ」

 しばらくして考えがまとまった月島はどんどん攻めていって、そのまま押し切った。

「次は俺がやる。おい白井、そっちに座れ」

 冬野に命令されて白井は溜め息をつく。口数の少ない白井はそれだけ利口に見えて、月島たちには劣るものの三人組の中では一番頭がいいというイメージがある。その白井が挙手した。

「どうした?」

「駒の動かし方がわからないんだけど」

「あ、俺もわからん」

 俺もだ、と雪本が言う。どんどん連鎖していって、結局ルールを知っているのは月島鹿島ペアだけだったということが発覚する。

「わかった。それじゃあ最初にルールを説明する。詩織、駒並べるの手伝って」

 月島と鹿島は人差し指でマグネットの駒を並べていった。歩兵が並ぶのを見ると将棋だな、って感じがする。

「まず初期配置はこうだ。王様の横に金。その横に銀。その横が桂馬で端っこが香車」

 次に動かし方、と二人は解説していく。一通り終わると冬野たちが戦いを始めた。

「要するに飛車を相手の陣地に行かせて成ればいいんだな」

 そう言って冬野は飛車の前にいる歩を前進させる。白井は冬野の真似をしているようで、一秒も考えずに冬野が指したのと同じことをする。

「ずっと同じことしてると後手の方が不利になると思うぞ」

 月島にそう言われて、何十手も同じ手を指していた白井は固まった。悩み出す。彼は角を使うことにしたらしい。持ち駒にあった角を相手の陣地に置いた。

「金と銀って動き方、どうだっけ?」

 互いに王手する回数が増えてきたところで冬野が質問する。

「金は斜め後ろに下がれない。銀は真後ろと真横が駄目」

「ああ、そうだったそうだった」

 金が後ろに下がって、王手を防ぐ。そのまま龍に殺される。

「あ、しまった。意味無いじゃんか」

 そこから白井が何度も連続で王手して、このまま勝つかな、と思ったのだが冬野の王はどうにか生存し、反撃していく。しかし白井の王は生き残る。まるで持ち駒を相手にプレゼントし合っているかのような攻防が何度も繰り返され、殴り合いは終わることなく、授業が始まってしまった。

 放課後、将棋をすることになって、帰れなかった。「部活動というのは放課後やるものだろう」と冬野が言ったせいだ。掃除当番も帰ってしまって、僕たち以外残っていない。朝とは違って、人気の少ない教室は魚が全滅した水槽を連想させる。賑やかな空気が失われて、足りない、と思わせる。

「そういえば部活なんだけどな、もっと刺激的な活動を思い付いた」

 月島鹿島ペアがいちゃつくように将棋を指しているのを他のメンバーで周りを囲って見ている最中、冬野が唐突に言った。

「真実を探ってみないか。俺たちで」

「真実ってお前な」

 一番に反応したのは雪本で、呆れているようだった。おそらく一緒に暮らしているから冬野の口からおかしな言葉が飛び出すのに慣れているのだろう。そして雪本がそう感じるのを冬野もわかっていたみたいだ。「いつもの俺のジョークとは違う。今回はマジだ」と言う。

「お前たちは気にならないか?どうして俺たちがここにいるのか。どうして外に出させてもらえないのか。疑問はたくさんあるだろうよ。どうして俺たちなのか、とかな。世の中に子どもなんていくらでもいるはずだ。どうして俺たちが選ばれた?そもそも外の世界はどうなってる?なあ、気になるだろ?」

 全員の無言が彼に同意しているように感じられた。たぶん皆気になってはいるのだろう。だけど深く首を突っ込むようなことをしてこなかったのだ。これまで越えなかった、あるいは越えられなかった一線を冬野は越えようとしている。

「このまま暮らしていたところで明かされるかどうか。それなら俺たちで真実を明らかにした方がいいはずだ」

「ちょっと待って」

 冬野の主張を遮ったのは鹿島だった。

「真実がどうなのかっていうのは確かに気になるけど、暴こうとするのは現実的じゃないと私は思う」

「現実的じゃない、って何が現実なのか俺たちはよくわかってないじゃないか。何もかもが曖昧ではっきりしない。仮にここから脱出するのに失敗したとしても、ここがどういう場所なのか、情報は得られるはずだ」

