古泉 忍-6-
教室を見回す。
残っている生徒は今出て行ったので最後。残っていた4人の生徒の記憶にすでに「つかさ」という存在はいない。
今日までのうちにほとんどの生徒の記憶を消してある。川原、三上、豊島、本山___教室に残った誰もが、その存在を誰からも触れられることのない「転校生」に何らかの不信感を持っているのは明白であろう。状況としてはクラスの誰も知らない人間が同じ教室で授業を受けているといった感じだ。
誰かに話しかけられることも想定していたが、下校近くなってつかさにわざわざ話しかけてくるようなことはなかった。
これも「新しい記憶」を上書きしないための銃の作用なのかもしれない。
すぐにでもジンが戻ってくる。
つかさは、手提げの中に偽装していた、金縁のトランクを出してその中から銃を取り出すそれを右手に自分の机の中に銃を隠すようにもち自然な形で座る。
ジンが帰ってきたら、教室に入ってくるとともに照準して撃つ。それで今日の大仕事は終了する。
一瞬だ。一瞬。またひとつ断ち切って。またひとつ前に進む。
遠くから足音が聞こえた。こちらに向かってジンが歩みを進める音。
「___!」
しかし、それは一人のものではなかったではなかった。
「でさあ、あのシーンで思わず俺笑っちゃったわけだよ。ありえないだろ?だって頭を直接交換することで元気百倍になるなんて。俺だったら死んでるよ」
「でも、それがドラマってもんだよ。非現実の、いや実現できない事柄だからこそ人はそこに夢を見るんだ」
とりとめもない会話をしながらジンともう一人の生徒、川原が入ってきた。つかさは誰にも聞こえないように一度舌打ちをする。
川原のせいで一瞬で済むはずの計画が台無しになったことよりも、自分の甘さに腹がたった。
忘れ物等の理由ででクラスメイトが帰ってこない確証なんてなかった。しかしながら、ジンの記憶を消すことを早く済ませようと思うあまり、その計画一通りしか考えていなかったのだ。
川原の記憶はもう消した後だ。あとはジンの記憶だけである。ジンの記憶を消すところを川原に見られても、もう一度記憶を消せばいいだけの話である。
しかし、二人いるという状況が不都合であった。どちらかを撃った瞬間に、もう一方に逃げられたら事である。
隣の人間が銃のようなもので撃たれて気を失ったらどうだろう?
モデルガンだったでは済まされない。つかさは学校で違法に高出力のエアガンを乱射した異常者になってしまう。それが周知の事実となってしまったら、記憶を消す障害になってしまう。
教室に入ってきた瞬間に二人に一瞬にして照準すればよかったのかもしれない。しかし、足音が二つだったことに動揺してしまっていたつかさにはそんなことができるはずもなかった。
やむ得ず、つかさは動揺を抑えつつ機を伺うことにした。
つかさはもう一度、舌打ちをして銃が二人に見えないようにできるだけ机の奥のほうに押し込んだ。
「はい、ありがとよ。いい暇つぶしになった。いいや、面白かったよ。後で続き貸してくれ」
そういってジンは自分のスクールザックの中からDVDのディスクを取り出して、川原に渡した。
「うん。いつでもいいよ。じゃあまたあした」
ジンは「おう」と一言言って去っていく。つかさは前を向いていたため顔はあわせていないが、教室に一人残っていた「転校生」のうしろすがたに対して不信顔をしていたことは、その表情を見なくたってわかる。
「トイレから出てくるときにばったり出くわしてさあ。今日返すって約束してたの忘れて放課後になっちまったよ」
どうでもいい情報を口から吐き出した後、ジンはスクールザックを背負うでもなく教室の一番後ろの窓枠に腰掛けた。
ここは3階だ。ベランダのないこの教室では冗談でも、窓枠に腰掛けたりなんかしたくない場所である。
つかさは後ろを振り返りジンのことを見やる。なぜなのかは知らないが、ジンは学生服の上を脱ぎ、小脇に抱えていた。
「帰るんじゃあないのかジン?そこでなにやってる」
