日野つかさ-11-
既に薄暗い駅周辺は帰り路のサラリーマンやOLでごった返していた。
電灯には蛾が群れてバサバサと薄気味悪い羽音を立ててはたまにその暑さに身を焦がし地面に落下する。
しかし、それでもなお羽をせわしなく動かして同じ電灯へと突っ込んでいく。
歩いていたつかさはそんな光景を見て同情にも似た感を覚える。
蛾は運命付けられるようにして日に身を投じていく。しかし、もしそんな運命から解き放たれた蛾がいたらどうであろう。
ある日突然脳が肥大化し、最低限火に飛び込んでいかないような思考力を持ったそんな新種。
そんな蛾がいたらきっと今の自分と同じように思ったであろうとつかさは思う。
「ああ、あいつらは蛾なんだ。今日も火に突っ込んでいくしか能がない」。
つかさは駅前のお菓子屋のベンチに座る。眼前の人々は今日も「今日」を精一杯生きているようだ。
そんな姿がつかさには電灯に突っ込んでいく蛾とかさなって見えたのだった。見下す気はさらさらない。
なぜならつかさは、この力を人々が欲しないと思ったからだ。
つかさは自分の願いが「普通」の人間から見て異常であることを確信していた。
そうして異常な目的を遂行するためであるからこそ自分の前にヴァンと言う存在が現れたのだと信じていた。
だからつかさは思ったのだ。
普通の人は異常でない以上こんな力を欲したりはしないと。
蛾が自ら火に身を投じるのは「普通」である条件なのだ。
身の丈以上の力などと言うものは逆に自分を滅ぼしかねないものだ。
果たして今の自分はどうであろうか。望みをかなえる力。それを得ておかしくなったりしたであろうか。いいや、してはいない。この思いは以前とまったく変わってはいない。変わってなど…。
「どうしましたっ?つかささん。さっきから黙ったままですよ?」
ヴァンの一言で現実に引き戻されたような気分になる。そうしてつかさは今まで、もう過ぎたことが原因で深く考え込んでいたことに気がつくのだった。
「おまえ、もしかして他人には見えないのか」
いつの間にか隣に座っているヴァンにつかさは話しかける。
「いいえ。見えてますよ」
教会から駅までの間やはりヴァンはどこかへいなくなっていた。
そして気がつくといつもつかさの隣にいる。
人どうりの多い駅前である。
ヴァンの姿を好機の目で見るものは少なくはないはずであろう。しかし、誰もこちらに目をやろうともしない。
自分のやるべきことに向けて彼らはただ歩みを進めるかもしくは、後ろにあるお菓子屋の店内をのぞき見るかのどちらかであった。
「見ようとしないだけなんじゃないですか?それが当たり前のことだから」
「?」
「つかささんは当たり前の中の普遍のとある事象がどうしようもなく気になったりすることってあります?たとえば雲ひとつない青空の中の一区画。降りしきる雨のとある水滴。当たり前すぎてみる気も起きないでしょ?そこに目が言ったとしてもじっと見る気にはならないはずです」
そのとおりだ。しかしヴァンの姿はあまりにも特異である。眼、髪、服装、肌の色どれをとっても。
「お前はそんな変な格好しているんだから『あたりまえ』なんかじゃないだろう」
そこでヴァンはなぜかにっこりと笑ってからベンチを飛ぶようにして立った。
「よいしょっと。その変な格好がこの世界にとって当たり前なんだからもうどうしようもないです。くんくん。ここいいにおいがします。シュークリーム?でしたっけ?そんなにおいが」
ヴァンは話を断ち切るようにして行動を次に移す。
つかさはそのような態度をとるヴァンにあえて言及しない。
その不思議さこそヴァンを神秘たらしめているものだから。