日野つかさ-15-
外に出ると、いつものように朝のすんだ空気が鼻いっぱいに広がった。
空を覆う白はどこにも存在せず、ただ吸い込まれそうな青が天いっぱいに広がる。
「ねぇ?つかささんなんでさっきの話、聞くのやめたんです?」
家を出てすぐの坂で、始めてであったときのようにヴァンの声が聞こえた。
「面倒だっただけだ。あれ以上話していたら学校に遅れる」
つかさは既にヴァンが「そういうもの」であることを了解しているので背後から聞こえた言葉を日常会話のごとく受け止めた。
ヴァンは歩みを進めるつかさの隣に近づいてつかさの顔を見上げるようにしていたずらっぽく笑んだ。
「ふふーん。あのとき宗斎にどんな過去があって、それでなんで喜んでいるのかが聞きたかったんですよね?」
「…」
つかさは無視するようにして前進し続けた。
「もしかして、つかささんは怖かったんじゃないですか?」
「…なにがだ」
ヴァンは一言そういうとぴょんぴょん跳ねながら「べーつに」といってつかさの前方に躍り出るようにしてくるりと片足で回転した。
「ところでつかささん?今日はなにをするんです?」
会話の内容はがらりと変わったが、つかさは動じることなく受け答えをする。
「クラスメイトの記憶を消していく。リストには教師を含めてほとんどのクラスメイトが入っていたからな」
上面だけであっても、模範的な学生であるつかさを好意的に思っている人間は多い。
いずれ消えるつながりであると分かっているのならもっと目立たないようにしておけばよかったとつかさは思ったが、自分が必死になって築き上げてきたものを壊すことがカタルシスを含むことに期待しないわけではなかった。
そうすることによってつかさをがんじがらめにしていた鎖を断ち切り、やっと願いをかなえられるというのなら、今までやってきたことも無駄にはならないと思ったのだった。
「そうですか。がんばってくださいねっ」
前方にいたつかさは、ヴァンを追い越した。きっと振り返っても、もう誰もいないだろうと思った。
そういう忙しいやつだからな。つかさはそう思う。
しかし、背後の気配は一向にして消えなかった。ヴァンがまだいるのかとも考えたが、今日までのヴァンの行動パターンから見てそれはないと思った。
こんな朝から後ろをついてくるやつにがいるのか?つかさと同じ登校ルートの生徒がいないわけではない。しかしつかさはこの時間帯を一年半通い続けて、そんな生徒とは一度も会ったことがない。
いや、あわないような時間帯をわざわざ選んでいるといたほうがいい。しかし、今日このときばかりはなぜか気になったのだ。つかさは思い切って後ろを振り向くことにした。
「…!」
そこには、つかさのぴったり後ろを歩くようにしてついてくる黒い毛並みの猫がいた。
「にゃぁ」
「…お前…ヴァンじゃないよな」
「みゃぁぁ?」
猫に話しかけている自分を省みて、言いようのない恥ずかしさを覚えたつかさは数秒前の自分の行動をなかったことにして登校し続ける。しかしその猫は歩き始めたつかさの隣に並ぶようにして歩み始めた。
つかさが無視し続けていると、とうとう学校まで着いてしまった。
つかさは立ち止まって猫を一瞥する。猫はそんなつかさをじっと見ていた。
「さっさと主人のところに帰れ。オレは今から学校だ」
するとその猫はとぼとぼと来た道を戻り始める。首輪がついていなかったからもしかしたら野良かもしれないとも思ったがどうでもいい。
つかさは再度猫に話しかけてしまっていたことを顔に出さずに恥じた。
「なんだったんだ」