計画通りにいけば絶対にいわなかったであろうことを口にしながらゆっくりとつかさは机の置くに追いやった銃を引き寄せる。教室で二人しかいないという状況。今ならやれる。しかし、つかさにはそれができなかった。ジンの立ち居地は危険すぎる。このまま照準して引き金を引くのはひどく簡単なことである。しかし、今まで記憶を消してきた人間たちは一様にその後、気を失っているのだ。ジンだって例外ではないはずだ。このままジンが気を失ってしまったら、地上16メートルから頭を下にして落ちてしまうことになる。
つかさは人を殺したいわけではないのだ。「生きる」ということに格別に強い思い入れがあるつかさにとって、これから自分の得るであろう世界「ひとりの世界」に「ジン」という存在が全く関係なかったとしても、のどから手が出るほど欲する目的の過程に必要であるとしてもつかさに人を殺すことなどできなかった。
ジンは机に手を入れたまま不自然な形で座っているつかさに対して、気の抜けたようにため息を漏らしたかと思うと、まじめなことをいうときの力強い目でつかさを見据えていった。
「なあ、その机の中に入ってる銃。記憶を消せるんだろ?」
「____!」
今までにない大きな動揺。夕日の坂でヴァンに声をかけられたとき以上の衝撃がつかさの全身をかけた。またいつもの突飛な冗談だと信じたかったが、いくら頭の中でジンの言葉を反芻したところで、冗談である可能性は0に近いという結果しかつかさの脳にははじき出せなかった。ジンは続ける。
「まあ、お前は『うん』とは言わないだろうが」
いつもはジンのとりとめもない言葉をしようがなくいなして流すつかさであったが、このときばかりは何もいえなかった。グラウンドの野球部が声を出す音、ミットに当たるボールの音、体育館から漏れる女子バレー部の声、車、吹奏楽部。しんとした教室にはたくさんの音が届いてくる。しかし、風も通らない教室はまるで、時が止まってしまったかのように静まりかえっていた。
つかさは滴る汗を無視して、平然と言葉を返す。
「何を言ってる、ジン?じゃあ見たらどうだ?銃なんて入っちゃいない。見に来いよ」
つかさは机の中から手を引いて、お手上げといったようなポーズをとって見せた。ぞれに対してジンは冷めたように苦笑して動かない。
「おまえらしくない。浅はか過ぎるよ」
指摘されたとおりつかさは浅はか過ぎる自分に苛立ちを覚えた。いくら平生を装おうと、つかさ動揺はあまりに大きすぎたのだ。そんなつかさの考える出来損ないの策などでジンを騙すことなどできない。
「銃を確かめによってきたところを撃つ」なんて、頭の悪い作戦をまじめに実行しようとしてしまうほどつかさは動揺していた。
正々堂々やるしかない。今となってはそれが一番のように思えた。悪態をつくようつかさはジンに問うた。
「なぜ、わかった?なぜ、しってる?」
ジンはふざけるでもなく真顔ではっきりといった。
「トモダチだから」
「ふざけるな!」
「ふざけてなんかいないさ。俺とお前はトモダチだ。友情関係で結ばれたような美しいものじゃあないが、”同類”って書いてそう読むのがぴったりのトモダチさ。トモダチだからお前のことはよくわかった。俺とどこか似てたからな。だから俺はお前と少し話がしたい。そんな物騒なもんはしまえ」
つかさは彼らしさを失い頭に血が上っていた。机の中にある銃を再度握り締めてジンに向けて構える。
「…ふう」
対してジンは小さくため息をつく。まるで、お前には撃てないといっているかのような泰然とした態度はつかさの「ジンを撃てない理由」までも、すでに知っているのだろう。どうやら福森の記憶を消すところは完全に見られていたようだ。
ジンは銃を使えば撃たれた人間が気を失うことを知っている。さらに、つかさには人の命を奪うようなことはできないと確信していた。
何も言葉にすることのできないつかさは、銃を構えたままジンのいる窓の向かってゆっくりとにじり寄る。
「へえ。なるほどな。」
ジンは鼻を鳴らしてつかさに対して身構えた。つかさは脂汗を浮かべながら歩調を少ずつ上げていく。
