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ヘルメス  作者: 捺耶 祭
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日野つかさ-1-

 

 聞きなれた教室の喧騒。


 登校時間にはまだだいぶ早い。


 しかし、この教室にはいつもの如く、すでに6割以上の生徒たちが登校してきていた。それはこの学校が進学校であるからか,それともただ友達同士で話がしたいだけなのか。


 教室にいる二十人弱の生徒たちは、外を眺めたり、楽しく雑談したり、耳にイヤホンをしてひたすらに計算問題を解いていたり。きっと、何をするにもひとりきりになるのが嫌なためなのだとつかさは思った。


 なににせよ、うわべだけを繕って皆と「友達ごっこ」をしているつかさにとっては、話しかけられる可能性が増すのでいい迷惑であった。


 廊下から横目で教室を見やった後、自分の席に近い後ろ側のドアから中に入る。


「おはよう! つかさ」


 教室の敷居をまたごうかという間に、わざとらしく元気な声がした。その声はこちらをバカにしているような飾り気があって、今では日常と化していた。


 「ああ…おはよう 忍」


 その声は、今日も例外なく学校でのつかさの第一声をうばう。


 つかさに声をかけたのは、長身でインテリっぽいめがねをかけているのに、がっちりとした体つきがミスマッチの男子生徒であった。


 彼の名は小泉忍。


 高校に入ってから知り合ったクラスメイトで、学校の中では一番一緒にいる時間の多い人間であった。


 つかさは他人と馴れ合うことが好きではない。しかし、元来人間という生き物はコミュニティーの中にだけ生きる動物であり、その群れに内包されている以上一人で生きていくなんてことは不可能であると理解していた。


 いや__理解しすぎていた。


 もう少し無知であれば、もしかしたらつかさは苦しんでいなかったのかも知れない。


 つかさは一人で生きていくことができないと知っているからこそ、今日もクラスメイトにあわせて笑顔をつくり友達ごっこをする。


 他人を信じることのできないつかさにとってそれはとても疲れることであって、生きていく大儀以外にはなんの意味もなさない苦痛でしかなかった。


 しかし、つかさは無知でないが故にその圧倒的な社会という名の束縛と抑止力に抗うことができないのである。


 他人を無視し、人を避け、己の中に耽溺できたというならどれほど幸せだろうか。


 しかしそれでは、まず生きていけないのである。社会のなかに溶け込めないものは既にヒト科であって人間ではないのだ。


 「生きる」ということにじぶんなりの喜びを見出していたつかさにとって人間とさえ扱われなくなってしまうこと、ついには生きられなくなってしまうことは絶対に忌避せねばならないことであった。


 だから、つかさは第三者の主観から見れば礼儀正しい優等生でありルックスも悪くない、友達だってそれなりにいるように見える、云わばなかなか模範的な高校生であるのだ。


 この点でつかさは”つきあい”を憎む一方、その大原則である社会からは抜けだせないのである。


 そんなつかさの苦悩の中、小泉 忍という存在は“つきあい”の苦痛をつかさに与えることがそれほどなかった。


 それは彼の竹を割ったような性格が由来しているのかもしれないが、一番の要因としては、つかさの外面を忍は既に見抜いているということにあった。


 信じることができないという大前提は以前に変わらない。外面を見抜かれているならば、それをほかの誰かに吹聴されるのではないかと恐怖する自分を想像しないつかさではなかったが、小泉忍という男はそのような卑劣な人間ではなかった。


