第三話
いつも通りの時間に教室へ行くと、二人いた。
「おはよう」
霜山と萩原だ。今日は珍しくペアらしく一緒だった。いつもは霜山だけなのに。
「珍しいね。今日は萩原も早起きしたんだ」
「昨日いっぱい寝たから、今日はあんま眠くないんだ」
萩原はにこりとした。教室に来るのはとても早い霜山と対照的なキャラと見てしまうせいか、大人しい印象のある彼女だったが、今日はそこそこ元気そうだ。
「なるほどね」
「二人はいつもこんな早く来るの?」
「まあね」
楓は席に着いて本を読み始める。僕も楓の隣、自分の席に腰掛ける。萩原は霜山の隣。
「で、いつもはこんな感じというわけ」
そう言いながら僕も鞄から本を出して、掲げる。
「二人共、本読んでるんだ」
「何も無ければね。ああ、楓は何かあっても読んでるかもだけど」
「なんか兄妹って感じだね」
そう言われるとなんだかくすぐったい。「でも血繋がってないじゃん」と霜山が指摘する。それに萩原は、わからないよ、と言った。
「もしかしたら苗字が違うだけで本当に兄妹かもよ。例えばお父さんの苗字が柿田で、お母さんのが小川だったとか」
そんなわけない、と霜山は手を振った。そして僕たちを交互に指差して言う。
「全然似てないじゃん」
その通りだ。
楓は静かにしているとまるでお人形さんのように見える。微動だにしない時の彼女は、小川楓という商品なのではないか、と感じさせるくらいに。
「私と祐介はともかくとしてさ」
その人形みたいな少女が口を開いた。微風に流される雲みたいな声。
「もしかしたら、この中にいるのかもね。兄弟姉妹」
こんなことを楓が言う時、なんとなく重みがある、と僕は感じる。本当に兄妹や姉妹がいるのではないか、と思ってしまう。それは萩原と霜山も同様だったみたいだ。
「そうなの、かな」
霜山の声のトーンが少し落ちていた。僕たちは物心ついた時からこの箱庭で生活している。僕も楓も萩原も霜山も冬野たち三人も。箱庭のメンバー。あるいは同室のメンバー。僕たちの間に生まれる関係はその二つと恋人くらいなもので、それ以上の繋がりを僕たちは知らない。
「でも私たち同い年だよね。だから双子でもない限り難しいんじゃないかな。でも誕生日同じ人っていないし」
「実は年齢が違うかもしれない。教えられた誕生日も嘘かも」
悪戯っぽく笑う。普段と比べて饒舌な楓。どうやらこの話が面白いみたいだ。しかし二人は困ってしまったみたいで「ううん」と首を捻るばかりになってしまった。
「でもまあ、いたら面白いよね。誰と誰が兄弟なんだろうね」
そう言って二人を元のテンションに戻し、楓は読書に戻る。
「誰だろう。やっぱ兄弟だから似てる人だよね」
そんな話をしているうちに、冬野たちが来た。
「三兄弟ってのもありかもね」
三人を見つめて、霜山が言う。もはや似ているとか似ていないとかはどうでもいいらしい。
「何の話をしているんだ?」
「もしかしたらメンバーの中に兄弟とかいるんじゃないのかなって」
冬野が目を大きくした。そして「そうか」と呟く。
「そういうこともあるんだよな、よくよく考えたら」
何度も頷いて納得しているようなのだが、僕たちには何が何だかわからない。霜山が「何?どういうこと?」と聞くと、冬野は「最近、俺たちのことが気になるんだよ」と答えた。
「ここを箱庭って最初に言ったのって誰だったっけ。まあ、それはどうでもいいんだが、まさにここは箱庭なんだなって最近思ったんだよな」と冬野は親指と人差し指で自分の顎を撫でながら言う。「俺たちの生活って、元々人間の文化としてあったものじゃなくて、誰かが無理やり作ったんだろうからさ」
「うん。そうだね」
僕と楓も前にそんな話をしたことがあった。誰かが僕たちをここに閉じ込めた。閉じ込めたという表現が正しいのかどうか。その誰かのおかげで僕たちは幸福な生活を送っているわけで。彼女と話した時は、この生活に僕たちを投げ込んだ人のことをあしながおじさんなんて呼んでいた。
「ここでの生活はどうも結構恵まれているものみたいだ。だということは、俺たちはかなり特別な存在なんじゃないのかと俺は思うんだな、うん」
例えば俺たちは勇者の子孫で、世界を救う旅に出る日までこうして保護されているとか。
冬野がそんな変てこな例を挙げるものだから、楓の止まっていた指が本のページをめくる。
「それは夢見すぎ」
同居している雪本にそう言われて、顎を撫でる手が止まった。そのまま重力に引かれるように手は離れた。
「まあいいや。それで部活の話はどうなったんだ?」
「将棋関係で見つかった物全部よこせって頼んどいた」
「大雑把」
楓が咎めるが、彼女の呟きにコメントが重なることは無かった。
