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ヘルメス  作者: 捺耶 祭
24/45

シスター-0-

 ____ある日の朝


「主よ告白します。私はあなたを信じてはいません」


 その言葉は一切の人工の灯がない、涼しく翳る昼時の教会に小さく響く。


告白します。


 私も孤児でした。


 物心もつかない幼いころに父と母は離婚し、私は母方に引き取られました。


 だから私は父の顔を知りません。母は親としての責務を果たすために必要最低限の育児と家事、仕事に追われて、私にかまっている時間などありませんでした。


 そんな母に私は「抱きしめてほしい」なんてとても言うことができませんでした。


 おかしいですよね。子供ながらに変な遠慮をしてたんです。


 疲れて帰ってきたのなら、早く寝かせてあげたい。

 

 家での仕事はできるだけ減らしてあげたい。


 そう思って私は…。


 そう思ったから私は、真っ先に家事が得意になりました。


 母が変な気を使うと悪いと思って、母が帰ってくるの前には眠くもないのに布団に入って、寝たふりをしました。


 そうすれば、私にかまう無駄な時間を節約してたくさん寝ることができますから。


 いっぱい、いっぱい母の大好きなテレビだって見ることができますから。


 私が少しの間我慢すればいいだけのはなし。大きくなって、私も働けるようになれば、きっと母が働く時間も半分になって少しは楽になるんだ。


 それまでの我慢。


 そのときが来たら、いっぱい抱きしめてもらおう。遊んでもらおう。


 幼い私は、浅はかにも、めいっぱいの思いやりで自分のことを縛り付けました。


 結果、母は孤独になりました。


 私の態度が逆にプレッシャーになってしまったのです。


 そうして、幼い私はそんなことにも気づけずにとうとう世界一大好きなお母さんを、朝早くの仕事で始まり、夜遅く娘の寝顔を見るために帰ってくる孤独と労働の箱庭に閉じ込めてしまったのです。


 母子家庭になって四年後のある日、母は過労で帰らぬ人となりました。


 だから私は母のぬくもりを知りません。母が私を抱きしめてくれる「そのとき」は永遠になくなってしまいました。


 私の所為だなんてこれっぽっちも思いませんでした。


 その後、私は親戚の間をたらいまわしにされて、挙句の果てに虐待され、近所の人が警察に通報してくれていなかったら死んでいたかもしれない状況まで肉体的に追い詰められました。


 いまでも叔父さんに押し当てられたタバコの後が背中に残っています。


 でも、そのときの私は、既に諦観していたのです。


 母がなくなったその日から。この先に幸せなんてないんだろうなって。


 幼い私は、浅はかながらも、精一杯大人のように考えて、そう諦めていたのです。

 

 でも、神様。いるのなら、感謝したいことがあります。

 

 おじいちゃんにあわせてくれてありがとう。

 

 頼んでないし、幸せになりたいとも思っていませんでした。でも一瞬だって幸せをくれたことに感謝いたします。


 この近辺の土地を所有していた大地主が、私のことを引き取ってくれたのです。


 その人は、子供がいないわけではありませんでした。


 私より十以上はなれた息子と娘がいます。だから戸籍上は血縁関係のない「親子」でも、私にとってはおじいちゃんでした。


 おじいちゃんはたくさん優しくしてくれました。なんとお礼をいったらいいか分からないくらいに。


 あのときも、おじいちゃんが私を助けてくれたみたいに孤児院を開きたいと言ったら、おじいちゃんは応援してくれると言ってくれました。


 私に使われなくなった教会と土地、さらに投資までしてくれて、おじいちゃんのおかげで夢をかなえることができました。孤児院は私に大切なことを教えてくれました。


 大切なこどもたちと離れるのはつらいと言うこと、一緒にいるだけで、救われると言うこと。自分の触れてきた子供たちが成長するのを見ることはうれしいということ。


 たくさんです。


 そしてやっと気がついたんです。


 母は私の所為で死んでしまったのだと。


 きっと、わがままだってよかった。子供らしく変な気など使わなければよかった。


 触れてあげれば変わっていた過去なのかもしれない。


 抱きしめられるのを待っているのではなく、抱きしめてあげればよかったんだ。

 

 気づいたその瞬間も、今だって私は後悔し続けています。

 

 ある日おじいちゃんは私に一枚の封書を渡してきました。それは遺言でした。


「わしが死んだらお前が真っ先に見なさい」


 と言いつけられて渡されたその手紙のことを思い出すのは十年くらいさきの話になります。


 おじいちゃんが死んでしまいました。


 健康な体で、なに不自由もなく九十二歳で急に死んでしまいました。


 大往生でしたが私はたくさん泣きました。


 とても悲しかったです。


 悲しみも癒えぬ間に、顔も見たことのなかった兄弟が私を訪ねてきていったのです。


「遺言書はあるか?」


 と。


 おじいちゃんの言葉を思い出して持ってきた遺言書を兄弟たちは半ば取り上げるようにして持ち去っていきました。


 そこになにが書いていたのか私は知りません。でも、その翌年からほぼ未開の雑木林だった教会の近辺の土地は売りに出されて開発が進み、とうとう教会までもが売りに出されてしまったようです。


 あの手紙をおじいちゃんに言われた通り一番初めに読んでいれば、何か変わったのでしょうか。


「主よ私は神様を否定できません。どこまでも人に無関心で、気まぐれなあなたは、頼んでもないのに与え、願う私を何の気なしに踏みつける。神様って言うのはそういう天災と同じような存在なのだと思います。だから主よ。人をお救いなさる主よ。あなたは存在しない。そう思ってしまうのです」


 誰も救ってはくれない。


 そんなことを偉そうに口にしてみて、私は思うのです。


 私は自分自身で幸せになる努力をしただろうかと。救ってはくれないと頭で理解しながら、どこからか差し伸べられる手を期待していたのではないかと。


 抱きしめられることを待っていました。


 もう幸せになれないとあきらめました。

 

 孤児院を設立したいという夢は圧倒的な後ろ盾によって割りと簡単に叶いました。


 孤児院を離れてしまって向こうから連絡のない子供たちの行方は知りません。


 あの時も、今だってたった一つの事柄を後悔し続けています。

 

 何一つ、私はがんばっていません。


 あのときから、自分の浅はかな算段から母を失ってしまったあのときから。


 がんばったって報われないとずっと諦観しているのです。

 

 そこのいすに座って、ただ一日中ステンドグラスを見つめいた彼だってきっとそんな思いを持っているのではないかと、勝手に思い込みました。


 だから私は、今彼がどうなっているのかを知りたい。


 そうだ。


 ここを立ち退いたら、彼に____

 

 カタン。教会の扉の開く音。

 

 誰だろう?


 失礼だとは思ったが、私は曲がりなりにも告白中であったので十字架を向いたまま後ろの気配に話しかけた。


「こんな朝早くにどうされました」


 子供ながらに親に遠慮しちゃうことってありませんでした?

 ご飯に行ったらあまり高価なもの頼むことを自制したり。

 財布にすこし痛い代金よりも、喜んでくれる笑顔の方が大切だと気がつくのは、与える側になってからなのだろうと思いました。

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