「なんだ、お前今日顔色悪くね?」

「いつものことだろう」

「そうか?まぁそう言われてみれば確かになぁ…。まっ、そんなことはどうでもいいとしてぇ。どうなんだよぉ、な! 幼なじみちゃんとはうまくいってんの?」

 つかさは、さも気に障ったとでも訴えるかのように眉根をよせた。

 「幼なじみ? 朝っぱらから急になんだ。しおりのことか?何で朝からそんな浮いた話をしなきゃなんないんだ。というか何でお前がそんなこと知ってる」

 「うおっと質問攻めか?」


 忍が無駄にテンションが高いのはいつもどうりのことであった。


 「聞いたんだよ。本人から。もちろんおまえじゃあない、西野のほうからな。なんでも小さいころは一緒におままごとなんてやってたってなぁ。ヒュー ヒュー うっらやましいねぇ。西野って、運動部所属の割におとなしいから近寄りがたくて結構みんなノーマークだけどよ、逆にそこがいいって人気あんだぜぇ。そういや、一組の平賀もいいって言ってたな」


 幼なじみで昔おままごとをしていた異性がクラスメイトの中にいたのなら、こいつにとってそれが羨ましいことになるのだろうか。だとしたら、こいつはそうとう悲しい少年時代を送ってきたことになる。つかさは、そう正直に思ったが、それを口にはしなかった。


 そんなことはどうだってよかったのだ。しかし引っかかるところがあった。


 「ジン、お前のその昔おままごとやったって節が、なんで“うまくいってる、いってない”につながるんだ。第一あいつとはもう何年も前から親しく口も聞いてないんだぞ。お前が言う”うまくいく”それ以前の問題だ 」


 それを聞いて忍は意外そうな顔をした。


 「へえっ? このごろきづいたんだけどよ。だってお前ら一緒に登校して…っと噂をすればなんとやらってか」


 聞き捨てならない言葉を残して忍はどこかへいってしまった。


 一緒に登校する? なんのことだ。


 今だってすぐ教室に入ってくるであろう幼なじみは、オレのあとに登校してるではないか。

どうせ人違いだろう。ジンにしてはめずらしいが。


 つかさのそんな思考の後、すぐに小柄な女子生徒がいつものようにかばんを置いてイスに座った。


 そうしていつものようにつかさを向いて申し訳なさ気にあさの挨拶をする。


 「おはよう、つかさくん」


 つかさもいつのようにそっけなく挨拶をかえそうとして、

 

そうしてやめた。


 イラつくのだ。こういう態度が。イヤでイヤでたまらない。

 なぜ普通にしていられないのか。


 つかさは他人というやからが好きじゃない。他人というのは「自己」でないものいう、つかさはその類の人間の顔色をうかがって生活しなければならない。


 群れの中にいるというのはそういうことなのであろうと理解していた。しかし、つかさ

にとってはそれが耐えられない苦痛であった。


 いつからであろうか。こんな苦痛を背負うようになったのは。

 わからない。いや忘れてしまったのだろう。

 忘れてしまうほどくだらないことなのだろうか。

 つかさは自問したが答えは出なかった。


 しかし、今のつかさにとってそれはどうでもよかった。ただ目の前にいるヤツがなまじ過去にかかわりがあって、そのため毎日申し訳なさそうにする挨拶が今日は余計に癇に障っただけのこと。


 心の中で一度舌打ちをする。

 つかさの激情にも似た思考は今日も己の内でのみ爆発し、珍しく今日は己の外にその余波を生み出した。


 それはひとつの疑問となった。



 「なんでだよ」


 つかさは唐突にひとことだけを口にする。


 「えっ?」


 頭の上に疑問符を浮かべる幼なじみの名は西野しおり。昔はよく遊んでいたが、それは今日のつかさとは関係の薄いこと。


 今となってはどうでもいいこと。


 ただ、


 「どうして昔のことしゃべったりしたんだ?」


 西野は察したように目を床に落とした。


 「ごめんなさい」


 「あやまったってしかたないだろ」


 つかさ自身責めてるつもりはなかった。事実、つかさの声は低く落ち着いていた。


 しかしなぜなのか理解できないのだ。なぜ昔の希薄なかかわりをたよってそんなことをいったのか。なぜつかさ自身がここまでイラだっているのか。


 その答えが出ないうちに、担任が定時の5分前に教室に到着し、ざわつく生徒たちを静めてからHRをはじめた。


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