「この銃で撃てば一時的に気を失ってしまうから今のお前の位置では死んでしまう」
ジンはそんなことはもう知っているといったふうに肩をすくめて鼻を鳴らしてみせる。つかさは続ける。
「別にお前の命が大事だからってこんなことするわけじゃないが、オレにはまだ記憶を消さなければならないやつらがいる。こんなところで面倒は起こしたくない。だからお前の胸座をつかんでゼロ距離で撃つ」
この状況では確かに最善の策であろうとジンは感嘆する。前に逃げようとすればすれ違いざまに撃たれるだろう。近づいてきたところで逆につかさの銃を取り押さえることもできないわけではないが、つかさのことだからそこのところに隙はないだろう。リスクが高すぎる。
「『お前に逃げ場はない』ってか?だから降伏しろと」
つかさは無言でにじり寄る。
しかしジンはニタリと笑った。
この状況になることを推測してねえはずねえだろう。
その瞬間、ジンの体はゆっくりと背中から窓の外へと傾いていった。窓の枠にかかっていた足もずるりと下に落ちていく。
「!」
つかさは驚愕する。この状況で自ら地上三階から飛び降りるというのか。つかさは予測もしなかった最悪の事態を確かめに、窓辺へと走り寄った。しかし、そこにはつかさの予想したジンの骸はなく器用に給水用のパイプを伝って下に降りていく男の姿があった。先ほど小脇に抱えていた上着をパイプに巻きつけ滑るように降りてゆく。
つかさは内心胸をなでおろし、次に込み上げてきた苛立ちの感情に任せてパイプにすがり付いているジンに照準した。
着地した瞬間ならば気を失っても問題はない。ジンが着地した瞬間につかさはその頭頂部めがけて発砲した。
パァンという目立つ音がしてしまったが、校庭の生徒たちの目はパイプを降りるジンに釘付けだったためにつかさへの注目は少なかった。もとよりつかさはこの時点ではほとんど周囲を気にしていなかった。
「!?」
つかさは今日にして何度目かの想定外にぶち当たっていたのだ。
銃で撃ったはずのジンは何事もないようにパイプから地上に降り立ち校庭を突っ切って校門にたどり着こうとしていた。
照準は完璧だった。なぜなのかと一瞬悩みはしたもののつかさはすぐに答えに思い至った。この銃には射程距離があるらしい。
クラスメイトの記憶を20以上消しておいていまさらになって気がつくその事柄は、人のいない場所に呼び寄せて毎回ほぼゼロ距離で撃っていたつかさにとっては仕方がないことなのかもしれない。
ジンが逃げる。
校庭を疾走するジンの背中を見てつかさは奥歯をかみ締めながら思う。こうなってしまうことを頭のどこかでは予測していたのではないかと。
しかし、つかさは今となっては後の祭りである。よりによってジンに逃げられるという状況は考えられる中で最悪の状況であり、考えたくもない事象であったために忌避していたということにいまさらになって気がつく。
もっとよく計画を練っていれば…。
つかさはほんの数分前に、なぜ自分が何の根拠もなしにジンの記憶を容易に消せるなどと思ってしまったのかと後悔するとともに、追うことしかできない自分がひどく滑稽に見えて苛立ちを覚えた。
このまま逃がしてはならない。つかさはそう決心した後、すぐにスクールザックを真っ逆さまにして整然と収められていた教材たちを机の上にぶちまける。空になったそのスクールザックに銃を入れて他人に見えないように偽装し、急いで学校の昇降口まで降りていった。
鼓動が早くなる。必然と息が上がる。苛立ち、焦り、残暑の暑さそのすべてがつかさを加速させた。
つかさは履き替える手間を惜しんで学校用の上履きのまま出た。
外には走り去っていったはずのジンの姿があった。
つかさ自身が走り去ったと思い込んでいただけであって、ジンは校庭の門の前、つかさの前方70メートルの場所で待機していた。ジンは「早く来い」とでも言うかのように不適に笑う。とまっていようが走っていようが関係ない。つかさは全力でジンを追いかけた。