「脱出ってここから出るつもりなのか?」

 冬野があまりにも熱く語るので、雪本も戯れる調子ではなくなった。

「それが一つの目標だな。できれば壁の向こうまで行って、世界がどうなってるか確かめたい」

「私は、パス」

 鹿島はそう言いながら、桂馬を動かして止まっていた将棋を再開する。月島も「それじゃあ俺も」と言って銀を動かす。

「乗るか乗らないかは個人の自由だ。今すぐでなくていいから、皆も決めておいてくれ。じゃ、俺はここらで帰るよ」

 冬野が一人で去る。エレベーターのドアが閉まるのを見届けて、雪本が言う。

「なんかごめんな。とりあえず俺も行くわ。もしあいつが本気でやるつもりなら、俺がサポートしてやった方がいいだろうから」

 白井も「俺も手伝う」と言う。面倒見のいいやつらだ。

「おう、頑張れよ」

 彼らがこっちのグループにいたらよかったのに。

 二人はすぐにエレベーターに乗って、冬野の後を追う。無言が充満する空気を将棋の音がパッチワークのように痛々しく繋いでいた。

「ごめんね」

 鹿島が月島に謝罪する。盤面では鹿島の駒が攻撃をしかけていた。

「何が?」

「もしかしたら明人は行きたかったのかもしれないけど、私、どうしても嫌だったんだ。このまま二人でいられるなら、危険なことをする必要なんて無いと思うから」

「わかってるよ。俺もそれでいいと思う。何かあって離れ離れになるなんて嫌だからな」

 月島は鹿島が攻撃している所に駒を集めて、丁寧に防御をしているみたいだ。

「ラブラブ」

 楓が指摘するような語調で二人を茶化す。彼女からラブラブなんて言葉が出てきて、どきりとした。僕もできれば楓とそれになりたいのだけど。

「そりゃラブラブですから」

 鹿島は照れるどころか威張った。しかしすぐに真顔に戻って「それで皆はどうするの?」と聞いてきた。

「個人的には冬野たちも含めて行ってほしくないんだけど。ずっと一緒に過ごしてきたメンバー同士じゃん。何かあったら嫌だよ」

 しばらく間を置いて、霜山が頭を掻いた。

「どうしようかな。よくわかんない」

 楓はどうなのだろう。表情をうかがってみるが、いつもと変わらず、どこかぼうっとした感じのある無表情。もう彼女の中では結論が出ているのかもしれない。僕も鹿島と同じでここにいてほしいと思っている。けれど彼女が行くと言うなら僕も行くしかないだろう。彼女が行く可能性は高いと見ている。最近やたらと外の風景を見ていた。関心は強いはずだ。

「迷うよな。俺も行かないけどさ、自分のことが気になるのは事実だし」

 悩むのは仕方ないし、それに答えを出すことは優先されるべきだ。そう言った上で月島は溜め息を漏らす。

「でも一緒に将棋を指せないのは切ないものがあるな。全部解決したら、部活やろうぜ」

「うん、やろう」

 楓も頷いていた。

 部活は続けられるような雰囲気ではなくなったためすぐにお開きになった。楓がぴょんと軽く飛んで、ソファに着地する。ぼふ、という音がしそうだった。お尻から着地する姿がぬいぐるみに似ていた。そのままぼけっとして脱力している姿も。

「お茶飲む?」

「うん」

 そう言っている間にも彼女の首は頭を支えることを少しずつさぼり始めていた。

「お待たせ」

 紅茶をいれると、彼女は姿勢を正す。ぴんと背筋を伸ばし、お行儀よく紅茶を飲む。

「普通に部活っぽいことするのかな、と思ってたんだけど、なんか大変なことになったね」

「うん」

 会話が続かない。「楓はどうするの?」と聞きたいのだけど、それを言う勇気が無い。冬野たちがやろうとしていることに関して「凄いよね」と言っても「何馬鹿なこと言ってるんだろうね」と言っても、彼女の心は脱出することに寄っていくような気がした。おそらくそれは錯覚で、彼女は彼女の感性で選択をする。そうだとわかっていながらも、やはり言葉を出せずにいた。

 ずっとこのままがいい。

 それも声には出せなかったけれど、一番楓にわかってほしい僕の心境だった。死ぬまでこのままならいいのに。楓の言葉だ。だけどそれが実現しないであろうことを彼女も僕も知っている。僕はこの箱庭から出たくない。変化は怖い。僕の知らないものが目の前に来ることはとても怖い。もしかしたらそれらが僕の大事なものを奪うかもしれない。だから死ぬまでずっと知っているものや見慣れたものに囲まれて生きていきたい。でもそれは幼稚な願いなのだろう。

 夕飯を食べた後。今日もお風呂に入るのは僕が先ということになった。一人でのんびりできるのは僕と楓のどちらかが浴室にいる時間くらいだ。

 楓と二人で暮らすようになったのは小学生の高学年の頃だったと思う。それまでは母親代わりのお姉さんがいた。自分の身の回りのことが一人でもできるようになりお姉さんから離れることになって、どういうわけか女の子と住むことになった。他の皆も似たような感じだ。男女のペアだったり、男三人組であったり、あるいは女子のグループであったり。一人で住むということは許されず、同い年の誰かと暮らすことが強制された。個室が与えられない僕たちが一人になれるのはこういう場所だけなのだ。

 はあ、と溜め息が出る。大好きな人とずっと一緒にいるのだから、疲れるというのは正確な表現ではないと思うのだけど、疲労は確かにあった。プライベートな空間が与えられていないと、上手く悩めない。僕たちのあしながおじさんは一体何を考えて、僕と楓を一緒に住ませることにしたのか。あしながおじさんによって束縛されているのだ、と考えるのなら冬野のやろうとしていることは希望だ。でもその道を歩む決意ができない。

「僕は臆病だ」

 呟く。わざわざ口に出すことに何の意味があるのか。自分でもわからなかった。

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