「そのうち来ると思うけど、それまではやること、無いね」
「そうなのか」
冬野の声が萎む。彼のやる気が失われていくのを感じた。そして窓の外を見た。視線の先にあるのは、おそらく壁だ。巨大な壁。奥にある光景を遮るそれは障子を思わせた。
「普通の生活だったらよかったのにな。そうすれば本屋に行けば将棋の本は手に入るだろうし、必要な物は自分の足で手に入れに行けたんだよな」
壁の向こうにそんな生活が広がっている。そんな想像をしていそうな、彼の言葉だった。
放課後。最初に教室から出るのは教師だ。この建物は高い。学校と食堂と住居の三階建てでは済まない。彼らの持っているカードは僕たちのカードでは行けない場所まで行ける。
もしかしたらあのカードを奪えば、この箱庭から出られるのかもしれない。
そう考えたのはこれで何度目だろう。それでも実行しないのは、おそらく失敗するだろうから。前に楓のカードを使おうとしたことがある。そうした方が楽だったから。だけど使えなかった。一人分のカードでエレベーターに二人乗ることもできなかった。こっちは悪戯だったのだが、上手くいかずにがっかりしたことを覚えている。だから教師のを奪ったとしても、何もできない。いや、もし脱出できたとしても、僕は脱出しないのだと思う。
「行こうか」とエレベーターが止まったのを確認して、楓は言った。
「うん」
彼女がいるからだ。箱庭の生活は一応幸せなもので、束縛されるのは嫌だという反骨精神で楓を手放すことなんてできないのだ。
部屋に戻った楓はブレザーを脱いだ。上半身の色は黒から一転してブラウスの白に埋まる。彼女のイメージカラーは白だと思う。白い服がよく似合う。本来の姿を見せた彼女はそのままベランダに出る。歓迎する風が彼女の髪と戯れた。椅子に座る彼女の後姿に晴れている空を重ねるのが僕は好きだ。写真にしておきたいと思う反面、保存してしまえば価値が薄れてしまうような気がしてできない。そういう葛藤を抱えるくらい。
中に戻ってきてお茶をいれた楓はスプーンをじっと見つめていた。スプーンを持ち上げ、じっと。その不審な行動に目を奪われる。
「何、してるの?」
楓は「超能力使えたりしないかな」と言った。
「それってもしかして、朝に冬野が言ってたやつ?自分たちは特別な、っていう」
そう、と楓は頷く。
「実は私たち全員超能力者だったとか」
「流石にそれはどうかと」
そう言うと彼女は「だよね」と言ってスプーンを掲げるのをやめた。
おそらく僕たちは特別な人間なんかじゃない。
勇者とか超能力者とかだったら、もっと小さい頃からそれ相応の訓練をしているはずだ。そういうものどころか体育の授業さえ無い僕たちに何かできるとは思えない。穏やかな日々。受験という言葉さえ出てこない。おそらく来年になればあの教室で大学生らしい講義を受けることになるのだろう。そしてあの教室はやがて社会人の真似事をするための部屋になるのかもしれない。
そうなるんだろうな。
直感が告げる。この先も大して変わらない日々が待っている。ただ年月を重ねていくだけ。僕たちは、箱庭の住人。
「きっと十年後もこんな感じで過ごしてるんだと思うよ」
そうなんだろうね、と言わんばかりに彼女のスプーンはうな垂れた。そして、かちゃん、と音を立てソーサーに着地する。
「いつまでこのままでいられるのかな」
今度はカップを持って、楓は言う。紅茶を一口飲んで、窓の外を見た。目を細めて、顔を戻した時の表情にはいくらかの陰。
「死ぬまでこのままならいいのに。それなら、怖くない」
僕とは反対に、楓はいつか終わりが来ると感じているみたいだった。やはり僕たちは普通の人間なのだ。僕たちの見つめている未来の光景は不確かな予感でしかない。彼女がどうして終わりが来ると思ったのか、考えてみる。理由は意外とすぐに見つかった。
「そうか。あしながおじさんがいつまで生きてるか、わからないのか」
箱庭の外にあるのは現実だ。あしながおじさんが生きているのはその現実なのである。僕と楓を一緒の部屋に住ませることにして、部屋にはぬいぐるみや植物を置いて賑やかにし、僕たちに似合いそうな服まで用意する。そんなおかしなことをやっている犯人が死んでしまえば、この楽園は崩れるかもしれないのだ。
「怖いね」
「うん、怖い」
そう言いながらも、お互い紅茶を飲む所作に怯えは混じらない。一歩ずつゆっくりとこちらに向かってきている不幸は、まだ僕たちの目には見えない所にいる。だから空を見て綺麗だと言えるのだ。
でもいつかこの楽園が駄目になる時が来るかもしれない。その時、どうしたら僕は楓と一緒にい続けることができるのだろう?
僕たちの理想に沿った優しい崩壊が来てほしい。そう思った。




