古泉 忍-2-
日野つかさの異常な人間嫌いについて気がついているのは、俺を含めてかなり数少ない。それほどまでに、アイツの「優等生」の上面は巧妙である。
俺、古泉忍が人間嫌いであるという意味での同類という意味ではない。
知れば知るほど人間臭い男だ。俺が人間嫌いだったら、そもそもつかさに接触しようと思わないだろうし、近くにいたら鼻をつまんで逃げ出すかもしれない。
理由はもっと違うところにある。
俺には生まれてこの方、友達というものがいない。
同類さえ最近できたばかりだ。
この場合仲良く話しているように見えるだとか、いっしょに遊んだことがあるなどは友達の枠には入らない。
「つきあい」は人間として生まれたならこなさなければならない行事の一つだ。これについてはつかさのように、さして不快に思うことはない。
しかし、トモダチという領域は俺にとってどこか特別だった。
世の人々はトモダチだと言いながらすぐに顔を忘れ、数ヶ月会わなかっただけで疎遠になったと口にし、何かがあれば手のひらを返したように裏切る。
皆の言う「友達」という言葉は俺の耳にどこか軽薄に響いた。
友達というのはそんなにチープな概念なのか?もっと重くて、熱くて大切な言葉じゃないのか?
小学六年生のころ、本当の友達が自分にいるのか確かめたくて、わざと友達の一人と喧嘩したことがある。
もちろん見かけによらず頭のいい俺はどちらにも非のある状況に持ち込んでから喧嘩をした。
そのときの俺は、喧嘩してもすぐに仲直りしてうまくやれると思っていた。
「すぐに仲直りして~」の流れから想像していただきたいのだが、恥ずかしいことに俺は喧嘩したことがない。よって仲直りしたこともない。
昔から空気を読むのが得意で、器用だった。そのため、他人と衝突することもなくそれまでうまくやれて来れた。
いいや、やってきてしまたというべきか。
そのため、これといって分かり合える友達もできなかった。
俺の周りのトモダチはクラスでも活発な7人のグループだった。その中で、一番中がいいと思っていたやつと喧嘩した。
当時は、喧嘩の当事者である俺たち以外の5人も仲裁に入ってくれるものと淡い期待を抱いていた。
だって、友達だろ?
しかし、そいつらはメンバーの中の二人が喧嘩をし始めるとすぐに他人面をしあがった。それだけじゃあない。ことの顛末はさらに不快なものだった。
一対一の喧嘩をしていたつもりがいつの間にか一対グループになっていた。どうやら、喧嘩していたやつが俺を抜きにしたグループ内に俺の悪い噂を流し始めたのだ。
それを鵜呑みにするようにしてあいつらは俺を標的にして女のいじめみてえに陰湿な嫌がらせをするようになってきた。
この時点で、いやもっと前からかもしれない、俺は諦観していたんだと思う。こいつらは友達なんかじゃない、と。
もちろん、俺と奴らがという意味もあるが、7人の一人一人がそれぞれ友達なんかじゃなかったんだ。
例に一対六になる前は、俺と喧嘩してた奴でさえ他の5名からは腫れものを扱うような態度を受けていた。
そんな状況に耐えられなくなったのだろうか、大切な友人だと思ってた奴は俺を標的に祭り上げてめでたく6人で再度団結した。
友達じゃないならなんで一緒にいるんだ?
その自問自答にだってもう答えは出てる。まあ、四年以上あったわけだからな。あいつらは一人になるのが怖かったんだ。
グループ内の人間は身内で争いが起こると必ずどこかの立ち位置にいなければなくなる。西方か東方か中立か。
そのどれを取ったって争いの終幕に勝ちと負けが存在する以上どこにでも孤立する可能性は出てくる。方や負けたほうはクラスのいじめの対象になるかもしれない。方や中立は喧嘩で頭のアツくなっちまってるどちらからも責められるかもしれない。
考えすぎだとも思うがそういうことがわかってたって事に関しちゃあ、よく頭が回ったもんだとほめてやりたい。
組織が存続するためには腐敗した部分を取り除かなければ全体に毒が回ってしまう。でもあいつらには「組織の存続」なんて考えは頭になかっただろうし、やはり保身のためにそうしたのだと考えざるおえない。
俺たち二人がいなくても残り五人で群れていられればそれでよかったのだ。あいつらは結局最後まで「ひとりになりたくない」という恐怖でがっちりと互いを繋がれた囚人のようだった。
何一つわかっちゃねえ。グループ内におきた歪はけしてすでに壊死してしまった部分ではないのだ。
例えるなら超回復を待つ壊れた筋細胞だ。頑強な筋肉を作るためには一度トレーニングで筋肉をこわさなければならない。そこから超回復を経ることによって筋肉が生まれるのだ。喧嘩のあとにちゃんと仲直りすれば前以上の強い絆が生まれる。それをわかっていなかったあいつらは果てしなく哀れに見えた。
と、いったってまだそんな「仲直り」の経験したことなんてないんだけどな。
あいつは俺と同じで「考えなければ」もっと楽に生きられる人生をまどろっこしく考えすぎることで損してる人間だ。まあ俺の場合は損って言うより疲れる生き方って感じなんだろうけど。
だから俺とあいつは他人と考えることがズレてるという意味で同類なのだ。こんな人生を俺は別に悲観したりはしていない。考えて、頭をつかってなんぼの人生だ、すこし遠回りだがこれも楽しい人生なのだろう。
しかし、だからこそ考えてしまうのだ。なぜ俺はこんなふうになってしまったのか。
そして、つかさを見ればそれがわかる気がした。だって、俺とあいつは同類だからな。
だからこそ、アイツが俺の初めての友達になって欲しいと思う。